■走る旅:東海道&中山道 [6]義経元服池~武佐宿 #ランニング

京都三条大橋から、お江戸日本橋まで。
東海道&中山道69次。

江戸時代の人は、江戸から京都までの135里34町余(約540 km)㎞を歩いていたそうです。

出張や用事に合わせるので、順番通りにはいきませんが、
西から東へ。自分の脚で一本の道をつなげてみよう。

今回は、守山宿から高宮宿を目指しておおよそ40㎞の旅。

守山駅→守山宿~からスタートし、
10㎞先にある竜王町の義経元服池までやってきました。

ここから武佐宿めざして出発です。
今回40㎞の旅の中で、一番ワクワクした区間でしたよ。

東海道が太平洋の海岸沿いを通るので「海道」
対して中山道は、東の山中を通過するので「中山道」
東海道とともに日本の二大幹線道で、中山道は近世以前から「東山道」と呼ばれ
西国と東国を結ぶ主要道でした。

▼中山道:
江戸・日本橋~東海道・草津宿の67継立(67次)
草津宿と大津宿を含めて69次という場合もある。
このログ上では、69次135里24丁8間(約540km)で表記します。

■義経元服池~武佐宿(10㎞)

●竜王町道の駅・かがみの里前にある義経元服池

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牛若丸は鞍馬山から陸奥国平泉へ向かう東下りの鏡の宿という場で
元服池の水を汲んできて、前髪を落として義経と名乗ったそう。

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●鏡神社

元服池から東へ進んでいくと、鏡神社があります。

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義経が参拝する際に烏帽子をかけた松。

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祓戸ノ神。
穢れ(気が枯れる。怒・苦・憂・悲・怖→病気を引き起こす感情)を祓う神として、
神社境内の入口付近に祀られることが多い。いろんな神社にあります。
本殿へ行く前に、祓戸でお清め。

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奥にある、新羅国王子天日槍(あめのひほこ)をまつる本殿は、室町時代に建てられました。

【鏡神社の御祭神】
●天日槍尊(あめのひぼこのみこと)  
わが国に渡来文化や技術を育み広めた祖神(おやがみ)

●天津彦根命(あまつひこねのみこと)  
国造りの大神にて産業開発や農耕商業繁栄の祖神(おやがみ)

●天目一箇神(あめのまひとつのかみ)  
天津彦根命の御子にて金属加工や鍛冶など匠の神
の三柱が本殿に祭られている。(古事記、日本書紀に記される神々にて主祭神の納める日鏡から地名を「鏡」とした)

【鏡神社の御利益】
三柱の神々は、町おこし、国つくりなど行政文化の発展、諸産業の技術向上、農耕商工業繁盛など、諸々の生業(なりわい)繁栄にご利益があるとされる。
また、平安時代の武将 源義経が当地で元服して源氏の再興と武運長久を祈願したことから武術学業の向上、開運成就、家系繁栄にも御利益がある。

なるほど!こんなに豪華な神様がいらっしゃれば、近江は商いが盛んだったことに納得です。

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明神系の反った鳥居。中国系の鳥居です。
鏡神社でお参りをしたら、『勇気』をいただいたような感覚。

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●鏡の宿本陣

鏡神社からすぐ先に鏡の宿・本陣跡があります。


色んなガイドブックで見ると、お隣の家が映り込んでいるので
まだ建物があるのかな…と思っていたら空き地でした。

守山宿から武佐宿までは14㎞と長いので、途中で鏡の宿がもうけられました。
ここで参勤交代のお侍さんや旅人が疲れを癒していたのですね。
途中でもうけられた陣なのに、
たくさんあって結構立派だったんだなぁ…と想像できます。

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●源義経が宿泊した館跡

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●旅籠

旅籠とは、旅人を宿泊させ、食事を提供することを業とする日本の家のこと。
昔は、交通手段が自分の脚や動物の脚だったんで、
旅籠のような宿泊所はとても必要な場所だったんだろうな。

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こちらも旅籠跡。

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●古い道標

古い道標とけっこう出会います。

上を見てると見落としてしまいそう。

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下を向いて歩こう(笑)
これも見落としそう…

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西横関から日野川にかけては滋賀ならではの風景。田園が広がります。

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ほっこりするなぁ。

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いのしし防止のゲートを開けて入ります。

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ちょっと怖い。道あるのか?合っているのか?

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国道8号線沿いに出ましたが、国道にはいきません。
中山道は、迂回します。

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日野川を横に…。

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ほんま道が正解なのか不安になります

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●横関渡し場跡 内・武佐

正解でした!

横関渡し場跡が残っています。
旅人よ!ベンチに座って、一服していたのかー。

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絵師安藤広重(のち歌川広重)はあえて、東横関村を武佐としたようです。


絵の通り、平常旅人はこの川を船で渡り水量が減ると川に杭を打って止めた
ふたつの船の上を橋にして渡っていたようです。

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東横関から近江八幡までも、滋賀ならではの風景。
故郷福井に似ています。

金色に輝く麦畑が一面に広がります。

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綺麗!

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田植えが終わって、これから育つ稲。
どこまでも広い!滋賀!!

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でかい楠木発見。
一里塚なんだろうか…と思ったけれど、違いました。

※一里塚(いちりづか)とは:
旅行者の目印として大きな道路(街道)の側に1里(約3.927キロメートル)毎に設置した塚(土盛り)のこと。

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●伊庭家の楠木

近くに寄って案内板を見たら、伊庭家の楠木とか。


伊庭貞剛(いばていごう)の生家。
別子銅山の環境問題に取り組み、住友中興の祖と言われた人。
周りは、いばeco広場。

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●近江鉄道・武佐駅

ロマンあふれる駅舎です。

宿場町の雰囲気にぴったりです。

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●愛宕灯篭と高札場

愛宕灯篭の横は、高札場だそうです。

宿場町なので、いろんなおきてが書かれていたんですね。

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●古い道標

伊勢や八日市にもつながっているようです。
「熊野に三度、伊勢に七度、愛宕さんには月参り」の
参道なんでしょうね。

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●旅籠屋(はたごや)

旅人が宿泊した旅館。
町内にたった1つだけ残っているんですって。

ちなみに、武佐宿あたりは、武佐小学校卒業生がいたるところに手作りの案内板を出してくれているので、街を走行していても楽しいです。

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●武佐宿道標

東京まで、あと460㎞。→たぶんもっと距離あるだろうけれど…

第66次武佐宿です。

(写真は第67番となっているのは何だろう…東海道五拾三次と中山道六拾七次の違いかな。)

近くに本陣もありますが、カメラにおさめきれないくらい横長で、
あきらめました。

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武佐宿は、象が通った道。
8代将軍徳川吉宗に献上する象を、長崎から江戸へ運ぶ途中、
武佐宿で1泊したそう。

象も献上されるのに、この長い道のりを大変だっただろうな。
で、吉宗は象を飼っていたんだろうか…

享保13年(1728)6月7日、広南(いまのベトナム)から、中国の貿易商鄭大成が長崎に、牡牝(オスメス)2頭の象をつれてきた。
牡は7才、牝は5才であったが、牝は上陸3ヶ月後の9月11日に死亡した。
牡は長崎の十善寺にて飼育され、翌年の5月に江戸将軍家に献上されることになった。

『通航一覧』より
*旅をふりかえって
この旅をスタートさせたときは、通り過ぎていた史跡や遺構にも少しずつ気付くようになって、
なぜだろう?これはなんなんだろう?と疑問がわくようになりました。


最初は一里塚前を通っても気にもとまらなかったけれど、
ある時「一里塚って何だろう?」と疑問がわき、
意味を知ったら、一里塚を気にしながら走行するようになっていた。


最初は前に進むことばかり考えて、未来ばかり見ていたけれど
未知の場所だから、今に集中しないと前に進めないことも分かった。
未来ばかり見ているときって、今に集中していない時なのかもしれません。
あくまで個人的な思考です。


〝私たちが生きる場所は、過去にも未来にもありません。
いつだって「今ここ」にしかないのです。〟


中山道を走行するのは、禅なんだなぁ…と感じます。
気付きを感謝です。