■食事は感謝
近々昇段参拝するので、
玉串の捧げ方など作法について再確認していた。
他に目にとまったのが「食事」の礼儀作法。
小さい頃に教えていただき
身についていることが書かれていた。
特に母が他界した後は、叔母が会うたびにしつけをした。
叔母にとっては妹がこの世にいなくなり
責任感があったのか?
箸や茶碗の持ち方や、紐の結び方など
かなり厳しく教わったのを覚えている。
今となれば、とてもありがたい。
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小さい頃、食事は「感謝」だと教えられた。
①お米の中1粒1粒に神様がいる。自然の恵み・命に感謝すること。
②食べ物の背景に居る育てる人・働いている人に感謝すること。
この2つである。
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我が家は仏教なので、
食事の前には手を合わせて「いただきます」
食後には「ごちそうさまでした」と必ずいうし、
習い事などで神社の神事に関わる時は
食前食後には本居宣長の和歌を唱えていた。
食前の和歌には〝天照大神〟(すべての生命に命を与えてくれる神)
食後の和歌には〝豊受大神〟(働きに関わる神)
の名前が入っている。
「いただきます」と「ごちそうさま」は
「感謝」をして食事をしなさい…ということなのだ。
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話は変わるが、
「いただきます」「ごちそうさまでした」を言わない人や
大量の食べ物を残す人は苦手だ。
自分の価値観を押し付けるわけではないが、
もしかして日本の礼儀作法を知らないのかも?と、
嫌われてもいいから大好きな友達には思い切って注意する。
逆に恨まれそうな知人には黙っているけれど…。
一緒に外食に行って、
定食のお米に箸をつけない人には
「最初からお米いりませんといった方がいいよ」
バイキングで食べきれない程お皿に盛って結局食べない人には
「食べれるだけにして、足らなかったら盛りに行けば」という。
だって、食べ物を粗末にすることイコール
育てた人や動植物たちを粗末にするということだ。
煩いなーと思われているかもしれないが、
食事には「感謝の心」や「思いやり」が詰まっていて
人間関係や人の和と同じこと。
そもそも感謝をしない人や、
やってもらって当たり前の人は、
命や人の働きのことすら気にしないんだろうけど。
食事というものは「その人となり」が出る。
食事の礼儀作法のページを読みながら、
小さい頃、叔母が厳しくしつけたことは
本当に本当にありがたかったな…と目を細めた。