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フィットネスコーチ。 ウォーキングアドバイザーのエストロゲン子(中の人)です。今よりもHappyになる歩き方を貴女に!〝60分〟で一生ものの歩き方が身につくウォーキングレッスン/ウォーキングやランニング、エアロビックダンスなど、有酸素運動指導30年♡ 健康セミナー・体操監修、雑誌コラム連載中。

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2020年6月

2020年6月23日 (火)

■走る旅:中山道 [7]武佐宿~愛知川宿 #ランニング

京都三条大橋から、お江戸日本橋まで。
東海道&中山道69次。

江戸時代の人は、江戸から京都までの135里34町余(約540 km)㎞を歩いていたそうです。

出張や用事に合わせるので、
順番通りにはいきませんが、

西から東へ。自分の脚で一本の道をつなげてみよう。

今回は、守山宿から高宮宿を目指しておおよそ40㎞の旅。

守山駅→守山宿~からスタートし、
20㎞先にある武佐宿までやってきました。

ここから愛知川めざして出発です。

東海道が太平洋の海岸沿いを通るので「海道」
対して中山道は、東の山中を通過するので「中山道」
東海道とともに日本の二大幹線道で、中山道は近世以前から「東山道」と呼ばれ
西国と東国を結ぶ主要道でした。

▼中山道:
江戸・日本橋~東海道・草津宿の67継立(67次)
草津宿と大津宿を含めて69次という場合もある。
このログ上では、69次135里24丁8間(約540km)で表記します。

■武佐宿~愛知川宿(9㎞)

竜王・義経元服池から武佐宿までの続きです。

●武佐宿

武佐宿は、健脚な旅人の1泊目の宿として利用されたそうです。

昔は、京都から武佐宿まで、おおよそ46㎞くらい。

1泊目が46㎞先って…
昔の人はよく自分の脚を使ったんですね。

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武佐宿の宿場町に入ります。

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●旧八幡警察署


レトロで浪漫漂います。
明治19年に建築されたそうです。

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●武佐宿本陣

大きくてカメラにおさめきれないので門だけ撮って

写真を撮るのをあきらめた武佐宿本陣跡。
今は武佐町会館となっています。

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●牟佐神社(むさじんじゃ)


これも「むさ」と読みます。
武佐宿あたりは、寺院が多いです。

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●延命地蔵

民家の敷地内?に、延命地蔵。

ご自由にお入りください…とありましたが、入り口が蜘蛛の巣でいっぱいで、

蜘蛛の家を壊すのはもうしわけないので、
外からおまいりさせていただきました。

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安土町のマンホールは、永楽通宝銭柄です。
信長が用いた刀のツバにも永楽通宝銭がデザインされているとか。

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さすが!安土町の飛び出し坊やはお侍さんです。

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●奥石神社

とても大きいです。
参道が長い。
隣の老蘇の森は、ほととぎすの名所。

老蘇の森と名のついた鎮守の森は100年たっても壮年期の樹木のようで
森が生きていました。
もう一度訪れたいです。

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東海道新幹線の高架の下をくぐるかくぐらないか3回くらい迷っていったり来たり。
くぐりました。

くぐると西国33か所巡り・第三十二番の観音正寺の道標があります。
思わずそちらへ直進してしまいそうですが、
東海道本線沿いに進みます。

新幹線と並走できます。

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●古い道標

観音寺山のほうへ折れて、山筋を走ったり、大通りに出たり。

街に出るまでの山筋に清水鼻の名水の井戸みたいなのがありましたが、
蓋が閉まっていて、使われてなさそうな感じでした。
使われていたらごめんなさい。

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●近江の千両天秤

ガソリンスタンドのこの像のあたりで、中山道旧道に入ります。


近江の千両天秤という言葉は、
天秤棒一本で千両を稼ぎだす商魂のことで、
近江の中山道から、日本を代表する老舗企業が続々輩出されたそうで…。
今は静かな中山道ですが、目を閉じると昔の賑やかさが見えそう。

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●石塚一里塚跡

江戸から123里(483㎞)です。
東海道と中山道の距離が違うので、距離詐欺に合いそうです(笑)

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●片山半兵衛さんの家

茶屋本陣を務め、玄関先に馬をつなぐ輪が残っています。

かやぶき屋根のお家は風情がありますね。

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この先、かやぶき屋根の民家が続きますが、
今も人が住んでいそうな感じでした。

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●郵便局の跡地…だったかな。

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●大郡神社


東郷平八郎さんが書いたようです。
確か、京都三条大橋の土下座像の台座も東郷平八郎さんが書いてましたね。

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すごく参道が長いです。

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●市田邸

丸棒の屋号を持ち、呉服を商う近江商人。

明治天皇小休止所。

明治11年明治天皇が北陸東海巡幸の際、10月12日高宮円照寺を発し、
愛知川・竹平で休まれた後、
市田太郎兵衛邸で小休し、武佐に向かわれたとか。

帰りも同邸で休まれたそう。

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明治の建物とは思えないくらい、おしゃれで洋風。

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さて、愛知川を渡ります。
にらみ灯篭と呼ばれ、愛知川対岸にある灯篭と対で、
にらみ合っていたように見えたのでにらみ灯籠と呼ばれています。

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●にらみ灯篭

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●愛知川

増水すると人の命を奪うので人取川と言われました。
渇水期は徒歩渡りできるそうなんですが、御幸橋を渡るのが無難です。

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●御幸橋

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愛知川を渡ると、愛知川の宿場町です。

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街灯が近江商人の列。

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●明治天皇の碑

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●竹平

市田太郎兵衛邸で小休される前に休んだ竹平ですね。

料亭です…
入りたいな。

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愛知川のマンホールはびんてまりです。

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瓶の中にてまりが入っているかわいい置物。
縁起物でお値段も高いです。

どこも営業時間外なのか、お休みなのか、見れませんでした。
愛知川の駅まで行くと見れるようです。

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●第65次の愛知川宿

とうちゃーく。

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広重画は愛知川を渡っていますね。絵にはむちんばし橋銭いらず…の道標。
昔は橋を渡るのにお金が必要だったそうですよ。

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隣にある黒ポストは、明治4年のものと古く、ポストとして機能しています。

近江商人の町。
なかなかおもしろかったです。

*旅をふりかえって
景色もお天気もコロコロ変わった区間でした。

途中、雨がぱらついてきたので、ザックにカバーをかけ一服。

お天気も一期一会ですね。
東と西の近江では、空の顔色もコロコロ変わって面白い。

人の心もそうですが、
空もいつもお天気がいいわけではありません。
私が天気に合わせていくように、
自分以外の誰かに合わせるのも、お天気に対応するよう、天気の様に自然に合わせられるといいですね。雨が降るから傘を持つ。かんかん照りになるから帽子をかぶる感じで。


「合わせてあげている」とか「人に合わすの嫌い」などの慢心じゃなくて…。
人は人の間で生きてますから、時には苦手な人もいるし、自分以外の誰かに合わせる時も必要かな。

■走る旅:東海道&中山道 [6]義経元服池~武佐宿 #ランニング

京都三条大橋から、お江戸日本橋まで。
東海道&中山道69次。

江戸時代の人は、江戸から京都までの135里34町余(約540 km)㎞を歩いていたそうです。

出張や用事に合わせるので、順番通りにはいきませんが、
西から東へ。自分の脚で一本の道をつなげてみよう。

今回は、守山宿から高宮宿を目指しておおよそ40㎞の旅。

守山駅→守山宿~からスタートし、
10㎞先にある竜王町の義経元服池までやってきました。

ここから武佐宿めざして出発です。
今回40㎞の旅の中で、一番ワクワクした区間でしたよ。

東海道が太平洋の海岸沿いを通るので「海道」
対して中山道は、東の山中を通過するので「中山道」
東海道とともに日本の二大幹線道で、中山道は近世以前から「東山道」と呼ばれ
西国と東国を結ぶ主要道でした。

▼中山道:
江戸・日本橋~東海道・草津宿の67継立(67次)
草津宿と大津宿を含めて69次という場合もある。
このログ上では、69次135里24丁8間(約540km)で表記します。

■義経元服池~武佐宿(10㎞)

●竜王町道の駅・かがみの里前にある義経元服池

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牛若丸は鞍馬山から陸奥国平泉へ向かう東下りの鏡の宿という場で
元服池の水を汲んできて、前髪を落として義経と名乗ったそう。

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●鏡神社

元服池から東へ進んでいくと、鏡神社があります。

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義経が参拝する際に烏帽子をかけた松。

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祓戸ノ神。
穢れ(気が枯れる。怒・苦・憂・悲・怖→病気を引き起こす感情)を祓う神として、
神社境内の入口付近に祀られることが多い。いろんな神社にあります。
本殿へ行く前に、祓戸でお清め。

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奥にある、新羅国王子天日槍(あめのひほこ)をまつる本殿は、室町時代に建てられました。

【鏡神社の御祭神】
●天日槍尊(あめのひぼこのみこと)  
わが国に渡来文化や技術を育み広めた祖神(おやがみ)

●天津彦根命(あまつひこねのみこと)  
国造りの大神にて産業開発や農耕商業繁栄の祖神(おやがみ)

●天目一箇神(あめのまひとつのかみ)  
天津彦根命の御子にて金属加工や鍛冶など匠の神
の三柱が本殿に祭られている。(古事記、日本書紀に記される神々にて主祭神の納める日鏡から地名を「鏡」とした)

【鏡神社の御利益】
三柱の神々は、町おこし、国つくりなど行政文化の発展、諸産業の技術向上、農耕商工業繁盛など、諸々の生業(なりわい)繁栄にご利益があるとされる。
また、平安時代の武将 源義経が当地で元服して源氏の再興と武運長久を祈願したことから武術学業の向上、開運成就、家系繁栄にも御利益がある。

なるほど!こんなに豪華な神様がいらっしゃれば、近江は商いが盛んだったことに納得です。

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明神系の反った鳥居。中国系の鳥居です。
鏡神社でお参りをしたら、『勇気』をいただいたような感覚。

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●鏡の宿本陣

鏡神社からすぐ先に鏡の宿・本陣跡があります。


色んなガイドブックで見ると、お隣の家が映り込んでいるので
まだ建物があるのかな…と思っていたら空き地でした。

守山宿から武佐宿までは14㎞と長いので、途中で鏡の宿がもうけられました。
ここで参勤交代のお侍さんや旅人が疲れを癒していたのですね。
途中でもうけられた陣なのに、
たくさんあって結構立派だったんだなぁ…と想像できます。

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●源義経が宿泊した館跡

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●旅籠

旅籠とは、旅人を宿泊させ、食事を提供することを業とする日本の家のこと。
昔は、交通手段が自分の脚や動物の脚だったんで、
旅籠のような宿泊所はとても必要な場所だったんだろうな。

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こちらも旅籠跡。

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●古い道標

古い道標とけっこう出会います。

上を見てると見落としてしまいそう。

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下を向いて歩こう(笑)
これも見落としそう…

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西横関から日野川にかけては滋賀ならではの風景。田園が広がります。

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ほっこりするなぁ。

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いのしし防止のゲートを開けて入ります。

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ちょっと怖い。道あるのか?合っているのか?

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国道8号線沿いに出ましたが、国道にはいきません。
中山道は、迂回します。

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日野川を横に…。

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ほんま道が正解なのか不安になります

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●横関渡し場跡 内・武佐

正解でした!

横関渡し場跡が残っています。
旅人よ!ベンチに座って、一服していたのかー。

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絵師安藤広重(のち歌川広重)はあえて、東横関村を武佐としたようです。


絵の通り、平常旅人はこの川を船で渡り水量が減ると川に杭を打って止めた
ふたつの船の上を橋にして渡っていたようです。

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東横関から近江八幡までも、滋賀ならではの風景。
故郷福井に似ています。

金色に輝く麦畑が一面に広がります。

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綺麗!

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田植えが終わって、これから育つ稲。
どこまでも広い!滋賀!!

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でかい楠木発見。
一里塚なんだろうか…と思ったけれど、違いました。

※一里塚(いちりづか)とは:
旅行者の目印として大きな道路(街道)の側に1里(約3.927キロメートル)毎に設置した塚(土盛り)のこと。

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●伊庭家の楠木

近くに寄って案内板を見たら、伊庭家の楠木とか。


伊庭貞剛(いばていごう)の生家。
別子銅山の環境問題に取り組み、住友中興の祖と言われた人。
周りは、いばeco広場。

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●近江鉄道・武佐駅

ロマンあふれる駅舎です。

宿場町の雰囲気にぴったりです。

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●愛宕灯篭と高札場

愛宕灯篭の横は、高札場だそうです。

宿場町なので、いろんなおきてが書かれていたんですね。

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●古い道標

伊勢や八日市にもつながっているようです。
「熊野に三度、伊勢に七度、愛宕さんには月参り」の
参道なんでしょうね。

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●旅籠屋(はたごや)

旅人が宿泊した旅館。
町内にたった1つだけ残っているんですって。

ちなみに、武佐宿あたりは、武佐小学校卒業生がいたるところに手作りの案内板を出してくれているので、街を走行していても楽しいです。

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●武佐宿道標

東京まで、あと460㎞。→たぶんもっと距離あるだろうけれど…

第66次武佐宿です。

(写真は第67番となっているのは何だろう…東海道五拾三次と中山道六拾七次の違いかな。)

近くに本陣もありますが、カメラにおさめきれないくらい横長で、
あきらめました。

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武佐宿は、象が通った道。
8代将軍徳川吉宗に献上する象を、長崎から江戸へ運ぶ途中、
武佐宿で1泊したそう。

象も献上されるのに、この長い道のりを大変だっただろうな。
で、吉宗は象を飼っていたんだろうか…

享保13年(1728)6月7日、広南(いまのベトナム)から、中国の貿易商鄭大成が長崎に、牡牝(オスメス)2頭の象をつれてきた。
牡は7才、牝は5才であったが、牝は上陸3ヶ月後の9月11日に死亡した。
牡は長崎の十善寺にて飼育され、翌年の5月に江戸将軍家に献上されることになった。

『通航一覧』より
*旅をふりかえって
この旅をスタートさせたときは、通り過ぎていた史跡や遺構にも少しずつ気付くようになって、
なぜだろう?これはなんなんだろう?と疑問がわくようになりました。


最初は一里塚前を通っても気にもとまらなかったけれど、
ある時「一里塚って何だろう?」と疑問がわき、
意味を知ったら、一里塚を気にしながら走行するようになっていた。


最初は前に進むことばかり考えて、未来ばかり見ていたけれど
未知の場所だから、今に集中しないと前に進めないことも分かった。
未来ばかり見ているときって、今に集中していない時なのかもしれません。
あくまで個人的な思考です。


〝私たちが生きる場所は、過去にも未来にもありません。
いつだって「今ここ」にしかないのです。〟


中山道を走行するのは、禅なんだなぁ…と感じます。
気付きを感謝です。

2020年6月22日 (月)

■走る旅:中山道 [5]守山駅~守山宿~竜王町・義経元服池 #ランニング

京都三条大橋から、お江戸日本橋まで。
東海道&中山道69次。

江戸時代の人は江戸から京都までの135里34町余(約540km)㎞を二週間程度で歩いていたそうです。

出張や用事に合わせるので、
順番通りにはいきませんが、

西から東へ。自分の脚で一本の道をつなげてみよう。


「京発ち守山泊まり」と言われ、京都からおおよそ31㎞の守山宿は、
女性の1泊目の宿として利用されたそうです。
今回は、守山宿から高宮宿を目指しておおよそ40㎞の旅、出発です。

東海道が太平洋の海岸沿いを通るので「海道」
対して中山道は、東の山中を通過するので「中山道」
東海道とともに日本の二大幹線道で、中山道は近世以前から「東山道」と呼ばれ
西国と東国を結ぶ主要道でした。

▼中山道:
江戸・日本橋~東海道・草津宿の67継立(67次)
草津宿と大津宿を含めて69次という場合もある。
このログ上では、69次135里24丁8間(約540km)で表記します。

■守山駅(約2㎞)~守山宿~竜王町・義経元服池(約10㎞)

南草津~守山宿までの続きです。

JR守山駅から2㎞ほどで中山道に合流します。

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ほたる橋を渡ると、すぐ中山道。

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前回は益須寺(やすでら)跡まで行きましたので、
吉身西交差点から中山道に入ります。


●吉身西交差点からスタート

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東近江が飛び出し坊やのルーツらしく、
いたるところに色んな飛び出し坊やが
飛び出そうとしています。

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このあたりの中山道は狭く、結構車も飛ばしてくるので、
注意して走行しなければなりません。

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慈眼寺前。

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●中山道・高札場所

高札場所とは、おきてを板に書いてかかげたやぐらのことだそうです。


家は直線に並列せずに一戸毎に段違いの稲妻型の道路。
これはこのあたりの治安を守る工夫だったとか。

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●益須寺(やすでら)

前回はここまで来ました。

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●野洲川橋

野洲川を渡ります。

野洲川を渡ると寒さが増すそうです。
野洲川の東では雪でも、西では雨になる…。

これは、伊吹山の存在があるからなんでしょうかね。

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野洲川橋から東海道本線と三上山。
ここから三上山(近江富士)に行ってしまいそうになります(笑)

野洲川は、琵琶湖へと続きます。
三上山麓を過ぎると天井川となり、
八つの洲に分かれるので八洲川とも呼ばれたそうです。

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●十輪院と常夜灯

朝だから明るいですが、このあたりは夜になると真っ暗なんでしょうね。
昔は、灯篭のあかりが頼りですね。


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●十輪院前の石仏群


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●玉の春・宇野勝酒造

うーん。お酒を飲みたい!

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●蓮照寺

お寺の前に貼ってある言葉は、
夏至であった昨日、自分が書いたBLOG記事にリンクしていて、

おもわず頷いてしまった。

〝慢心によって鬼になり、信心によって人となる〟
夏は慢心になりやすいので、気を付けよう。

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●唯心寺

藁ぶき屋根の唯心寺。

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唯心寺②藁ぶき。
おもむきがあります。

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●背比べ地蔵

小さいほうの地蔵と子供の背を比べて我が子の発育を祈ったとか。

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●行畑

左、朝鮮人街道。

右、中山道。

中山道と朝鮮人街道の分岐は人が行きかう地点という意味で
行合(ゆきあい)、中畑(なかばたけ)を合体させて
行畑(ゆきはた)という地名。

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朝鮮人街道のほうへ行くと、JR野洲駅ですが、
武佐宿めざしで走ります。

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飛び出し坊やの絵のタッチが変わりましたね。

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道が細いので、車に注意です。

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●さくらばさまこども幼稚園

桜生(さくらばさま)地区。幼稚園前なので、飛び出し坊やもたくさん。

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さくらばさまこども…
ばあさまとこどもの幼稚園みたい。

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●桜生史跡公園

甲山古墳と円山古墳、天王山古墳があります。

中山道はその横を通ります。

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●篠原神社

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●家棟川と隧道(ずいどう)だった場所

かつての様子が手前の写真。

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さらに進んで…
常夜灯。
このあたりも家棟川だったみたいです。

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●西池篠原堤

かなり古い池だそう。
反対側を走行しているので見えない。
ガイドマップによると、この斜面から落ちる人が多いとか。

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間違って国道を走行してしまいそうですが、中山道へ。

この区間は、案内があるところと無いところがあって、
難易度が高いです。

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●平宗盛の再終焉地

東池を過ぎたら、中山道をそれて山のほうへ…

ひっそりと源義経に討伐された平宗盛の再終焉地があります。

平宗盛は、源平合戦敗軍の将として鎌倉で源の頼朝に会った後
もうあと少しで京都…というこの地で処刑されました。

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お写真とってもいいですか?と聞いたら、いいよ!って言ったような感じがしたので
手を合わせ、お写真を頂戴しました。

首は京都へ…
胴はここにまつられているそうです。

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平清盛と子供の清宗を処刑した時の首を洗った池。

この塚の隣にあった池かな。
カエルも鳴かなくなってしまったという言い伝えが。

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●道の駅かかみの里市場

平宗盛の再終焉地を過ぎると、道の駅かがみの里市場です。

地元の野菜や手作りパンが売られています。
レストランもありましたが、時間が早すぎて営業していませんでした。
ここはお食事処&トイレスポットです。
ありがたいです。

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●源義経元服池

道の駅かがみの里市場を先に進んで陸橋を市場と逆側に渡ったら、

かがみの里市場のほうへ戻ります。
源義経元服池があります。

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牛若丸は鞍馬山から陸奥国平泉へ向かう

東下りの鏡の宿という場で
この池の水を汲んできて、前髪を落として義経と名乗ったそう。

竜王あたりは、源義経にまつわる史跡がこの先もたくさんです。

40㎞の旅、まだまだ10㎞地点です。
ゆっくりゆっくりログしていきたいと思います。

*旅を振り返って
一歩一歩前に進む…
自分の体を使って、感覚が生まれる。
目・耳・鼻・口・肌にこれまで以上に意識を向ける。

時間帯によって
空の色も天気も
街の光も木々の緑や流れる川の色も違って見える。

目を開いて視覚をフルに使う。
この瞬間、世界は輝いてるよー…ほんまありがたい。

感覚を使って、いろんなことを感じると、
自分はすでに、これまでとは違う新しい人生を生きている。。。人は常に新しくなっている。
そんなメッセージを受けました。
諸行無常です。

よき旅です。

感謝。

2020年6月21日 (日)

■夏です

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夏至とは:

日の出から日の入りまでの時間がもっとも長い日が夏至。
いつが夏至かは天文学的に決まり、毎年、6月21日か22日。

この日を境に、だんだんと日が短くなっていく。
ちなみに、夏至という日本での名前は、二十四節気(にじゅうしせっき)という中国の古い暦からきている。

春分を中心として立春から立夏までが春、
夏至を中心として立夏から立秋までが夏、
秋分を中心として立秋から立冬までが秋、
冬至を中心として立冬から立春までが冬となる。


今日は6月21日。夏至という暦の節目。父の日。部分月食と盛りだくさんな日。
どんな1日を過ごされますか?

もしくは過ごされましたか?

夏至を境にどんどん夏めいて行きます。


良くも悪くもパワフルに加速がつきエネルギーが最も大きくなる夏。
エネルギッシュで、慢になりやすい季節ですが、
昔の暦でいえば、秋への準備も必要ということを忘れずに。
冷静に自分と向き合い、1歩1歩…歩み出す時のいろんな感覚を大切に過ごしたいと思います。

慢とは:

(まん)おこたる・あなどる/他を軽んじて自らをよしとする。たかぶる。「慢心・傲慢(ごうまん)・我慢・自慢・驕慢(きょうまん)・高慢・暴慢」

そんなことを頭に入れ、夏を迎えたいと思います。



みなさんはどんな夏を過ごしますか。

2020年6月20日 (土)

■あのキャラクターの正体にびっくり!

職場の帰り道。
いつもなら帰宅ランをするのだが、
脚と身体を休めたいために、普段歩かない場所を歩いてみた。


歩くという字は、〝少し止まる〟という字でできている。


なるほど、走っていると全く気付かないことにも
歩いていると目が留まり、
すぐに足を止めることができる。


何かに気付けるスピードって、あるものなんだなぁ。

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駅前交通広場で、ドンゴロス風車と吹田くわいのモニュメント発見。

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南吹田市は昔、神崎川の豊かな水の資源を活かした水路があり、
初夏には水辺で吹田くわいが白い花を咲かせていたそう。

ドンゴロス風車は羽にドンゴロス(麻布)を張った風車で風を受けて揚水ポンプを動かし、
水路から田へと水をくみ上げ田園の営みを支えていたもの。

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初夏の水辺をイメージなのか、
これが、くわいの花みたい。

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くわい…といえば、
お正月にしか見たことないけれど
吹田で花を咲かせていただなんて…


気付きはまなび。
今まで気づかなかったことに、気付くときは、
スピードをゆるめている時なのかもしれない。


なんと、吹田市のキャラクター「すいたん」は、くわいだったのか。。。
そんなことに気付いた日。

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2020年6月19日 (金)

■最強おいしい!たこ焼きピザの作り方

今までこさえた薄揚げピザの中で、最強においしかった創作料理。
その名も「たこ焼きピザ」

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シェアしたいと思います。
糖質制限中の方は、ソースをロカボモノに変えると良いと思います

糖質制限していない私は、オリバーソースです(笑)
薄揚げが生地なので、わりと糖質を押さえられます。
タコは高たんぱく!栄養価も高いですよ。

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【作り方】

[準備するもの]
・ゆでだこ
・小口ネギ
・紅ショウガ
・マヨネーズ
・たこ焼きソース
・とろけるチーズ
・青のり


①ゆでだこを一口大に切っておきます。
少し、オーブンで火を通すと水分が飛びます。
水分が気にならない方はそのまま使います。

②ねぎは小口に切っておきます。

③薄上げはお湯で洗って油抜きをし、キッチンペーパーで水をよく拭き取ります。
水を切った薄上げはオーブンで、両面を軽く焼きます。

③に①を乗せ、紅ショウガと小口ネギを乗せたら、適量のマヨネーズとたこ焼きソースをかけ、30秒から1分様子を見ながら焼きます。

④③にとろけるチーズをのせ、チーズに焦げ目がつくまで焼きます。
出来上がったら青のりを振ります。


⑤おいしいお酒と食べてみてください!

■【走る旅】東海道&中山道 [4]:南草津~守山宿~守山駅 #ランニング

■走る旅:京都三条大橋~髭茶屋追分~大津宿~膳所~草津宿~守山宿

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〝人間一生 物見遊山…〟

これは江戸っ子の人生観を表す言葉。

生まれてきたのは、この世をあちこち寄り道しながら見物するためであり、
せいぜいあちこち見て、
見聞を広めて友だちを増やし、
死んでいけばいい…と考えていました。
わたしはこの言葉が好きで、自分もそうしたいと思っています。


京都三条大橋から、お江戸日本橋まで
東海道&中山道69次。
江戸時代の人は、江戸から京都までの135里34町余(約540km)㎞を歩いていたそうです。

出張や用事に合わせるので
宿場の順番通りにはいきませんが、西から東へ。
自分の脚で走って一本の道をつなげてみようと、旅をしています。

東海道が太平洋の海岸沿いを通るので「海道」
対して中山道は、東の山中を通過するので「中山道」
東海道とともに日本の二大幹線道で、中山道は近世以前から「東山道」と呼ばれ西国と東国を結ぶ主要道でした。

▼中山道:
江戸・日本橋~東海道・草津宿の67継立(67次)
草津宿と大津宿を含めて69次という場合もあるので、このログ上では、
69次135里24丁8間(約540km)で表記します。


京都三条大橋から旧東海道を走って、いよいよ中山道に入ります。

■南草津~守山宿(9.1㎞)~守山駅(2㎞)

瀬田唐橋を渡り…南草津までの続きです。

●矢倉橋

矢倉橋で新草津川(もう一本奥に旧草津川があります)を渡ります。

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南草津駅あたりを超え、草津駅までは、商店街や街並みがいい感じです。

古着屋さんにかわいい着物があって、その横におばあちゃんが座っていて、
ほっこりな感じに引き寄せられ店に入りたかった。

草津駅近くにある太田酒造は、京都の山のお師匠さんのおススメ酒屋。
ここで一杯飲めなかったのが心残りです。
太田酒造は、江戸城を築城した、太田道灌に繋がるそうで「道灌」という酒も造っていたそうです。

(この日のマイルールは、店に入らないと決めていたんで、
全国的に県の往来解除になったら、また来ようと思います)

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●古い道標

右東海道…という石造り道標。

天明7年(1787年)と記されていて、道標の中では一番古いものだそうです。

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●草津宿・本陣

草津宿は、中山道と東海道が合流する大規模な宿場町で、
最盛期には100軒を超える旅籠があったようです。

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草津宿。
このあたりで、参勤交代の大名や一般行者の旅人や牛が休んでいたのかな。

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籠の中の人。
天井からさがる紐をしっかり握りしめ、揺れに耐えてますね。
茶屋の中にはくつろぐ人。

人が行き交う街だったんですね。

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これは、行きかう人のイメージ?

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●草津宿が東海道と中山道の分かれ道

右東海道みち
左中山道

右に行ったら太平洋側で、五十三次です。
左に行ったら、山の中です。

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中山道の中間点に用事があるので、分岐から中山道に入ります。

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●高札場
レプリカだそうで、何が書いてあるのかよくわかりません。
治安を守るための細かいルールが書かれてあるそうですが。

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すんごく小さなトンネルをくぐる中山道。
ルートがあっているのか不安になります。

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●疫病の神様・牛頭天王信仰の大宝神社

大宝公園のなかに、松尾芭蕉の歌碑があります。

「へそむらのまだ麦青し春のくれ」

ずっと旅をしてきたが、ここ綣村(へそむら)の麦はまだ青い。
種まきが遅れたのか、春も暮れようとしているのに。

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北陸を旅してきた後に詠んだ句とか。

私の記憶では、春が暮れようとする頃の北陸は、もう麦が金色に輝いていたと思う。
五月くらいにこの地の麦畑が見たいです。

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栗東駅周辺は綣(へそ)という地名というのも、面白い。
変わった地名。

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●今里一里塚

一里塚(いちりづか)は、旅行者の目印として大きな道路(街道)の側に1里(約3.927キロメートル)毎に設置した塚(土盛り)のこと。


128里…
東京日本橋まではあと502.691㎞。

ゆっくり行きましょう。

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●守山宿本陣

いよいよ今回のゴール守山宿。

京都三条大橋からは32㎞程度です。

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旅籠が30軒、
本陣2件、
脇本陣1件と、にぎやかな宿場町だったようで、

今も、インスタ映えなスイーツが食べれるカフェやおしゃれなお店が並びます。
今回映えなお店に入れなかったのが心残り。

飛び出し坊やのトビタ君発祥の地だそうでグッズがいっぱい販売されています。

次の機会だな!お店によろう。

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守山宿から駅までは2㎞程度で、
ゲンジボタルの生息地を通ってJR守山駅に着けます。
(約33㎞・いろいろ回ったんで36㎞)


このゲンジボタルは水戸津川蛍と言われ天然記念物で、
明治35年からは天皇陛下に献上されているとか。
夜に来ると、ロマンティックなんでしょうね。

宿場町、残っていきますように。


自分の脚でいろんな土地を踏ませていただくと、
日本は素晴らしいところがいっぱいだと

あらためて国土の良さを実感できます。

すごくよい時間を過ごさせていただきました。
感謝。

*旅を振り返って
自分の脚で守山まで。
昔は、女性の1人旅だなんて、危険がいっぱいだったのだろうと思います。

しかし、道は整備され、安全もだいぶん確保され、よい時代になりました。
いにしえを生きた人たちのおかげでしょう。

ありがたいなと思った旅でした。



■【走る旅】東海道&中山道 [3]:膳所~南草津 #ランニング

■走る旅:京都三条大橋~髭茶屋追分~大津宿~膳所~草津宿~守山宿

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〝人間一生 物見遊山…〟

これは江戸っ子の人生観を表す言葉。

生まれてきたのは、この世をあちこち寄り道しながら見物するためであり、
せいぜいあちこち見て、
見聞を広めて友だちを増やし、
死んでいけばいい…と考えていました。
わたしはこの言葉が好きで、自分もそうしたいと思っています。


京都三条大橋から、お江戸日本橋まで
東海道&中山道69次。
江戸時代の人は、江戸から京都までの135里34町余(約540km)㎞を歩いていたそうです。

出張や用事に合わせるので
宿場の順番通りにはいきませんが、西から東へ。
自分の脚で走って一本の道をつなげてみようと、旅をしています。

東海道が太平洋の海岸沿いを通るので「海道」
対して中山道は、東の山中を通過するので「中山道」
東海道とともに日本の二大幹線道で、中山道は近世以前から「東山道」と呼ばれ西国と東国を結ぶ主要道でした。

▼中山道:
江戸・日本橋~東海道・草津宿の67継立(67次)
草津宿と大津宿を含めて69次という場合もあるので、このログ上では、
69次135里24丁8間(約540km)で表記します。


出張や用事に合わせるので、
順番通りにはいきませんが、
西から東へ。自分の脚で一本の道をつなげてみよう。


京都三条大橋から旧東海道を走って、いよいよ中山道入り口手前まで。

■膳所~南草津(9.1㎞)

●瀬田の大橋

いよいよ瀬田川を渡ります。

ビワイチの終起点でもある瀬田唐橋です。

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全長223.7mです。

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ネギ帽子みたいな形の擬宝珠を備えたデザインが「唐風」だから唐橋といわれるという説。

瀬田の橋を征する者は天下を征するといわれ、
何度も戦火に巻き込まれたんだそうです。


昔、藤原秀郷(ふじわらひでさと・佐藤太)が橋を渡ろうとしたときに、
瀬田川の龍が三上山の大ムカデに困っているから退治してほしいと頼まれたそう。


個人的な感覚ですが、何度も戦火に巻き込まれてもずっと残り続けている唐橋は、
瀬田川の龍が守ってくれているのかもしれません。

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琵琶湖の向こうに見えるは比良山系。

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●建部神社

瀬田唐橋を渡るとすぐに建部神社(たけべじんじゃ)

ここは日本武尊を建部大神として祀っています。
ルートからは少しそれますが、割と近いので、強いパワーを感じに行くのもよいですよね。

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●ねこ

旧東海道に戻ると、ねこ。

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●月輪一里塚

ねこから2㎞くらいで、月輪一里塚・131里。
1里が3.92727㎞なので、131をかけると。。。

この先日本橋まで514.473㎞なのか。。。気が遠い。
母を訪ねて三千里のマルコは偉いなぁ。

一里塚とは、旅人の目印として、大きな道路の側に1里(3.92727㎞)毎に設置した土盛りの塚のこと。
木を植えたり、標識を立てたりしています。

月輪一里塚というだけあって、
近くに月輪寺という寺があります。


ここで終われば、すぐJR瀬田駅です。が、がんばって走ります。

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●弁天池

月輪一里塚から3㎞走ると、弁天池。

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江戸時代の盗賊・日本左衛門が逃げ隠れして、橋の向こうの弁天島に住んでいたとか。

島は弁財天がまつられています。

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逢坂山を下りた時も感じましたが、
大津に入った瞬間、空が開けるというか、視野が広くなるというか、

解放感いっぱいになります。
弁天池と空を見ると、何もかも手放して開放された気持ちになります。

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●平清宗の首塚

弁天池から1㎞。

平清宗の首塚があります。
平清盛の孫で、源平合戦で都落ちし、壇ノ浦合戦でとらえられ
首を切られた。

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遠藤さんという人の敷地らしいので、塀の外から覗きます。

おそらく、大津から草津のあたりが一番寺社仏閣が多いし、
何といっても近江商人の街で、いろんなお店や工場の跡もあるので、
もっとゆっくり立ち寄りたい区間でした。
50m~100mおきに史跡があるけど、
走っているから、予習していった10分の1も止まれませんでした。歩きにこよう!


いよいよ次は中山道に入ります。

*旅を振り返って
史跡や遺構が多い区間。
もっと立ち止まって歴史ロマンを感じたかった。

もっと〇〇しておけばよかった…という後悔が無いように、今を大切にしなければならないと思った。

そのためにも、もう少し距離は短く、立ち止まれる時間配分も今後課題になってくるでしょう。

2020年6月18日 (木)

■【走る旅】東海道&中山道 [2]:髭茶屋追分~膳所 #ランニング

■走る旅:京都三条大橋~髭茶屋追分~大津宿~膳所~草津宿~守山宿

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〝人間一生 物見遊山…〟

これは江戸っ子の人生観を表す言葉。

生まれてきたのは、この世をあちこち寄り道しながら見物するためであり、
せいぜいあちこち見て、
見聞を広めて友だちを増やし、
死んでいけばいい…と考えていました。
わたしはこの言葉が好きで、自分もそうしたいと思っています。


京都三条大橋から、お江戸日本橋まで
東海道&中山道69次。
江戸時代の人は、江戸から京都までの135里34町余(約540km)㎞を歩いていたそうです。

出張や用事に合わせるので
宿場の順番通りにはいきませんが、西から東へ。
自分の脚で走って一本の道をつなげてみようと、旅をしています。

東海道が太平洋の海岸沿いを通るので「海道」
対して中山道は、東の山中を通過するので「中山道」
東海道とともに日本の二大幹線道で、中山道は近世以前から「東山道」と呼ばれ西国と東国を結ぶ主要道でした。

▼中山道:
江戸・日本橋~東海道・草津宿の67継立(67次)
草津宿と大津宿を含めて69次という場合もあるので、このログ上では、
69次135里24丁8間(約540km)で表記します。


京都三条大橋から守山宿までのルートは33㎞。
ルートから外れ、歴史的スポットに立ち寄ったので全行程は36㎞でした。

夏場はきついので、もう少し距離を短くして余裕を持ったほうが良いと感じました。
水分補給と熱対策はしっかりです。

■髭茶屋追分~膳所(8㎞)

京都三条大橋から髭茶屋追分までの記事の続きです。

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●逢坂の関

1つ目の峠である九度山(東山)を越え、
山科を行けば…次に待つのは逢坂山!

逢坂山の峠越えです。

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上り坂あたりの家屋には、
厄除けちまきが軒先に下がっています。

まだ京都に居るんやなぁ…と、
先行きの長い道のりを思い起こさせます。

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●片岡庄兵衛の碑

逢坂山を登りかかったところに、

大津算盤の始祖・片岡庄兵衛の碑があります。

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拝んだら、計算が早くなるかな。

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●大谷茶屋

旧東海道は1号線沿いではなく、大谷駅の線路を渡った裏手になるので、

大谷駅手前の歩道橋を渡ります。

ウナギがおいしいと有名な大谷茶屋。
ここでウナギが食べれなかったのが心残り。
自粛がゆるく解禁になったので、県外ナンバーの車もちらほら停まっていました。

看板には、蝉丸の有名な歌。

〝これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関〟
[これがあの、東国へ行く人も都へ帰る人もここで別れ、また、知っている人も知らない人もここで会うという逢坂の関です。]


逢坂山とは、日本書紀にでてくるのですが、
武内宿禰(たけのうちすくね)と忍熊王(おしくまおう)の両軍が
出逢ったことにちなんでつけられたんだそうです。


大谷駅のあたりに茶屋が並ぶのは、
昔、行きかう人の心やお腹を満たす茶屋の名残でしょうか。

いつかゆっくり歴史ロマンに浸りながらウナギを食べたいです。

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●蝉丸神社

大谷駅を過ぎると蝉丸をまつった蝉丸神社上社です。

なんと逢坂山を下るまで、本社、下社と続き、
逢坂山は蝉丸一色です。
歌の神様なんだそうですよ。

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蝉丸の歌碑。

他、逢坂にちなんだ歌。

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〝名にし負はば 逢坂山の さねかづら 人に知られで くるよしもがな 三条右大臣〟

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〝夜をこめて 鳥の空音は 謀るとも よに逢坂の 関は許さじ 清少納言〟

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●大津宿・大津走井茶店

走井とは清水が走るように勢いよく湧き出す井戸のこと。

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走井餅で有名なお店跡。
走井からあふれる水は、旅人を癒していたんでしょうね。

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逢坂の関所です。

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逢坂の関の東海道の地形は、
地形図を見ると等高線がギュウギュウに詰まっている場所。

その間を等高線に沿って綺麗にカーブしている東海道に感動します。

山を走るわけでもなく、琵琶湖が見えるわけでもなく、
感覚としてはひたすら内陸を走る感じですが、
昔の人は海や山の嵐に合わないように、安全に楽に街道を行き来できるように山の中(間)に道路をこさえてくれたんだな…感謝の念がわきました。

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逢坂山安養寺を過ぎると、いよいよ大津の街です。

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東海道を、奥からクロネコヤマ〇さんが牛車でなく、荷物を引いてやってくるのがいい感じ。

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●石座神社

石座神社(いわいじんじゃ)天智天皇がおまつりされています。
天智天皇だけに、時計の彫刻が刻まれていました。
紫陽花が綺麗です。

まだ16㎞程度ですが、
暑さと峠越え2つが、よほど疲れたんだろうと思います(笑)

またゆっくり歩きに来たいです。

さぁ!いよいよ瀬田川を越えて中山道に。

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*旅を振り返って
自分の脚で県境を越えるってなんだかワクワクします。

今までの自分を超えるみたいな…そんな感覚。

電車や車、自転車など。機械を使ってたどり着いたわけではない。自分の脚でたどり着いたのです。

いつまでも、自分の脚で行きたいところへ行けるように、ほどよいトレーニングと身体をケアすることを大切にしたいな。

■【走る旅】東海道&中山道 [1]:京都三条大橋~髭茶屋追分 #ランニング

■走る旅:京都三条大橋~髭茶屋追分~大津宿~膳所~草津宿~守山宿

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〝人間一生 物見遊山…〟

これは江戸っ子の人生観を表す言葉。

生まれてきたのは、この世をあちこち寄り道しながら見物するためであり、
せいぜいあちこち見て、
見聞を広めて友だちを増やし、
死んでいけばいい…と考えていました。
わたしはこの言葉が好きで、自分もそうしたいと思っています。


京都三条大橋から、お江戸日本橋まで
東海道&中山道69次。
江戸時代の人は、江戸から京都までの135里34町余(約540km)㎞を歩いていたそうです。

出張や用事に合わせるので
宿場の順番通りにはいきませんが、西から東へ。
自分の脚で走って一本の道をつなげてみようと、旅をしています。

東海道が太平洋の海岸沿いを通るので「海道」
対して中山道は、東の山中を通過するので「中山道」
東海道とともに日本の二大幹線道で、中山道は近世以前から「東山道」と呼ばれ西国と東国を結ぶ主要道でした。

▼中山道:
江戸・日本橋~東海道・草津宿の67継立(67次)
草津宿と大津宿を含めて69次という場合もあるので、このログ上では、
69次135里24丁8間(約540km)で表記します。


コロナの様子を見ながら、感染予防して
〝うつさない・うつらない〟の心がけをし、

京都三条大橋から守山宿までのルートは33㎞。
ルートから外れ、歴史的スポットに立ち寄ったので全行程は36㎞でした。

県境は峠を2つ越えていく…という道のり。
夏場はきついので、もう少し距離を短くして余裕を持ったほうが良いと感じました。

■京都三条大橋~髭茶屋追分(7.5㎞)

●弥次・喜多像

東海道五十三次スタート&ゴールのアイドル✨弥次さんと喜多さん前です。
日本橋から西に歩めば、大橋の弥次さん・喜多さんの像前で
誰もが感無量になり記念撮影をするという写真スポット!

なんと、お二人ににマスクが…。
ちょっと悲しいですが、これもこの時期限定と願いながら記念撮影してみました。

私は、京街道を経て京都まで。そして京都三条から中山道を利用してお江戸に向かいます。

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さぁ!スタートです。
お二人も、感染予防ですよ。

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●京都三条大橋

昔は、ビルも何もなくて、

京都トレイルが一望できたんでしょう。
八坂の五重塔も見えたようです。

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梅雨の晴れ間。

カラッとしていて風もあって気持ちよいです。
時はどんどん夏に向かっています。

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●三条大橋横の高山彦九郎像

江戸時代の思想家です。


京都御所のほうを向いて土下座しています。
東郷平八郎さん揮毫(きごう:字や絵をかくこと)の台座は1928年建立だとか。

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●坂本龍馬とお龍さんの結婚式場跡

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●粟田口刑場跡

蹴上から登っていく坂道には横断歩道があまり無いので、

左右どちらかを走行するかで立ち寄れるスポットが違ってきます。

私は、右を走行していたので、インクラインやレンガ造りのねじりまんぼは遠目に見ました。

九度山を登ったところに粟田口刑場跡。
江戸時代に張り付け・獄門、火刑が行われた場所。
なにげに恐ろしい坂道ですね。

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わさわさとしてこわい…

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今は穏やかな鴨川…はかつて…。

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●九度山近くの修路碑

漢文で書かれていますので難しくて読めません。

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旧東海道は右へ…

看板や道標はわりとありますが、
走っていると、見逃してしまいそうです。

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●天智天皇陵

途中、御陵(みささぎ)という地名のあたりで、五十三次のルートを外れ、

みささぎの語源になった京都で一番古い天智天皇陵へ。

ここは、飛鳥時代の乙巳の変・大化の改新のキーパーソン!
第38代天皇・天智天皇=中大兄皇子の御陵です。

中大兄皇子といえば…中臣鎌足とともに蘇我入鹿を討った方ですが、
天智天皇と呼ばれると、中大兄皇子とは本当に同一人物なのか???となっちゃいませんか。
私だけですかね。

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御陵までは、とても静かな道。
梅雨の晴れ間と雨の繰り返しごとに、木々が濃緑に変わってますね。
空気がおいしいです。

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歴史のキーパーソンとあって、静かなんだけれど力強いパワーを感じます。
お写真撮られてくださいと、お願いしました。

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●天智天皇の日時計

御陵前にあるのは、天皇が水時計をつくり時刻制度を定めたことにちなんで、

昭和13年6月に建立された垂直型日時計。

すごいです。
日時計は、時刻が腕時計とまぁまぁ時刻がぴったりでビックリしました。

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●五条分かれ道峠

山科駅に向かって走ると、
五条分かれ道峠発見。

右ハ三条通り
左ハ五条橋
ひがしに六条大佛
今熊
きよみず道。

西国三十三か所の巡礼路だったそうです。

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●車石

いたるところに車石が置かれています。

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車石とは、

昔の東海道の逢坂山峠と日ノ岡峠は、雨が降ると道がぬかるんでしまい
多くの物資を積んだ牛車にとっては通行が大変困難でした。
京都の心理学者『脇坂儀堂』は、1805年に一万両の工費で
京都三条大橋から大津にかけての約12㎞に牛舎専用通路として
わだちを刻んだ切石を敷き並べました。
わだちの中に車輪を入れることにより
牛車の通行が容易になりました。
この石を車石と呼んでいるそうです。

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●徳林庵の京都六地蔵

山科地蔵とも呼ばれる徳林庵の京都六地蔵。

町の方がお参りをされていました。

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穏やかなお顔は、急がなくていいよ…ゆっくりと行きなさいと言っているように見えました。

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※六地蔵抜けて、車石の説明板をすぎると、ここ注意!陸橋を渡ります。
陸橋からの車の流れはスピード感いっぱいで、息が止まりそうになります。

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●追分会館まえ

東海道と伏見街道(奈良街道)の分岐点だったそうです。
追分の名前は街道の分かれ道で、馬子を追い分けることから来たそうです。

石は車石でしょうかね。
わだちがちゃんと残ってますね。

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髭茶屋追分

ここが、追分の分岐点。


みぎハ京みち
ひだりはふしみみち

どちらも京…。2つ道が分かれているのは、
西国の大名を容易に朝廷に近付かせない策で二つに分岐させたそうです。

当時の様子がわかる、東海道五十三次の絵図が欲しくなりました。

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この分岐を背にして大津方面へと進みます。

ここまでで、京都三条大橋から髭茶屋追分。
おおよそ7.5㎞です。

すでにきついですが、逢坂山超えればもうすぐ大津。
がんばりましょう!

だいぶん予習して出かけたのですが、
たくさんの歴史スポットによりそびれましたので、実際は走るより歩くほうが

東海道五十三次を堪能できるんだと感じました。

旅を振り返って…
西の東海道を経て中山道へ。

スタートしたころは、ただ道を走る…距離を走る…という感じで、史跡や遺構の見方がよくわからずに通り過ぎてしまったところが多かったな。

人生も、日々の生活も同じで前に進む速度の緩急は必要。
時には立ち止まることも必要と思いました。

中山道69次を踏破したら、またゆっくりこのあたりを訪ねようと思います。