京都と大阪を結ぶ交通の大動脈は淀川の舟運でした。
京都・伏見と大阪・八軒家の間(約40㎞)を船が往復し、
江戸末期には1日に1500人、800tの荷物が運ばれていました。
[永田屋昆布本店]
〝江戸は鰹節、大阪は昆布〟と言われ、北海道の昆布は日本海よりに西回り、下関から大阪に入ってきました。
昆布屋は、戦前まで八軒屋に多くありましたが、今では永田屋昆布店と八木昆布店のみなんだそう。
永田屋昆布本店さん周辺は、江戸のころ八軒家浜船着場で三十石船が到着していました。
店の前には八軒屋船着場跡の石碑がたっています。
悠久の歴史を伝える八軒屋
おひとり様一部にてお願いします。
一部いただきました。
大阪の歴史について書かれていますので、とてもありがたいです。
船は、30人程のお客を乗せ、京都の伏見を夜半に出て翌日早朝に八軒屋に到着。
上りは下りの倍の12時間ほどの船旅だったとか。
移動だけなら、走った方が早そうな…。
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[フロマージュ天満橋]
「この付近、天満八軒屋 船宿 京屋忠兵衛 跡
幕末期、新撰組の近藤勇や土方歳三、沖田総司らの常宿だった/誠」
今はフロマージュ天満橋と言うチーズ屋さんですが、江戸の頃は「京屋」と言われる船宿でした。
たびたび新撰組の方々が宿泊していたそうです。
近藤勇や土方歳三、沖田総司は八軒屋船着場から京都と大阪を行き来していたのですね。