■[私が見つけた日本製]:岐阜 中津川・庶民による庶民のための地歌舞伎
■地の人が伝え続ける伝統芸能:地歌舞伎
中津川宿の方々と連絡をやり取りしているうちに、教えていただいた中津川の伝統。
市が私が宿泊する宿場を使って撮影をしていたので、その存在を知りました。
岐阜の中津川には、300年続く〝地歌舞伎〟という伝統文化があるそうです。
歌舞伎といえば、日本の伝統芸能の一つであり、ユネスコの無形文化遺産に登録されているのは有名です。
歌舞伎の起源は今から400年以上前、出雲の阿国という女性が始めた奇抜で斬新な〝かぶき踊り〟をしたことからで、300年前の江戸元禄期には現在の形ができました。
江戸や上方で盛んだった歌舞伎が、地方でも上演されるようになりどんどん全国各地に広がっていき、プロの役者に憧れた地方の人々は、芝居を見るだけでは飽き足らず、自ら演じて楽しむようになったのが〝地歌舞伎〟の始まりと言われます。
地歌舞伎は、農民たちが、自ら芝居小屋を建て歌舞伎を演じていたそうで…
昔から人は集って〝エンターテイメント〟な活動や時間が好きだったんだなぁ…と思います。
中津川に、今でも〝地歌舞伎〟が残るのは、中山道やその他の街道が交差する場であり、人・物・文化が流れ易かったこととなど、さまざまな説がありますが、地の人たちが歌舞伎が好きだったことや、好きなことに熱意があったからこそでは。
〝好きこそものの上手なれ〟と言いますもの。
地の人が次の世代につないできた伝統文化は、300年と言わず、この先も続いていくと良いなと思います。
今回は街道を行くことがメインで、地歌舞伎に触れることはできませんでしたが、
(話によれば芝居小屋まで片道30㎞位離れていて下呂方面へ行くとのことで…)
いつか地歌舞伎が観れたら良いな…と思います。
今回の日本製から教えていただいたこと。
〝好きこそものの上手なれ〟
江戸の歌舞伎を、自分たちの地のものとして親しみ続けてきた地歌舞伎。
私も自分なりのやり方で、身体を動かすことをずっと継続していきたいです。
■コロナ禍に思うエンターテイメントについて
コロナ禍でエンターテイメントな活動や業界が厳しいと言われますが、私たち人間は、集まってみな同じ空間で楽しむ娯楽を300年、いやいやもっと昔から親しんできました。
そんな日本人のDNAが、私たちの身体に組み込まれているので、今後、集まりや対面は無くなる…ディスプレイを見ながら個々で…
というように、ガラッと変わってしまう事はないと感じます。→根拠ないですけど…
演者から漂うエネルギーや、おひねりや歓声が飛んでくる雰囲気は、リアルならでは。
私たちは、そんな見えない〝リアルな気〟が大好きなんだと思います。
好きなことを続けるためには、なんとか工夫して乗り越えていきそう。
先日、うちのスタジオにお越しくださるお客様が人数制限や歓声を上げないことが徹底された中で行われたアーティストのコンサートへ行ってきたという話をキラキラしながら話していました。
うっとりしてとても幸せそうにお話しするのを聴いていて、
対面はいいなー
コンサートが終わって数日経過してもまだキラキラしているくらい、
エンターテイメントって心をこんなに動かされるんだなー
と改めて感じました。
わたしも感染予防して、エンターテイメントな世界に触れたい!自分の職業も〝リアルな気〟を大切にしたい!そんな課題ができました。
中津川の皆さん、素敵な日本を教えてくださってありがとうございます。
●私がみつけた日本製 記事→ https://kenko-support.lekumo.biz/junkosakata/madeinjapan/