■天下分け目の天王山・山崎城址から細川ガラシャの勝龍寺址へ
絶賛!仕事中です。
本日はお昼にお仕事させていただいている施設が休館日。
という事で…日中、少し時間が空いたので
職場から2時間位で走り終える事ができる所をピックアップ。
天王山をざーっと走ってきました。
去年の年末に明智光秀が本能寺へ攻め入る時に使われたのでは?という「明智越え・からと越え」をしました。
そして…これまた年末に、大坂の陣ゆかりの地を巡るランをして、明智光秀の三女である細川ガラシャにちなんだ地へ出向き…
今日は引き続き、明智光秀に深い関わりの天王山から、
お玉(細川ガラシャ)の新婚時代幸せな時間を過ごした勝龍寺城址へ。
(写真は明智光秀の最期)
天王山という言葉は、運命を決める重要な分岐点を表現するときによく使われます。
本能寺の変で織田信長を自刃へと追い込み、天下人になったかの様な明智光秀だったけれど、
本能寺の変からたった11日後に羽柴秀吉と明智光秀が戦う事になり、
秀吉に一瞬で勝利を取られ(開戦からわずか2時間)、光秀は天下人から転落してしまったのが山崎の合戦。
秀吉はその後、織田信長の軍勢も味方につけ、光秀からも山崎の城を手に入れ、天下統一へと突き進むことに…
天王山が舞台となり、明暗がくっきり分かれた山崎の合戦が「天下分け目の天王山(運命を決める分岐)」というわけです。
こんな面白い言葉を作り、歴史的にも有名で興味深い山がそこにあるので、
これは登るしかないですよね。
山には城があったという事で、低山ながらキツイ上りと下り。
展望台からの眺望はとても美しく、
キツイけど少し上ったらこんなに美しいご褒美を拝めるのが
低山の魅力ここにあり…という感じです。
(青木葉谷展望広場からの展望。桂川が見えます。大阪方面の眺望。 )
(奥の山展望広場。京都方面の眺望。 )
天王山山頂(△270m)には、土塁跡や天守台跡、井戸跡が残り、
平らで大きな郭には、そこに山崎城があったかのような妄想が膨らみます。
(天王山アプリARで山崎城見えるんですよ。今回は使いたかったけど時間が無いので使えず…次回楽しみに。)
礎石もバッチリ残ってます。
天王山に登ったよ!という証明書を
西山天王山駅前長岡京naviとJR山崎駅前の西田本店さんで発行してくださる様(100円)。
なんと!50回登ったら表彰ですよ!
50回も登れないと思いますが、うちのスタジオイベントでお客様と来たときは、是非記念に証明書をもらおうと思います。
色々史跡もあるし、野鳥の気配もするんですが、
トレイルランニングは歩くより視野が狭くなるので、自然観察できず…、
ARアプリも使ってみたいので、またじっくり歩きで探索に来たい。
最後は長岡京へ…念願の勝龍寺城址です。
勝龍寺城址へ行くまでの道中、神足神社(こうたりじんじゃ)があります。
そこには、勝龍寺城の空堀や土塁が綺麗に残っています。
(空堀と土塁)
(空堀です)
(勝龍寺城の土塁内側)
勝龍寺城は、細川忠興とお玉(ガラシャ)が新婚時代を過ごした城。
今は水堀や土塁の上に近代的な塀や櫓が再現されています。
土塁の内側は散歩コースなんかになっているけれど、
さすがに、当時は散歩してなかったとは思うけどね…
すっかり平和な世の中ですね~
(細川忠興とお玉・ガラシャ)
(お玉・ガラシャの嫁入り)
新婚時代を過ごした時の時代背景は、
丁度織田信長が三好三人衆や松永久秀と抗争を繰り広げていた時。
忠興のお父さん(細川藤孝)は、織田信長に京への渡河点を押さえる前線基地の守備を命じられていて、
この境内や塀の外はきっと人馬が行き交って、新婚時代も物騒だったに違いないです。
(堀の穴 狭間から敵を撃つ)
綺麗な境内でも、狭間があったり
敵が攻めて来ない無いように高い土塁があったりと…。
戦闘態勢ばっちりです。
(南門も枡形虎口です。敵の侵入を防ぎます)
虎口(入口)は枡形虎口でL字型。
敵がなかなか侵入できない造りが残っていて、当時の緊張感が現代も残っています。
城址はあれやこれやと想像膨らんで夢中になってしまう…。
思わず長居してしまいそうでした。
たった1時間半のランニングの旅でしたが、大満足な歴史を辿るランニングでした。
【ルート】
JR山崎駅スタート~霊泉蓮歌講跡碑 山崎宗艦句碑~宝積寺~青木葉谷展望広場~旗立松展望台~十七烈士の墓~酒解神社~天王山山頂(山崎城址)~奥の山展望広場~小倉神社~神足神社(勝龍寺城空堀址)~勝龍寺公園~JR長岡京 約10㎞
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