■10年
昨日は、東日本大震災、2011年3月11日から10年の日。
震災後、毎年 南三陸へ行っていた。
いつの間にか、行かなくなった。
でも、忘れたわけではない。
2016年の4月14日に熊本地震があり、後輩(かかわりのある人)が住んでいる町が被災し熊本へ…支援の場が変わった。
2018年には大阪北部地震があり、うちの店の壁などが割れ、被災者になったり…。
そして、そのうちコロナ禍になった。
正直なところ、実際に関わりのある人が被災した時や、自分が被災した場合、
時間も心も経済にも余裕がなければ、自分のことで一生懸命になるか、関わりのあるところまでしか手を差しのべることはできない。
考えてみればあれから10年というが、いろいろあったと振り返る。
当事者のお話、そして震災後に自ら命を絶たれお亡くなりになったご家族のお話は、10年たった今も涙が出てくる。
どんな言葉を並べても、当事者じゃないから語れない。
…どの言葉も嘘みたいになってしまうから、また南三陸へ行こう。
昨夜は、かかわりのある方と3.11の話などを。
あの時の南三陸や東北の話を振り返る。
毎年石巻から南三陸へと北上していた。
何かできないか…という思いと、ある学校の学生たちが運動したい!という気持ちを掛け合わせて始めた〝学生支援・震災支援〟
毎月、運動指導で学生さんから集まった参加費を全額「あしなが育英会」や「まごころサンタ基金・奨学金支援」に届けていた。
忘れないように…と10年間付け続けている「ガレキーホルダー」は
津波で流された瓦礫でつくったものだ。
東日本大震災がきっかけで、自分たちも何かあった時に声を掛け合えるコミュニティーを作ろうとスタジオ事業を手掛けるように。
スタジオも地震の時は大変だったな…。
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今日から、TVのワイドショーもニュースも3.11のことは取り上げなくなるだろう。
しかし、数年前に報道を担当してたある方が「3.11近くになって思い出したように震災のことを放送し、翌日には話題がコロッと変わるように見えるけど、私達も忘れたわけではない…」とおっしゃっていた。
誰もが、忘れたわけではない。
これからも…。