■通天閣の今昔
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通天閣
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大阪のシンボル、通天閣。
明治45年(1912年)に生まれ、初代通天閣周辺にはルナパークが建設された。
日露戦争後、各企業が市場を拡大し国内の産業も発達して開催された内国勧業博覧会の跡地にでき、そのあたりは大阪の新名所になる様〝新世界〝と呼ばれるようになる。
初代通天閣は凱旋門とエッフェル塔を融合させた造り。
凱旋門の上にエッフェル塔がのっかっていて、まるであれもこれも皿に乗っかったお子様ランチの様。
ルナパークはブルックリンのコニーアイランド風のイメージで、渡来の流行神を祀るホワイトタワー(ビリケンさんのお堂もあったとか)、スケート場や遊戯機械(サークリングウェーブ)、鳥獣の檻、不思議館などのアトラクションがあった。
今では考えられないが、町中にロープウェイがかけられ…まさに夢の様…新しい世界だ。
そんな〝新世界〟にあった初代通天閣は、大東亜戦争時にタワー下にあった映画館から出火。その軍後事で使う鉄材となり解体。
令和に残る通天閣は昭和31年(1956年)生まれの二代目である。
今ははるかに〝ハルカス〟の方が存在感が大きい気もするが、歴史的に大きな存在の〝通天閣〟とその周辺。
時代の流とともに姿カタチは変わっても、残り続けて欲しい大阪のシンボル…。
毎週帰宅ランで通る通天閣を見ながら、歴史を回想しドボルザーク作曲の交響曲「新世界より」♬が頭の中で爆音で流れている今日この頃。