■[大阪史跡]堂島薬師堂 #健康歴史ウォーキング
本日も仕事前に『2022年開運街巡りウォーキング』(残席わずか)の下見です。
ランニングで行ってまいりました。
普段見慣れていて気にとめない景観も、川の歴史を知ると、大阪がどのように発展していったのかがわかります。
↑ 志じみばし跡
↑蜆川に沿ってカーブしている道
蜆川(曽根崎川)はもうありません。
明治14年の「北の大火」で焼失し、瓦礫を川に捨てたことで埋め立てられ、今は北新地になっています。
そして、堂島川は今でもたっぷり水が流れています。
そんな蜆川と堂島川は、江戸時代、干しあがっていて、水が流れていなかったそう。
↑堂島川にかかる渡辺橋
蜆川と堂島川を整備したのが河村瑞賢(かわむらずいけん)。
広く掘り広げて水が流れるように整備しました。
掘った浚渫土(しゅんせつど:海底や河川の底を掘削することにより発生する、土砂やへどろ)は堂島に盛ったとか。
蜆川と堂島川には推古天皇の時代から中洲がありましたが、中州に薬師堂が建っていました。
今の堂島アバンザのあたりです。
船で渡る時にも遠くから薬師堂が見えたことにちなみ、地名が「堂島」になったそうです。
今は中洲にはオフィスビルが立ち並び、薬師堂はキラキラ光るミラーボールのように変わりました。
しかし、お堂の中には今でも薬師如来像(病気を治すということで古くから信仰があります)、弘法大師像、地蔵菩薩像がいらっしゃいます。
↑合掌した形のモニュメント。蝋燭をお供えします。
古地図を片手に…。
昔の景観から、川と共に町ができ、経済も学問も発展していったことが読み解け、今昔を比較するととても面白いです。