■松陰神社@東京 (2022.8月21日)
東京都世田谷区にある松陰神社。
前に参拝したのはいつだったのだろうか…と
BLOGを見返してみると
2008年の10月のことだった。
関連記事①2008年「松陰神社」
関連記事②2008年「松陰語録」
関連記事③2008年「吉田松陰について」
靖国神社へ行った脚で
14年ぶりに松陰神社へ立ち寄らせていただいた。
故郷・福井の橋本左内先生も
吉田松陰先生と同じ「安政の大獄」で刑死していることや
松陰先生の松下村塾と
母が営んでいた学習塾が重なり
昔から勝手に松陰先生に親しみを感じていた。
2008年に参拝した時も
大ファンのスターに会いに行くような気持ちで
ワクワクしながら参拝した記憶がまだ色濃い。
松陰神社の御祭神は、吉田寅次郎藤原矩方命(よしだとらじろう ふじわらののりかたのみこと)。
もちろん吉田松陰先生である。
幕末の動乱に大活躍した
松下村塾で学んだ松陰の弟子たち高杉晋作をはじめ、
久坂玄瑞、高杉晋作、吉田稔麿、入江九一、伊藤博文、山県有朋‥‥
有名な人物がいっぱい。
松陰は29歳という若さでこの世を去るが
その志は弟子たちに受け継がれ、
明治維新の原動力となったのは有名である。
個人的に…
松陰先生の一番すごいところは
全国を自分の目で見て、
自分の脚で回りながら学んでいたこと。
欧米列強の存在を知り、
日本の将来に強い危機感を覚え、
日本全国の遊学を決意。
九州を皮切りに北は青森・南は長崎まで。
5年で歩いた距離は、なんと!13,000kmだったそうだ。
これは、私の中山道を走る旅にも刺激を与えた。
吉田松陰先生のおかげで今がある。
そんな感謝と、
自分の目で見ること。
自分の頭で考えること。
自分の脚で学びに行くこと。
そんなことを松陰先生に誓った日だった。
二十一回猛士の限定お守り。
二十一回猛士とは:
吉田松陰の姓である「吉田」から来ている。
「吉」の字を分解すると「十一」と「口」になり
「田」の字を分解すると「口」と「十」になる。
組み立て直すと「十一」と「十」
あわせて「二十一」
「口」と「口」をあわせて「回」になる。
実家の姓である「杉」の字を分解し
「十」「八」「彡(三)」の三つの数字に見立て
足すと「二十一」になる。
「猛士」は松陰の通称が寅次郎であり
「寅=虎」虎は猛であることから猛士となった。
…よく考えられている。
けれど、人に説明すると相手は寝てしまいそうだ…。
松下村塾。
いつか山口県の萩の松下村塾にも行ってみたい。
松陰先生からお言葉を頂戴した。
「自分を切磋琢磨せよ。」と。
ゆるキャラ「しょーいんくん」
松陰商店街でゲット。