■走る旅:京街道〔2〕京橋商店街~野江~東海道 第57次 守口宿

リアルタイムのログではなく、数日前のログである。

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〝人間一生 物見遊山…〟

これは江戸っ子の人生観を表す言葉。

生まれてきたのは、
この世をあちこち寄り道しながら見物するためであり、
せいぜいあちこち見て、
見聞を広めて友だちを増やし、
死んでいけばいい…と考えていた。
わたしはこの言葉が好きで、自分もそうしたいと思っている。

コロナの様子を見ながら、感染予防して
〝うつさない・うつらない〟の心がけをして…

京街道の旅。


今回は、京街道と淀川舟運。

曽根崎~大江橋~淀屋橋~淀屋の碑~難波橋~天神橋~高麗橋(東海道スタート地点)~天神橋~京橋~都島~野江~千林商店街~東海道57次 守口宿~守口一里塚~周辺うろうろと…約15㎞のランニング。


本記事は、曽根崎~高麗橋~京橋の続き。
15㎞の道中の一部を記録する。


■京橋商店街~野江国道筋商店街~関目の七曲り~千林商店街~第57次 守口宿~守口一里塚…最寄り駅(約10㎞)
 

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京橋商店街 真実の口から守口までは3つの商店街の中を走る。
街道に店が並ぶのは、昔の名残なのだろうか。
にぎやかな街道なので、ゆっくり走ったり歩いたりすると楽しいであろう。


●榎並地蔵尊

野江村のお地蔵さん。
今は埋め立てられて姿カタチはないが、江戸中期には榎並川があり、榎並川にあった石標が置かれている。
「橋向こう右に行くと 今福 蒲生」と書かれている。
野江村は、大阪の空襲にも焼けずに残ったので旧家が残っている。

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●関目の七曲り

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都島通り出ると、明治天皇聖ちょく碑(ちょく:足跡の意味)がある。
その碑を過ぎると京街道の道標がある(見逃し注意)。

京街道の道標を目印に折れると、突然複雑な屈曲の道になる。
これは、敵に攻め込まれないように相手の軍政の勢いを止める工夫で、旧街道の名残である。

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千林のウナギ屋さん


●守口 西の見附

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守口宿の西の見張り番や取り締まりを行っていた場
〝京街道陸路官道第一の驛 守口〟のタイルが貼られているあたり。
ぐんと上り坂になり桝形の道になっている。

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常夜灯跡…


●守口の地名の由来

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かつては「森口」とも書いたが、後に、大坂城の守り口として守口になったという俗説もある。
浜町交差点で国道を渡ると、川はないが瓶橋(かめはし)の親柱が残っているが、瓶橋は「口を守ること瓶の如し」…発言は慎重にすべし…から来たと言われる。
どの時代も、何かを守ることは大事なことであると、守口を走りながら思った。

本陣や瓶橋など、写真を撮り忘れた様なので、次回守口からスタートするときに必ずログしようと思う。


●文禄堤

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大坂と伏見に城を築いた豊臣秀吉が、文禄5年(1596)、2つの城を最短距離で結ぶために淀川沿いに文禄堤を整備した。
守口には本町橋になっている文禄堤が残っている。
橋にペンキで落書きがされているのが残念だった。
京街道・文禄堤の史跡の意味を知れば落書きなんてできないけどな…。


●復元高札場

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立派な復元高札場だ。
幕府が出したルールや掟が書かれている。


●卯建と虫籠窓

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卯建は火事で火が燃え広がらないように…風よけに…泥棒防止に…作られたものだが、持ち家でありお金が無ければ作れなかったので、今でも一人前に出世した人を〝うだつをあげた〟…逆に一人前になれない人を〝うだつがあがらない〟という。

虫籠窓は、江戸時代は二階建てが禁止で屋根裏を物置として活用していたので明かり窓として小さい窓が付けられた。
虫籠に似ているので虫籠窓と言われる。
近畿圏に見られるという。


୨୧ 守口宿┈┈┈┈୨୧
約2.3㎞
●本陣:1
●脇本陣:0
●旅籠:27
大坂城に近いこともあり、小休みの役割の宿場で旅籠は少な目であった。
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※時間の関係で宿場の様子があまり見れなかったので、次の機会に探索したい。
江戸川乱歩の住居には立ち寄りたい。


●難宗寺の道標

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●守口一里塚

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江戸からであれば、一里塚のあたりが〝上の見附〟となり一里塚付近から守口宿が始まる。
 
旅を終えて
前の記事でも書いたが、大阪にかかる橋の総橋数は約155橋~200橋だったと言われ、うち公儀橋は12。
残りはすべて町橋で町民たちが幕府の援助を受けずに生活や商売のためにかけた橋と言われている。

大阪の商人が〝なにわの八百八橋〟と言われているのは、自分たちの生活を良くするのは自分たちがするという熱い大阪の人の生き方を表現しているからであろうか。

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大坂城から守口宿へ向かうまで、埋め立てられてしまった川や橋の名残を見つけながら、町民が頑張って作った橋なんだろうな…と思うと、今はコロナで大変だけれども、自分の生活を良くするのは自分だなと感じた。

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【ウォーキングやランニングをする上での注意】

●高温多湿の梅雨や炎天下の夏の季節は、帽子をかぶったり、こまめな水分補給をしたりして、充分な熱中症対策を心がげましょう。
●冬場は防寒対策を行いましょう。
●中山道は思った以上にコンビニがありません。行動食を持っておきましょう。
●トイレは駅やコンビニがほとんどです。事前に場所をチェックしておきましょう。
●自販機はあるコースと峠越えなどは自販機が無いコースもあります。余分に水分を持参しておきましょう。
●お天気が急に変化しますので、レインウェアを持参しましょう。
●救急グッズを持っておきましょう。
●ローカル線は電子カードが使えないことが多いので、電車賃を準備しておきましょう。

 

【走る旅・アーカイブ】

記事更新中→走る旅: https://kenko-support.lekumo.biz/junkosakata/runtabi_nakasendou.html