■情報
八月十五日も近いので
手に取ってみた本
〝神やぶれたまはず〟(長谷川三千子 著)
序章より
一国の歴史のうちには、ちやうど一人の人間のうちにおいてもさうであるやうに、
或る特別の瞬間といふものが存在する。
その瞬間の意味を知ることが、
その国の歴史全体を理解することであり、
その瞬間を忘れ、失ふことが、
その国の歴史全体を喪失することである、といった特別の瞬間——
さうした瞬間を、われわれの歴史は確かに持つている。
わたしがいまここでしようとしてゐるのは、
その瞬間をもう一度ありありとわれわれの心に甦らせ、
その瞬間の意味を問ひ、そしてその答へを得ることである。
一国の歴史のうちには、ちやうど一人の人間のうちにおいてもさうであるやうに、
或る特別の瞬間といふものが存在する。
その瞬間の意味を知ることが、
その国の歴史全体を理解することであり、
その瞬間を忘れ、失ふことが、
その国の歴史全体を喪失することである、といった特別の瞬間——
さうした瞬間を、われわれの歴史は確かに持つている。
わたしがいまここでしようとしてゐるのは、
その瞬間をもう一度ありありとわれわれの心に甦らせ、
その瞬間の意味を問ひ、そしてその答へを得ることである。
1回読んだだけでは頭に入ってきませんが、
何回も読みたい良書です。
日本人としての精神を見つめなおす機会になっています。
この書は、
大東亜戦争の敗戦の五月十五日正午を
徹底的に考え尽くすことで、
日本人がわれわれの歴史を
再び歩み出すことができると言います。
目をそらさず、
しっかり考え抜きたいと思う今日この頃。


