この記事を書いているのは2020年の11月。
あと1ヶ月で新しい年を迎えると言うのに、
2020年のほとんどをコロナウィルスを意識しながら過ごしている…
たいへんな世の中になったものだ。
2020年、1月半ば…コロナウィルスが日本にもやってきた。
4月7日。
新型コロナウィルス感染症緊急事態宣言が発出され、
仕事(運動指導)は3月末から休業要請の対象となった。
いつものように生活し、仕事をし、生きたいところへ行き、友人たちと語り合う…
今まで当たり前に行えていたことが、特別なことに変わってしまった。
元気なのに、仕事ができない…
働きたいのに、働けない…
こんなにつらいことは無かった。
今まで当たり前に過ごしていた時間はなんと贅沢だったことか。
あんなに欲しがっていた何もしない時間。
いざ、何もしない(できない)時間がやってきたとなると、
まるで実験室でガラスビーカーに囲まれて身動きが取れないような感じであった。
とにかく、なんでもいい!動きたい!
何もしない時間は何かにチャレンジしよう!
そう感じている自分がいた。
2020年2月の誕生日。
毎年出走している北九州マラソンがちょうど誕生日と重なった。
これまで頑張ってきているので、
この年もアスリート優先枠で走れることになっていたが、コロナのことが気になり、
万が一自分が感染したら営業できなくなる…という責任感から、
小倉にはいったものの、大会には出場しなかった。
ちょうど人生の節目なったら走るスタイルを変えたかったので、
行われている大会を横目に、1人で旅ランに出てみた。
今までは過去の自分よりも速く、長く走りたい…のスタイルできた。
しかし、悲しいことに年齢やは欲求とは裏腹に反比例していく。
もちろん年齢を重ねるとともに速く・長くの欲求を満たせる強靭な身体を持つ人もいるのは確かだ。
そのうえ、仕事でも時間に追われ、ランニングも時間に追われ、
好きなことをやっているのにストレスが溜まっていく。
自分の魂と身体に向き合い声を聴いたところ
〝もっと気楽に楽しんで走ろうよ〟という声が聞こえたような気がした。
自分にとって〝楽しんで走る〟ことは、
自分の脚で行きたいところへ行き、未知の体験をすること。
100年、自分の足で行きたいところへ行くということであった。
自粛期間はとにかく暇で…
気付けばすでに読んだことのある本から、新書まで…50冊以上読んでいた。
再読した〝7つの習慣〟の中に「終わりを思い描くことから始める」という習慣のワードにピンと引っかかった。
終わりを思い描くことから始めること、それは「ゴールを定める」ということ。
つまり、自分がこの世からいなくなる時を想定することである。
誰に囲まれどのように死んでいきたいか…
死後周りの人にどんな風に思い出してほしいかも考えたが、
走ることについてのゴールも考えてみた。
どのゴールに向かって走っているのか…
何のために走るのか…
いつまでも健康に過ごせ、自分の脚で生涯行きたいところへ行ける、
そんな健康づくりで続けているランニングなのだが、
深堀すると、死ぬ間際まで自分で動きたいのだ!という
ゴールに向かって自分は走っているのだと改めて気付かされた。
ゴールを設定することで何を大切にして何のために何をするのかが明確になってくる。
気付きは自粛期間で得た収穫だ。
いくつか理由は重なり合うのだが、
コロナ禍で、制限や不便な中楽しく暮らす江戸の人や古道に興味を持ち、
参勤交代や旅をする人が使う街道や宿場が残っている場所を考えたら中山道だと思った。
また、とにかく山が好きだった。
山並みを眺めながら走れるのは中山道の醍醐味。
それに、南木曽にいらっしゃるお客様(人生の先輩)に会いに行きたいと思った。
コロナ過で時間を持て余して断捨離に励んだときに、
海外で製造されたものに多く囲まれて生活していると気付いた。
使い捨てが多いので、長く使える日本製のモノ、
古くから続いてきたモノに興味を持った。
古くから続く宿場や路のある中山道。
江戸時代に中山道をはじめ街道を行き交う人の目からは何が見えたのか?
そんな日本人の心と日本製に触れたかった。
☆人間一生 物見遊山…。
自分の脚でいろんな場所に生き、見識を増やしていこう。
友達に会いに行こう!
SNSで指一本や活字で簡単につながるのではなく、
自分の脚で会って友達を増やしていこう。
☆走っていにしえの人の気持ちや暮らしを感じよう。
☆日本を走って日本製を見つけよう。
さぁ、日本を走って旅しよう!
人生の節目から始めた
楽しみながらできる健康づくりが始まった。