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トレーナー・フィットネスコーチ・ ウォーキングアドバイザーのエストロゲン子(中の人)です。今よりもHappyになる歩き方を貴女に!〝60分〟で一生ものの歩き方が身につくウォーキングレッスン/ウォーキングやランニング、エアロビックダンスなど、有酸素運動指導30年♡ 健康セミナー・体操監修、雑誌コラム連載中。

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2020年2月17日 (月)

■【走る旅】旧第十二師団司令部の正門

小倉駅~スペースワールド駅近く・いのちのたび博物館~勝山公園~北九州マラソン受付会場(17㎞)


今回は、勝山公園までのレポ①


〇関連記事 北九州マラソン受付へ行った様子
〇関連記事 北九州市立自然史・歴史博物館(いのちのたび博物館)へ行った時の様子


※2020年2月17日現在
新型コロナウィルス対策として、ランニング中もマスクをして走っています。
東京オリンピック代表選手を決める東京マラソンの一般参加者の出走が取り止められ、エリート選手のみの参加になりましたが、自己判断でコロナウィルス対策として、2月16日に行われた北九州マラソン大会にも参加しませんでした。
取引先の職場においても交通機関を使った移動でもマスクをしています→お客様へのエチケットとして防止対策としてのとりきめ。


 

高見神社と資さんうどん

 

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いのちのたび博物館を出て、小倉方面へひたすらまっすぐ走っていると、左手に低山が並んでいます。

低山の上から、誰かこっちを見下ろしてるなぁ…とふと見上げたら、

ものすごい存在感。
高見神社を見つけました。

立ち寄りたいなーと思ったけれど、お友達との待ち合わせの時間を計算すると立ち寄るのが難しそうで、次の機会への持ち越しです。

行こうか行こうまいか、3度足を止めて時計を見て考えるほど。。。
離れたところから見ていても、上へ上へと上がるエネルギーの高さと強さを感じます。


あとから神様の名前を知って、やっぱりなと思いました。
高見神社は、たくさんの神様がおまつりされていて、そうそうたる神メンバーの中に天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ:宇宙の根元神。企業や起業の神)を発見。

え!寄らないの?と最後の最後まで言っている様に感じました。(笑)


高見神社をあきらめて、ひたすら走ると北九州発祥の「資さんうどん」発見。

資さんうどんの看板からも、強い食欲のエネルギーを感じます(笑)
え!食べないの?と最後の最後まで訴えかけてきましたよ。


旧第十二師団司令部の正門


あきらめて先を急いだのは、
勝山公園にある旧第十二師団司令部の正門に立ち寄りたかったんです。

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勝山公園の中にあります。

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明治から昭和初期の日露戦争・日中戦争・太平洋戦争の頃に旧第十二師団司令部、軍の拠点だった場所の正門。

最近読んだ日露戦争や太平洋戦争での書籍で興味を持ちました。

明治31年に作られたもので、建築に西洋文化を取り入れていたのか、レトロな赤煉瓦がオシャレです。

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この辺りに司令部が置かれていたのかな。
集められた兵士の徴兵区域は北九州だったそう。

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明治32年から3年間、第十二師団の軍医部長を務めたのは、文豪・ロマン主義の森鴎外。
医学博士であり、小説家であり、英語が堪能。

今回は立ち寄れませんでしたが、近くに森鴎外が住んでいた跡地があります。
そこから通勤していたようですね。

目を閉じて、森鴎外の気分になって門を通過してみる。

はー!尊い気持ち。。。

賢くなれるかな。

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大砲がありますが、レプリカです。
日本中から、どんどんこういう戦争の名残が無くなっています。


戦争はしないのが良いですが、戦争を知らな私たちにとって、戦争を考える場がなくなるということは、怖いことでもあります。
平和は、過去の戦争で起こったことを分解して考えないと生まれませんもの。

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ここも当時使われていた門でしょうか。
修復中の様でした。

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歩兵第十二旅団司令部跡の字が。

公園内に、日露戦争における旅順攻囲戦の指揮や、明治天皇の後を慕って殉死した乃木希典が、西南戦争で率いた歩兵第十四連隊の石碑が設置されているのですが、見つけられませんでした。


思い出すこと。


忘れないこと。

先人の御霊を癒すタイセツなことだと感じます。

先人たちが居た場に触れる時、
平和のありがたみを噛みしめる時。

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ああ白州灯台の記念碑。

庄屋の岩松助左衛門は、小倉沖の白洲と呼ばれる大暗礁での危険から航海者を守るため、文久2年(1862)小倉藩に白洲灯籠台築立願を提出しました。

全財産を投じ、募金・借金をしながら、8年目かけ明治3年(1870)に基礎工事が完成し、
明治4年(1871)に、建設が国策として政府に引き継がれ、明治6年(1873)に灯台が完成。


「世のため、人のため」を貫き通した助左衛門は灯台の点灯を見ることなく前年に死去。

・・・
世のため、ひとのために…との形は、令和を生きる私にも伝わりました。

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