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健康サポートプロジェクト (junko sakata)

フィットネスコーチ。 ウォーキングアドバイザーのエストロゲン子(中の人)です。今よりもHappyになる歩き方を貴女に!〝60分〟で一生ものの歩き方が身につくウォーキングレッスン/ウォーキングやランニング、エアロビックダンスなど、有酸素運動指導30年♡ 健康セミナー・体操監修、雑誌コラム連載中。

エストロゲン子の美活ウォーキング

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2018年5月

2018年5月22日 (火)

■皆様にご迷惑をおかけしています。【怪我から学ぶこと】

皆様にご心配と大迷惑をかけています。

報告です。

火曜の午前中に、関西の総合病院で受診しました。
入院は免れましたが1週間安静で通院ということです。

そんなことで、わたしが担当しているレッスンは来週の金曜まで代行をお願いしました。(日曜日のセミナーと月曜の大学の授業は代わりがいませんので必ず行きます)

お引き受け戴いた指導者様、
レッスンで待っていてくださるお客様、
代行の告知で仕事を増やしてしまったスタッフの皆様、
心よりお詫び申し上げます。


●トレッキングポール

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今の私の脚の代わりとなってくれているものです。

暫くトレッキングポールの力を借ります。
歩いて3分で着く所を30分かけて歩いています。

さっさと歩いていた時は、見えていたようで見えなかったことが鮮明に見えます。

電車の乗り換えで、急いで歩く人の怖さ、イヤホン歩きや歩きスマホの怖さ、
「座席をどうぞ」という方の親切。(→座ると立てないので、親切を受け取ることが出来ない状態ですが)

怪我の翌日は車椅子だったんで、だいぶん回復したものの
線路や横断歩道は時間いっぱいかけて渡ります。
階段は手すりと杖が無ければ歩けない。

まるで、ロコモティブシンドローム。。。
ロコモティブシンドロームセミナーの話材ができてしまいました。
そして、歩けない方の気持ちが少しだけ理解できた様な…。


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かかりつけの総合病院の近くには紫陽花が咲いていました。
もう紫陽花の季節ですね。
生駒の紫陽花園を見に行ける事を希望に回復に努めようと前向きな気持ちになりましたよ。



佐久の病院から旅の荷物を自宅に送りました。
昨夜届いたんですが、血まみれと砂利にはまって破れたシューズを
そのまま捨てようかと思ったけど、
敬意を込めて綺麗に洗いました。


安静にしていないといけないので、シューズの自分の足を客観的に評価してみます。(→暇すぎです)


●オーバープロネーション

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靴底の外の部分が削れ、特に右側が過回外変形してます。
所謂ガニマタですね。


ヒールカウンター(かかとを保護する固い部分)を見ても右側が外によじれてます。

インソールを見ると母趾の中足指関節(MP)にストレスがかかっているのが、八ヶ岳横岳の泥の付着で解ります。
親指の辺りにタコができやすかったし、こーいう人は外反母趾 になりやすいタイプです。

●トレーニング&ケア

右の内転筋と内側広筋(腿の内側)、中殿筋(お尻の横)、大殿筋(お尻の大きな筋肉)等を理想的に動けるように、自体重での筋トレは勿論
動きながらも鍛えられるようにもする事。(ランジで正しい足運びのトレーニング)

股関節まわりをほぐすこと、
ハムストリングス(腿うら)や腸腰筋(ももの付け根)のストレッチが必要ですね。

部分的に見るならば、上記のトレーニングやケアを実行ですが、

頭・両腕・体幹全部の繋がりで自分の両脚が今の位置にあります。

全体的に見たら、身体が右に捻れてます。
長い年月の生活の癖でそうなっているので、時間をかけて向き合う必要があります。

膝には固定とバランスと曲げ伸ばしと言う作用がありますが、
今は完全固定(座ると立つ)しか出来ず、普段は無意識に曲げ伸ばししたりバランスをとってくれてたりしてたんだと有り難くなりました。
固定してると動いている時のバランスも悪く、
上半身までぎこちない動き。
動きの流れも崩れます。
早く流れるように動きたいな。



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気分を変えて、今日はベランダでご飯を食べました。
お日様の光は元気になりますね。
早く、みなさまのもとでレッスンしたいです。
野山を駆け抜けたいです。
必ず治します。

しばらくご迷惑をおかけします。

2018年5月21日 (月)

■第24回・星の郷八ヶ岳野辺山高原100㎞ウルトラマラソン①今年も完走しました。

経験のために、年1回は100㎞ウルトラマラソンと、トレイルロング・フルマラソン・ハーフマラソンを走ると決めています。

職業柄、練習に沢山の時間を割くことは出来ないし、
週末は家族と過ごしたりデスクワークすることが多いので、

毎週毎月レースに出場するジャンキー達をキラキラ横目で羨ましく感じながらも
「これは出たい!」と言う大会に絞って毎年出場しています。


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今年は「第24回・星の郷八ヶ岳野辺山高原100kmウルトラマラソン」
これが私の100㎞ウルトラマラソンの出場大会となりました。

「野辺山を制する者はウルトラを制する」と呼ばれてるほど、難度が高い大会だと言われています。

アップダウンや未舗装路、山の寒暖差や低酸素等の対応能力が必要で、
心肺持久力だけでなく、累積標高2000m(一番高いところでは1908mまで登ります)のトレイルを登る筋力や筋持久力が必要となる、
決して簡単ではないコースと
八ヶ岳や富士山、野辺山高原の壮大な景色を楽しみながら走れると言うのが魅力です。

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(AM5:05スタート 八ヶ岳が顔を出しています)

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(前半のトレイル部分からは富士山も見えます)

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(今年は周りの薮が綺麗にされていて最高地点からも富士山が見えました)

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エントリー動機には、山や自然の環境が大好き!という事もあるけど、
自分にチャレンジしたいのもあるかな。



実は、去年も出場し完走しましたが
去年はBLOGを更新するタイミングを逃しましたので記事はありません)

今年も人の思いやりに触れ、
色んな事を学んだ時間でしたので、

数年後に読み返した時に「そうだったな…」と回想したい内容を書きます。




●レースについて

完走しました。

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今回は牛歩ながら最後まで歩かずにゴール出来ました。

ある理由が無ければ、自分のコンディションも環境のコンディションも最高すぎて…どういう結果になっていたのか楽しみだったんですが、
ある理由があったからこそ
とばさずに走れたことがゴールに繋がったのかもしれません。



最初のスタートから5Kmあたりまでは緩やかな登り
そこからトレイルに入り、23Kmまではゴロゴロ砂利道の未舗装路が続きます。

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(トレイルの入り口です)


今年は去年より未舗装路がだいぶん整備されていたので
わりと走りやすかったんですが、

20km過ぎの大きな曲がり角のかなりの斜度で、
右足が砂利に挟まり左足は滑り、
身動きが取れなくなって転倒しました。左膝負傷です。
これがある理由です。

直ぐに自分が持っていた水で洗い流し、
エマージェンシーキッドで処置をしました。
しかし…思っていたよりも切った所が深くて大きく、
23kmの第一関門の救護テントでお医者様の応急処置を受けました。

お医者様には、
「これは縫わないといけないくらいだし、救急搬送レベルなんで止めましょう」と言われたんですが、、、

今年のウルトラレースはこの100kmだけだし、身体のコンディションが良すぎることも確かめたかったし、
何より、先日恩師が他界した悲しさをぶつけたくて諦められませんでした。
(もう走れない…とは、明らかに認められなかった)

「ゴールしたいんです。走れるようにしてください」
とお願いし、42と71kmの救護テントに入ることを約束に走らさせていただくことに。

しかし、走ってる限り血は止まらず血は吹き出すばかり。
トイレでははじめて膝から血が飛ぶ…というのを体験。
(→読んでて痛くなりますね。ごめんなさい。)

わたしは運動指導者なので、本来であれば「冷静に安静、冷却、圧迫、挙上のRICE処置」を選択しなければいけない立場。

あと、切り傷にはゴールデンタイムというのがあり、
6時間以内であればすぐに消毒したり縫ったり出来るそうなんですが、
その時間をこえると感染症の心配や皮膚がくっつかなかったりで、早めの処置が必要なのです。
怖いのは感染症で人食いバクテリアがとても怖い。破傷風も。
処置は早めがいいので、これを読んだ皆様は真似して無理しない様に、すぐにRICEをお願いします・・・。
特に遠征での怪我、山での怪我は、そのままにしておかないで怪我した地域の病院に直ぐかかることが必要です。



不思議と痛くはない。。。でも血が気になる。。。
身体に悪いと解りながらも、怪我を忘れようと
他のランナーさんとしゃべりながら走ったり、極力笑顔を忘れずに…
「学びだ、学びだ…」と言い聞かせて牛歩。



75㎞あたりからの馬越峠は1620mまで登ります。
その坂は急なので、去年はほとんど歩いた記憶があるんですが、
歩くと膝の屈曲伸展が大きくなるので全部走ってみました。

去年、馬越峠からゴールまでを励まし合った
東京のAちゃんと今年も峠の坂で会えましたが
「峠の登りを走ってる…」とびっくりしてました。
→馬越峠は歩くとこcoldsweats01
(しかし、何よりAちゃんは、数日後に、この時の私の脚の状態を知り絶句してました。happy01

馬越峠からは急激な下り。
ここで着地衝撃で血が噴き出してきて貧血っぽくなりかけましたが、
野辺山高原の街に入ってきたら、
沿道で応援する皆さんのエールにホッとして
「ありがとう!ただいま!」と返せる元気も湧いてきました。
去年のゴールの時を思い出す余裕も。

皆様の支えにより、最後まで笑顔でゴールできた。。。

ゴールではAちゃんが待っててくれて
「純子さん、すごい!」
わたしも「Aちゃん、おめでとう!また来年会おうな!」とハグ。

Aちゃんと再会できてうれしかったです。
ゴールに導いてくれた理由の1つは、
Aちゃんと今年も励まし合えたと言うのも大きかったな。
そして、各地でお会いしたランナーさんとの再会の並走や、
エールを送りあったランナーさんとの出会いも。



今年は、3つの救急テントで処置に当たったのに、
コースは全部走ったし、
去年より7分速くゴール出来ました。

ゴール後この状態で最後まで走るなんて…とどの救護の方にも救急搬送先でもビックリされたし、周囲に大迷惑をかける代償で、
完走しても偉くない選択をしてしまいましたが、
自分が納得のいく走りが出来ました。


●レース後:病院巡り

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(応急処置を待っていてくれたY君)

九州のお友達のY君に、
野辺山から車で30~40分離れている小海の救急病院に連れ行ってもらい点滴や応急処置をしました。

Y君もレース後で、お風呂も入りたいし、
ご飯も食べたいだろうし、
早く休みたいはずだから、
「搬送、断ってくれていいからね」と言ったのに、
「断る理由が無い」と車を飛ばし、
夜中まで付き添ってもらいました。
ほんまに感謝。
しかも、Y君がレンタカーを借りていた事が明暗の明に繋がり助かりました。

ゴール後救護室で手当てを受けていた時間はすでに電車もバスもない時間だったので、
Y君がいなければ、傷口が化膿してもう自分の足で動けない状態になってたかもしれません。Y君は神様ですshine


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(この坂を駆け上って大会はゴールです。翌日の朝、静かな思い出の八ヶ岳)

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(ソフトクリームで乾杯)

小海の病院で紹介状を書いてもらったので、
翌日は早朝から、野辺山から電車で1時間半ほどの佐久総合病院に移動。

旅のお供のKちゃんも100㎞後だし、ゆっくりしたいだろうし、体調も悪かったので早く帰りたかっただろうに「一緒に行きましょう!」と、付き合ってくれました。
知らない地でほんまに心強った。

車椅子を押してくれたり、亀のような私の歩きに合わせてくれたり、重い荷物持ってくれたり…色んな世話をしてくれたKちゃん。
体調が悪い時って人のことまで考えてられないはずなんだけど、彼女の心の大きさや愛情が学びでしたheart01

Kちゃんが居なかったら、お医者様の言う事無視して
佐久総合病院へは行かずに関西に帰っていたような気がするな。

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佐久では、「3日入院だがな~…」との事でしたが
大阪の総合病院へ紹介状を書いていただき、
大阪に帰してくださいました。

私の職業がトレーナーだと知ると、
処置や身体の事を詳しく解説してくださった先生。

そして
「うちの病院にも自転車でこけて6時間以内なら何とか処置できるって知ってるのに、遠征先で病院にかからなかったバカな医者がいるけど、今でも元気で走ってるよ!大丈夫、また走れるよ!」
とあたたかい言葉をくださいました。

大会ボランティア皆様、小海の病院のみなさん、
佐久総合病院の先生や看護師さん、
コースで励まし合ったランナーさん。

そしてY君とKちゃん本当にお世話になりました。
宿の同室だったSさんも心配かけてごめんね。

いつも私を支えてくださるみんなに感謝です。
心からありがとう。

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●家族へ

今回、ウルトラに備えトレーニングの時間から食生活まで、
万全な準備に協力してもらい、これまでに無いベストコンディションでした。
それなのに迷惑をかけてごめんなさい。
そして、いつも感謝しています。ありがとう。

●亡き牧野桂子先生へ

生きてる事や苦しみを感じたくて走ってしまいました。
きっと貴女が生きてったら「あんまり無理しないでね」って言っていただろうな。
改めて「健康とは、肉体・とは、生きるとは」という事を先生の死を持って再確認できました。空から見ていてくれたかな。完走しましたので安心してくださいね。早く復帰して、先生が大好きだったレッスンを私もしたいです。


●自分へ

自分の身体、よく頑張った。
あんな状態で残りの80km走るのは女ランボーやな。
痛みの刺激(ゴールした途端痛い 笑)や辛いの感情があるのも生きている証拠。
でも、無理してごめん。これからは無理をせずに丁寧に労ります。
ほんまにありがとうね。

。。。


そんな事で、八ヶ岳の勲章を膝に刻みました。
一生消えない傷だと思います。傷を見るたびお世話になったみんなのことを思い出すな。それもいいか。

いい旅でした。

また落ち着きましたら、
レース中の補給やギアなどのレポをあげたいと思います。


関連記事


・補給のレポート→②ケトラン成功
・応急処置への知識やエマージェンシーキッドを持つことの啓蒙レポ→
※詳しくは各ページにJUNPください。

2018年5月15日 (火)

■花束を君に送ろう

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BLOGはしばらくお休みしていましたし、facebook等のSNSはほとんど更新していませんが、
毎日忙しく、そして楽しくさせて戴いています。
BLOGを覗きに来てくださってありがとうございます。



今日の石井ゆかりさんの水瓶座の星占いは
「過去と未来が不思議な具合に繋がっていく日。あれはそういう意味だったのか…みたいな」と書いてあった。

そうそう、そんな感じの日。

ここ数日はずっと涙の日が続いておりましたが、少しずつ前(未来)を向いています。
(写真は朝ランの様子、毎日マスクとサングラスの下は涙でぐちゃぐちゃ)


今も、空白の時間があれば自然に涙が流れてしまうので、
ここでBLOGにアウトプットして、
いっそうの事涙を枯らしてしまおう作戦で、今BLOGを書いています。
(きっと無理そーだけど…)


恩師であり、上司であり、憧れの女性(スマホの電話帳カテゴリーには神様というカテゴリーに名前があります)が5月12日に旅立ちました。

体調の事は数年前に聞いていて…でも、それからまったく会えずに居て、、、まさかこんな結果になるなんて。
しかも、魂が旅立つ前のお通夜や葬儀にも参列できず、
まだ、死を受け入れられてない自分がいます。



先生との出会いは、(今はもう無いですが)福井の二の宮にあったピアスポーツで開催されたインストラクター養成コース。
当時広告代理店に勤務してて、飲み食べの接待続きで10kg太った私が
ダイエットのために軽い気持ちで門を叩いた、
半年間でフィットネスインストラクターになると言う講座の先生でした。


その時まで、正直エアロビクスも運動も好きではありませんでしたが、
太陽のようにあたたかい、そして熱いハートの先生に魅了され、
自然と…知らない間にフィットネスインストラクターになっていました。
(私たち四期生は出来が悪かったと言うか、不真面目で≪笑≫「帰れ!」と怒鳴られたこともあった。はじめて怒った期だったらしい)



養成コースを無事(?)卒業した後、
「一緒に仕事しない?」
という先生の言葉には即答。

大好きな先生と一緒に仕事が出来るなんて幸せなことはない!
長年勤めた広告代理店をやめ、ピアスポーツの社員になりました。

一緒に飲みに行ったり(先生は酒癖が悪かった!翌日は飲んでた時のことをすっかり忘れるほど)

エアロビクスだけではく、ステップエクササイズも、水中エアロビクスも…
いろんなグループエクササイズ等、言葉や文字では書ききれない沢山の事を教えて戴いきました。
今思えば、短期間であんなに詰め込んで教えてくれたのは…意図的だったなと思うけど。



それは、一緒に仕事をした時間はつかの間。
私に短期間で詰め込んだ後、
先生は直ぐに寿退社(笑)→短期間で詰め込んだ原因(笑)
(毎日のように、素敵な旦那さんののろけ話を聞かされたな…)

先生のポジションをすべて私が引き継ぎ、
そこから後継者の育成をしたり、
教育事業に携わるようになりました。

2010年4月…私が育成したインストラクターたちを連れて、
先生のセミナーを受講に行ったとき

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「孫たち…」と喜んでくれたな。

いつも「がんばってるね。身体だけは気を付けて」と言ってくれた。


先生なしでは、今の私はない。
私の人生にフィットネスという彩と、沢山の愛をくれた人。

つらいときも、どんなときも、遠くから見守ってくれていた
ダメな時は、あたたかい言葉をくださり、
誕生日には毎年メッセージをくれた(先生と誕生日が10年と1日違いなんです)
今年はメッセージないな…と思ってた。

ついこの前、どーしているのか考えていた。

先生、会いたい。。。

やっぱり駄目ですね。
どんな言葉を書いても、先生との思い出が溢れてくるだけ。

近いうちに、福井へ帰る予定なので
先生の大好きだったコーヒーとチョコレートで語りたいです。



牧野桂子先生、ありがとうございました。
先生、大好き。
あなたに教えて戴いたことは、これからも伝え続けます。
それが先生が生きていた証。

どうぞ、安らかに。
是非、また会いましょう。


そして、今回…色んな方が先生の訃報を教えて下さいました。御香典をお願いされてくれた先輩や、連絡をくれ一緒に悲しんだ仲間。
改めて先生でご縁が繋がっていたことを実感しています。
今後ともよろしくお願いします。
ありがとうございました。

2018年5月 2日 (水)

■ハイブリットボディの訓練

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早朝お買い物ラン10㎞の後は、愛犬とおもいっきり原っぱで遊んで。。。

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運動後は高タンパクな作り置きおかずランチ。

今日は、ブロッコリーとトマトソースアレンジで。

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今日のランチの糖質量をザーッと計算してみました。



〇生クリームとココナッツオイルのふわふわキノコオムレツ(糖質約3g~4g)

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生クリームは大さじ2杯(1.0g)
たまご2個(0.4g)
しめじ20g(0.25g)
手作りトマトソース(1.0g)
ブロッコリー5分の1(0.2g)
スプラウト(0.2g)
ココナッツオイル(0g)

〇中鎖脂肪酸いっぱいのグリーンカレー(4.5g)

〇ロカボパン(2.5g)

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〇糖質オフのプリン(2.6g)

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(このプリンが、あっさりしてて超美味しいです)

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〇コーヒー 朝から3杯くらい飲んでるかな…(3~4g)


すんごくお腹いっぱいなんですが、
ランチまででも、糖質20g以下なので、夜はもっと糖質を入れてもいい感じですね。



体重も落ち、ケトン体エンジン(脂質を使う)で運動できるようになってきたので、

そろそろウルトラマラソン100㎞の練習で、
エイドで糖質が出てきても、

解糖系(糖質を使う)エネルギーを回し、
直ぐにケトン体エネルギーの生産が出来るような…
2つのエンジンを回すハイブリッドなボディな訓練をしていきたいです。
(日曜の夜も、米を摂取しています)

糖質量を今より多めに入れていきます!
運動時にも糖質を入れたらどんな感じか?
実験してみたいです。


これから仕事~。
がんばるぞ。

2018年5月 1日 (火)

■丁寧な暮らし

隙間時間の通勤帰宅ラン。16㎞…

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(梅田から帰宅ランです)

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今、一番の楽しみは…
体を動かした後の作り置きおかずランチ。

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#サーモンのオイル漬けとアボカド
#味たま
#ブロッコリーのカレーマヨネーズ
#ひじきとしらすの煮物
#オカサラ
#切り干し大根と手作りクリームチーズのサラダ
#グリーンカレー
#グリーンチキンカレーは定番
#グラスフェッドバターのブランパン

#スイーツはショコラ&フランボワーズケーキ糖質4.7g





23:00過ぎのごはんです。

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アサリ水煮缶は生より鉄分8倍。。。

なので、水煮缶と小松菜の炒め物。
鉄分吸収アップでビタミンCのレモン果汁がけ。サニーレタスにはビタミンCがたっぷりなので、サニーレタスと炒めると完璧ですね。

→これはほんまに美味しかったですよ。

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●手作りサラダチキン応用→よだれ鶏

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●オカサラ応用→おからパウダーでカレーコロッケ
オカラサラダの残りを丸めて、オカラパウダーとカレーパウダーと塩を絡めて動物性油でさっと温めました。
これ、見た目よりすんごく美味しかったです。




食べた分を運動で解消…というカロリー消費の考えを捨て、
効率よく運動し、
今までダラダラ走っていた時間は
身体のことを考えて、食材を選ぶ、勉強する、お料理を作る、食べる…
こんなことをしていたら、
2ケ月でマイナス6kgです。

決して食べたいものを我慢しているわけでもなく
時間を大切に使い、楽しんで丁寧に暮らしている感じです。

(笑)こんな生活していると、お誘いも減るだろうけれど…もう外食できないっす…