※リアルタイムのログではなく、数日前のログです。
〝人間一生 物見遊山…〟
これは江戸っ子の人生観を表す言葉。
生まれてきたのは、
この世をあちこち寄り道しながら見物するためであり、
せいぜいあちこち見て、
見聞を広めて友だちを増やし、
死んでいけばいい…と考えておりました。
わたしはこの言葉が好きで、自分もそうしたいと思っております。
コロナの様子を見ながら、感染予防して〝うつさない・うつらない〟の心がけをしてこの旅を進めます。
今回はしめくくりの旅となり、鴻巣宿から東京お江戸日本橋まで約66㎞の旅。
本記事は、旅のレポートの一部です。
■この日のルート:
蕨宿 JR蕨駅~板橋宿~日本橋(27㎞)→靖国神社(3.5㎞)
志村一里塚~第1次 板橋宿 からのつづきです。
いよいよ「おばあちゃんの原宿」巣鴨に入ります。
巣鴨は、赤の色使いが多く、なんか元気になるんですよね。
赤って交感神経を優位にさせると言われていて、ガツガツ動き回りたくなるのです。
そんな巣鴨が好きな私は、おばあちゃんなのかも知れません。
「積極・行動力・活力・興奮」など、力強いイメージを持っています。
●アドレナリンを分泌し興奮を促します。
●暖色系で、熱や暖かさを感じさせます。
●食欲を増進させます。
●時間経過を早く感じさせます。
●回転力が上がります。(お店などでゆっくりしていられない)
●目を引き関心を集めます。
●巣鴨地蔵通商店街
巣鴨地蔵商店街…は、巣鴨地蔵〝笑〟店街なんだそうです。
ゲートをくぐる前に猿田彦大神(巣鴨庚申塔)へ寄りましょう…。
●猿田彦大神(巣鴨庚申塚)
歌川広重の絵、第2景 英泉、木曽街道・板橋之驛(いたばしのえき)
が描かれた場所です。
巣鴨商店街は、旧中山道であり、商業や信仰の場として栄えてきました。
日本橋から出発して最初の休憩所(立場)として、賑わっていた場です。
この庚申塚には、お猿さんが祀られていて、
明治初期に、千葉県銚子市にある猿田神社から猿田彦大神を分祀したそうです。
猿田彦大神は導きの神様です。
ここまで導いてくださって
ありがとうございました。
旅も、もうすぐ終わります。
とげぬき地蔵の縁日(毎月四の日)は多くの参拝者があり、
参拝者の方に季節ごとに趣向を凝らした食事を作ってもてなしているそうです。
早く、コロナ禍が落ち着いて、人が集まり、食事を楽しめる日が来ますように。
ゲートと商店街が続きます。
●巣鴨マルジ
巣鴨と言えば、赤パンマルジさん。
メンズ館とレディース館が並んでいます。
お年賀に配る用として、毎年立ち寄るか、もしくはネットで購入しております。
赤パンマルジの記事は、別記事で書きました。
よろしければ、こちらをご覧くださいませ。→[旅のみちすがら・私が見つけた日本製]日本製:巣鴨 マルジ
●とげぬき地蔵(高岩寺)
地蔵菩薩様は秘仏ですので残念ながら拝見させていただくことはできません。
そのお姿を元に作られた御影(おみかげ)に祈願してもご利益があるとされています。
写真は毎回〝と〟が抜けて〝けぬき〟地蔵になります。
このお地蔵さんの隣に洗い観音がありました。
水をかけ、自分の悪いところを洗うと治るという言い伝えがあります。
コロナ禍でも大行列でした。
※この写真のお地蔵様ではありません。
可愛いこけしさんたち。
●銅造地蔵菩薩坐像 (江戸六地蔵 第4番札所)
●最後の徳川将軍・第15代 徳川慶喜(よしのぶ)が住んでいらっしゃった場所「ケイキさんの梅屋敷」
案内板によると、大政奉還後、静岡で長い謹慎生活を送った後、
明治34年(1901年)12月までの4年間だったそうです。
大阪もなのですが、史跡の前に自転車が止まってたり、ゴミ出しの収集所になっていたりする風景が残念だなぁ…と思っちゃいます。
私の目から見れば、昔に思いを馳せる場所ですが、
同じ思いでいらっしゃる人ばかりとは限りません。
巣鴨商店街を抜け、日本橋まではあと6㎞。
巣鴨でケイキさんの梅屋敷跡を見たり、
徳川家康が整備した五街道のうちの中山道を走った今、
ドラマ・大奥や映画 燃えよ剣をもう一度視聴したくなりました。
●高温多湿の梅雨や炎天下の夏の季節は、帽子をかぶったり、こまめな水分補給をしたりして、充分な熱中症対策を心がげましょう。
●冬場は防寒対策を行いましょう。
●中山道は思った以上にコンビニがありません。行動食を持っておきましょう。
●トイレは駅やコンビニがほとんどです。事前に場所をチェックしておきましょう。
●自販機はあるコースと峠越えなどは自販機が無いコースもあります。余分に水分を持参しておきましょう。
●お天気が急に変化しますので、レインウェアを持参しましょう。
●救急グッズを持っておきましょう。
●ローカル線は電子カードが使えないことが多いので、電車賃を準備しておきましょう。