■【走る旅】蘇我氏VS物部氏崇仏論争の地を巡るラン
16代・仁徳天皇百舌鳥耳原中陵(大仙古墳)から四天王寺まで、気の合う、足並みの合う、休みの合う、合うづくしの友たちとランニング。
陵は「みささぎ」と呼ぶそうだ。
昔ランナーだった80歳近いおじいちゃんから陵のアレコレを教えてもらう。
60歳でランニングを始めて4時間ちょっとでゴールしてたそうだから、びっくり。
陵の解説は、ほんま勉強になったな。
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12~16代までの天皇の補佐・お世話をしたと言われる武内宿禰。
その一族・竹内一族が管轄した竹内街道を一部通り熊野街道を経て四天王寺まで史跡めぐりラン。
題して、蘇我氏VS物部氏崇仏論争。
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いろいろ書きたいですが、マニアックになるので今日は世界遺産にもなった仁徳天皇陵のこと。
仁徳天皇陵は5世紀、16代・仁徳天皇が眠る場。
形は前方後円墳で、総面積46万㎥、墳丘の長さは486m。
周りの池みたいなのは、土を掘った時にできた溝に水を溜めたもの。
一周走ると3㎞には満たないけれど、2.8㎞程度。
とにかく大きくて、ピラミッドより大きいです。
仁徳天皇は没したのは4世紀前半と古事記に記載してあるのと、古墳からの埴輪の形式が5世紀半ばと言われ、ずれがあるため学術的に地名を取って大仙陵古墳と言われています。(山川日本史より)
※説明してくれたおじいちゃんの説によると、発掘調査してないから地名をとって大仙古墳と言っている。。。と言う話。
仁徳天皇は、民のかまどから煙が出ないのは貧しくて炊くものがないのでは無いか?と考え三年税金を免除した…との一説。
民のことを常に考えていて、古墳の大きさから人気がうかがえると言われてるけど、この説も古墳の存在も本当かどうかはわかんない。
だけど、そこに想像が加わって人それぞれに歴史ロマンを生む。
白黒つけないのが心地よいのかも。
126代・令和の天皇は徳仁天皇。(なるひとてんのう)仁徳天皇の字をさかさまにしただけ。
きっと令和はよき時代に。。。との願いを。
身近なところから世界まで…ミクロからマクロまで…平和や歴史についてお酒を飲みながら語れる友は最高!ついでに足並みも合うから尚最高!
コース
仁徳天皇陵と倍塚と号→竹内街道→反正天皇百舌鳥貝原北陵(仁徳天皇の子)→方違神社・くろがねもちの木→住吉大社→小野小町の墓→阿部王子神社→晴明神社→四天王寺・守屋祠・太子堂→昼飲み
↓写真はインスタグラムにて。