■[大阪史跡]京街道:八軒屋船着場

京都と大阪を結ぶ交通の大動脈は淀川の舟運でした。
京都・伏見と大阪・八軒家の間(約40㎞)を船が往復し、
江戸末期には1日に1500人、800tの荷物が運ばれていました。


[永田屋昆布本店]

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〝江戸は鰹節、大阪は昆布〟と言われ、北海道の昆布は日本海よりに西回り、下関から大阪に入ってきました。
昆布屋は、戦前まで八軒屋に多くありましたが、今では永田屋昆布店と八木昆布店のみなんだそう。

永田屋昆布本店さん周辺は、江戸のころ八軒家浜船着場で三十石船が到着していました。
店の前には八軒屋船着場跡の石碑がたっています。

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悠久の歴史を伝える八軒屋
おひとり様一部にてお願いします。

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一部いただきました。
大阪の歴史について書かれていますので、とてもありがたいです。

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船は、30人程のお客を乗せ、京都の伏見を夜半に出て翌日早朝に八軒屋に到着。

上りは下りの倍の12時間ほどの船旅だったとか。
移動だけなら、走った方が早そうな…。




[フロマージュ天満橋]

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「この付近、天満八軒屋 船宿 京屋忠兵衛 跡
幕末期、新撰組の近藤勇や土方歳三、沖田総司らの常宿だった/誠」

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今はフロマージュ天満橋と言うチーズ屋さんですが、江戸の頃は「京屋」と言われる船宿でした。
たびたび新撰組の方々が宿泊していたそうです。

近藤勇や土方歳三、沖田総司は八軒屋船着場から京都と大阪をship行き来していたのですね。