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健康サポートプロジェクト (junko sakata)

フィットネスコーチ。 ウォーキングアドバイザーのエストロゲン子(中の人)です。今よりもHappyになる歩き方を貴女に!〝60分〟で一生ものの歩き方が身につくウォーキングレッスン/ウォーキングやランニング、エアロビックダンスなど、有酸素運動指導30年♡ 健康セミナー・体操監修、雑誌コラム連載中。

エストロゲン子の美活ウォーキング

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2021年12月

2021年12月22日 (水)

■四天王寺 骨董市で掘り出してきました

今年最後の四天王寺骨董市。
掘り出してきました。

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●決まって行くNTさんのお店で、昭和レトロ色々…

★2005年11月1日~の閣僚の皆様。
小泉純一郎さんを支持していたわけではありませんが、今は亡き中川昭一さんのお名前があり、貴重で面白いですhappy01

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★大阪・平野の吉見食品工業k.k.さんのグラス
「スイト ゴールドcrownビクトリージュース 」調べてもわかりませんでした。
今はもう存在していないのでしょうね。ちょっとレアモノでしたshine

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★フルーツ型のお皿
果物やスイーツを乗せて楽しもうと思います。
今年もありがとうございました。

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●櫛笄(くしこうがい):
ちょっと奮発して櫛笄をいただきました。

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髪に挿すものなので新品が欲しいところですが、櫛笄セットをまともに買うと数万円。
中古でも清水の舞台から飛び降り寸前価格でした。
ランウェアで行ったのに「おっ!別嬪さんが来た!」と言ってくださったのが購入の決め手です(笑)
商売上手scissors大事ですshine
はじめ人間ギャートルズのお母さんみたいに、ゴムを使わずまとめ髪をしてみたいと思います。

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2021年12月21日 (火)

■コラム:[京街道]京街道の誕生

大坂と京都・伏見を繋ぐ京街道。
京街道はどのように誕生したのでしょうか?

京街道の誕生

天正十年(1582年)6月2日、京都の本能寺に宿泊していた織田信長を明智光秀が襲い、
織田信長は天下統一を果たすことなく死を遂げました。

当時羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)は備中高松城を水攻めしておりましたが、
主君の死の悲報を受けて、即毛利氏と講和をまとめ、急いで上方へ帰ってきました。

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同年の6月13日の山崎の合戦で、明智光秀を破って主君の仇を報じた秀吉は、
天正十一年4月21日の賤ヶ岳の合戦で信長の後継者選びのライバルであった柴田勝家を破り、
同年9月1日から天下統一の拠点として大阪城の築城を開始しました。

天正十三年7月11日、秀吉は朝廷から関白に任じられ、翌年2月京都に聚楽第(じゅらくてい・じゅらくだい)の建設を開始する。

天正十八年、秀吉は全国統一を果たすが、翌年に関白を甥の秀次に譲り、新たに伏見城の築城を始めます。

こうして、豊臣政権は大坂城と聚楽第と伏見城の3か所を拠点としました。



ところが、文禄4年(1595年)6月7日畿一帯を豪雨が襲い淀川が氾濫。
北河内一帯から大阪城の近くまで大洪水に見舞われました。
そして、京都・伏見と大阪の間が完全に寸断。
秀吉は、翌年淀川両岸に強靭な堤を築きました。
(河内国側の淀川左岸を東国大名、摂津国側の右岸を西国大名が担当)

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この堤を「文禄堤」といい、京都・伏見と大阪を結ぶ街道となりました。
これが京街道のはじまりです。

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■[大阪史跡]京街道:八軒屋船着場

京都と大阪を結ぶ交通の大動脈は淀川の舟運でした。
京都・伏見と大阪・八軒家の間(約40㎞)を船が往復し、
江戸末期には1日に1500人、800tの荷物が運ばれていました。


[永田屋昆布本店]

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〝江戸は鰹節、大阪は昆布〟と言われ、北海道の昆布は日本海よりに西回り、下関から大阪に入ってきました。
昆布屋は、戦前まで八軒屋に多くありましたが、今では永田屋昆布店と八木昆布店のみなんだそう。

永田屋昆布本店さん周辺は、江戸のころ八軒家浜船着場で三十石船が到着していました。
店の前には八軒屋船着場跡の石碑がたっています。

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悠久の歴史を伝える八軒屋
おひとり様一部にてお願いします。

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一部いただきました。
大阪の歴史について書かれていますので、とてもありがたいです。

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船は、30人程のお客を乗せ、京都の伏見を夜半に出て翌日早朝に八軒屋に到着。

上りは下りの倍の12時間ほどの船旅だったとか。
移動だけなら、走った方が早そうな…。




[フロマージュ天満橋]

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「この付近、天満八軒屋 船宿 京屋忠兵衛 跡
幕末期、新撰組の近藤勇や土方歳三、沖田総司らの常宿だった/誠」

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今はフロマージュ天満橋と言うチーズ屋さんですが、江戸の頃は「京屋」と言われる船宿でした。
たびたび新撰組の方々が宿泊していたそうです。

近藤勇や土方歳三、沖田総司は八軒屋船着場から京都と大阪をship行き来していたのですね。

2021年12月20日 (月)

■日々締めくくり

今年最後の舞楽のお稽古でした。

いつも60分間ぎっしり稽古をするのですが、珍しく私が出来上がってきたようで…中休憩を入れていただけました。
嬉しいです♪

コロナ禍の中でやめたことも沢山ありますが、新しく始めたことや再開したこともあります。
舞楽はご縁があり再開したこと。
ゆっくりゆっくりあたためていきたいです。

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先生にいただいた無農薬ミカン。
ありがとうございます。
そして、今年もありがとうございました。

稽古の後は、ランで学校まで移動し、今年最後の授業を2講座担当しました。
本当はマスクを外して有酸素運動を体験していただきたかったのですが、今年も着用しての運動でした。
生徒さん、呼吸などきついのによくがんばりました。
年末年始のお休みも、程よく身体を動かして免疫力を維持してくださいね。

みなさん、〝メリークリスマス〟と私に手を振って教室を後にしていきました。
よいクリスマスをね。
そして良いお正月を。

年末です。
日々、今年最後のお仕事や、今年で最後のお仕事など、締めくくりの日を迎えます。

1つ1つ大切に丁寧に担当させていただきましょう。

2021年12月19日 (日)

■再会Week

再会が続きました。

もちろん感染予防につとめながら、
ずっと会えていなかった方々に会えるという、ありがたい日が続きました。

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1年ぶりにお話しできました。

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2年ぶりの再会。
海外のお友達が、ようやく帰国できました。

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昔の職場の同僚Dちゃんとの再会。


仕事以外でお友達に会う機会が少なかったので、とても嬉しい時間でした。
それぞれの近況を語り合い、コロナ禍でどう過ごしてきたか、これからのことなど、静かに語らえました。

誰かに会えるという事は、幸せなことですね。

それぞれみんな、誰かに会えない中で、そして色んな制限の中で頑張っています。
日々過ごしているだけで、凄いことなんです。
生きているだけで丸儲けです。

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安心して人と人がコミュニケーションが取れる日が訪れると良いですが、
そうでなくても、大切なご縁の方とは、これからも再会できますように。

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Dちゃんのお土産!
かんずり!!
生まれて初めていただきました。
すごく美味しくて食がどんどん進みそうです。
ありがとうね!

2021年12月18日 (土)

■[大阪史跡]梅田の地下街にある大阪城の千貫櫓の石組み

大阪駅前第4ビルの通路にある梅田の地下街にある大阪城の千貫櫓の石組み。

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通路が、大阪築城400年の年に開通したことに因み、大阪城の石垣を築造したときの残石といわれる小豆島の石を用いてつくられたそうです。
大阪城の石垣が小豆島からも運ばれていたのがビックリですね。

しかも、こんな通路に千貫櫓の石組みだなんて、お洒落すぎます。

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2021年12月17日 (金)

■今頃ですが、東野圭吾さんの…。

東野圭吾さんの小説は、最後まで読んだ作品もありますが、特にサスペンスは途中で「はあぁぁぁー」となって読むのをためらってしまう事が多いのです。

最近、麒麟の翼を読んだことから、途中で読むのをやめてしまった作品に目を通しました。

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相変わらず「はあぁぁぁー」となりますが、
お友達が「東野圭吾さんの作品は人の心が交差して面白い」と言う表現をされていたので
少し視点を変えて読むと、よくできたストーリーで、なるほど!人の心の交差が面白い。

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白夜行は東大阪が舞台だそうです。(これもお友達に教えてただきました)

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人によって正義が違う。自分の正義も誰かから見れば独りよがりかもしれないことを教えていただきました。

今は、時代ものを読んでいます。
お正月は上下巻ものを読みたいです。

2021年12月16日 (木)

■自然の状態

今年最後の美容院へ。

髪をアップするときに、長すぎてまとまりにくくなっていたので、7㎝バッサリと切っていただきました。

美容院まで走って行って、美容院から職場まで走りましたが、
髪を切った後、だいぶん軽くなったのがわかりました。

嬉しいのは、美容師さんに〝どんどん髪が綺麗になってる〟と褒められたこと。

美容院後は運動指導だったのですが、
レッスンに参加してくださったお客さまから〝カラーしてる?すごく艶々してて白髪がなくて、天使の輪もあって綺麗〟と…褒めていただきました。

ここ3年近くカラーしていないし、パーマはもっとかけてない。
秘策のお手入れで、髪が生き返っているのは、自分でも感じています。

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植物も手をかけすぎると育たなくなります。
とはいえ、まったく放置状態ではますます育たなくなります。
必要な時に必要なだけ手を加え、本来が持っている成長の力を引き出していくのが良い成長に繋がっていく…改めて思います。どんなものの成長も通じるものがありますね。

この日は、美容師さんのブローの腕が大きいと思いますが、

年齢と共に薬品や化学物質に頼らなければ維持できない状態から卒業できたことが嬉しいです。
白髪が出るまで、自然の状態を楽しもうと思います。

2021年12月15日 (水)

■瑠璃色の紬

涼しくなったので、着物で10kmほど歩きお稽古へ。
着物で動き回ると課題がわかります。

先生に質問したところ…
課題は、歩き方や立ち振る舞い。
もう少しお淑やかになりましょう。

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今日着た瑠璃色の紬は、15年間運動レッスンを受け続けてくださっているお客様からのいただきもの。

働いていた時に誂えたそうで、一回も袖を通していないから着る?と…。
もちろん頂戴いたしました。

躾糸もそのままで、大事に保管されていた様です。
先生にも〝素敵な紬〟と褒めていただきました。

末長く大切に着させていただきます。
ありがとうございますheart04

2021年12月14日 (火)

■[大阪史跡]適塾:緒方洪庵 #健康歴史ウォーキング

緒方洪庵先生は、幕末における洋楽研究の第一人者として仰がれた医師・蘭学者で〝日本の近代医学の祖〟と呼ばれた人物です。

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適塾は緒方洪庵が開いた塾で、侍の子も町医者の子も農民の子も「学問をする」という目的で集まり、先生は洪庵1人でした。

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大村益次郎も福沢諭吉も、故郷ゆかりの橋本左内も…全国から、適塾へ学びに集まっています。

教育に力を注いだだけでなく、種痘を広め、天然痘の予防にも尽力しました。

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1849(嘉永2)年には現在の道修町5丁目に種痘所(大坂除痘館)を開き、
ジェンナー式牛痘種痘事業を始め、
1858(安政5)年日本にコレラが流行した時は治療にあたりながら、治療手引書『虎狼痢治準(ころりちじゅん)』を発刊し、感染予防に尽力しています。


今年の春、大阪大のチームが、洪庵先生が残した当時の薬瓶の中身を特定し、水銀と塩素が中身の主な成分と発表したそう。

瓶の蓋からわかったのは、当時「甘汞(かんこう)」と呼ばれ、下剤などとして使われたものだとか。

当時、どのような治療をし薬を作っていたのか?洪庵先生が残してくださったものは、江戸時代のタイムカプセルみたいで夢がありますね。