※リアルタイムのログではなく、数日前のログです。
〝人間一生 物見遊山…〟
これは江戸っ子の人生観を表す言葉。
生まれてきたのは、
この世をあちこち寄り道しながら見物するためであり、
せいぜいあちこち見て、
見聞を広めて友だちを増やし、
死んでいけばいい…と考えておりました。
わたしはこの言葉が好きで、自分もそうしたいと思っております。
コロナの様子を見ながら、感染予防して〝うつさない・うつらない〟の心がけをしてこの旅を進めます。
今回は、念のために陰性証明も持参しました。
7月末に旅を進めた後、大阪は8月に緊急事態宣言が出ました。
解除後、再び2ヵ月ぶりで中山道を走らさせていただきました。
stop&goの繰り返しですが、おかげで…少しずつ旅を振り返ることや、次の旅の予習をすることができ、良き時間となっております。
●第22次 岩村田~第18次 軽井沢宿
●第17次 坂本宿~第13次 高崎宿
●第13次 高崎宿~籠原駅
●籠原駅~第8次熊谷宿を経て第7次鴻巣宿
までの、寄り道を含めたおおよそ140㎞の旅。
記事は、旅のレポートの一部です。
■この日のルート:
信越本線・横川駅~アプトの道~横川駅~第16次 松井田宿~第15次 安中宿~新島襄旧家~安中城址~第14次 板鼻宿~少林山 達磨寺~第13次 高崎宿(41㎞)
板鼻宿からのつづきです。
烏川を渡るといよいよ高崎宿です。
宿場の長さは中山道の中で最長で、当時は「お江戸みたけりゃ高崎町」と謳われました。
徳川四天王の1人、井伊直政が構えた高崎城があり、城下町は本陣も脇本陣も無かったというのだから、四天王の力の権力の強さがわかります。
宿場の今は、大通り沿いにビルや店が並び、当時の名残は全くありませんが、にぎやかな街でした。
●飯野茶屋本陣跡
休館日でしたが、上段の間を見ることが出来るようです。
君が代橋で烏川を越えると、いよいよ高崎宿です。
碓氷峠から高崎宿にかけて、緩やかながら下りが30km以上続いており、膝を守るためにブレーキをかけながら下るものですから、大腿四頭筋(腿の前)の疲労感が大きくなってきた地点です。
君が代橋あたりから高崎宿は1歩1歩歩き始めました。
ちなみに君が代橋は、明治天皇ご巡幸にちなんでつけられた橋だそうで、
明治天皇も彼方此方御巡幸されて、参勤交代お侍さんなみに凄いな…と思います。
いよいよ高崎です。マンホールは高崎まつりの山車。
●レンガの煙突
醤油工場と店舗です。
このあたりから宿場が始まります。
「水村園」安政4年(1857年)創業のお茶屋さんで、日本最古のお茶が保存されているそうです。
コロナ禍なので、中でお茶をいただくことはできませんでしたが、また高崎に来る機会があってコロナも落ち着いていたら、あたたかいお茶を一杯いただきたいものです。
この大通りも宿場です。
●本陣:0
●脇本陣:0
●旅籠:15
●家数:837
連日の40㎞の旅にへとへとになりながら、高崎駅に着きました。
参勤交代お侍さんは、これを連日やり続けたのですから、昔から日本人の心身は強いですね。
●高崎城
高崎駅に着いてから、高崎城へ。
今は三の丸と東門などわずかに史跡が残っておりました。
もうすっかり夕暮れです。
高崎宿は、江戸・明治・大正・昭和・平成・そして令和と…
それぞれの時代を生きた著名人ゆかりのスポットがあり、ワクワクしました。
高崎は面白い場所でした。
気が付くと陽が沈みかけていました。
高崎には徳川四天王の1人、井伊直政が構えた高崎城の史跡が少し残っておりました。彦根でも井伊家ゆかりのスポットにいくつか立ち寄り、井伊家にも興味を持ちました。
旅というものは、出発点から終着点に至るその間に味があります。
スポット1つを訪れるのも、車でポン!と門前に着いたのでは、興味も半減してしまいます。
特に、自分の脚で行きたいところへ1歩1歩近づくたび、または1歩1歩帰路に近づくたびに、自分の中から興味や言葉が溢れてくるのですから、自分の脚で歩く・走るというその行為は贅沢な学びなんだと思います。
●高温多湿の梅雨や炎天下の夏の季節は、帽子をかぶったり、こまめな水分補給をしたりして、充分な熱中症対策を心がげましょう。
●冬場は防寒対策を行いましょう。
●中山道は思った以上にコンビニがありません。行動食を持っておきましょう。
●トイレは駅やコンビニがほとんどです。事前に場所をチェックしておきましょう。
●自販機はあるコースと峠越えなどは自販機が無いコースもあります。余分に水分を持参しておきましょう。
●お天気が急に変化しますので、レインウェアを持参しましょう。
●救急グッズを持っておきましょう。
●ローカル線は電子カードが使えないことが多いので、電車賃を準備しておきましょう。