■大阪の街にも勝海舟
13年前に読んだ書籍「勝海舟の人生論」。

アンテナをしっかり立てると、自然と情報が集まるものですね。
(資金調達は坂本龍馬が交渉)
●勝海舟は、江戸城無血開城などが有名ですが、
海軍塾は廃止されることになりますが、
龍馬や陸奥宗光(後の外務大臣・カミソリ大臣)にとっては
塾で学んだことが将来への行動へと繋がっていったのではないでしょうか。
先達からの志のリレーですね。
健康サポートプロジェクト
合同会社健康サポートプロジェクトです。 10数年にわたって健康経営を推進する企業・団体様向けに健康セミナーや研修コンテンツ等で具体的なサポートをおこなってきました。 福利厚生や労災対策として従業員の方が生活習慣の中で無理なく継続できるエクササイズをご紹介します。
※リアルタイムのログではなく、数日前のログです。
〝人間一生 物見遊山…〟
これは江戸っ子の人生観を表す言葉。
生まれてきたのは、
この世をあちこち寄り道しながら見物するためであり、
せいぜいあちこち見て、
見聞を広めて友だちを増やし、
死んでいけばいい…と考えておりました。
わたしはこの言葉が好きで、自分もそうしたいと思っております。
コロナの様子を見ながら、感染予防して
〝うつさない・うつらない〟の心がけをして…
京街道の旅。
今回は、京街道〔3〕のつづき
京阪守口市駅~京阪石清水八幡宮駅までの30㎞の道中の一部(後半の17㎞)を記録します。
■ルート:
枚方宿西見附~枚方宿~御殿山駅~牧野駅~樟葉駅~橋本駅~飛行神社~石清水八幡宮
枚方宿西の見附からです。
この区間は、京阪電車と京街道が並走するので、
いつでも電車での移動に切り替えられるのが安心です。
また、街中を進みますので、自動販売機もコンビニもありますので、
水分補給や軽食を補給するのも便利ですよ。
大阪高麗橋からですと、西の見附から枚方宿へと宿場に入っていきます。
●鍵屋資料館
江戸時代に淀川往来のくらわんか舟を待つことができた「船待ち宿」で、
平成9年まで料理旅館として経営されていたそうです。
別記事で、鍵屋さんをレポートしましたので、
こちらをご覧ください→■[京街道]第56次 枚方宿 鍵屋資料館
●旧枚方宿 問屋役人(田葉粉屋)
楠木一族の後裔の方が問屋役人をされていた様です。
立派なお屋敷です。
●浄念寺
西野御坊と呼ばれ、蓮如上人の河内地方巡化に同行した岩見入道浄念が1495年(明応4年)に開創された浄土真宗のお寺です。
常念寺前の道は防衛のために桝形虎口になっていて
左右に折れ曲がったカタチになっております。
ご先祖様や、ご縁があった方、そして自分自身まで
量ることのできない阿弥陀様は、誰の心にもいらっしゃるものです。
そして、永遠に照らしてくださっています。
…と、最近教えていただきました。
●三矢公園(枚方宿本陣)
枚方宿の本陣は、三矢公園がある場所だった様。
今は面影がありません。
୨୧〔枚方宿〕┈┈୨୧
本陣:1軒
脇本陣:0軒
旅籠:69軒
୨୧┈┈┈┈┈┈┈୨୧
宿場の町並みが面白いです。
●妙見宮常夜灯
妙見宮とは、大阪府能勢にある日蓮宗の道場。
ここから妙見宮へと続いていたのでしょうか。
街中を抜けます。
ショッピングモールの狭間が京街道です。
●枚方橋
現在、地下にもぐっている安居川にかかっていた親柱が残っています。
●東の見附跡
大阪高麗橋からは、東の見附で枚方宿が終わります。
枚方宿の東端。
見張りや番兵がいて、宿場の安全を守ってくれていました。
●一里塚付近
八幡宮の道標や供養塔。
このあたりに一里塚があったようです。
いよいよ八幡宮に近づいてまいりました。
●樟葉駅
●旧三井楼
昔の遊郭です。
二階の窓の造りが独特です。
今は、海外の方が経営されている様で、旅館やボディケアができる施設になっております。
500円で遊郭の名残の見学もできる様なので、
コロナが落ち着いたら、見学してみたいです。
●二宮忠八飛行器工作所跡
明治33年(1900)~明治36年(1903)の間
この地に「二宮忠八飛行器製作所」がございました。
二宮忠八はライト兄弟よりも早く飛行機の原理を発見していたそうです。
製薬会社に勤務しながら、飛行機の研究をなさったとか。
その間ライト兄弟が飛行機開発に成功し、
二宮忠八は別の角度から飛行機開発に力を入れることになります。
世界はいよいよ飛行機の時代へと動きましたが、
飛行機による犠牲者が多かったので、
二宮忠八は自宅内に私財を投じ、飛行神社を建設し、
航空安全と航空事業の発展を祈願したそう。
飛行神社は別記事を書きましたので、こちらをご覧ください→「飛行神社」
●石清水八幡宮
京街道をそれまして、石清水八幡宮へ。
こちらも別で記事を書いておりますので、
よろしければ、こちらをご覧ください。→「石清水八幡宮」
大きく半円を描いた形は、別名「たいこ橋」と呼ばれております。
「安居橋の朧月」は八幡八景のひとつだそうで、
月夜の風景はさぞ美しいのでしょうね。
୨୧┈┈┈┈┈┈┈୨୧
聖徳太子のゆかりの地
「股ヶ池明神」
(ももがいけみょうじん)
୨୧┈┈┈┈┈┈┈୨୧
これまで10数年間、毎週通っているのに
〝なんとなく〟気持ち悪くて、
通過し続けた場所『股ヶ池明神』。
神社は、股ヶ池と書いて〝ももがいけ〟と読みます。
庚申街道と下高野街道が行き交う要の場所にあります。
こちらのもう1つの鳥居は、庚申街道、天王寺側から
狛犬さん。
足元の小さい狛犬の赤ちゃんがかわゆい
手水舎
こちらが、大蛇さんがいらっしゃる祠なんでしょうか。
こちらは…何でしょう?
ぜんぶ〝これまで素通りしてごめんなさい。これからもよろしくお願いします。〟と
挨拶してみました。
明神…と言うと祟り鎮めかなとも思っていたし、
滝行の行場なんぞもあるので、
修験道の要素が濃く、神仏ごちゃっとして、落ち着かないなぁ…なんて感じていました。
しかし、見た目とは裏腹…
鳥居をくぐらせていただくと、結構カラッとした陽気な雰囲気の場所。
地元の人に愛されているのが、良く伝わってきました。
行場。奥には不動明王様が。
水源は池か!!!!?上からザバーッ…と、水が落ちてきそう。
仏さまと神様が混在~
┈┈┈┈┈┈┈
昔、桃ヶ池には大蛇が棲んでいて聖徳太子が退治したという伝承が残り、股ヶ池浮島に穴を掘り大蛇の死体を埋葬したという謂れがあります。
埋葬した後も怪異が続き、霊を沈めるため「おろち塚」をつくり、大蛇の霊を鎮めたとされます。
┈┈┈┈┈┈┈
なるほど!
股ヶ池明神には、沢山の蛇さんがいらっしゃいました。
猫間川ともご縁があるのか?猫の石仏もいらっしゃいました。
いや?タヌキかな…
今は、紫陽花が美しいです。
池に蓮の花が咲く頃、また訪れたいです。
祭神:丸高龍王、丸長龍王
「股ヶ池明神」
●住所:〒545-0012 大阪府大阪市阿倍野区桃ケ池町1丁目9-24
[運動で健康をサポートします!]
●大阪・江坂で、・身体づくりができます。
少人数制で、要望やお悩みに合わせて丁寧に指導させていただきます。
パーソナル指導のサービスもございます。
コンディショニングスタジオBodyLux→ ★★★
●団体・法人様向け 健康セミナーや出張フィットネスです。
会社の福利厚生として、社員の皆様の健康づくりとして
本サービスをご利用ください。
健康サポートプロジェクト→ ★★★
▼女性限定のランニングレッスンです。
これから走りたいとお考えの方、もっと身体に効果的で安全な走り方を習得したい。
大会で記録を更新したい。
そんな方はご利用ください。
こちら→ ★★★
▼女性限定のサービスです。大阪で観光しながら健康づくりをしませんか?
あなたたけの特別な思い出を作りましょう。
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※予約制・女性限定 お申込みや問い合わせはこちら→ ★★★
୨୧┈┈┈┈┈┈┈୨୧
鵲森宮
(かささぎもりのみや)
森之宮神社
୨୧┈┈┈┈┈┈┈୨୧
聖徳太子が建立し、社伝によれば創建は崇峻天皇二年(589年)という古社。
その創建は、四天王寺や法隆寺よりも古いとされております。
聖徳太子は物部守屋との戦いに必勝を祈願され、
勝った暁には四天王像を造ることを誓われました。
その戦いに勝利されて、先ず父母の用明天皇(ようめいてんのう)と穴穂部間人皇后(あなほべのはしひとのひめみこ)を神としてお祀りになったあと、四天王像を造り、四天王寺をお造りになられました。
かささぎ とは、朝鮮半島や中国に生息するカラスの仲間。
日本書紀に「聖徳太子の命により、新羅へ赴いた吉士盤金が2羽の鵲を持ち帰り、難波の杜で飼った」とあり、その難波の杜が、この森であるとされたため、
鵲之森と呼ぶようになり、のち鵲森宮と呼ばれるようになりました。
┈┈┈┈┈┈
主祭神は
●用明天皇
●穴穂部間人皇后
(用明天皇・穴穂部間人皇后は聖徳太子の両親)
※ 日本で唯一、用明天皇と穴穂部間人皇后を祀る神社だそう。
●そして!聖徳太子
[奥社]
天照大神
月読命
素戔嗚尊
狛犬さんの台座には、大東亜戦争の時の焼夷弾の弾痕が残っています。
腿のあたりもそうなのかな…。
いかにも強そうな狛犬さんですね。
仕事前の通勤の道すがらで、あまり時間がなかったのでまたゆっくり立ち寄ろう。
亀井水。
聖徳太子が名付けられました。
この社を建設するにあたって、温泉が湧いたのを発見。
病気の人に入水を許すと、病が癒え、命を保つと評判になりました。
温泉は、昔から身体によいんですね。
四天王寺経由で、聖徳太子に挨拶してから…仕事へ。
聖徳太子さん、今日も一日よろしくお願いします。
「鵲森宮」
●住所:〒540-0003 大阪府大阪市中央区森ノ宮中央1丁目14-2
[運動で健康をサポートします!]
●大阪・江坂で、・身体づくりができます。
少人数制で、要望やお悩みに合わせて丁寧に指導させていただきます。
パーソナル指導のサービスもございます。
コンディショニングスタジオBodyLux→ ★★★
●団体・法人様向け 健康セミナーや出張フィットネスです。
会社の福利厚生として、社員の皆様の健康づくりとして
本サービスをご利用ください。
健康サポートプロジェクト→ ★★★
▼女性限定のランニングレッスンです。
これから走りたいとお考えの方、もっと身体に効果的で安全な走り方を習得したい。
大会で記録を更新したい。
そんな方はご利用ください。
こちら→ ★★★
▼女性限定のサービスです。大阪で観光しながら健康づくりをしませんか?
あなたたけの特別な思い出を作りましょう。
[おひとりさま 大阪歴史健康ウォーキングツアー]
※予約制・女性限定 お申込みや問い合わせはこちら→ ★★★
第56次の宿場町・枚方宿にある鍵屋資料館。
京街道は大阪の高麗橋から始まって、京都までと続きますが、
正直、ほとんど宿場の面影が残っておりません。
唯一宿場の風情を感じることのできるのが、枚方宿でございます。
なかでも鍵屋資料館は、江戸時代の旅を思わせる面影が残り立派な建物でした。
鍵屋は、江戸時代に淀川往来のくらわんか舟を待つことができた「船待ち宿」で、
平成9年まで料理旅館として経営されていたそうです。
旅人の装い。
杉良太郎さんと由美かおるさんっぽい…。
くらわんか舟
家屋は2001年に解体・復元されたものの、
昔ながらの建築様式は変わらず、昔ながらの素晴らしい建物です。
63畳の大広間。折り上げ格天井がすばらしい。
大広間ではお料理のおもてなしがございます。
新型ウィルス感染予防対策で、お料理のおもてなしは、まだ平常営業ではありませんが
(2021年6月21日現在)
季節の食材が味わえるお弁当も味わう事ができます。
‐要予約制/4人から
笹の間。
映画に出てきそう…。
お台所。
また資料館は、船待ちの様子や枚方の出土遺物を拝見することができ、
歴史と文化を学べます。
緊急事態宣言があけて、1番最初のお客さんだったようです。
「インスタ見てます。今日からですよね!来ました!」と言ったら、
スタッフの方が本当に嬉しそうでした。
走る旅は、宿場でお土産を買ったり、郷土料理を食べたりして、
現地で消費するのが目的の1つなのですが、
コロナウィルス感染予防対策で、まだまだ営業が通常ではないので残念でした。
4人以上での飲食がOKになったら、ぜひお料理をいただきにお伺いしたいです。
「くらわんこ」というゆるキャラのうちわをいただきました~♬
「鍵屋資料館」
●住所:〒573-0057 大阪府枚方市堤町10-27
●営業時間:9:30~17:00(入館受付は16:30まで)
●休館日:毎週火曜日(ただし、祝日の場合は開館、翌日休館)
年末年始(12/29~1/4)
●入館料:大人:200円/高大それに準ずる学生:100円(学生証提示)/小中学生:無料
●HP→ https://kagiya.hirakata-kanko.org/
※リアルタイムのログではなく、数日前のログです。
〝人間一生 物見遊山…〟
これは江戸っ子の人生観を表す言葉。
生まれてきたのは、
この世をあちこち寄り道しながら見物するためであり、
せいぜいあちこち見て、
見聞を広めて友だちを増やし、
死んでいけばいい…と考えておりました。
わたしはこの言葉が好きで、自分もそうしたいと思っております。
コロナの様子を見ながら、感染予防して
〝うつさない・うつらない〟の心がけをして…
京街道の旅。
今回は、京街道の前回の続き。
(高麗橋~京橋、京橋~第57次 守口宿)
本記事は、京阪守口市駅~京阪石清水八幡宮駅までの
30㎞の道中の一部(13㎞)を記録します。
■ルート:
京阪守口市駅~守口一里塚~守口市浄水所~淀川河川敷…鵜飼大橋~鵜飼仁和寺大橋~茨田提碑~二十箇用水普通水利組合碑~松ヶ崎地蔵尊~天満宮礼拝所~蓮如腰掛石~光善寺~枚方宿西見附(13㎞)
京阪守口市駅から、前回の旅を終了した守口一里塚まで
1.5㎞移動してからのスタートです。
中山道の旅でもお世話になっている地図は
「ホントに歩く東海道」の京街道シリーズ。
歩きではなく、走っておりますが、この地図無しでは前に進めません。
なぜなら、ちまたには便利なGPSアプリなどございますが、
旧街道はもちろん、街道のルートさえ正確でない場合があるのです。
わたくし、中山道ではGPSアプリに騙されそうになり、
この地図に何度も助けられました。
ホントに歩くシリーズは、風人社さんが何名かで下見に下見を重ねてこしらえた地図。
Twitterで活動を拝見させていただいておりますが、
コロナの緊急事態宣言下では足止めをされながらご苦労を重ね
今も少しずつ西から東への中山道地図をこしらえてくださっています。
(緊急事態宣言下の足止めについて:
自分がうつらないように…は勿論なんですが、
それ以上に、地方にウィルスを持ち込まない…という責任感です。
私も旅で目と耳にしましたが、旅人が旅館や宿場にウィルスを持ち込んだ場合、
周辺に住んでいる村の人に申し訳ないという事をおっしゃっていました。
1日も早く安心して移動できる日が来ますようにと祈ります。)
江戸からであれば、一里塚のあたりが〝上の見附〟となり
一里塚付近から西に向かって守口宿がはじまります。
私は逆で、大阪の高麗橋から東へ向かっているので、ここで守口宿は終わりです。
次の旅へとまいりましょう。
●守口市浄水場
守口市浄水場から、地図を差し替えです。大日へと向かいます。
八雲北公園の横から河川敷に入り、
京街道は淀川の土手になります。
広々としてお天気の良い日はのんびりした風景なのですが、
あまり景色が変わらないので、退屈になります。
松ヶ崎地蔵尊のあたりまで、約7㎞以上ひたすら河川敷を直進し、
全く木陰はございません。
風が強い日も進むのが大変ですが、
日差しが強い日に歩かれたり走られたりする方は、
日よけ&日焼け対策をしっかりすることと、
こまめな水分補給を心がけ、熱中症から身体をお守りくださいませ。
●鵜飼大橋
●鵜飼仁和寺大橋
鵜飼大橋から鵜飼仁和寺大橋あたりまで、川と反対側には旧集落があり、
〇番と番号がついています。
なんと、伊能忠敬の測量も、これらの集落を歩かれているとか…。
●茨田堤(まんだのつつみ)
茨田堤:「日本書紀」仁徳天皇11年に記述あり
北河内郡の淀川沿いに茨田群がありました。
茨は、淀川の川筋が枝のように分かれ入り組んでいる様子の事。
このあたりは洪水を防ぐ工事に苦労をしており、なかなか進まずにいました。
天皇が心配していたところ、武蔵人・強頸(こわくび)と、河内人・茨田連コロモコの2人を川の神に供えると堤はできるであろうという夢告があり、
強頸は人柱となりましたが、
コロモコは川の神に向かって「ヒョウタンを川に投げ入れて、浮き上がらすな!ヒョウタンが沈まなかったら偽りの神だ」と言って知恵を使って人柱にならずにすみ、
無事に堤は完成したそうな。
昔は、お城や建物を建てる時にも
人柱となった人がいることを聞いたことがありますが、
人柱になる人も建物を建てる人も命がけ。
なかなかできる事ではないなぁ…と思います。
淀川の茨田堤あたりは、昔人柱になった強頸のおかげで、
私は無事に京街道を前に進むことができるんだと、
感謝の気持ちがこみ上げてきました。
●二十箇用水普通水利組合碑
明治18年(1885年)に起きた洪水は、大阪市内の大半が浸水するという
未曽有の大被害をもたらしました。
ところどころに記念碑が見られますが、
碑には当時の惨状が漢文で記されております。
今、大惨事にならずに済んでいるのは、
昔の人が失敗と改善を繰り返しながら、
未来につなげてくれたおかげだと思いました。
●松ヶ崎地蔵尊
この松ヶ崎地蔵尊を見逃すと、ひたすら河川敷…なのですが、
地蔵尊を目印に、出口という町に入ります。
(私は見逃して、しばらく直進し、無駄に走ることになりました。)
天満宮礼拝所は蹉蛇神社の礼拝所だそう。
蹉蛇(さだ)はあしずりの意味。
菅原道真が大宰府の旅の途中で立ち寄った神社。
菅原道真の旅は、妻も娘も同行を許されなかったとか。
娘の苅屋姫が父を追って蹉蛇神社まで来たけれど、道真がすでに去った後で
娘はあしずりをして悲しんだそう…。
なんだか、蹉蛇神社にいってみたくなりました。
●蓮如の腰かけ石
五木寛之の蓮如上人物語を読めば、この石に蓮如上人が腰をかけ
村人たちに講話した姿をイメージできるのでしょう…。
蓮如上人と言えば、本願寺の開祖。
親鸞上人の教えを平易な言葉でとき、
「一心に念仏を唱えるだけで救われる」と布教されました。
84歳の生涯で5人の妻をめとられ、
27人の実子を各地の重要な寺に配置し、
大教団に育てたお方。
なかなかバイタリティがございます。
越前吉崎から小浜を経て丹波・摂津…そしてここ。ここから京都へ。
蓮如上人、よくここまでご移動されましたね。
●光善寺(こうぜんじ)
蓮如上人がここを拠点とし、
摂津・河内・和泉各方面に布教したそうな。
誰もいらっしゃられなくて、中には入れずでした。
あ…蓮如様はお留守番ですか。
いらっしゃいましたね。
太鼓楼
新しい道の様な感じですが、明治図とピッタリ合致する旧道です。
道が分断されていて、間違いそうに…。
大阪は、街道の表示がほとんどないので、難易度高いです。
そして、GPSアプリでは、街道にそれた道が表示されていて、地図が頼りです。
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四天王寺 骨董市 太子会
一番のり
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21日・22日に開催される四天王寺の骨董市 太子会。
2月も元気に開催されている。
一番のりをして、お気に入り NTさんのお店で、昭和レトロの水玉湯呑みをゲット。
この湯呑みは、出会った時にときめいたのに、判断を間違って3回買い損ねている。
ゲーテが
〝感覚はあざむかない。判断があざむくのだ。〟
と言った様に、
最初に、なんか違和感あるわ…と思いながら 判断を間違って続けると…やっぱりあの感覚は正しかったんだなと振り返る事がある。
逆に、シックリくるわと思いながら、判断を後回しにして放っておくと、次はもうシックリくる感覚とで会えない事がある。
チャンスの神様の前髪を掴むのと似ているかもしれない。
感覚はいつも正しい。
厄介なのは判断である。
骨董品も、ビビビと来た時に買っておかないと、もう2度と会えない。
なんでも ビビビと来た時に行動しよう!そう思った今日の人生。
好きなお店が3つあるので、骨董市を一つ一つゆっくり巡りたいが、今月は所要な案件有にてサクッと。
コロナで中止になっていたから、お天気もよく開催されて良かった。
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黒田屏風から読む大坂夏の陣
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黒田長政が夏の陣後、描かせたとされる大坂夏の陣図屏風。
この絵が非常に面白い。
奥に見えるは生駒山麓。
左上には真っ黒塗りの大坂城。
金色に輝く鷺と虎が描かれてあり、白い門は桜門。
極楽橋もある。
真ん中は真田幸村と大助の陣がいて、四天王寺の石鳥居が描かれている。
右上の徳川秀忠の陣がいるところは御勝山。
左下の徳川家康の陣がいるあたりの赤い鳥居と松は住吉大社。
いつも走っている大阪の街一帯が、戦場だったのが一目瞭然。
豊臣方は5万5千人。徳川家は15万5千人。
武将の旗からも、徳川方の人数の多さに圧倒される。
屏風にはそのうちの5,071人が描かれているが、参戦した21人の武将の顔もわかる。
しかし、武将の顔はみんな同じに見えるのは、最近アイドルがみんな同じ顔に見える病のせいなのか。
大坂夏の陣図屏風を眺めているだけで、まるで映画のクライマックスを観ているようだ。
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風が強くて冷たい日
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戦前は〝掛け売り〟と言う方法で買い物ができた。
戦後も田舎では残っていた様な気がする。
〝掛け売り〟とは、代金をその場で支払わず〝通い帳〟に代金をつけて月末に払う方法。
今で言うクレジットカードみたいなものだろうか…
だから、信用の無い人は〝掛け売り〟で買い物ができず、ニコニコ現金払いしか認められなかったそう。
このタヌキは〝通い帳 〟を持って飲み歩いてるんで、たぶん…信用のあるタヌキである。
お店の人よ…今日は風が強くて冷たいから、店先に立ってる信用のあるタヌキは中に入れてあげよう。
あと、タヌキは〝他を抜く〟〝太っ腹〟と言われる縁起物だから磨こうね。
そして、お嬢さん。風邪をひくから服を着よう。
(四天王寺:乳布袋尊→乳がん封じ、胸のお守り)
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変な解説
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昔、半島だったと言われる上町台地を走ると、高低差に歴史ロマンを感じ、何とも言えないありがたい気持ちになる。
上町台地を歩く大坂の陣ゆかりの地を巡る歴史ウォーキング企画〟で3000人を引率&運動指導をさせていただいたのが6年前。
懐かしさもあり通勤ラン時にスポットに立ち寄ってみた。
今日立ち寄ったのは〝玉造稲荷神社〟
大坂城の三の丸でもあり鎮守社として信仰された神社である。
豊臣秀吉と淀君の間の息子さん(嫡男:ちゃくなん)の秀頼が社殿を復興し、慶長8年(1603年)3月吉日銘の石鳥居は阪神淡路大震災で半分に分かれてしまったけれど、令和も健在。
また秀頼の胞衣(へその緒)を祀ったとされる胞衣塚大明神などもある。
秀頼像は、ちょっと可愛い感じだが、実際の秀頼は約197cmと巨漢だったらしい。
また、秀吉の後継ぎ事件にはちょっと引いてしまうが、
秀吉は57歳で実子の秀頼を得ていたとは…(・Д・)!
徳川家斉も55人も子供がいて絶倫だったけど、豊臣秀吉も絶倫だと思う。