※リアルタイムのログではなく、数日前のログです。
〝人間一生 物見遊山…〟
これは江戸っ子の人生観を表す言葉。
生まれてきたのは、
この世をあちこち寄り道しながら見物するためであり、
せいぜいあちこち見て、
見聞を広めて友だちを増やし、
死んでいけばいい…と考えておりました。
わたしはこの言葉が好きで、自分もそうしたいと思っております。
コロナの様子を見ながら、感染予防して〝うつさない・うつらない〟の心がけをしてこの旅を進めます。
今回はしめくくりの旅となり、鴻巣宿から東京お江戸日本橋まで約66㎞の旅。
本記事は、旅のレポートの一部です。
■この日のルート:
蕨宿 JR蕨駅~板橋宿~日本橋(27㎞)→靖国神社(3.5㎞)
第2次 蕨宿からのつづきです。
JR蕨宿から日本橋を目指します。
宿場の終わりです。
このゲートの先は、車線もビルも多くなり、一気に東京の空気が濃くなります。
戸田市に入りました。
もうすぐ埼玉の県境を越えます。
東京に入るには通行手形は要るのかな…(映画・飛んで埼玉より)
●下戸田ミニパーク
史跡案内の親切な道標があり、助かりました。
●マンホール
マンホールは、戸田ボートコースで行われているボート競技「レガッタ」の様子が描かれています。
戸田市はボートの聖地なんだとか。
川岸3交差点から商店街のような道に入ります…。
商店街内の目印となる魚久さんを探すも、見つからず…
たぶん、ここかな↓↓↓
魚久さんは別のお店に変わってしまったのでしょうか。
戸田一里塚があったとされる場所はわかりませんでした。
このあたり…なんて想像しながら、日本橋まであと4里です。
川岸橋で菖蒲川を渡ります。
●川岸ミニパーク
こちらにも、史跡の案内板があり、助かります。
●戸田渡船場跡
戸田橋で荒川をこえます。
英泉の中山道浮世絵、第2次 蕨宿は、戸田の渡し跡。
戸田橋から富士山が見えた時には、大感動。
この旅で、この富士山を色んな角度から眺めました。
これが最後です。
日本橋まであと16㎞です。
●志村橋
どんどん日本橋に近くなります。
●地蔵尊
●清水坂
江戸時代の中山道です。日本橋を起点として旧中山道の最初の難所と言われた急坂らしいのですが、日本橋からだと下りで、京都三条大橋からは上りです。
写真じゃわかりませんが、結構上り坂がキツかった。
●富士・大山道の道標と庚申塔
富士山や神奈川の大山へ続く道です。
工夫して写真を撮りましたが、実際は、電信柱の陰になっています。
交通の便や文明の発達によって、もう今は、歩いたり走ったりして富士山や大山に行く人はいないのでしょうね。
●志村一里塚
志村一里塚が見えてきました。
日本橋まであと3里ですよ。
この日は蕨宿から日本橋を目指しました。
荒川に架かる戸田橋は、英泉が描いた中山道の浮世絵、第2次 蕨宿の「戸田の渡し跡」の場所。
戸田橋の上で埼玉県から東京都に変わります。
橋の上から綺麗に雪化粧をした富士山が見えました。
思わず、「おおおおおー」と声を上げてしまいました。
この中山道の旅では、いろんな角度から富士山を眺めさせていただきました。
それぞれ富士山を眺めた角度は、その時々の思い出を思い起こさせます。
中山道の最後の難所?(キツイけど、峠に比べたらニコニコ顔で上れる強度)の清水坂を上り、日本橋までもう少しですよ。
●高温多湿の梅雨や炎天下の夏の季節は、帽子をかぶったり、こまめな水分補給をしたりして、充分な熱中症対策を心がげましょう。
●冬場は防寒対策を行いましょう。
●中山道は思った以上にコンビニがありません。行動食を持っておきましょう。
●トイレは駅やコンビニがほとんどです。事前に場所をチェックしておきましょう。
●自販機はあるコースと峠越えなどは自販機が無いコースもあります。余分に水分を持参しておきましょう。
●お天気が急に変化しますので、レインウェアを持参しましょう。
●救急グッズを持っておきましょう。
●ローカル線は電子カードが使えないことが多いので、電車賃を準備しておきましょう。