朝巡回に来た主治医K先生の顔を見たら安心して泣いてしまいました。
手術で取った筋腫のことを話してくださいました。
大きいのは4.7㎏くらいで、もう一つ小さいのと合わせて5kgちょっとの筋腫が子宮に張り付いていたそうです。
と言うか…筋腫に子宮が張り付いていたと言う表現の方がしっくりくるのかもしれませんね。
K先生は「米袋を5㎏つけて歩いているのと同じだから、つらかったでしょう?スーパーで5kgの米袋持ってみたらかなり重いよ~頭より大きかったですよ~」と…。
こんなに大きくなるまで放っておいたと思われるのは恥ずかしいですが、地元のクリニックの経過観察で見つからなかったんですよね。
ホルモンバランスによって自分の体の状態は日々変わるし、病院によって診察の方法や診方が変わるので、少しでも変だと思ったら病院へ行くことや、セカンドオピニオンはとても大事だと思いました。
5㎏の筋腫が無くなったのですもの。
これからQOLが上がる事には間違いないでしょう。
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まだ貧血で起き上がるとフワーッとなるし、体のあちこちが色んな管に繋がれていて身動きがとれません。
しかし、術後は〝しも〟は綺麗にしておかなくてはならないとのことで、ナースさんの「おしもあらい」と言う洗礼を受けました。
その名の通り〝おしも〟を洗っていただくことです。
〝おしも〟を洗っていただくなんて、たぶんお母さんやおばあちゃんにしていただいた時以来でしょうね。
もうすぐ53歳なのに〝おしも〟を洗っていただけるなんて、今まさに‼ 新しく生まれ変わっているのだと実感しました。
特に日本人は農耕民族で、昔から人々が協力しながら暮らしてきましたし、助け合う精神のDNAはご先祖から代々受け継がれているのかもしれませんが、たった1人で生きていくなんて気持ちは傲慢だという事がわかりました。
こうやって人のお世話になっていると、人は1人では生きてはいけない生き物なんだなぁとつくづく思います。
みんな誰かのお世話になり、誰かに助けられて生きている。
私は傲慢でしたので、生まれ変わって謙虚に生きて行こうと誓いました。
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昼からは、起き上がり→ベッドから立ち上がる→歩くの練習をしました。
2m程度ヨチヨチと歩いたけど、貧血と低血圧でフラフラしているので危険ということで、予定では今日取るはずだった尿道ステントも尿の管も外すのは延期となりました。
レースの場合はゆっくりと入って、ペースをキープし、最後ドンドン加速していくのが理想。
まぁ50歳を過ぎると、人生と言う道を進むのに、あまり加速しないで欲しいものですが。
リハビリも人生もゆっくりまいりましょう。
思った以上に美味しい病院食。
朝も昼も半分残すことになりましたが、夜は完食できました。
暇なことにはあまり慣れていなくて、でもまだ朦朧としていて本も読めないので、Amazonプライムで映画鑑賞を始めました。
この日は〝いのちの停車場〟を鑑賞。
その中で最後のエンドロール前に樹木希林さんが言うセリフ。
若者が元気いっぱいで
神の道を歩むのを見ても、ねたまず、
人のために働くよりも、
謙虚に人の世話になり、
弱って、もはや人のために
役だたずとも、
親切で柔和であること。(最上のわざ)
この言葉がとても心に響きました。
生まれ変わって、謙虚に感謝しながら生きるために、覚書として書いておきましょう。
つづきはこちら㉝へ
この世の最上のわざは何?
楽しい心で年をとり、
働きたいけれども休み、
しゃべりたいけれども黙り、
失望しそうなときに希望し、
従順に、平静に、
おのれの十字架をになう。
若者が元気いっぱいで
神の道を歩むのを見ても、ねたまず、
人のために働くよりも、
謙虚に人の世話になり、
弱って、もはや人のために
役だたずとも、
親切で柔和であること。
老いの重荷は神の賜物、古びた心に、
これで最後のみがきをかける。
まことのふるさとへ行くために。
おのれをこの世につなぐ鎖を
少しずつ外ずしていくのは、
真にえらい仕事。
こうして何もできなくなれば、
それを謙虚に承諾するのだ。
神は最後にいちばん
よい仕事を残してくださる。
それは祈りだ。手は何もできない。
けれども最後まで合掌できる。
愛するすべての人のうえに、
神の恵みを求めるために。
すべてをなし終えたら、
臨終の床に神の声をきくだろう。
「来よ、わが友よ、
われなんじを見捨てじ」と。