■第24回・星の郷八ヶ岳野辺山高原100㎞ウルトラマラソン①今年も完走しました。

経験のために、年1回は100㎞ウルトラマラソンと、トレイルロング・フルマラソン・ハーフマラソンを走ると決めています。

職業柄、練習に沢山の時間を割くことは出来ないし、
週末は家族と過ごしたりデスクワークすることが多いので、

毎週毎月レースに出場するジャンキー達をキラキラ横目で羨ましく感じながらも
「これは出たい!」と言う大会に絞って毎年出場しています。


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今年は「第24回・星の郷八ヶ岳野辺山高原100kmウルトラマラソン」
これが私の100㎞ウルトラマラソンの出場大会となりました。

「野辺山を制する者はウルトラを制する」と呼ばれてるほど、難度が高い大会だと言われています。

アップダウンや未舗装路、山の寒暖差や低酸素等の対応能力が必要で、
心肺持久力だけでなく、累積標高2000m(一番高いところでは1908mまで登ります)のトレイルを登る筋力や筋持久力が必要となる、
決して簡単ではないコースと
八ヶ岳や富士山、野辺山高原の壮大な景色を楽しみながら走れると言うのが魅力です。

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(AM5:05スタート 八ヶ岳が顔を出しています)

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(前半のトレイル部分からは富士山も見えます)

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(今年は周りの薮が綺麗にされていて最高地点からも富士山が見えました)

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エントリー動機には、山や自然の環境が大好き!という事もあるけど、
自分にチャレンジしたいのもあるかな。



実は、去年も出場し完走しましたが
去年はBLOGを更新するタイミングを逃しましたので記事はありません)

今年も人の思いやりに触れ、
色んな事を学んだ時間でしたので、

数年後に読み返した時に「そうだったな…」と回想したい内容を書きます。




●レースについて

完走しました。

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今回は牛歩ながら最後まで歩かずにゴール出来ました。

ある理由が無ければ、自分のコンディションも環境のコンディションも最高すぎて…どういう結果になっていたのか楽しみだったんですが、
ある理由があったからこそ
とばさずに走れたことがゴールに繋がったのかもしれません。



最初のスタートから5Kmあたりまでは緩やかな登り
そこからトレイルに入り、23Kmまではゴロゴロ砂利道の未舗装路が続きます。

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(トレイルの入り口です)


今年は去年より未舗装路がだいぶん整備されていたので
わりと走りやすかったんですが、

20km過ぎの大きな曲がり角のかなりの斜度で、
右足が砂利に挟まり左足は滑り、
身動きが取れなくなって転倒しました。左膝負傷です。
これがある理由です。

直ぐに自分が持っていた水で洗い流し、
エマージェンシーキッドで処置をしました。
しかし…思っていたよりも切った所が深くて大きく、
23kmの第一関門の救護テントでお医者様の応急処置を受けました。

お医者様には、
「これは縫わないといけないくらいだし、救急搬送レベルなんで止めましょう」と言われたんですが、、、

今年のウルトラレースはこの100kmだけだし、身体のコンディションが良すぎることも確かめたかったし、
何より、先日恩師が他界した悲しさをぶつけたくて諦められませんでした。
(もう走れない…とは、明らかに認められなかった)

「ゴールしたいんです。走れるようにしてください」
とお願いし、42と71kmの救護テントに入ることを約束に走らさせていただくことに。

しかし、走ってる限り血は止まらず血は吹き出すばかり。
トイレでははじめて膝から血が飛ぶ…というのを体験。
(→読んでて痛くなりますね。ごめんなさい。)

わたしは運動指導者なので、本来であれば「冷静に安静、冷却、圧迫、挙上のRICE処置」を選択しなければいけない立場。

あと、切り傷にはゴールデンタイムというのがあり、
6時間以内であればすぐに消毒したり縫ったり出来るそうなんですが、
その時間をこえると感染症の心配や皮膚がくっつかなかったりで、早めの処置が必要なのです。
怖いのは感染症で人食いバクテリアがとても怖い。破傷風も。
処置は早めがいいので、これを読んだ皆様は真似して無理しない様に、すぐにRICEをお願いします・・・。
特に遠征での怪我、山での怪我は、そのままにしておかないで怪我した地域の病院に直ぐかかることが必要です。



不思議と痛くはない。。。でも血が気になる。。。
身体に悪いと解りながらも、怪我を忘れようと
他のランナーさんとしゃべりながら走ったり、極力笑顔を忘れずに…
「学びだ、学びだ…」と言い聞かせて牛歩。



75㎞あたりからの馬越峠は1620mまで登ります。
その坂は急なので、去年はほとんど歩いた記憶があるんですが、
歩くと膝の屈曲伸展が大きくなるので全部走ってみました。

去年、馬越峠からゴールまでを励まし合った
東京のAちゃんと今年も峠の坂で会えましたが
「峠の登りを走ってる…」とびっくりしてました。
→馬越峠は歩くとこcoldsweats01
(しかし、何よりAちゃんは、数日後に、この時の私の脚の状態を知り絶句してました。happy01

馬越峠からは急激な下り。
ここで着地衝撃で血が噴き出してきて貧血っぽくなりかけましたが、
野辺山高原の街に入ってきたら、
沿道で応援する皆さんのエールにホッとして
「ありがとう!ただいま!」と返せる元気も湧いてきました。
去年のゴールの時を思い出す余裕も。

皆様の支えにより、最後まで笑顔でゴールできた。。。

ゴールではAちゃんが待っててくれて
「純子さん、すごい!」
わたしも「Aちゃん、おめでとう!また来年会おうな!」とハグ。

Aちゃんと再会できてうれしかったです。
ゴールに導いてくれた理由の1つは、
Aちゃんと今年も励まし合えたと言うのも大きかったな。
そして、各地でお会いしたランナーさんとの再会の並走や、
エールを送りあったランナーさんとの出会いも。



今年は、3つの救急テントで処置に当たったのに、
コースは全部走ったし、
去年より7分速くゴール出来ました。

ゴール後この状態で最後まで走るなんて…とどの救護の方にも救急搬送先でもビックリされたし、周囲に大迷惑をかける代償で、
完走しても偉くない選択をしてしまいましたが、
自分が納得のいく走りが出来ました。


●レース後:病院巡り

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(応急処置を待っていてくれたY君)

九州のお友達のY君に、
野辺山から車で30~40分離れている小海の救急病院に連れ行ってもらい点滴や応急処置をしました。

Y君もレース後で、お風呂も入りたいし、
ご飯も食べたいだろうし、
早く休みたいはずだから、
「搬送、断ってくれていいからね」と言ったのに、
「断る理由が無い」と車を飛ばし、
夜中まで付き添ってもらいました。
ほんまに感謝。
しかも、Y君がレンタカーを借りていた事が明暗の明に繋がり助かりました。

ゴール後救護室で手当てを受けていた時間はすでに電車もバスもない時間だったので、
Y君がいなければ、傷口が化膿してもう自分の足で動けない状態になってたかもしれません。Y君は神様ですshine


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(この坂を駆け上って大会はゴールです。翌日の朝、静かな思い出の八ヶ岳)

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(ソフトクリームで乾杯)

小海の病院で紹介状を書いてもらったので、
翌日は早朝から、野辺山から電車で1時間半ほどの佐久総合病院に移動。

旅のお供のKちゃんも100㎞後だし、ゆっくりしたいだろうし、体調も悪かったので早く帰りたかっただろうに「一緒に行きましょう!」と、付き合ってくれました。
知らない地でほんまに心強った。

車椅子を押してくれたり、亀のような私の歩きに合わせてくれたり、重い荷物持ってくれたり…色んな世話をしてくれたKちゃん。
体調が悪い時って人のことまで考えてられないはずなんだけど、彼女の心の大きさや愛情が学びでしたheart01

Kちゃんが居なかったら、お医者様の言う事無視して
佐久総合病院へは行かずに関西に帰っていたような気がするな。

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佐久では、「3日入院だがな~…」との事でしたが
大阪の総合病院へ紹介状を書いていただき、
大阪に帰してくださいました。

私の職業がトレーナーだと知ると、
処置や身体の事を詳しく解説してくださった先生。

そして
「うちの病院にも自転車でこけて6時間以内なら何とか処置できるって知ってるのに、遠征先で病院にかからなかったバカな医者がいるけど、今でも元気で走ってるよ!大丈夫、また走れるよ!」
とあたたかい言葉をくださいました。

大会ボランティア皆様、小海の病院のみなさん、
佐久総合病院の先生や看護師さん、
コースで励まし合ったランナーさん。

そしてY君とKちゃん本当にお世話になりました。
宿の同室だったSさんも心配かけてごめんね。

いつも私を支えてくださるみんなに感謝です。
心からありがとう。

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●家族へ

今回、ウルトラに備えトレーニングの時間から食生活まで、
万全な準備に協力してもらい、これまでに無いベストコンディションでした。
それなのに迷惑をかけてごめんなさい。
そして、いつも感謝しています。ありがとう。

●亡き牧野桂子先生へ

生きてる事や苦しみを感じたくて走ってしまいました。
きっと貴女が生きてったら「あんまり無理しないでね」って言っていただろうな。
改めて「健康とは、肉体・とは、生きるとは」という事を先生の死を持って再確認できました。空から見ていてくれたかな。完走しましたので安心してくださいね。早く復帰して、先生が大好きだったレッスンを私もしたいです。


●自分へ

自分の身体、よく頑張った。
あんな状態で残りの80km走るのは女ランボーやな。
痛みの刺激(ゴールした途端痛い 笑)や辛いの感情があるのも生きている証拠。
でも、無理してごめん。これからは無理をせずに丁寧に労ります。
ほんまにありがとうね。

。。。


そんな事で、八ヶ岳の勲章を膝に刻みました。
一生消えない傷だと思います。傷を見るたびお世話になったみんなのことを思い出すな。それもいいか。

いい旅でした。

また落ち着きましたら、
レース中の補給やギアなどのレポをあげたいと思います。


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・補給のレポート→②ケトラン成功
・応急処置への知識やエマージェンシーキッドを持つことの啓蒙レポ→
※詳しくは各ページにJUNPください。