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2022年8月19日

2022年8月19日 (金)

■夏目漱石「こころ」再読了

中学生の頃だったか?

読書感想文の課題図書の中に
夏目漱石の「こころ」があり、
ひらがなの「こころ」に優しさを感じ
手に取った覚えがある。

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予想外でタイトルに反し小説の内容がズシッと重く
「人間は他者には語れない罪や罪悪感を抱えて生きていくものなのか…」と
読み終えた時、後味が悪くて
感想文の筆がなかなか走らなかった記憶がある。

大人になって自分の脚で各地の色んな場所を走り、
「乃木希典陸軍大将」のことを知った。

そういえば「こころ」に
乃木大将のことが出て来たなぁ…なんて
先日読み返してみることになった。



小説「こころ」は
明治時代の末期が背景となっており
三部構成になっている。


上:先生と私
中:両親と私
下:先生の遺書


中身をザクっと書くならば、
「欲やエゴで人は裏切る。
信じていた人に裏切られるが、
自分も誰かを裏切っている…。
罪悪感と命…。」
そんなことが書かれていたように感じた。



さて、乃木希典大将の話題に戻るが、

学生時代に「こころ」読んだときは
明治天皇の崩御の翌日に
夫婦で殉死した乃木大将のことが全く理解できなかった。

そして、乃木大将の殉死を受け、
先生も自殺してしまう意味が
それ以上に理解できなかった。

しかし、映画「二百三高地」を観たり、
明治天皇伏見桃山陵の隣に寄り添うように存在する
乃木神社へ行ったあとに「こころ」を読むと、
なぜか?少しだけ理解できたかの様に思う。

(二百三高地:当時の記事→★★★

(明治天皇伏見桃山陵→乃木神社:当時の記事→★★★
(北九州:西南戦争で率いた歩兵第十四連隊の石碑→★★★

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乃木大将が
西南戦争で軍旗を奪われたことを気にされていたり
日露戦争で多くの命が犠牲になったのに自分は生きている…
という罪悪感と

自分(先生)が裏切ったことで自殺してしまった友人(K)。
なのに自分は生きている…
という罪悪感を乃木大将に投影し
「罪のこころ」を終りにしたかったのではないか…という推測だ。

自分で命を絶つのは良くない事であるが、
明治の末期は何事も命がけで生きていたことがわかる。
そして、今の時代は責任をとって切腹するようなことは無いけれど
そのぶん人を裏切っても
罪の意識を感じなくなっているのかもしれないと
時代の違いと義理人情の軽さを感じた。

最後に、上の章「先生と私」のなかで
先生が言っていた言葉が響く。


〝かつてはその人の膝の前にひざまづいたという記憶が
今度はその人の頭の上に足を乗せさせようとするのです…。〟

今、こういうことは頻繁にあるのかもしれない。

■夏の果てに_。我思うゆえに我あり。

〝暑い暑い…〟が合言葉になっていた頃は
このまま夏が果てしなく続くような気がした。

祖母が昔から
〝お盆を過ぎたら涼しくなるよ〟と言っていたように
玄関のドアを開けたら涼しい秋の風が吹き
いつの間にか、蝉の大合唱も聞こえなくなっている。

今年のお盆過ぎも、祖母の言っていたとおりである。

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ウォーキングに出かけ
ふと空を見上げると
夏の積雲と秋の巻積雲が混在しているのを見つけた。

隣り合う季節の空の中に
二つの季節の雲がある空のことを
「行き合いの空」と言うそうだ。

炎暑の中、いつも太陽に向かって
元気に咲いていた向日葵も
今はもう頭を垂れている。

まるで成熟期から更年期に入った
女性のようにも見えてしまうのは私だけだろうか。

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そろそろ森山直太朗さんの出番です。
いや、井上陽水&玉置浩二かな。

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吉田松陰は留魂禄の中で

〝人の一生はその長い短いによらず
春夏秋冬のようなものだ。
誰もが自分の人生で花をつけ
実をつけている。
また種となって誰かが受け継いでいく限り
自分の春夏秋冬は循環する〟

___と言う。

夏の果てに見る向日葵からは、
生涯は短くても
花をつけ、実をつけ、種をつけ、
命を未来に繋げていく大切さを学ぶことが出来る。

また季節が過ぎシャンと立っていられない姿からは
からだの老いを受け入れていく大切さを学ぶ。

まさに「夏の果て」は今の自分自身か___。

どんな種をつけているのか
何を循環させていくのか…。

こんなことを考えるようになったのも
夏の果てと今の自分が重なるからであろう。

めぐる季節の中に
我思うゆえに我あり。