健康サポートプロジェクト
合同会社健康サポートプロジェクトです。 10数年にわたって健康経営を推進する企業・団体様向けに健康セミナーや研修コンテンツ等で具体的なサポートをおこなってきました。 福利厚生や労災対策として従業員の方が生活習慣の中で無理なく継続できるエクササイズをご紹介します。
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何歳になっても、文房具が大好き
そして、ペンケースが大好き
最近はスマホのノートアプリやPCがあれば、文房具を使わなくてもよいが、文房具を新調したり変わったものを手に入れたり、かわいいものをそばに置くだけで不思議とやる気が出る!
そのうえ、何かを「書き留める」という作業は、見て・聞いて…外から入力したものを脳内を通って、感じて・考えて…それを出力(書く)するという大切な運動。
タイピングも運動であるが、タイプするだけで漢字がポンポンでてくるので、あまり考えなくても良いが、文字を書くとなると漢字を思い出し、より多くの脳神経を使うような気がする。
私にとっては、書くという運動のモチベーションを上げてくれる文房具は大切なアイテムとなる。
どうでもよい話であるが、今も象が踏んでも大丈夫!のペンケースを愛用している。
象のくだりは本当であろうか…
こちらはどうでもよくない話であるが、(写真)お客様が、わたしのカラーをイメージしてこさえてくれた一本ペンケース
スカイブルー、マリンブルー。空と海と雲である。
一目で気に入ってしまった。
頭の中のモヤモヤとしたもの
アイデア
知識を形にしたもの
情報の記録
思ったこと
どんどん忘れていくから、いっぱいいっぱい書こう。
仕事にも旅にも連れて行こう。
ありがとう!
2009年ごろにダニエル・ピンクさんの〝フリーエージェント社会の到来〟という書籍を読んだ。
今は新装版が出ている。
初版が出版されたのは2002年のことなので、今からもう18年前の書籍だ。
〝フリーエージェント社会の到来〟を読み衝撃を受けた。
何に衝撃を受けたかというと、当時は自分でフリーランスと言いながら、フィットネスクラブのプログラムアドバイザーをしたりレッスンしたり。
あちこちのフィットネスクラブをかけもちし、フリーランスと言いながら実はフィットネスクラブの庇護(ひご:かばってまもること)を受けていたのだ。
※これは、仕事としての割合はかなり減ったが、現在も続けさせていただいている。
フリーエージェントとは、ひとりで働き、組織の庇護を受けることなく自分の知恵だけを頼りに、独立していると同時に社会とつながっているビジネスを築き上げた人々を指す。
フリーでありながらフリーではない…ということに気付き衝撃を受けたのである。
・
・
・
これまでは一つの会社に長く勤め続けることが良しとされてきたが、そうした時代は終わる…そんなことが書かれている〝フリーエージェントの到来〟は、アメリカの話。
日本はそのような流れには大きく遅れをとっているのだが、コロナ禍の今、まさにフリーエージェント社会が日本にも到来しているような気がする。
・
・
・
2011年の1月に健康サポートプロジェクトを立ち上げた。
健康サポートプロジェクトとは、運動指導で健康の輪を広げようというプロジェクトで、運動指導のプロとして様々な形のプロジェクトにかかわっていこうというもの。
会社に雇用されないので、1つのプロジェクトが終われば任務遂行でそのプロジェクトは解散である。
来年の1月1日でちょうど10年になり、9年間継続させているサービス。
この9年間で数えきれないほどのいろんなプロジェクトにかかわらせていただいた。
いただいた実績の積み重ねで、リピートしてくださっていたり、新規でご依頼くださったりと、今もコロナ禍だというのに忙しくさせていただいていることが本当にありがたい。
今は2人で活動しているのだが、正直人手が足りないと感じる時が増えてきたので、運動指導者仲間に声をかけプロジェクトに参加していただくこともチラホラ出てきた。
そこまでに9年はかかりすぎかもしれない。
フリーエージェント社会の到来なので、今後も雇用することは無いのだろうが、プロジェクトに関わってくれる仲間が増えたら、健康の輪が広がっていくだろうな…と思っている。
新装版、〝フリーエージェント社会の到来〟をもう一度読んでみようと思う。
※リアルタイムのログではありません。数日前のログになります。
〝人間一生 物見遊山…〟
これは江戸っ子の人生観を表す言葉。
生まれてきたのは、
この世をあちこち寄り道しながら見物するためであり、
せいぜいあちこち見て、
見聞を広めて友だちを増やし、
死んでいけばいい…と考えていました。
わたしはこの言葉が好きで、自分もそうしたいと思っています。
京都三条大橋から、お江戸日本橋まで東海道&中山道69次。
江戸時代の人は、江戸から京都までの135里34町余(約540km)㎞を歩いていたそうです。
出張や用事に合わせるので
宿場の順番通りにはいきませんが、西から東へ。
物見遊山しながら…自分の脚で走って一本の道をつなげてみようと、旅をしています。
コロナの様子を見ながら、感染予防して
〝うつさない・うつらない〟の心がけをして…
野尻駅~第40次 野尻宿を経て〜第39次 須原宿〜第38次 上松宿〜第37次 福島宿〜第36次 宮ノ越宿~第35次 薮原宿~第34次 奈良井宿まで。
あちこち寄り道しながら2日間で55㎞走ってきました。
【関連記事】
●野尻宿~須原宿
●須原宿~上松宿
●上松宿~福島宿
●[番外編]木曽福島/福島宿
●福島宿~宮ノ越宿
●宮ノ越~薮原宿
●鳥居峠越え
●奈良井宿
鎮神社(しずめじんじゃ)は、鳥居峠の入り口付近にあり、奈良井宿から鳥居神社へ向かう人は安全祈願をするという。
疫病流行を鎮めるために祀られた神社で、コロナ禍の今、拝まずにはいられない。
奈良井宿は、連続テレビ小説〝おひさま〟(昭和初期の話)のロケ地にもなった。
●中村邸
塗櫛の問屋を営んでいた中村家の住居。市の有形文化財である。
●鍵の手
宿場内のあちこちには水場があり、山の清水が引かれている。
昔は旅人の喉を潤していたのであろう。
●手塚家
手塚家は明治時代に至るまで奈良井宿の問屋をつとめた家。
今は、資料館となっている。
●笹屋酒造
●横水
町屋の守り神「鍾馗(しょうき)さん」
よく京都で瓦でできているものは見るけれど、木彫は初めて対面した。
本陣は、現在標識だけで、公民館と駐車場になっている。
ーーーーー
本陣:1
脇本陣:1
旅籠:5
家数:409
ーーーーー
美しいアーチの木曽の大橋は、総檜造りで橋脚が無い。
木曽の匠の技である。改めて日本の職人の技術は丁寧で素晴らしいな…と感じる。
樹齢300年のヒノキを使っているとか。
●奈良井駅
▼クマに備えるにはどうしたらいいの?→関連記事☆☆☆
▼今年は全国各地でクマ出没情報と事故が多発しています。
※リアルタイムのログではありません。数日前のログになります。
〝人間一生 物見遊山…〟
これは江戸っ子の人生観を表す言葉。
生まれてきたのは、
この世をあちこち寄り道しながら見物するためであり、
せいぜいあちこち見て、
見聞を広めて友だちを増やし、
死んでいけばいい…と考えていました。
わたしはこの言葉が好きで、自分もそうしたいと思っています。
京都三条大橋から、お江戸日本橋まで東海道&中山道69次。
江戸時代の人は、江戸から京都までの135里34町余(約540km)㎞を歩いていたそうです。
出張や用事に合わせるので
宿場の順番通りにはいきませんが、西から東へ。
物見遊山しながら…自分の脚で走って一本の道をつなげてみようと、旅をしています。
コロナの様子を見ながら、感染予防して
〝うつさない・うつらない〟の心がけをして…
野尻駅~第40次 野尻宿を経て〜第39次 須原宿〜第38次 上松宿〜第37次 福島宿〜第36次 宮ノ越宿~第35次 薮原宿~第34次 奈良井宿まで。
あちこち寄り道しながら2日間で55㎞走ってきました。
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●須原宿~上松宿
●上松宿~福島宿
●[番外編]木曽福島/福島宿
●福島宿~宮ノ越宿
●宮ノ越~薮原宿
●鳥居峠越え
●奈良井宿
●鳥居峠
鳥居峠の入り口。
朝霧が去った後は青空が広がり、気温も12~13度と上がってきた。
地面から獣が居た匂いが立ち込め、踊っていた心が盛り下がる。→たぶんイノシシの匂い
魯迅が「もともと地上に道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」というように、町は人が住むので道が多く、かえって迷いやすい。
鳥居峠は道も整備され、道標もしっかりあって迷うことはない。
山を走るたびに感じるが、町と違って違い山の中の方が道がわかりやすいなと思う。
落ち葉で滑りやすくなった石畳の道を御嶽神社前まで慎重に登っていく。
軽く走りながら少しずつ前に進む。
石碑には〝中山道〟と書いてある。
大きなクマよけの鐘をガラガラーと鳴らして山に響かせてみた。
こーゆーのを見ると、本当に熊が住んでいるんだな…と思う。
人の気配が全くないので「よろしくおねがいしまーす!入りまーす!」と大きな声であいさつした。
つづら折りの上り坂を進んでいく。
ここから、曲がり角前や橋を渡る手前では「通りまーす」
獣も出没せず無事通れたら「ありがとうございまーす!」と声を出していった。
奈良井の方から誰かがやってきたら、ちょっと怖がれるかも知れない。
熊の出没は怖いけれど、とっても気持ちの良いトレイル!
御嶽神社までは登りであるが、標高差も200mくらいなので、いつも登っている山よりも楽である。
熊の心配さえなければかっ飛ばして走りたいくらいだった。
(かっ飛ばすと出合い頭に会ってしまう可能性があるのでかっ飛ばさない)
御嶽神社。
階段を登って奥の遙拝所からは御嶽山が見える。
…だが、ソロなので獣対策のため山中では休憩所や広場・神社には近づかないことにした。
お天気もいいので、おそらく御嶽山が綺麗に見えているはず。
英泉が描く木曽街道・薮原の浮世絵では、鳥居峠で昼食をとる旅人か?飛脚か?の姿や、女性の親子柴を背負って峠越えをしながら御嶽山を眺めている絵なのだが、おそらくこのあたりだろうか。
御嶽遙拝所に建っていた鳥居から、鳥居峠の名前がついたとか。
熊よけのベルを鳴らして下っていく。
浮かれている気分がどんどん盛り下がって緊張感高まる…(笑)
鳥居峠のトチの木群。
木祖村の天然記念物である子産みのトチ。
穴の開いたトチの木からは、捨てられた赤ちゃんが出てきて、子宝に恵まれない村人が育てて幸せになったという伝説がある。
今は子宝のご利益があるとか。
またまた熊よけのベル。
ガラガラ鳴らして進む。
お六櫛のミネバリの植栽林地。
1年で3㎜しか太くならない堅い堅い木。
中山道道標。
中利茶屋跡。
立派な休憩所である。
トイレもあるのだが、冬季は閉まっていて使えない。
●鳥居峠一里塚
江戸から65里。
峠に、私の声が響き渡る。
橋は走らない。歩く。。。
中の茶屋方面へ。
あと1㎞ちょっと…
早く峠を越えたいという気持ちと、終わってしまうのが寂しい気持ちと。
中の茶屋。
こういうところにもソロの時は入らないようにしている。
落ち葉のフカフカトレイル。
紅葉が綺麗すぎる。
峠ももうすぐ終わりのところで、ニッコリ微笑んでくれた石仏。
癒されて(´▽`) ホッとした。
終りかけということで、テンションMAX。
ありがとーと峠で叫びまくる。
峠。。。終わった。
誰にも会わなかった。。。
峠の方に向かって一礼し、峠を後にする。
過去に、鎮神社100mのところで熊が出ているので、まだ気が抜けない。
●鎮神社
奈良井の総鎮守。
ここはスルー出来なくて吸い寄せられるように本殿へ。
無事に峠を越えたので、お礼をして奈良井宿に向かう。
▼クマに備えるにはどうしたらいいの?→関連記事☆☆☆
▼今年は全国各地でクマ出没情報と事故が多発しています。
※リアルタイムのログではありません。数日前のログになります。
〝人間一生 物見遊山…〟
これは江戸っ子の人生観を表す言葉。
生まれてきたのは、
この世をあちこち寄り道しながら見物するためであり、
せいぜいあちこち見て、
見聞を広めて友だちを増やし、
死んでいけばいい…と考えていました。
わたしはこの言葉が好きで、自分もそうしたいと思っています。
京都三条大橋から、お江戸日本橋まで東海道&中山道69次。
江戸時代の人は、江戸から京都までの135里34町余(約540km)㎞を歩いていたそうです。
出張や用事に合わせるので
宿場の順番通りにはいきませんが、西から東へ。
物見遊山しながら…自分の脚で走って一本の道をつなげてみようと、旅をしています。
コロナの様子を見ながら、感染予防して
〝うつさない・うつらない〟の心がけをして…
野尻駅~第40次 野尻宿を経て〜第39次 須原宿〜第38次 上松宿〜第37次 福島宿〜第36次 宮ノ越宿~第35次 薮原宿~第34次 奈良井宿まで。
あちこち寄り道しながら2日間で55㎞走ってきました。
【関連記事】
●野尻宿~須原宿
●須原宿~上松宿
●上松宿~福島宿
●[番外編]木曽福島/福島宿
●福島宿~宮ノ越宿
●宮ノ越~薮原宿
●鳥居峠越え
●奈良井宿
中山道は、標高1090mある山吹山を巻くように進んでいく。
山吹とは、植物のやまぶきから名付けたのかと思えば、木曽から京都まで義仲と行動を共にした山吹御膳の名からきているらしい。
義仲はやるのぅー♬
とても美しい形をしていて見とれてしまう。
それに、登山道もあり登れるようだ。
邑淵(ともえがふち)碑や森川許六の句碑のあたりは、もみじの赤いじゅうたんで真っ赤だった。
奥は木曽川が直角に曲がる場所で、渦ができると看板に書いてあったが、この日の水の流れは穏やかで、渦は見えなかった。
●中山道ルートを外れて急いだ国道19号線
本来中山道は、山吹山を巻くように山と木曽川沿いの使われていないフェンスで塞がれた国道に入っていく。
ガイドブックにも〝フェンスで塞がれているが、横から入れるようだ〟と書いてある。
フェンスを越えて行きたかったが、反対側を走っていたため、車どおりが激しくてフェンス側に渡れず…
しかも、スマホのGPSアプリは直進して山吹トンネルをくぐれ…となっていたので、そのまま山吹山を巻いている中山道と合流する地点まで山吹トンネルを直進することに…。
吉田一里塚はトンネル出口にあったもかかわらず自分が居た反対側の車線だったために行くことはできなった(涙)
吉田洞門を走る。
吉田洞門を超えたあたりで反対側の菅橋方面へ渡らなければならなかったが、これも車どおりが激しくて国道19号線を直進することに。
ほんの200mくらいの話だけれど、中山道ルートを外れてしまった。
車どおりが激しい…とはいえ、少し待てば車が来ないタイミングもあるだろう。
しかし、直進を選んだのは、午前10時までに薮原宿に到着しなければならなかった理由があったからである。
また、GPSアプリでの中山道の軌跡は、私が走った国道19線を直進せよとなっていて、ガイドブックは木曽川沿いを菅橋の方向へ…となっていて、ちょっと混乱して面倒くさくなっていた。
早く到着するために、早く進めるほうを選択してしまった。
ログをして思い出したが、
旅の下調べをしていた時に、山吹トンネルから菅橋あたりのガイドブックとGPSアプリの軌跡の違いが疑問だったので、中山道を踏破した方に質問しようと思っていてすっかり忘れていたことをこの時に思い出した。
おかげで、国道19号線沿いにある鳥居峠を越える旅人の壁画が見れたけど、ルートを外れたのは心残り。
しゃーない!
●薮原一里塚
江戸から66里。
D51 238が眠っている。
トイレをお借りすために、薮原駅へ…
川沿いの地下歩道で駅へ。
増水した時はどうするんだろう。
レトロな薮原駅。
●薮原宿高札場
●お六櫛
ルートを外してまで早く宿場に到着したかったのは、お六櫛を買うためであった。
前もって午前10時までに行くと伝えていたので、どうしても時間までに店へ到着しなければならなかったのだ。
お六櫛を購入の様子は [わたしが見つけた日本製]長野・木祖村 お六櫛 の記事にまとめてみたので、よろしければどうぞ。→●時を超えても使いたい櫛〝お六櫛〟
●防火高塀跡
高い土塀を作って火を防いでいたとか。
地震・雷・火事・おやじ…と言うけれど、昔は火事で家が無くなることが多かったんだな。
●湯川酒造
狸さんと杉玉。
残念ながら時間が早すぎて営業していない。
●薮原宿本陣跡
明治17年の大火事で建物の多くは焼失してしまったとか。
今は本陣の標のみである。
ーーーーー
●本陣:1
●脇本陣:1
●旅籠:10
●家数:266
ーーーーーー
●飛騨街道分岐点
飛騨高山まで十九里。。。
結構近い!
飛騨街道分岐点前の坂道を上り、いよいよ鳥居峠越えに。
▼クマに備えるにはどうしたらいいの?→関連記事☆☆☆
▼今年は全国各地でクマ出没情報と事故が多発しています。
※リアルタイムのログではありません。数日前のログになります。
〝人間一生 物見遊山…〟
これは江戸っ子の人生観を表す言葉。
生まれてきたのは、
この世をあちこち寄り道しながら見物するためであり、
せいぜいあちこち見て、
見聞を広めて友だちを増やし、
死んでいけばいい…と考えていました。
わたしはこの言葉が好きで、自分もそうしたいと思っています。
京都三条大橋から、お江戸日本橋まで東海道&中山道69次。
江戸時代の人は、江戸から京都までの135里34町余(約540km)㎞を歩いていたそうです。
出張や用事に合わせるので
宿場の順番通りにはいきませんが、西から東へ。
物見遊山しながら…自分の脚で走って一本の道をつなげてみようと、旅をしています。
コロナの様子を見ながら、感染予防して
〝うつさない・うつらない〟の心がけをして…
野尻駅~第40次 野尻宿を経て〜第39次 須原宿〜第38次 上松宿〜第37次 福島宿〜第36次 宮ノ越宿~第35次 薮原宿~第34次 奈良井宿まで。
あちこち寄り道しながら2日間で55㎞走ってきました。
【関連記事】
●野尻宿~須原宿
●須原宿~上松宿
●上松宿~福島宿
●[番外編]木曽福島/福島宿
●福島宿~宮ノ越宿
●宮ノ越~薮原宿
●鳥居峠越え
●奈良井宿
福島関所を通過する旅人の絵…
福島関所までの上り坂は、石仏が並んでいる。
1つ1つ「今日もよろしくお願いします」とお願いしてみた。
●福島関所
碓氷、箱根、新居と並ぶ4大関所の1つで、厳重な取り締まりで有名だった場所。
朝霧美しい~!と高揚する心と、「前が見えない」不安と…。
この先の鳥居越え大丈夫かなーと先の見えないことを心配する。
●出尻一里塚
江戸から69里。
●手習天神
木曽義仲の手習いを目的に学問の神の北野天満宮を勧請した神社。
大きな二十三夜塔は、写真じゃ伝わらないが、とにかくでかい。
※二十三夜塔とは:
庚申講と同じく民間信仰のひとつとして、人々が集まって月を信仰の対象とし、集まって飲食をしお経などを唱えて月を拝み、悪霊を追い払うという月待行事行う記念のために建てられたもの。
集まって飲食することは、コロナ禍となった今はなかなか難しいけれど、集まって飲食することって、昔から何らかのパワーになっていたんだな…と再確認。
正沢川を渡り、ちょっとだけトレイルへ。
民家が近くにあるのだが、霧ががって不気味だった。
●中山道中間点
ようやく中山道も中間点。
中間点に到着するまでに…寄り道し過ぎていて、既に350㎞以上走っている。
〝江戸へ六十七里二十八町=約266Km〟の道標の文字も266㎞では済まないような気がしてきた。
〝人間一生 物見遊山〟は走る旅のテーマであるから、あちこち寄り道をして、いろんなものを見て見識も友達も増やしていきたいから、ゴールに早く辿り着かなくてもいい。
先が長いこの旅に楽しさすら感じる。
そう思うと、辛いことも楽しいことも色々ある道中が一番楽しいのかもしれない。
きっと人生も同じであろうか。
霧で前が見えない(見通しがつかない、得体がわからない)ことは怖いけれど、不安ばかりの時間を過ごしていては勿体ない。
〝目の前のことに集中せよ〟
霧の中を走ったこの区間は、そう教えてくれているような気がした。
-------
●本陣:1
●脇本陣:1
●旅籠:21
●家数:137
ーーーーーーー
宮ノ越宿に着いたころ、青空が広がってきた!
楽しんでいこう♬
▼クマに備えるにはどうしたらいいの?→関連記事☆☆☆
▼今年は全国各地でクマ出没情報と事故が多発しています。
※リアルタイムのログではありません。数日前のログになります。
〝人間一生 物見遊山…〟
これは江戸っ子の人生観を表す言葉。
生まれてきたのは、
この世をあちこち寄り道しながら見物するためであり、
せいぜいあちこち見て、
見聞を広めて友だちを増やし、
死んでいけばいい…と考えていました。
わたしはこの言葉が好きで、自分もそうしたいと思っています。
京都三条大橋から、お江戸日本橋まで東海道&中山道69次。
江戸時代の人は、江戸から京都までの135里34町余(約540km)㎞を歩いていたそうです。
出張や用事に合わせるので
宿場の順番通りにはいきませんが、西から東へ。
物見遊山しながら…自分の脚で走って一本の道をつなげてみようと、旅をしています。
コロナの様子を見ながら、感染予防して
〝うつさない・うつらない〟の心がけをして…
野尻駅~第40次 野尻宿を経て〜第39次 須原宿〜第38次 上松宿〜第37次 福島宿〜第36次 宮ノ越宿~第35次 薮原宿~第34次 奈良井宿まで。
あちこち寄り道しながら2日間で55㎞走ってきました。
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●須原宿~上松宿
●上松宿~福島宿
●[番外編]木曽福島/福島宿
●福島宿~宮ノ越宿
●宮ノ越~薮原宿
●鳥居峠越え
●奈良井宿
駅の横には〝D51 775〟
国鉄時代は北陸本線を走っていて、1973年の8月26日にさよなら運転をしたようだ。
ボディは厚く黒のペイントがされていて新しい感じがするが、姿カタチは昔のまま。
今にも黒い煙を出して走りだしそうである。
私が生まれた時は福井を走っていた〝D51 775〟
両親も775に乗車して旅行に出たのかなと想像してみる。
坂を上ると、上の段と呼ばれる地区に入っていく。
上の段は木曽義昌の居城「上之段城」があった場所で、郭内の道筋が多く残されている。
福島宿は、昭和2年の大火でほとんどが消失し、現在の街並みはそれ以降につくられたものだが、うだつのある町屋や土蔵が並び、井戸や水車もあり、レトロで情緒あふれる宿場町である。
●高札場
●福島宿・本陣
本陣があった白木屋は明治39年に町役場となり、現在は広小路プラザ。
建物の前には本陣の碑が建つ。
ーーーーー
本陣:1
脇本陣:1
旅籠:14
家数:158
ーーーーー
●くるまや本店
創業300年の〝くるまや本店〟さんで遅めの昼食。
コロナ対策をしっかりされていて、元気に営業中だ。
おそらくコロナ過でなければ、スッとは入れないほど人でにぎわっているのだろう。
〝鳥ぬき付き ざる蕎麦〟をオーダーする。
鳥ぬき…とは、鳥南蛮そばの具。
蕎麦の箸休めや、お酒のアテみたいな感じだろうか。。。家でも作れないかと味わいながらいただく。あまりにもの鳥ぬきの美味しさに、お酒を頼み忘れたのが心残り。
黒くて太くてピカピカ光るお蕎麦も、つけ汁につけなくても十分美味しい。
噛み応えがあり、噛めば噛むほど美味しいお蕎麦だった。
●駅前の喫茶店
早く木曽福島につきすぎて宿に入れないので、チェックインの時間まで駅前の喫茶店へ。ここもコロナ対策をしっかりされている。
お宿は、有名な〝いわや〟ではなく、、、
●むらちや
木曽福島で選んだ宿は民宿の〝むらちや〟さん。
年配の女将さんがお世話をしてくれた。
コロナ対策をしっかりされて営業中だ。
私のほかに、リピーターだという年配の男性と、出張で木曽福島へ3日間連泊しているという男性。
たった3人が宿に泊まっている。
女将さんからは、コロナ禍における宿場の厳しさやインターネットの苦労、Gotoトラベルについて、生の声を聴くことができた。
本当に厳しいと思う。
コロナ3波が来ているが、怖いと言って巣ごもりしていては経済が死んでしまうし、怖くないからと対策なしでワイワイすれば、感染拡大につながるし…。
〝うつらない・うつさない〟ように気を付けて、1人で静かに旅に出ているが…旅先でどう行動するか?個人個人の責任ある行動がカギになるだろう。
あいにく、この中山道の旅は、コロナ3波と騒がれる前の出来事で、今年はもう宿場をめぐることはないだろうが…。
この冬、社会や経済がどうなるのか非常に気になるところ。
また御嶽山に登るときは、かならず来るからね!と約束したが、女将さんは冗談交じりで「それまで続けられるかな…」って言っていた。
早く賑わいがもどり、安心して旅行を楽しめる日本になるといいなと思う。
翌朝の朝食の時に、女将さんとソーシャルディスタンスで1時間くらい話したかな…。
中山道を走ろうと思った動機や、道中の話、古き良きものを訪ね走る、女1人の旅話を興味深く聴いていて、
「あなたの感性で、中山道を走ることは、あなたにしかできないことだから、がんばってね!」とエールをくれた。
むらちやさん、また来るからね。
行人橋から見た風景を見ながら、福島宿をあとにする。
川岸ギリギリにせり出しギュウギュウに並んでいる崖家づくりの家並みが、西の起点であった京都の様で懐かしい。
起点と言えば…行人橋は御嶽街道の入り口。御嶽山を目指す街道の起点である。(御嶽古道)
いつか木曽福島からバスで黒沢登山口ではなく、自分の脚で御嶽山まで目指してみたいものだが…まずはバスかな。
また御嶽山に登りに行こう。
またむらちやさんへ泊まりに行こう。
▼クマに備えるにはどうしたらいいの?→関連記事☆☆☆
▼今年は全国各地でクマ出没情報と事故が多発しています。
※リアルタイムのログではありません。数日前のログになります。
〝人間一生 物見遊山…〟
これは江戸っ子の人生観を表す言葉。
生まれてきたのは、
この世をあちこち寄り道しながら見物するためであり、
せいぜいあちこち見て、
見聞を広めて友だちを増やし、
死んでいけばいい…と考えていました。
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京都三条大橋から、お江戸日本橋まで東海道&中山道69次。
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出張や用事に合わせるので
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●鳥居峠越え
●奈良井宿
あげまつ大橋手前を横断地下道で木曽川沿いに出る。
太陽の塔みたいな石を発見。
自然が作る彫刻に岡本太郎もびっくり!
ひたすら木曽川沿いを走る。
これがまた気持ち良い。
対岸に見えるは、木曽のかけはしではなくて、木のかけはし。
ひたすら北に走ると、なんやら赤い橋が見えてきた。
木曽のかけはしかな…と思いきや、そうではない。
赤い橋には〝かけはし〟と書いてあるので、これが木曽のかけはしと勘違いしてしまいそう。
木曽八景の1つ「桟の朝霞」になった場所は赤い橋の対岸で、桟温泉の方から中山道を見ると見える。
こんな歌が…。
恐ろしや木曽のかけ路の丸木橋 ふみ見るたびに落ちぬべきかな(空人)
桟やいのちをからむ つたかづら(更科紀行・芭蕉)
かけはしや水へとどかず五月雨(子規)
昔はさぞかし怖い橋だったんだろうと思われる。
安全に走れるようになったのも、先達のおかげだな。
道は自然とともに生きている。永遠ではない。
倒木や土砂崩れがあれば、迂回しなければならない。
藪原宿までは道標が出てない区間も多く、通行止めがあったりとルートも変わっていて、途中迷われてる方がいたので、次の宿場までご一緒させていただいた。
毎年御嶽山に登っていて、東海道は完踏されたそうで、次は中山道経由で信州善光寺までだとか。
72歳の同級のお友達と、それぞれが好きな時にバラバラで善光寺に向かって歩かれているそう。
善光寺街道は 中山道の 洗馬追分(現、塩尻市洗馬)から北国街道の 篠ノ井追分(現、長野市篠ノ井)までの約67kmで、さらに善光寺までは3里が加わり約80km。
それを岐阜からスタートなので何kmくらいなのだろう。
女一人で走っていることに驚かれていたけれど、私も興味深く素敵な方にお会いできて嬉しい限り。
一人旅は自分の写真が無いだろうと、写真を撮ってくださったのと、
仲間に旅の自慢をするから、記念に私の後ろ姿を撮らせてと…一眼レフ構えていた(笑)
一緒に木曽福島駅まで。
「あなたは大物になるから…」とうれしいエールをくださったが、大物になるには少し急いで生きたほうが良い年齢(笑)
ありがたい言葉を胸に、うまずたゆまず生きていこう。
駅で、72歳の紳士と別れ、私は福島宿を散策する。
刺激的なオッちゃんやったな。
駅前にはデゴイチ。
木曽の風景にデゴイチは似合うなぁ。
看板を見るとさよなら運転は昭和48年8月。福井(北陸本線)を走っていた様。
両親も乗ったのかな…と思いをはせる。
▼クマに備えるにはどうしたらいいの?→関連記事☆☆☆
▼今年は全国各地でクマ出没情報と事故が多発しています。
※リアルタイムのログではありません。数日前のログになります。
〝人間一生 物見遊山…〟
これは江戸っ子の人生観を表す言葉。
生まれてきたのは、
この世をあちこち寄り道しながら見物するためであり、
せいぜいあちこち見て、
見聞を広めて友だちを増やし、
死んでいけばいい…と考えていました。
わたしはこの言葉が好きで、自分もそうしたいと思っています。
京都三条大橋から、お江戸日本橋まで東海道&中山道69次。
江戸時代の人は、江戸から京都までの135里34町余(約540km)㎞を歩いていたそうです。
出張や用事に合わせるので
宿場の順番通りにはいきませんが、西から東へ。
物見遊山しながら…自分の脚で走って一本の道をつなげてみようと、旅をしています。
コロナの様子を見ながら、感染予防して
〝うつさない・うつらない〟の心がけをして…
野尻駅~第40次 野尻宿を経て〜第39次 須原宿〜第38次 上松宿〜第37次 福島宿〜第36次 宮ノ越宿~第35次 薮原宿~第34次 奈良井宿まで。
あちこち寄り道しながら2日間で55㎞走ってきました。
【関連記事】
●野尻宿~須原宿
●須原宿~上松宿
●上松宿~福島宿
●[番外編]木曽福島/福島宿
●福島宿~宮ノ越宿
●宮ノ越~薮原宿
●鳥居峠越え
●奈良井宿
池之尻集落を抜けると国道19号線に合流する。
●倉本一里塚
倉本一里塚の前は、車が止められるようなスペースがあるため、トラックが休憩していることがある。
トラックに隠れて見えなかった倉本一里塚。
ちょっと探してしまった。。。
一里塚を超えたら再び国道を離れ、倉本の集落に入る。
柿の実もたわわ。
空木岳 倉本コースの登山口前を通過する。
ここから、百名山の標高2,864 mの山頂へと続く。
山に執着していた私が、登山道を行かず古道を行くって…新しい自分やな(笑)
コロナ禍で執着も落ちたなと思う。
近くで整備していたオッちゃん3人組に「空木かー熊気をつけてー」と注意喚起される。
「中山道ですー」と返事をすると「おおー!がんばってー!」とエールをくださった。
応援されるって電池が切れそうになった身体に再び喝が入る様でうれしい。
木で造られたレトロな倉本駅に到着。
古い古い旧式のトイレをお借りする。
ちなみに南木曽以降は旧式トイレが多い。
つり橋の諸原橋。
揺れるけれど気持ちがいいので、中山道のコースをそれて橋の真ん中まで渡ってみる。
歩道橋の上から、空木岳(奥)をながめる。
空木岳からはだいぶん離れたな。
木曽駒ヶ岳の山並みの紅葉も、麓まで降りてきていて、まだ美しさを保っている。
もう終わったかなーと思った紅葉を拝めて幸せ。
旧道に入ったり、新道に出たり…。
スマホアプリのナビは旧道を見逃すし、地図もしっかりチェックしないとルートを外すから、丁寧に走りながら荻原一里塚に到着。
●萩原一里塚
江戸から73里。
●小野の滝
北斎も広重も浮世絵に描いた滝。
この日は、大砲のようなレンズを付けたカメラ小僧が秋の小野の滝の一瞬を狙っていた。
●滑川橋
もと国道だそう。東側に山が見え、川の流れが美しい。
この区間で一番美しいな…と息をのんだ場所だ。
昔の立場茶屋の風景。
越前屋さん(お蕎麦)と古い町並み。そして郵便ポストがレトロでいいね!
旅人は、越前屋の「寿命そば」を食べるのを楽しみにしていたそう。
島崎藤村「夜明け前」より。
〝駒ヶ嶽見て染めけるを背後に小さき汽車は峡に入りゆく〟
●駒ヶ岳明神
寺坂の階段が中山道だが、ルートをそれて駒ヶ岳の登山口へ。
●上松一里塚
江戸から72里
●上松宿本陣
何度も行ったり来たりして探した本陣。
昭和25年の火事で史跡が燃えてしまって、塚本歯科医院が本陣跡の様である。
向側の家が脇本陣の様だ。
こりゃ、わからないわ…。
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●本陣:1
●脇本陣:1
●旅籠:35
●家数:362
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●和心(わしん)
古い繭蔵をリノベーションしたお菓子屋さん。
中ででもお茶と生菓子をいただけるのだが、コロナ禍なので外でいただくことにした。
丸ごとミカン大福!!!
甘酸っぱい果糖とクエン酸が体に沁みわたる。
美味しかったな。
中山道上松宿北口・高札場
十王橋のところに、馬頭観音様たちが並んでいる。
ここで上松宿に別れと感謝を告げ、福島宿を目指す。
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▼今年は全国各地でクマ出没情報と事故が多発しています。