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祖先崇拝の日
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4月14日は母の命日。
私にとっては大切な日。
ちょうど1年前の今頃は、緊急事態宣言真っただ中で お盆も混雑期だとかで帰省しなかったから、もう1年半お墓参りしていない。
大阪では5月5日まで「蔓延防止等重点措置」が出ているので、自分とは違う角度から見たら 不要不急な移動に見える事もあるだろうが、行動に責任を持ち、人にはほぼ非接触状態で、たった3時間だけ福井へ帰省をした。
郷土史家である叔父が、12~3年前に三国町(福井県坂井市三国町)の古美術店で購入していた書状は、最後の丸岡藩主(福井県坂井市丸岡町)「有馬道純」が6人の老中に宛てた手紙だったと鑑定され、ついこの前まで郷土歴史資料館に展示されていた。
これも、すっかり拝見するタイミングを逃してしまった。
ここ1年は自由に帰省することや、会いたい人に会うことが簡単に出来なくなってしまっている。
しかし、思い切って帰省し、ご縁のある御霊やご先祖様達に手を合わせたことによって、ご先祖様達に背中を「よしよし」された様な安心感を得たので、帰省して本当によかった。
20代前を辿ると誰でも100万人のご先祖様が応援してくださっていると聞いたことがある。
先祖のみなさまに「ありがとう」と感謝する心はいつまでも大切にしたい。
時は足早に移りゆくとも、平和と慰霊の心は永遠であれ。
たった3時間という滞在でも、心あたたまる故郷を偲ぶ時間となった。
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■お墓参り:
戦死した実祖父の兄弟であった祖父。祖母。父と母に会いに行く。
■福井県護国神社:
靖国神社にも祖父たちは奉斎されているが、帰省した際は福井県護国神社へ。
大東亜戦争の時、ビルマやトラック諸島で戦死した会ったことのない祖父たちに会いに行く。
福井県護国神社は、明治維新前後より大東亜戦争に至るまで国難において病死傷病・殉難・殉職された福井の方々をはじめ、安政の大獄で他界した橋本左内先生もお祀りされている神社。

福井県護国神社です。

橋本左内先生です。
■國神神社と丸岡城:
國神神社は、男大迹王(をほどのおおきみ)後の26代継体天皇と、倭媛(やまとひめ)の皇子である椀子皇子(まるこのおうじ)が御祭神である。
「丸岡」は、椀子皇子の降誕地で、皇子の胞衣(えな)を埋めた場所とされる。
その場所が今の丸岡城が立つ丘のことで「まるこのおか」が「丸岡」の地名ルーツともいわれる。
…そして、私が幼少期に毎日遊んでいた場が、國神神社であり丸岡城である。ちなみに私の名前『純子』は國神神社で名付けていただいた。

丸岡城。別称「霞ヶ城」

一筆啓上の碑
「火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」
家康の家臣、本多作左衛門重次が長篠の戦いの際陣中より妻に送った手紙。
火の扱いに気をつけよ、お仙を大切にせよ、馬の手入れを頼む…。
弟がよく「一筆啓上、おばば泣かすな じじ肥やせ」と言っていた。


國神神社。おしんめさんと呼ばれている。

昔は今日を挟んで3日間、神社の周りで祭りが開催され、境内では出店やお化け屋敷などが賑やかだった。
私は母の命日にあたる 『おしんめさんまつり』が毎年嫌いだったな。
■足羽神社:
26代・継体天皇がお祀りされている神社。
継体天皇は、15代・応神天皇の5世孫であり越前国を治めていた。
本来は皇位を継ぐ立場ではなかったが、第25代武烈天皇が後嗣を残さずして崩御なさったため、大伴金村・物部麁鹿火などの推戴(すいたい:〝オス〟という意)を受け、男系男子で伝統的な血統をお持ちの継体天皇が26代をご即位され、継承危機を乗り越えた。

第26代 継体天皇
足羽山から福井平野を見下ろして、お守りくださっています。


継体天皇がお祀りされている足羽神社。
枝垂桜は、次の季節を迎えています。

■藤島神社:
新田義貞公(源朝臣義貞公=新田大明神)がお祀りされている神社。
義貞公は楠木正成公が湊川で戦死された後、福井平野で足利軍と奮闘中、灯明寺畷の戦い(→今の新田塚)で戦死された。

足羽山招魂社
京都堺町禁門ノ変に倒れた福井藩士、戊辰の役殉難者、西南の役、日清・日露戦争の国事殉難者、大東亜戦争における戦没者の方々がお祀りされている。
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