■走る旅:中山道〔56〕茂田井一里塚~茂田井宿~第25次 望月宿~長坂
※リアルタイムのログではなく、数日前のログです。
〝人間一生 物見遊山…〟
これは江戸っ子の人生観を表す言葉。
生まれてきたのは、
この世をあちこち寄り道しながら見物するためであり、
せいぜいあちこち見て、
見聞を広めて友だちを増やし、
死んでいけばいい…と考えておりました。
わたしはこの言葉が好きで、自分もそうしたいと思っております。
コロナの様子を見ながら、感染予防して
〝うつさない・うつらない〟の心がけをしてこの旅を進めます。
今回は、ようやく帰ってきました!
厳冬期や緊急事態宣言などの社会情勢の理由で、8か月寝かした中山道を走る旅。
3泊4日で4つの峠を越え、約120㎞前進できまして、もうすぐ関東平野に抜けます。
しかし、今回の旅が終わった瞬間に大阪には緊急事態宣言が出まして、
またまた旅はSTOPします。
思うようにならない、そんな先を急がない旅に最初はイラついておりましたが、次第にドラマティックで良いかと思うように。
この章は、 笠取峠一里塚~笠取峠松並木~第26次 芦田宿~茂田井間の宿~茂田井一里塚までの続きで、茂田井一里塚を過ぎ、茂田井宿へと入っていきます。
民宿みや さんから、佐久平までの28㎞の旅。
28㎞は長くなるので、何分割かしながら旅をふり返りましょう。
■ルート:
民宿みや~第27次 長久保宿~笠取峠~第26次 芦田宿~第25次 望月宿~第24次八幡宿~第23次 塩名田宿~佐久平 (28km)
茂田井一里塚を過ぎると、茂田井宿の宿場。
幕府公認ではないために、旅籠はありません。
旅人の休憩どころとなった宿場です。
●馬頭観音石碑
めちゃくちゃ大きな石碑です。
●茂田井間の宿の看板
●茂田井村下組高札場跡
茂田井村は戸数が多く、上組、下組と二人の名主がいた時代があり、高札場が2か所ですね。
土壁の塀や白壁の造酒屋が多く、レトロ感がたまりません。
古臭いのがすごくいいです。
映画・たそがれ清兵衛のロケ地になったとか。
●中山道茂田井入り口
お江戸からの入り口です。
●望月宿 マンホール
望月宿は、八月の満月の日に合わせて、名馬を京都に納めていたことから望月と呼ばれるそう。
マンホールはお馬さんなんですね。
●宿場の街並み
昔は下駄屋さんですね。
軒先に看板が下がっています。
「毎月都で開かれる市に出店する店は、各店とも商品がわかるように看板を…」と。平安時代には看板を出すことが法律化されていたそう。
「看板」の語源は「看(み)せる板」。
安土桃山時代の末期から江戸時代にかけて「看板」という言葉が使われるようになっていったとか。→Instagramでお友達が教えてくれました。
今でも残っている本陣は、病院や歯科医院が多いような気がします。
望月宿は小児科医院。
長坂の双体道祖神様、あどけない表情で、とってもかわゆいです。
●本陣:1
●脇本陣:1
●旅籠:9
●家数:82
今にも真田広之さんと宮沢りえちゃんが出てきそう。
綺麗すぎなく、どこか不完全で、イビツでムラがある。
どんな時代を見てきたのだろうと、自分と物や場の関係性をどんどん連想し想像が膨らんでいく…。
中山道は、わたしの好奇心を掻き立ててくれる道です。
●高温多湿の梅雨や炎天下の夏の季節は、帽子をかぶったり、こまめな水分補給をしたりして、充分な熱中症対策を心がげましょう。
●冬場は防寒対策を行いましょう。
●中山道は思った以上にコンビニがありません。行動食を持っておきましょう。
●トイレは駅やコンビニがほとんどです。事前に場所をチェックしておきましょう。
●自販機はあるコースと峠越えなどは自販機が無いコースもあります。余分に水分を持参しておきましょう。
●お天気が急に変化しますので、レインウェアを持参しましょう。
●救急グッズを持っておきましょう。
●ローカル線は電子カードが使えないことが多いので、電車賃を準備しておきましょう。