Column⑴では、現代に生きる私たちと江戸っ子の平均寿命の違いについて書きました。
→Column⑴ 平均寿命今昔
現代の平均寿命が延びたのは、医療の発達もありますが、
何といっても、スッキリさっぱりした江戸っ子の生き方。
清潔さ
これも寿命が延びた原因の1つと言えるのではないでしょうか。
Column⑵では、江戸っ子の清潔さについて書いてみましょう。
〝江戸っ子は宵越しの銭は持たぬ〟
ということわざがあるように、
江戸時代は大火事で家財が無くなってしまうことがたびたびあったので、
その日に得た銭はその日のうちに使い果たし、
翌日まで持ち越さない生き方でした。
財布の中身もスッキリさっぱりしていた様ですが、
生活面でもスッキリさっぱりしていた様ですよ。
江戸時代と言えば、長屋住まい。
壁がとても薄く、隣の家の生活音や会話がよく聞こえるほど隣接していました。
水や燃料が貴重で火事にも注意していましたから、
自宅にトイレや浴室があることは無かったようです。
※〔写真〕中山道・寝物語の里
近江と美濃、両国の国境は幅一尺五寸の溝。
ここに家が連続してあり、国と薄い壁を隔てて隣人同士が寝物語をしたそうな。
トイレは共同。
お風呂は共同浴場を利用し、朝の仕事前と夕方の仕事の後の1日2回入浴したという説もあります。
※共同浴場のことを上方では風呂屋、江戸は銭湯と呼びました。
好きな人は1日に4~5回という人もいて、
過度の入浴により肌がパサパサしているのを「垢ぬけてる」と粋がったそうです。
…確かに、垢は抜けてるけれど(笑)入りすぎですよね。
スッキリさっぱりしたいのは、
汚れを落とし綺麗になりたいという気持ちもあったかと思いますが、
神道でいう禊(みそぎ)の様な感覚が残ってたのかもしれません。
幕末に来日したタウンゼント・ハリスは、毎日入浴する日本人を見て
「日本人は清潔な国民である。誰でも毎日沐浴する。」と驚いたそうです。
ちなみに、1764年~72年まで、
共同浴場の入浴料は6文(90円)だったそう。
当時のかけそばは16文、酒は40文、寄席は100文、長屋の家賃は400~1100文なので、
垢ぬけるくらい、毎日気軽に入浴できる値段だったことがわかります。
お風呂の発祥は古代ローマ、カラカラ浴場(→2007年に行ってまいりました)。
今でいうスーパー銭湯が東京ドーム2個分の大きさで存在していました。
ローマの人も江戸っ子同様、入浴を習慣にしていたようです。
中国は、北京などは湿度が少なく汚れることが無かったようで、
湯船につかる習慣がなく、お風呂は王侯貴族の楽しみだったそう。
華青池から温泉がわいたときは、苑池という離宮と温泉を組み合わせたものをつくり、
楊貴妃らが入浴を楽しんでいたとか。
フランスの庶民も入浴の習慣がなく、体臭は香水でごまかしていたとか。
昔のことですよ。
とにもかくにも現代は、世界的に水道が整備され、燃料も確保でき(これからどうなるかわからないけれど)、
湯船につからなくても、シャワーで汚れを流す方々も増えてきました。
現代の平均寿命が上がってきたのは、衛生面の向上も理由の1つと言えるでしょう。
昔、越路吹雪が「水に流して」というシャンソンをうたっていました。→古っ
♬もういいの もう後悔しない 新しい人生が今日から始まるのさ♬
こんな歌詞ですが、
過去のことは、きれいさっぱり水に流して前向きに生きましょう!という歌です。
江戸っ子もそうですが、
日本に生きていると、
なんとなーくスッキリさっぱり!
何があっても前向きに生きているかたが多いような気がします。
これは、お風呂に入ってスッキリさっぱりしているからかな。
この様なスッキリさっぱりな生き方も、
古くから存在する豊かな水源や禊のおかげでしょうか。
ありがたいですね。
身体を動かした後は、スッキリさっぱりしたい中山道の旅です。