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フィットネスコーチ。 ウォーキングアドバイザーのエストロゲン子(中の人)です。今よりもHappyになる歩き方を貴女に!〝60分〟で一生ものの歩き方が身につくウォーキングレッスン/ウォーキングやランニング、エアロビックダンスなど、有酸素運動指導30年♡ 健康セミナー・体操監修、雑誌コラム連載中。

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2018年1月24日 (水)

■【金剛山】千早城編:正義の悪党・楠木正成の七城址めぐり

※2008年1月28日に記事をアップデートしました。

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主体が楠木氏である楠木七城を探索してきました。

今回は千早城のレポです。

千早城と言えば…楠木詰城や金剛山城とも呼ばれ、
南北朝時代に楠木正成が反鎌倉幕府の兵を挙げ、百日にも及ぶ籠城戦「千早城の戦い(1392年)」を成功させた場所です。

鎌倉幕府の拠点だった関東兵は100万の武士がメインに対し、
楠木氏率いる関西勢は兵は1000人で、
構成もバラバラ…悪党と呼ばれる面々や、中には僧や公家もいたとか。


関東・鎌倉幕府勢は弓が兵器に対し
関西・楠木勢は石や大木、熱湯や糞尿・油まで。
藁人形に刺さった矢を回収し、それを使いまわしたり…

水が無ければ籠城できないだろうと、鎌倉幕府勢が近くの水場を見張るけれど
楠木勢は一向に現れず。。。
実は、天からの恵みである雨までため込んでいたらしい。

こんな作戦で100万の兵と戦えるのがすごいけれど
百日に渡り籠城できたと言うことは、

戦うための智慧や城付近の住民とのパイプや信頼関係が厚かったからだろうな~と思う。

籠城戦を成功させ、源頼朝以来続いた鎌倉幕府を滅亡させたと言う事で、
今世では楠木正成のエネルギーにあやかれるパワースポットになっていて
多くの人が訪れています。

ちなみに城址には正成を祀る神社や顕彰碑が立ち、国定史跡にもなっています。


去年の春にも訪れましたが、何回来ても神聖であり面白い場所です。

今回、もう一度児童書のコミック版日本の歴史「楠木正成・室町人物伝」㈱ポプラ社を読み返しましたが、
ほんまに楠木伝説は面白いな…。

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●楠木七城とは

1)千早城
2)下赤坂城
3)小根田城(上赤坂城の一部)
4)桐山城(上赤坂城の一部)
5)烏帽子形城
6)龍泉寺城(嶽山城)
7)金胎寺城

●千早城とは:

楠木正成の挙兵・籠城の地。
上赤坂城を本城とすれば、千早城は詰城となります。

城は金剛山の一部で標高673.9mのところにあります。
周囲を妙見谷・風呂谷・千早谷の深い谷に囲まれ南東部一か所だけが険しい山道で金剛山に連絡しています。府道からは本丸まで階段が続いています。

太平記にも書かれていますが、千早城は激しい籠城戦にもかかわらず落城しなかった山城。急な登りや斜面から落城しなかった理由が解る様な気がします。


【本日のトレイルコース】

楠木公生誕の地~上赤坂城址~猫路山城址~坊領山城址~青崩道~金剛山山頂(国見山城址)~千早赤坂城址~下赤坂の棚田~下赤坂城址~楠木公生誕の地

距離:25Km
累積標高 上り/下りとも 約2200m
高低差 1100m


●千早城址を巡る

千早赤坂の駐在所近くの金剛山バス停から城址へ行けますし、
金剛山の山頂から下山する場合は、千早本道を下れば途中に千早城址への道標があります。

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千早赤坂の金剛山バス停から登る場合
登山口の前に縄張り図があるので、確認してから行くと面白いです。

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この日は金剛山山頂から千早城へ向かってみました。金剛山登山口からも階段地獄ですが、山頂からも階段地獄で膝にきます(笑)。

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(大阪府中世城館辞典・中西祐樹著)

遺構は大規模な改変を受けて、当時のままではないけれど
おおむねの全体構造は旧態を保っているとか。

確かに本丸から四の丸まで、大きな曲輪が確認できますよ。
今回は山頂からなので、本丸→二の丸→三の丸→四の丸→登山口の順で下山してみました。

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本丸のピーク部分は千早神社の裏にあたるところで
神域になっていて足を踏み入れることはできず、遠くから楠木正成を偲ぶ感じです。

自然地形になっていて、城の中核となっていたとは考えにくく、周囲の曲輪が中核と考えられるそうです。

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千早神社です。
千早神社のHPには本丸に千早神社があると記載されているけど、
縄張り図を見ると本丸と二の丸の間に千早神社がある様な感じです。
千早神社は八幡大菩薩や楠木正成や正行、正成の妻を祀っているそう。


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後醍醐天皇からもらったと言われる菊水の御紋がドーン!とカッコイイですね。
上部の菊が天の道を表し、下は水が万物を養うを意味するそう。

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二の丸と三の丸の間の鞍部には空堀(水をはらない空の堀)があったとされますが、
今は確認ができませんでした。

三の丸へ行くと顕彰碑があり、甲冑の人形がいい味を出しています。

まるで藁人形作戦で使われたモノに甲冑を着せたかの様。
カカシさん風です。縄張り図によると三の丸から南西方向にも長い帯曲輪がある様ですが確認を忘れました。


四の丸の曲輪は大きくて、茶屋(今は閉まってますが)等があります。
礎石が残り、今でも土器の遺物が採取されるそうです。西下に大手道を両側からはさむ、武者隠し用の帯曲輪(おびくるわ:段々に連なった平坦な地)があるそうですが、確認を忘れました。


階段を降りると千早赤坂駐在所近くの金剛山バス停です。(トイレ有)

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山頂まで続く階段や茶屋等に、昔の面影を感じるには少し近代的な感じもする城址ですが、
ここで100日に渡る籠城戦が繰り広げられたと思うと、
奥からグッと熱くこみあげてきて、
正成の存在や歴史ロマンを充分に感じられる城址だな~と思いました。


【千早赤阪村】番外編・正義の悪党 楠木正成のゆかりの地巡り 郷土資料館・楠公誕生地・楠公産湯の井戸・奉建塔・下赤阪の棚田の記事へ続く…




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