■夏の果てに_。我思うゆえに我あり。
〝暑い暑い…〟が合言葉になっていた頃は
このまま夏が果てしなく続くような気がした。
祖母が昔から
〝お盆を過ぎたら涼しくなるよ〟と言っていたように
玄関のドアを開けたら涼しい秋の風が吹き
いつの間にか、蝉の大合唱も聞こえなくなっている。
今年のお盆過ぎも、祖母の言っていたとおりである。
ウォーキングに出かけ
ふと空を見上げると
夏の積雲と秋の巻積雲が混在しているのを見つけた。
隣り合う季節の空の中に
二つの季節の雲がある空のことを
「行き合いの空」と言うそうだ。
炎暑の中、いつも太陽に向かって
元気に咲いていた向日葵も
今はもう頭を垂れている。
まるで成熟期から更年期に入った
女性のようにも見えてしまうのは私だけだろうか。
そろそろ森山直太朗さんの出番です。
いや、井上陽水&玉置浩二かな。
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吉田松陰は留魂禄の中で
〝人の一生はその長い短いによらず
春夏秋冬のようなものだ。
誰もが自分の人生で花をつけ
実をつけている。
また種となって誰かが受け継いでいく限り
自分の春夏秋冬は循環する〟
___と言う。
夏の果てに見る向日葵からは、
生涯は短くても
花をつけ、実をつけ、種をつけ、
命を未来に繋げていく大切さを学ぶことが出来る。
また季節が過ぎシャンと立っていられない姿からは
からだの老いを受け入れていく大切さを学ぶ。
まさに「夏の果て」は今の自分自身か___。
どんな種をつけているのか
何を循環させていくのか…。
こんなことを考えるようになったのも
夏の果てと今の自分が重なるからであろう。
めぐる季節の中に
我思うゆえに我あり。