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江戸時代よりも永く続く秀吉人気
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幕末の頃の浪華大川眺望図を眺めていると、徳川家康を祀っていた川崎東照宮があったことを知る。では走って行ってみよう!
東照宮といえば総本社となる「日光東照宮」が有名だが、川崎東照宮は分社である。
江戸時代の浪華大川眺望図
徳川家康の子である二代将軍・秀忠が、家康が亡くなった後〝東照大権現〟という神様としてまつり、各地に東照宮を建てる事を命じたそうだ。
[その後:川崎東照宮は、天保8年の「大塩平八郎の乱」で本殿が消失し、後に復興したものの、明治6年に造幣局の敷地となり廃絶。]
ちなみにこの写真は造幣局前。
大塩平八郎の乱の砲弾で樹齢200年の木が裂けたと記された石碑が建つ。
…
話は変わるが、徳川家は家康が有名で、二代目将軍以外も結構目立っている。
しかし、存在感の薄い二代目将軍秀忠と言えば、家康の考えを忠実に受け継ぎ実行した人。
江戸時代があんなに長く続いたのは秀忠の貢献が強かったからだとも考えられているのだ。
人は死んでも江戸時代は長く続く…。
長く続く秘訣は、忠実にその人の考えや意志を受け継ぐ人が必要だということか…。
次に豊臣秀吉の人気の永さについて考える。
大阪豊国神社の豊臣秀吉。出世にご利益があるとされる。
大坂城の敷地内には〝太閤さん〟と呼ばれ親しまれてきた豊臣秀吉が祀られる〝豊国神社〟がデーンとある。
大阪城内も秀吉劇場が約20分ほどのコーナーになっていたりして、豊臣秀吉人気は高いのがわかる。
豊臣秀吉の時代は長くは続かなかったが、今でも人気が永く続いている秘訣は信長に仕えた草履取りからの出世ストーリーであろうか。
大坂城内には秀吉の生涯を20分で知ることができるコーナーがある。
ちなみに、父が最初に私に買ってくれた歴史小説は、豊臣秀吉が天下を取るまでを書いた「ひよしまる」という小説だった。
ひっそりしている川崎東照宮跡を見ながら、
出世ストーリーに終止符が打たれ、豊臣を滅ぼした徳川への信仰は、大阪の地にはあまり永く根付かなかったのかな…と感じる今日この頃。
大阪は…出世への夢と希望の方が江戸時代よりも永く続く…。
川崎東照宮の方角を見渡してみる。