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健康サポートプロジェクト

合同会社健康サポートプロジェクトです。 10数年にわたって健康経営を推進する企業・団体様向けに健康セミナーや研修コンテンツ等で具体的なサポートをおこなってきました。 福利厚生や労災対策として従業員の方が生活習慣の中で無理なく継続できるエクササイズをご紹介します。

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[歩く旅・走る旅]史跡・城址・地図読み・サンクチュアリ Feed

2021年12月21日 (火)

■コラム:[京街道]京街道の誕生

大坂と京都・伏見を繋ぐ京街道。
京街道はどのように誕生したのでしょうか?

京街道の誕生

天正十年(1582年)6月2日、京都の本能寺に宿泊していた織田信長を明智光秀が襲い、
織田信長は天下統一を果たすことなく死を遂げました。

当時羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)は備中高松城を水攻めしておりましたが、
主君の死の悲報を受けて、即毛利氏と講和をまとめ、急いで上方へ帰ってきました。

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同年の6月13日の山崎の合戦で、明智光秀を破って主君の仇を報じた秀吉は、
天正十一年4月21日の賤ヶ岳の合戦で信長の後継者選びのライバルであった柴田勝家を破り、
同年9月1日から天下統一の拠点として大阪城の築城を開始しました。

天正十三年7月11日、秀吉は朝廷から関白に任じられ、翌年2月京都に聚楽第(じゅらくてい・じゅらくだい)の建設を開始する。

天正十八年、秀吉は全国統一を果たすが、翌年に関白を甥の秀次に譲り、新たに伏見城の築城を始めます。

こうして、豊臣政権は大坂城と聚楽第と伏見城の3か所を拠点としました。



ところが、文禄4年(1595年)6月7日畿一帯を豪雨が襲い淀川が氾濫。
北河内一帯から大阪城の近くまで大洪水に見舞われました。
そして、京都・伏見と大阪の間が完全に寸断。
秀吉は、翌年淀川両岸に強靭な堤を築きました。
(河内国側の淀川左岸を東国大名、摂津国側の右岸を西国大名が担当)

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この堤を「文禄堤」といい、京都・伏見と大阪を結ぶ街道となりました。
これが京街道のはじまりです。

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■[大阪史跡]京街道:八軒屋船着場

京都と大阪を結ぶ交通の大動脈は淀川の舟運でした。
京都・伏見と大阪・八軒家の間(約40㎞)を船が往復し、
江戸末期には1日に1500人、800tの荷物が運ばれていました。


[永田屋昆布本店]

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〝江戸は鰹節、大阪は昆布〟と言われ、北海道の昆布は日本海よりに西回り、下関から大阪に入ってきました。
昆布屋は、戦前まで八軒屋に多くありましたが、今では永田屋昆布店と八木昆布店のみなんだそう。

永田屋昆布本店さん周辺は、江戸のころ八軒家浜船着場で三十石船が到着していました。
店の前には八軒屋船着場跡の石碑がたっています。

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悠久の歴史を伝える八軒屋
おひとり様一部にてお願いします。

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一部いただきました。
大阪の歴史について書かれていますので、とてもありがたいです。

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船は、30人程のお客を乗せ、京都の伏見を夜半に出て翌日早朝に八軒屋に到着。

上りは下りの倍の12時間ほどの船旅だったとか。
移動だけなら、走った方が早そうな…。




[フロマージュ天満橋]

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「この付近、天満八軒屋 船宿 京屋忠兵衛 跡
幕末期、新撰組の近藤勇や土方歳三、沖田総司らの常宿だった/誠」

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今はフロマージュ天満橋と言うチーズ屋さんですが、江戸の頃は「京屋」と言われる船宿でした。
たびたび新撰組の方々が宿泊していたそうです。

近藤勇や土方歳三、沖田総司は八軒屋船着場から京都と大阪をship行き来していたのですね。

2021年12月18日 (土)

■[大阪史跡]梅田の地下街にある大阪城の千貫櫓の石組み

大阪駅前第4ビルの通路にある梅田の地下街にある大阪城の千貫櫓の石組み。

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通路が、大阪築城400年の年に開通したことに因み、大阪城の石垣を築造したときの残石といわれる小豆島の石を用いてつくられたそうです。
大阪城の石垣が小豆島からも運ばれていたのがビックリですね。

しかも、こんな通路に千貫櫓の石組みだなんて、お洒落すぎます。

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2021年12月14日 (火)

■[大阪史跡]適塾:緒方洪庵 #健康歴史ウォーキング

緒方洪庵先生は、幕末における洋楽研究の第一人者として仰がれた医師・蘭学者で〝日本の近代医学の祖〟と呼ばれた人物です。

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適塾は緒方洪庵が開いた塾で、侍の子も町医者の子も農民の子も「学問をする」という目的で集まり、先生は洪庵1人でした。

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大村益次郎も福沢諭吉も、故郷ゆかりの橋本左内も…全国から、適塾へ学びに集まっています。

教育に力を注いだだけでなく、種痘を広め、天然痘の予防にも尽力しました。

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1849(嘉永2)年には現在の道修町5丁目に種痘所(大坂除痘館)を開き、
ジェンナー式牛痘種痘事業を始め、
1858(安政5)年日本にコレラが流行した時は治療にあたりながら、治療手引書『虎狼痢治準(ころりちじゅん)』を発刊し、感染予防に尽力しています。


今年の春、大阪大のチームが、洪庵先生が残した当時の薬瓶の中身を特定し、水銀と塩素が中身の主な成分と発表したそう。

瓶の蓋からわかったのは、当時「甘汞(かんこう)」と呼ばれ、下剤などとして使われたものだとか。

当時、どのような治療をし薬を作っていたのか?洪庵先生が残してくださったものは、江戸時代のタイムカプセルみたいで夢がありますね。

2021年12月13日 (月)

■[大阪史跡]堂島薬師堂 #健康歴史ウォーキング

本日も仕事前に『2022年開運街巡りウォーキング(残席わずか)の下見です。
ランニングで行ってまいりました。

普段見慣れていて気にとめない景観も、川の歴史を知ると、大阪がどのように発展していったのかがわかります。

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↑ 志じみばし跡

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↑蜆川に沿ってカーブしている道

蜆川(曽根崎川)はもうありません。
明治14年の「北の大火」で焼失し、瓦礫を川に捨てたことで埋め立てられ、今は北新地になっています。
そして、堂島川は今でもたっぷり水が流れています。

そんな蜆川と堂島川は、江戸時代、干しあがっていて、水が流れていなかったそう。

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↑堂島川にかかる渡辺橋

蜆川と堂島川を整備したのが河村瑞賢(かわむらずいけん)
広く掘り広げて水が流れるように整備しました。
掘った浚渫土(しゅんせつど:海底や河川の底を掘削することにより発生する、土砂やへどろ)は堂島に盛ったとか。

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蜆川と堂島川には推古天皇の時代から中洲がありましたが、中州に薬師堂が建っていました。
今の堂島アバンザのあたりです。
船で渡る時にも遠くから薬師堂が見えたことにちなみ、地名が「堂島」になったそうです。

今は中洲にはオフィスビルが立ち並び、薬師堂はキラキラ光るミラーボールのように変わりました。

しかし、お堂の中には今でも薬師如来像(病気を治すということで古くから信仰があります)、弘法大師像、地蔵菩薩像がいらっしゃいます。

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↑合掌した形のモニュメント。蝋燭をお供えします。

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古地図を片手に…。
昔の景観から、川と共に町ができ、経済も学問も発展していったことが読み解け、今昔を比較するととても面白いです。

2021年7月13日 (火)

■大阪の街にも勝海舟

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 偶然の出会い
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故郷・福井と言えば…松平春嶽、橋本左内、由利公正など、
国づくりや教育に尽力した先達が沢山いらっしゃいまして、
子供のころから故郷の先達に関する自由研究が夏休みの課題だったりしました。私は宿題に、偉人カルタを作ったことを思い出します。

本当に、良い〝ふるさと〟に生まれたと思っております。

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松平春嶽に興味を持っていたので、関係のある勝海舟に辿り着き、
13年前に読んだ書籍「勝海舟の人生論」。
今朝は、勝海舟の人生論を再読しながら通勤trainいたしました。

すると、なんてことでしょう!
帰り道…run今まで全く気付かなかったのですが、
いつも通っている場所に、勝海舟寓居(ぐうきょ)・海軍塾跡地があるではありませんか。

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興味がないと、素通りしてしまいますが、
アンテナをしっかり立てると、自然と情報が集まるものですね。


[どんな人?]┈┈┈┈┈┈

●松平春嶽は、幕末から明治初期にかけての大名で越前国福井藩16代藩主です。
藩財政を再建させ、教育制度を導入し、軍備強化をし、種痘の導入をした才覚あるお方。
一説によると、勝海舟が海軍操練所や私塾を開設するために5千両貸したとも言われております。
(資金調達は坂本龍馬が交渉)


●勝海舟は、江戸城無血開城などが有名ですが、
徳川幕府と明治新政府の両方に参加し、
海軍大臣などの要職をお務めされました。
福沢諭吉の「やせ我慢の説」という著では、
「忠臣は二君に仕えず、という事をご存じないのか?」と書かれてしまったけれど、
天皇政府か徳川幕府かという次元で政治を考えず、
すべて〝日本のため〟という次元でものを考え行動した人です。
現代は、超多様化社会だからこそ、
勝海舟の様に、大切なものを見極める力と柔軟に対応していく力が必要なんじゃないかと感じております。
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池田屋事件と禁門の変に海軍塾生が加わっていたことから
海軍塾は廃止されることになりますが、
龍馬や陸奥宗光(後の外務大臣・カミソリ大臣)にとっては
塾で学んだことが将来への行動へと繋がっていったのではないでしょうか。
先達からの志のリレーですね。
……

大阪の街のど真ん中にも、勝海舟がいらしたんだなぁ。
そして、神戸は知っていたけれど、大阪にも海軍塾があったとは。

偶然の出会いの感動と、志のリレーは大切だなぁ…と思う通勤ランのヒトコマ。

2021年6月21日 (月)

■[京街道]旅の道すがら 「飛行神社」

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  京街道
  飛行神社へ
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大阪は、4/26から6/20まで、3回目の緊急事態宣言中でした。
ジョギングやウォーキングは健康づくりのものとは言え、
自宅周辺でもできるので、
なんとなく自分の中のルールで、
仕事と習い事の舞楽の稽古以外は県境を越えませんでした。


2020年の6月の緊急事態宣言解除後、1人で走りながら始めた旅も、
峠の厳冬期とその後の緊急事態宣言によって中断していますが、
再び始める旅まで、待ち遠しくて良いものです。

お能には橋掛かり、歌舞伎には花道があるように、
とかくゴールを急ぐより、そこに行きつくまでの道中や、
下調べしたり計画したりしてワクワクする時間に魅力を感じております。
(地方の様子を見ながら再開の予定です。※旅で摘んだ道草の記録はTOPに記事を固定しておりますので、ご興味があればご覧くださいませ。)

大阪は、本日から緊急事態宣言が解除されました。

だからと言って飛び走っているわけではありませんが、
行きたかった場所へ…大阪から自分の脚で県境を越えて走ってみました。

行き先は、歴史勉強会でお世話になっている、久野潤先生が先週のインターネット番組〝虎の門ニュース〟で紹介していらっしゃった「飛行神社」です。

石清水八幡宮の駅から歩いて4~5分くらいです。

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●飛行神社:京都府八幡市八幡土井44

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第一殿は、本殿です。饒速日命がお祀りされています。
天磐船という飛行船に乗って、河内国河上の哮が峰(ほしだ園地)に天降られた神様で、
磐船神社や交野山を愛されている方は、神様の名前や巨石にピンとくるのではないでしょうか。

第二殿は、航空事故で亡くなられた方々、
技術革新・指導に当たられ航空業界に多大な影響を与えられた方々がお祀りされています。

第三殿は、薬光神社。
薬業界の偉人とされる長井博士や二宮忠八翁が共に働いた武田長兵衛、田辺五郎、塩野義三郎などの薬学界の方々が薬祖神としてお祀りされています。

久野潤先生は、番組の中で「塩野義製薬さんが新型感染症の薬の開発に頑張ってらっしゃっているので…」とおまいりされたことと、
飛行神社にまつわる歴史をお話しくださいました。

私も、塩野義さんのお仕事にチョコンと少しだけ関わらせていただいているので、
日ごろの感謝と、薬が開発されて明るい社会になりますように…どうぞお守りください…とおまいりさせていただきました。

梅雨晴れの夏至の日。
よいおまいりでした。

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[京街道]
守口市駅~大日~枚方~樟葉~飛行神社~男山・石清水八幡宮(30㎞)🏃‍♀️🔥でした。
京街道の道草記録は、また追々とTOPページに追加していきますね。



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2021年5月31日 (月)

■淡竹

 
山の整備活動のお仲間には、人生の大先輩が多いこともあり、私はここ一年以上、整備活動を休んでいる。

しかし、何かといつも気にかけてくださっていて、
『銀杏採れた。取りに来い。』
『柿は今年はアカン。』
『椎茸盗まれた。』
『タケノコ全滅。』 
『まんじゅう食べるか?』
…など、よく携帯のショートメールを使って電報の様に連絡をくださる。

今朝も『ハチク採ってきた。夕方持っていく』と、連絡があった。淡竹とは、普通のタケノコの旬が終わる5月中頃に、入れ替わるようにして生え始めるタケノコのこと。


今年は、竹が枯れてしまって、タケノコが全滅だったので、
私が楽しみにしていたタケノコホリが出来なかったこともあり、
落ち込んでいるだろうと、知り合いの山で淡竹を掘って来てくださったのだとか。

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お仲間たちは、6月と7月でワクチン接種が終わる様なので、8月になったらみんなと会えるといいな。
存在を忘れずに、いつも仲間として接してくださるお方たち。

コロナ禍で気付いたタカラモノ。

しかし…淡竹をはじめて見たんだけれど、どうやってお料理しようかなぁ…。

2021年3月24日 (水)

■馬酔木咲く

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  馬酔木咲く
  (アセビ)または(アシビ)
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万葉の時代から愛される馬酔木がスズナリ。
しかし、万葉集には自然や暮らしや恋がいっぱい詰まっていて、ロマンチックやな。

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[万葉集/第10巻/1903番歌]

我が背子(せこ)に、我が恋ふらくは、奥山の、馬酔木(あしび)の花の、今盛りなり ~作者不詳~

[意味]
あなたのことを、密かに思っている私の心は、奥山に咲く馬酔木の花のように、真っ盛り

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いつものトレイルラン。
さぁーっと野山を楽しんできた。

50歳になってから、極力こころや身体に無理やストレスになるようなことを止めるようにした。

たとえば「走ること」の目標を、大会出場や記録にフォーカスすることから、「生涯、自分の脚で行きたいところへ行く」という目標にシフト。

精神はいつまでも若く居れても、筋骨格や内臓など肉体などの組織は正直だと思う。
さいわい自分はまだ実感がないが、どんなに鍛えている先輩方でも(特に女性は)軟骨が…骨が…という声が聞こえる。
回復しない組織もあるので、大切に大切に使わせていただこう。


とても楽に楽しくなった。
そして「走ること」や「身体をうごかすこと」が、これまで以上に好きになった。

そろそろ中山道旅ランも再開したいところだ。
永く、身体を動かすことを楽しめるよう、健康づくりをしていこう。


2021年3月24日。
野山で花が笑っている今日の人生。

2021年3月15日 (月)

■[延暦寺DAY その②]法灯座禅

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延暦寺DAY その②
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延暦寺は、伝教大師最澄が遷化されて令和3年で1200年なんだそうだ。

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そんな節目に、ご縁があって手を合わせられる事や、このような素晴らしい体験を企画してくれたお友達に感謝。
根本中堂で、朝事(おつとめ)に参加させていただき、IDさんの読経やありがたいお話を聴く1日のスタート。

長い間 消えることなく灯され続けている不滅の法灯(ふめつのほうとう)は、新しい時代に移り変わっても自分の行い一つで継続していけるんだよ!と言っているようで心強かった。

コロナ禍でキツいけど、色々がんばろうと思った。

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次に、和蝋燭を半眼で見つめながらの座禅。
これがまた貴重な体験だった。

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炎の揺れが観音様になったりシンゴジラになったりと形が変わり…自分の心が炎に映し出される。
炎が消える瞬間の、色が赤→青と変わっていく様子は陰陽が混沌としていて とても美しかった。
30〜40分間、呼吸に集中し内観した記憶は、高校生時代の永平寺での合宿以来。
ほんとうにありがたいひとときだった。

日常は穏やかにいかないこともある。
しかし、すっかり色んなものが落ち穏やかに。

新しいパワーをいただいて延暦寺から滋賀側に下山。

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