■【走る旅】東海道&中山道 [1]:京都三条大橋~髭茶屋追分 #ランニング

■走る旅:京都三条大橋~髭茶屋追分~大津宿~膳所~草津宿~守山宿

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〝人間一生 物見遊山…〟

これは江戸っ子の人生観を表す言葉。

生まれてきたのは、この世をあちこち寄り道しながら見物するためであり、
せいぜいあちこち見て、
見聞を広めて友だちを増やし、
死んでいけばいい…と考えていました。
わたしはこの言葉が好きで、自分もそうしたいと思っています。


京都三条大橋から、お江戸日本橋まで
東海道&中山道69次。
江戸時代の人は、江戸から京都までの135里34町余(約540km)㎞を歩いていたそうです。

出張や用事に合わせるので
宿場の順番通りにはいきませんが、西から東へ。
自分の脚で走って一本の道をつなげてみようと、旅をしています。

東海道が太平洋の海岸沿いを通るので「海道」
対して中山道は、東の山中を通過するので「中山道」
東海道とともに日本の二大幹線道で、中山道は近世以前から「東山道」と呼ばれ西国と東国を結ぶ主要道でした。

▼中山道:
江戸・日本橋~東海道・草津宿の67継立(67次)
草津宿と大津宿を含めて69次という場合もあるので、このログ上では、
69次135里24丁8間(約540km)で表記します。


コロナの様子を見ながら、感染予防して
〝うつさない・うつらない〟の心がけをし、

京都三条大橋から守山宿までのルートは33㎞。
ルートから外れ、歴史的スポットに立ち寄ったので全行程は36㎞でした。

県境は峠を2つ越えていく…という道のり。
夏場はきついので、もう少し距離を短くして余裕を持ったほうが良いと感じました。

■京都三条大橋~髭茶屋追分(7.5㎞)

●弥次・喜多像

東海道五十三次スタート&ゴールのアイドル✨弥次さんと喜多さん前です。
日本橋から西に歩めば、大橋の弥次さん・喜多さんの像前で
誰もが感無量になり記念撮影をするという写真スポット!

なんと、お二人ににマスクが…。
ちょっと悲しいですが、これもこの時期限定と願いながら記念撮影してみました。

私は、京街道を経て京都まで。そして京都三条から中山道を利用してお江戸に向かいます。

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さぁ!スタートです。
お二人も、感染予防ですよ。

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●京都三条大橋

昔は、ビルも何もなくて、

京都トレイルが一望できたんでしょう。
八坂の五重塔も見えたようです。

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梅雨の晴れ間。

カラッとしていて風もあって気持ちよいです。
時はどんどん夏に向かっています。

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●三条大橋横の高山彦九郎像

江戸時代の思想家です。


京都御所のほうを向いて土下座しています。
東郷平八郎さん揮毫(きごう:字や絵をかくこと)の台座は1928年建立だとか。

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●坂本龍馬とお龍さんの結婚式場跡

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●粟田口刑場跡

蹴上から登っていく坂道には横断歩道があまり無いので、

左右どちらかを走行するかで立ち寄れるスポットが違ってきます。

私は、右を走行していたので、インクラインやレンガ造りのねじりまんぼは遠目に見ました。

九度山を登ったところに粟田口刑場跡。
江戸時代に張り付け・獄門、火刑が行われた場所。
なにげに恐ろしい坂道ですね。

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わさわさとしてこわい…

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今は穏やかな鴨川…はかつて…。

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●九度山近くの修路碑

漢文で書かれていますので難しくて読めません。

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旧東海道は右へ…

看板や道標はわりとありますが、
走っていると、見逃してしまいそうです。

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●天智天皇陵

途中、御陵(みささぎ)という地名のあたりで、五十三次のルートを外れ、

みささぎの語源になった京都で一番古い天智天皇陵へ。

ここは、飛鳥時代の乙巳の変・大化の改新のキーパーソン!
第38代天皇・天智天皇=中大兄皇子の御陵です。

中大兄皇子といえば…中臣鎌足とともに蘇我入鹿を討った方ですが、
天智天皇と呼ばれると、中大兄皇子とは本当に同一人物なのか???となっちゃいませんか。
私だけですかね。

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御陵までは、とても静かな道。
梅雨の晴れ間と雨の繰り返しごとに、木々が濃緑に変わってますね。
空気がおいしいです。

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歴史のキーパーソンとあって、静かなんだけれど力強いパワーを感じます。
お写真撮られてくださいと、お願いしました。

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●天智天皇の日時計

御陵前にあるのは、天皇が水時計をつくり時刻制度を定めたことにちなんで、

昭和13年6月に建立された垂直型日時計。

すごいです。
日時計は、時刻が腕時計とまぁまぁ時刻がぴったりでビックリしました。

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●五条分かれ道峠

山科駅に向かって走ると、
五条分かれ道峠発見。

右ハ三条通り
左ハ五条橋
ひがしに六条大佛
今熊
きよみず道。

西国三十三か所の巡礼路だったそうです。

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●車石

いたるところに車石が置かれています。

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車石とは、

昔の東海道の逢坂山峠と日ノ岡峠は、雨が降ると道がぬかるんでしまい
多くの物資を積んだ牛車にとっては通行が大変困難でした。
京都の心理学者『脇坂儀堂』は、1805年に一万両の工費で
京都三条大橋から大津にかけての約12㎞に牛舎専用通路として
わだちを刻んだ切石を敷き並べました。
わだちの中に車輪を入れることにより
牛車の通行が容易になりました。
この石を車石と呼んでいるそうです。

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●徳林庵の京都六地蔵

山科地蔵とも呼ばれる徳林庵の京都六地蔵。

町の方がお参りをされていました。

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穏やかなお顔は、急がなくていいよ…ゆっくりと行きなさいと言っているように見えました。

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※六地蔵抜けて、車石の説明板をすぎると、ここ注意!陸橋を渡ります。
陸橋からの車の流れはスピード感いっぱいで、息が止まりそうになります。

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●追分会館まえ

東海道と伏見街道(奈良街道)の分岐点だったそうです。
追分の名前は街道の分かれ道で、馬子を追い分けることから来たそうです。

石は車石でしょうかね。
わだちがちゃんと残ってますね。

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髭茶屋追分

ここが、追分の分岐点。


みぎハ京みち
ひだりはふしみみち

どちらも京…。2つ道が分かれているのは、
西国の大名を容易に朝廷に近付かせない策で二つに分岐させたそうです。

当時の様子がわかる、東海道五十三次の絵図が欲しくなりました。

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この分岐を背にして大津方面へと進みます。

ここまでで、京都三条大橋から髭茶屋追分。
おおよそ7.5㎞です。

すでにきついですが、逢坂山超えればもうすぐ大津。
がんばりましょう!

だいぶん予習して出かけたのですが、
たくさんの歴史スポットによりそびれましたので、実際は走るより歩くほうが

東海道五十三次を堪能できるんだと感じました。

旅を振り返って…
西の東海道を経て中山道へ。

スタートしたころは、ただ道を走る…距離を走る…という感じで、史跡や遺構の見方がよくわからずに通り過ぎてしまったところが多かったな。

人生も、日々の生活も同じで前に進む速度の緩急は必要。
時には立ち止まることも必要と思いました。

中山道69次を踏破したら、またゆっくりこのあたりを訪ねようと思います。