2022.11.2(水)
MRIや血液検査(腫瘍マーカー)の結果を聞く日のこと。
待合の長椅子で待っていると、
5歳くらいの男の子がお母さんも自分の番を待っていました。
お母さんの名前が呼ばれ、
お母さん1人だけが診察室に入っていき、
子供は待合椅子で看護婦さんと待つ事になった様で病院内に響くくらいにギャンギャン大泣き。
それはそうですよね。
突然お母さんと引き離されたものですから不安だよね。
大好きなお母さんとは離れるのは嫌だという事はすごくすごく共感できます。
私は子供が泣き叫ぶ声を聴きながら、
自分が小学1年生だったころにタイムスリップしていきました。
母は大腸がんを患い31歳で他界しました。
小学校2年にあがったばかりの、桜の花がヒラヒラ舞う穏やかな晴れの日でした。
ずっと痔だと思っていて町医者に通っていたのが結局大腸がんで。
判明した時には手遅れでした。
それから県立病院への入院が続いたのですが、
決まって週末の夜になると公衆電話から家に電話をかけてきてくれました。
体はしんどかっただろうに、子供だったのであまり状況を理解してなくて、学校で習ったばかりの「きらきら星」を電話口にハーモニカを近づけて何回も母に聴かせていました。
祖母が「お母さん戻らないとアカンからもう切るよ」と言っても
「いやだ!」と言ってずっと聴かせていたことを思い出します。
泣き叫ぶ子供の声を聴きながら、
小学1年生の自分に姿が重なり、
妙に愛おしくなりました。
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私が運動指導者にという職業を選んだきっかけは2つあります。
1つは社会人になってからの生活習慣の悪さで体重過多になり
減量したかったというありふれた理由。
もう1つは、母の死がきっかけで、
健康に携わる仕事がしたかったから。
みんな誰かの大切な人であり、特別な存在です。
そんな人を失うのはつらい。
自分が良く知っていました。
だから大好きな人と健康で長く過ごせるお手伝いができる仕事がしたいと思ったからなのです。
…と言う私が、今病院でドキドキしながら
検査の結果を待っているというのも変な話ですが、
もしも命が長らえることが出来るのであれば、
「大好きな人と健康で長く過ごせるお手伝いをする」
と言うミッションを胸に
今まで以上に力を入れていきたいと思いました。
健康は、誰もが喉から手が出るくらい欲しい宝です。
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