※リアルタイムのログではなく、数日前のログです。
〝人間一生 物見遊山…〟
これは江戸っ子の人生観を表す言葉。
生まれてきたのは、
この世をあちこち寄り道しながら見物するためであり、
せいぜいあちこち見て、
見聞を広めて友だちを増やし、
死んでいけばいい…と考えておりました。
わたしはこの言葉が好きで、自分もそうしたいと思っております。
コロナの様子を見ながら、感染予防して〝うつさない・うつらない〟の心がけをしてこの旅を進めます。
今回はしめくくりの旅となり、鴻巣宿から東京お江戸日本橋まで約66㎞の旅。
本記事は、旅のレポートの一部です。
■この日のルート:
蕨宿 JR蕨駅~板橋宿~日本橋(27㎞)→靖国神社(3.5㎞)
巣鴨地蔵通商店街からのつづきです。
日本橋まではあと6㎞です。
●東洋大学
●金龍山大円寺・焙烙地蔵・一里塚の庚申塔
石の3つの庚申塔は、本郷追分一里塚から ほうろく地蔵前に移されてきたそうです。
ほうろくとは、浅い素焼きの土鍋のこと。
八百屋お七にちなんだ地蔵尊で、
1682年におきた天和の大火は、恋仲になった寺小姓(寺に住んで住持のそば近く仕えた少年)恋しさに放火の大罪を犯した大火。
その後、火あぶりの刑を受けたお七。
放火の罪で処刑された灼熱の苦しみを、
お地蔵さまがをほうろくを頭からかぶって苦しみを受けているという。
お地蔵さんは頭にほうろくを乗せていました。
やさしいお地蔵様ですね。
山門には立派な「五三桐」のご紋。
豊臣秀吉や皇族が使ったもの…なぜここに。
●本郷追分一里塚
日本橋まで最後の一里塚です。
日本橋まであと約4㎞となりました。
●東京大学
コロナがおさまれば…東大学食でランチすることを楽しみにしていました。
今は、学校関係者以外立ち寄ることが出来なくなっています。
警備の方に撮影許可をお願いし、門から手を伸ばして写真撮影しました。
●神田明神前・天野屋
天野屋さんの記事は別で書きました。
よろしければ、こちらをお読みくださいませ。→わたしが見つけた日本製 「神田明神前 天野屋」
●神田明神
神田明神は、江戸城の表鬼門除けに鎮座する江戸総鎮守。
1600年の関ヶ原の合戦前、徳川家康は神田明神で戦勝祈祷を行いました。
家康は9月15日、神田祭の日(今は5月)に勝利し天下統一を果たしたと言われます。
神田明神のご祭神は、一之宮は大己貴命。
だいこく様とも呼ばれ、国造りをされた神様で縁結びにご利益が。
二之宮は少彦名命。一寸法師と呼ばれ医療や健康祈願、病気平癒にご利益が。
三之宮は平将門命。平将門神に祈願すると勝負ごとに勝つと言われています。
国学の発祥の地です。
京都伏見の神宮で国学者であった荷田春満が、江戸に出て初めて国学の教場を開いたのが神田神社社家の芝崎邸内でした。
次はいよいよ、日本橋です。
今はもうなくなってしまった商売が沢山あったようです。
朝顔売り、ところてん売り、古着売り、猫の蚤取り、三助、出会い茶屋…などなどまだまだ沢山。
中山道沿いに残る竹屋さんや甘酒屋さん、そして焙烙地蔵がかぶっていた〝ほうろく(土鍋)〟も今では珍しいです。
風が吹けば桶屋が儲かるという言葉があります。
これは、「江戸で強い風が吹く」→「砂が目に入り眼病を患う」→「眼病を患ったものは三味線で生計を立てる」→「三味線に猫の皮を使うので猫が居なくなる」→「猫が居なくなるとネズミが大発生する」→「ネズミが全ての桶をかじってしまう」→「桶屋ビジネスを思いつく」という、一見関係のないところに因果関係や影響が出るという意味。
この様な連想内容は、今では考えられないですが、コロナ禍だからこそ、その先に繋がる連想は新しいビジネスに繋がるチャンスなのかもしれません。
1846年から175年ずっと続く天野屋さん。
もとは敵討ちのために京都丹後から出て来たようです。
敵討ちから175年はどう想像できたでしょうか。
で甘酒をいただきながら、ふと思いました。
●高温多湿の梅雨や炎天下の夏の季節は、帽子をかぶったり、こまめな水分補給をしたりして、充分な熱中症対策を心がげましょう。
●冬場は防寒対策を行いましょう。
●中山道は思った以上にコンビニがありません。行動食を持っておきましょう。
●トイレは駅やコンビニがほとんどです。事前に場所をチェックしておきましょう。
●自販機はあるコースと峠越えなどは自販機が無いコースもあります。余分に水分を持参しておきましょう。
●お天気が急に変化しますので、レインウェアを持参しましょう。
●救急グッズを持っておきましょう。
●ローカル線は電子カードが使えないことが多いので、電車賃を準備しておきましょう。