Column⑹では、日本には沢山の街道があったのに、
〝なぜ中山道を使ったんだろう?〟ということ書いてみようと思います。
おおよそ、参勤交代は五街道を辿って参勤していました。
■幕末期における往還路の内訳は次の通り
〇日光・奥州道中…78家
〇中山道…30家
〇甲州道中…3家
五街道のうち、東海道と中山道はスタートとゴールが同じです。
そして、東海道の方が中山道よりも距離が短く難所も少ないので、
たくさんの大名は東海道を利用していました。
しかも、中山道を利用したと言われる30家のうちは、
中山道の途中に三国街道や北国街道を使って合流した大名もいるので、
京都三条大橋から日本橋までの中山道を辿ってくる大名はほとんどいなかったそうです。
しかも中山道は起伏も多く1000mを越える峠もいくつかあり、とても大変ときています。
では、なぜ?そんな大変な中山道を選んだのでしょう。
それは、東海道は海や川が多く、河川の氾濫で川を渡れないこともあり、
足止めを食らい旅行日程が読めなくなる時もあったからだそうです。
足止めされれば、費用もかさむし、到着予定も遅れてしまう。
中山道を使う大名は、そういうことを避けたかったのではないか?という説があります。
また、東海道は多くの大名が利用したこともあって、
自分よりも格上の大名と出くわしてしまったとき、あいさつ(土下座)をしなければならないのも避けたかったのでは…とも言われています。
ちなみに、着物の柄なんかで、格付けは一目見てわかったんだそうですよ。
(着物についての情報は呉服屋さんに教えていただきました。)
東海道よりも中山道は距離が長くても、足止めされにくかったので旅行の日程が組みやすかった…。
今は、江戸時代よりも交通の手段も路面も良くなっているはずなのに、
現代人の私がお天気等に(コロナウィルスの状況)躊躇し、なかなか旅を進められずにいました。
このColumnを自分でまとめていたら、江戸時代の大名が耳元でこう囁いた気が…。
〝半沢直樹じゃないし、今はだれにも土下座しなくていいやろ。江戸時代より大変でないで~〟
これは、背中を押してもらった感じですかね(笑)
とはいえ、社会の状況と相談し、台風や雨は回避しながら、
マイペースでゆっくり進めていこうと思います。