■「つながり」
運動指導者の坂田純子です
これは、高校3年の体育祭での写真。
一緒に写っているのは(顔は隠してありますが)、高校3年間を共に、
そして、20歳までの間、手紙などで連絡を取り合っていた親友。
お互いの引っ越しや、友人の将来の夢に向けた海外移住などで、連絡が途絶えていましたが、
なんと!facebookで見つけてくれました。
そして、つながりました。facebookって本当にすごいな。
見つけてくれてありがとう!
相変わらず、海外に移住してる友なのですが、この十数年間のブランクも感じさせないくらい、近くに感じます。
今でも、誰かに、この親友の存在をよく話します。
「学生時代、私は何になりたいとか無くて、ただぼんやり生きてたけれど、親友は、自分の夢に向かってチャレンジした人」だと。
ぼんやり過ごした私も、得意なことや好きなことをさせていただいたり、人の導きで今につながったり・・・、流れるように生かさせていただいている事実は、今となったら幸せやなーと思うけれど、
当時、しっかり夢に向かっていた当時の親友の存在は、振り返っても素晴らしく、まだキラキラしてる。
この体育祭での写真は、当時、我高校では代々憧れられていた紫組応援団をつとめた時の。(ヤンキーではありません)
衣装は、夜なべして2人分を私が作りました。
親友はミシンが嫌いと、隣でコタツで寝てました・・・(笑)
そんなミシン嫌いの友人は、昔からファッションセンスが抜群だったのですが、デザインの勉強するとロンドンに移住。
あれから、洋服をデザインしたり作ったりしている様子を知って、人の可能性ってスゴイな・・・と感心・感動だったし、
今では、日本で生活するより、英語の聖地であるロンドン生活の方が長くなっているから、ほんとに自慢の存在。
そんな見えない親友の存在をいつもどこかで感じ、「●●が、がんばってるから、私もがんばる!」と、励みにつながっていたのかも知れない。
よく2人でつるんだし、よく寝起きを共にしたし、とにかくいつも一緒だった。
本当に会いたかった人なので、ここ数日間テンションが上がり中。
ちょうど20代の青春期に、いろんなことを話したり、相談したかったけれど、
互いに住んでいる距離や環境のこともあり、途絶えていたことや「親友が今どうしてるの解らない」と事実が心のどこかで「寂しさ」に変化し、見えない感情としてあったけれど(これは、親友も同じだったと思う)、
「空白」の時間も、実はつながっていたんだと思うと、「寂しさ」が「あたたかい気持ち」と「喜び」の色で塗り変わっていきます。
感動で涙が出てくる。
「自分の人生に必要なご縁は決して切れない・・・」
「つながり」って深いんだ・・・そう確信した再会でした。
彼女は、わたしの青春の数ページを占める人。そして、たぶんこれからも。
会いに行こう!
お金貯めなきゃ。
日々感謝★
運動指導者 坂田純子
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