■[大阪史跡]高麗橋と擬宝珠 #健康歴史ウォーキング
高麗橋。
江戸時代の商売の中心地。
東海道57次の、江戸からのゴール地点、または江戸へ向かうスタート地点です。
他、中国街道、紀州街道などへもつながっています。
私も、高麗橋からスタートし、東京日本橋まで走りました。
高麗橋は、豊臣秀吉時代、朝鮮通信使を大阪城に迎えるために架けられ、この橋から大阪城天守閣をドーンと眺められるようにと計算されて造られた…または、朝鮮との通商の中心地であったことに由来している橋とも言われています。
注目したいのは、擬宝珠(ぎぼし)。
擬宝珠は、伝統的な建築物の装飾で、橋や神社・寺院の階段などに設けられているネギの花の形をした飾りのこと。
宝珠(ほうじゅ)と言われ、釈迦の骨が入っていたものに似せたとか、ほしい物が思いのままに出せるという玉(如意:にょい)等とも言われています。
↑大阪歴史博物館の擬宝珠
高麗橋は、12ある公儀橋(幕府直轄管理の橋)のひとつ。
大坂の公儀橋の欄干は、頭巾型の金具が取り付けられましたが、京橋(京都と大阪をつなぐ橋)だけ、擬宝珠が取り付けられていたとか。
なぜか?高麗橋には、京橋にあったとされる宝珠の擬宝珠のレプリカがあるのです…。
本物の擬宝珠は、大阪夏の陣で徳川方に戦利品として持ち去られたあと、いろんな方の手に渡り吉田茂さんの手元へ、そして遺族によって大阪市へ寄贈されたそうです。
吉田茂さんと言えば…麻生さんのおじいちゃんですね。