プロフィール

フォトアルバム

健康サポートプロジェクト

トレーナー・フィットネスコーチ・ ウォーキングアドバイザーのエストロゲン子(中の人)です。今よりもHappyになる歩き方を貴女に!〝60分〟で一生ものの歩き方が身につくウォーキングレッスン/ウォーキングやランニング、エアロビックダンスなど、有酸素運動指導30年♡ 健康セミナー・体操監修、雑誌コラム連載中。

エストロゲン子の美活ウォーキング

カテゴリ

スタジオBodyLux

  • スタジオBodyLux

ウェブページ

検索BOX
Powered by Six Apart

[歩く旅・走る旅]自分の足で行く旅 Feed

2019年5月24日 (金)

■【旅ラン】@第8回東尋坊愛のマラニック① 福井入りしました。

私の故郷は福井です。

現在は、大阪に住んでおりますが
産まれも育ちも福井っ子。


毎年5~6月の時期は、八ヶ岳野辺山高原ウルトラマラソン100㎞に出場するのですが、
今年はどうしても育った街を走りたい!
…と言うことで5月25日(土)開催の
「第8回・東尋坊愛のマラニック103㎞」に出場することにしました。


距離は、100㎞よりも3㎞多い103㎞の大会と言うことで、エントリーをためらいましたが
故郷を走れるなら、それも良いかと前向きにチャレンジすることに。

●関連記事● 
【旅ラン】第8回東尋坊愛のマラニック① 
福井入り
【旅ラン】@東尋坊愛のマラニック② 
大会レポスタート時
【旅ラン】@東尋坊愛のマラニック③
大会レポ ~25㎞まで
【旅ラン】@第8回愛の東尋坊マラニック④ 25~51㎞平泉寺
【旅ラン】@第8回愛の東尋坊マラニック⑤ 大会レポ・51㎞~ゴールまで






■福井入り

午前中は、しっかり3レッスン指導した後、サンダーバードで福井入り。
旅ランのお供のツレは、着いたらレンタカーだということを忘れ、
あやうくチューハイを買いそうになる(笑)



2時間あれば福井につき、指定券買っても片道6,080円で行ける距離。
大阪は始発なので行きは自由席でも余裕で座れます。

190529190934230_deco

(ツレ、恐竜に萌え萌えheart)


福井駅に到着すると、新幹線が開通する準備なのか?

駅前は都市開発が進んでいて、
10数年前とはだいぶん様子が変わり、
The・ド
田舎な福井だったのに、今やメッチャ都会的に。


私が住んでいた頃の福井駅前と言えば、
ポアンカとか、PALとか、
京福バスのビルや西武の商業施設しかなかったけれど、
その施設も、もうほとんど残っていない。

ポアンカのエスカレーターから落ちたし、
駅前の花のれんで味噌バターラーメンをよく食べたし、
バロックと言う喫茶店でパフェを食べたなぁ…と懐かしくなりました。


そんな変化しすぎている様子を初めて来た地の様に新鮮に感じました。




■大会受付は前日のみ。三国までレッツらゴー!

東尋坊愛のマラニックは、当日受付が無いので、→ここ要注意!
まずは三国観光ホテルまでレンタカーで移動し、前日受付に…

普通のウルトラマラソンと違い、コース上は信号を守るし記録証はおまけ。
順位は重要ではなく、欲しいという要望があったから記録証を出しているようで、
郷土料理のグルメや観光を思いっきり楽しんでほしいという
愛が溢れる実行委員会さんや地元の方の手作りの大会。

そのため、受付も大きなウルトラマラソン大会のエキスポの様な販売ブースはない。
受付の人も多すぎず、ゆるくてホッとします。
この雰囲気、結構好きかも。




■大会前日の宿泊

受付を終え、福井市内まで戻り、
地元のお友達が勤務するコミュニティリゾートリライムへ。

スタート&ゴール・受付会場の三国と福井市内は、
車で40分程度あれば移動できます。

本来であれば三国観光ホテルや近隣の民宿に宿泊するのが良いと思うのですが、
宿泊は大会が終わってから思いっきり贅沢しようと、
初日はリライム!と決めていました。
(しかし、このリライム…温浴施設とはいえ設備やサービスのクオリティが高すぎて、コスパが高いんです。ツレは大満足してました。)

Riraimu 
(写真はじゃらんさんのサイトより→★★★)



リライムはフィットネス施設でもあり、
指導者のもと、身体を動かすこともできます。
→かなりの素晴らしいインストラクターさんが揃っています。少し早めに来れたら、大会前に調整系のクラスとかに参加するというのもありですよね。


その上、宿泊ルームもあり、個室でも寝泊りできるのですが、
翌日の大会の日は午前2時に宿を出たいので、

リクライナーコーナーで休むことに。


土日は混んでると思いますが、
金曜は平日ということで、リクライナーコーナーに、
私とツレの2人の他は1人程度。

お風呂は天然温泉。
大浴場や露天風呂があり大満足。

なんと2,000円以内で宿泊できました。
(深夜2:00までなら利用料が1,130円+リラックスウェア代325円。※深夜2:00以降利用する場合、別途深夜追加料金1,080円)


▼詳しくは、コミュニティリゾートリライムHPへ→http://www.relaim.co.jp/
▼住所:福井県福井市開発5丁目1207


リライムのお友達には、とってもお世話になりました。
リライム…帰省のたびに立ち寄りそう(笑)…癖になりそうです。

ツレいわく、「大阪に施設があったら、ぜったい入り浸るのになぁ(笑)」
だそう。

…と言うことで、大会のレポートに続く。
(次の更新はいつになるやら)


2019120_ma5_3059 
〇坂田純子(さかた じゅんこ)


〇わたしの使命

・運動指導を通じ、周囲の方々の生活習慣病の予防、健康寿命の延長につなげる
・周囲の方へ心身ともに健康であるための気付きの機会を提供する
・日常生活に身体を動かすことの大切さ・心地良さ・楽しさを定着していただくサポートをする

〇ビジョン

わたしの使命により、
皆様が、大切な人や仲間とHappyな時間を永く過ごせることで、
自己肯定感を育て、絆やつながり、思いやりを大切にできる明るい社会になること。


〇ビジョンのために活動していること

・健康サポートプロジェクト: 
健康や運動に関するセミナーや運動指導を出張で行っています。→★★★

・スタジオBodyLux:
フィットネススタジオで運動指導しています。→★★★

※その他、フィットネスクラブでも運動指導しています。

・ランニングコーチ:
走ることで、夢や目標を達成できるお手伝いをしています。
フォームチェックやコンディショニング、トレーニングなど→★★★


・大学非常勤講師:
運動経験や習慣のない学生に運動や健康についての講義と実技をおこなっています。


・つながりつくり:
女性が輝くプロジェクト1/f(ワンエフ)→★★★

目や声の届く交流関係の身近な人たちとの交流の機会 PARK&CO→★★★


〇近日開催の運動指導イベント

・2019年5月31日@スタジオBodyLuxにてPARK&CO映画上映会「ボヘミアンラプソディ」

2018年3月19日 (月)

■ゆっくり走って「なにわ七幸めぐり」四條畷神社

今年はフルマラソンレースの出場を絞って、トレーニングは4つの期に分けてバランス良く向上を目指す実験中です。

今の私はレースの無い期間なので(ウルトラマラソンとトレイルレースは除く)、
強度やタイムよりも回数や距離(または時間)を意識したトレーニング中。run

回数や距離を意識したトレーニングとは、こんな感じ。

●脂質代謝を上げれるよう、乳酸をなるべく出さない走り方(息が上がらないスピードと強度)で、長く身体を動かすこと。→距離&時間意識
●速く動けば身体が動きを記憶するので、別の日には短い50m位の距離をダッシュします。→速い動きは怪我や傷害も起こしやすいのでやりすぎない様、回数意識


ペース走(一定ペースで走るトレーニング)は、フルマラソンのメインレースが近くなってくるまでお預け。

そんなことで、今日は息が上がらないスピードと強度で2時間程度ジョグ。
雨が降らなければゆっくり街ランかトレイルラン予定でしたが、降水確率が90%なので予定変更。
公園をぐるぐる走って、雨に降られてもすぐに帰れる様にトレーニングしてみました。


公園なので、1周するごとにバードウォッチング仲間に声をかけられ立ち話。。。→これも良し!

Dsc_2311

(新芽を食べにヒレンジャクやヒヨドリが集まります)

Dsc_2312

(集まるのも永遠ではなく、あと1週間程度だそう。鳥は美味しいタイミングを良く知っていますね)

_20180319_192713

3周目にはお目当てのヒレンジャクがやってきた様で(写真はいただきもの。バードウォッチング仲間が撮ったやつです)、仲間が遠くから手を挙げて合図したので、止まっている木の周りはそおおお~っと歩いて。。。

(バードウォッチングしていなかった時は、「何がいるんですか?」と声をかけたり、バタバタ走って通り過ぎたりしたものですが、これすごく迷惑な事だとわかりました。相手は、ずーっと鳥がやってくるのを静かに待っています。そこに声をかけたりバタバタ走って通り過ぎるのは正直「そっとしておいて…」と思う。何でもやってみると相手の立場が解るので、色んな視点に気付けて良かったです)

Dsc_2319

(四条畷神社)


キレンジャクの撮影を遠くで見届けたら、その足で四条畷神社へ行ってきました。

ゆっくり長く走るトレーニング期間に走って「なにわ七幸めぐり」の予定です。40Km程度でしょうか。。。

Dsc_2324



なにわ七幸めぐりとは

●心願成就 四條畷神社
●無病息災 太融寺
●学業成就 大阪天満宮
●商売繁盛 今宮戎
●家内安全 四天王寺
●厄除祈願 住吉大社
●諸芸上達 大念佛寺

この七つのお寺と神社をめぐります。

お寺と神社…というのが統一性が無いな~と思いましたが、それにはねらいがあり、「歴史的経緯によって分離された神社と仏閣が再び一つになり、世界が一つになることを願って作られたもの」なんだそう。
人生には七つの難関が待ち受けているらしく、それを乗り越えるためには神仏から授かる知恵(七つの御利益)を身に付けておきましょう…的な企画。

Dsc_2318

(カッコイイshine河内飯盛山麓四条畷神社って書いてある。ご朱印も楠木家の菊水の御紋)

実は、今日ゆっくり走って巡る予定でしたが、雨がいつ降ってもおかしくないお天気なので 四條畷神社だけお詣りして終了。

次の機会を伺いますnotenotenote

Dsc_2317

(飯盛山へ登って行きそうな気持ちを我慢して…)

Dsc_2320

(楠木正成と正行の桜井の別れ)

Dsc_2321

(楠公慰霊碑)

Dsc_2323

(菊水の御紋…かっこいい)

Dsc_2322

(慰霊碑の後ろにはおおきなくすの木)

心願成就の四条畷神社でしたが、いつも山へ入山&下山する時のくせで「今日もありがとうございました!」と言ってしまった(笑)心願はいずこへ…

2018年2月14日 (水)

■【生駒山系】城址巡り。恩智城・高安城・信貴山城

最近の記事は、シロシロシロ~で城活だらけでかたじけない。

Dsc_1844

 

Dsc_1861

(信貴山からの眺望。ダイヤモンドトレイルの稜線と奈良の街並みがとっても綺麗)


コンビニと同じくらいの数があるという土の城。。。

そこに城があるなら探検してしまいます。息をのむような景色や脚光を浴びる様なスポットでは無いけれど…何百年も忘れられたような「寂しい」風景にいつも惹かれます。哀愁ってやつでしょうか…

城の遺構について知らなかった時は、
ただ走りにくい・歩きにくいシンドイ道…周りにある城の名残にも気づかず通りすぎる…

遺構を知れば、歴史ロマン街道に早変わり。地形全部が宝に見え、今まで通り過ぎていた所で足が止まり武将たちの息を感じる…。

今回は、縄張り図持参で、恩智城~高安城~信貴山城をトレイルランしてきました。
 

Dsc_1835

(岩盤がむき出しになっている道。生駒山系は山が岩盤でできているのかな)

Dsc_1840

(雪が残っています)

Img_20180214_145641_357

(つららも下がっていて、日陰はまだまだ寒い)

城があったとされる山は、歩いたり走ったりするだけでもしんどいのに、
昔の人は、山をかけ登ったり、走って逃げたりして戦うんですから、すごいですね~

Dsc_1822


私も戦うわけではないですが、先達に刺激を受けまして
ここ半年は自体重での筋トレを特にシッカリしていますよ~。

そんなことで、今回は恩智城址・高安城址・信貴山城址の忘備録です。


【ルート】
恩智駅~恩智城址~高安城址~信貴山城~平群駅

●距離:12.8㎞
●累積標高UP/DOUN:913m/862m
●高低差:479m


●生駒の山城を巡る

Dsc_1831

(恩智駅から東へ400mの高台に恩智城址があります。△45mからは大阪平野が見渡せます)

Dsc_1829


恩智城は、恩智左近(恩智の豪士)が築城し、 
左近は、南北朝時代に楠木正成の一族と共に活躍されたと言う説もありますが、 架空の人物とも言われていて謎。。。
 

城址からは大阪平野が一望でき、ここから左近が見下ろしていたのかな~と想像したらとっても羨ましかったです。 

Dsc_1842

高安山城は、松永久秀の城。 

_20180214_162634

(高安城縄張り図:中西裕樹先生「中世城館辞典」より)


持っている城図鑑の縄張り図があまりにも小さいので、正直それほど期待してなかったけれど、

実際に見たらびっくり!スケールデカイ。 

Dsc_1843

(偶然見つけた、すんごい昔…古墳時代の武器庫)

Dsc_1846

(高安山城の西の曲輪。△487.5m)

Dsc_1848

(曲輪を囲む立派な横堀:城のまわりをグルッと1周囲む構造)

Dsc_1851

(東側の曲輪は土塁に囲まれていかにも戦いのための曲輪で、面白い構造)

虎口や土塁・横堀が発達して、曲輪は大きく分けて西と東と南西の3つ。
遺構がとっても解りやすかったです。 
帰宅して城図鑑を見て理解したんですが、 

東の曲輪では礎石や柱穴が確認されいて、陶磁器も発掘されてるそうで、建物があったのか??? 
天正5年に織田勢の攻撃を受けて、多聞城かこの城のどこかで松永氏が敗死しているらしい…。どこだ??? (自ら爆死してると言う説もあるとか。歴史は妄想の世界でしかないですね)

Dsc_1854

(食物を蓄えてたとされる倉庫跡)

Dsc_1852

(礎石が2棟ぶんありました)

Dsc_1853

(かやぶき屋根の倉庫です。塩やモミを蓄えたとか)

高安山城は、信貴山城の出城とは思えないくらい、いろいろ想像を掻き立てられる山城でした。 
ここは、もう一回行きたいかも! 

Dsc_1859

(信貴山城址△437m。)

Dsc_1858

(縄張り図によると、南北700mに渡って120以上の曲輪があるとか。なるほど…あちこちに曲輪です。戦国時代には木沢長政、松永久秀が入城したとか)

Dsc_1868

(妖精さんイキイキしてますね。松永久秀さんの屋敷跡は、とても広い。くるくる踊れそうな曲輪。)

Dsc_1873

(屋敷の縄張り図です)

Dsc_1869


信貴山城は曲輪の多さと、松永屋敷跡の広い居住空間に驚きでした。 
山城に行けば、タイムマシーンはいらないですね。 
ほんの少し妄想すれば、もうその時代に時間旅行できそうな感じ。 

今日も歴史上人物や、地形を生かした縄張りの数々からパワーをいただきました。

Dsc_1687


これからも自分の足で色んな土地のパワーや景色を感じに行きたいです。
そのためにも健康で…筋トレとケアをシッカリしますよ~。

2018年2月11日 (日)

■【富田林市】嶽山城編:正義の悪党・楠木正成の七城址めぐり

楠木七城の嶽山城址、金胎寺城址、烏帽子型城址へ、知人をご案内してきました。
今回は、遊園地の様な嶽山と嶽山城址を紹介します。

Dsc_1701

(写真は、嶽山城址へ行く道中に撮影…葛城山と金剛山…下赤坂…上赤坂…坊領山…の稜線。まるで水墨画。この風景はかんぽの宿の湯船からも見えるんだそう~)


【本日のトレイルコース】

楠木三城めぐり
河内長野駅~汐ノ宮駅~願昭寺~嶽山城址~腰神神社~金胎寺山城址~金毘羅神社~烏帽子形城址~天野酒

●距離:17.2㎞
●累積標高UP/DOWN 1275m/1366m
●高低差:265m


楠木七城とは、
南北朝時代に楠木正成が鎌倉幕府に対抗するために築城した城砦群のことで
7箇所あります。


●楠木七城とは

1)千早城
2)下赤坂城
3)小根田城(上赤坂城の一部)
4)桐山城(上赤坂城の一部)
5)烏帽子形城
6)龍泉寺城(嶽山城)
7)金胎寺城


●嶽山城とは

嶽山城址は楠木七城の1つで別名・龍泉寺城ともも呼ばれ、南北朝時代に楠木氏らが戦に使ったとされます。
戦国時代には金胎寺城と共に河内守護畠山氏の家督をめぐる合戦の舞台にもなったそう。
(余談ですが…今回の歴史大好きな同行者の方が、応仁の乱は、畠山氏の家督をめぐる合戦が原因になった説もあるよ…と。歴史って殆ど妄想…面白いですね!)


●嶽山って?


Fb_img_1518692029590

1518692251111


嶽山は△278mで、山と言うより丘です。3分の1は城山オレンジ園や、やまびこ園などの果樹園になっていて、
殆ど舗装路を歩きますので、遠足気分は味わえるけれど、全くもって登山やトレイルラン感を味わう事はできません。


しかも、城があったとされる所には「かんぽの宿」がデーンと建っていて
城址らしさは…ゼロ(笑)。
かんぽの宿が城郭風に作られてたら面白いのに。
シロだけに…と思ってしまいました。
(城郭の中心はかんぽの宿ではなく、龍泉寺周辺であったと言われます。かんぽの宿がある場所は、戦いのための城があったとされます。)


かんぽの宿のテニスコートの裏に忘れ去られたようにひっそりと城址の石碑があります。
脚光を浴びれるスポットなはずなのに、寂寥感(せきりょうかん:もの寂しい感じ)にビックリできます。
このキャップが魅力です。

かんぽの宿北西部に、(整地されてしまっているけれど)楠木氏が兵を隠したと言う「千人がくれ」の大凹地が現存しているそうで、
ここに千人が隠れたのか…合戦が繰り広げられたのか…と、
整地された千人がくれを見て、歴史ロマンに浸れたりするのでしょうか。。。(場所の確認ができずに、浸れなかった)




つまらない・・・coldsweats01



殆ど悪口しか書いていない感じですが(笑)coldsweats02

なんなんでしょう…???
不思議と年間2回も行ってしまったという…なんか癖になる面白い山です。
悪口言いながら、気が付いてたら恋に堕ちていた感じですか…heart04
たぶん、好きな山なんだと思いますheart01

では、一緒に嶽山を歩いてみましょう。


●嶽山城址を巡る

汐ノ宮駅から歩いて願昭寺へ行くと、嶽山(△278m)への登山道があります。

Dsc_1694

(登山道は、願昭寺・目白不動の裏から入っていきます。登山道への看板有)


Dsc_1693

願昭寺には、立派な仁王像が…

Dsc_1695_2

なんと!城山オレンジ園の敷地内から嶽山城址を目指します。ここは私有地じゃないのか?入っていいの?と、オドオドできます。

_20180215_195834

入り口には「発砲危険bombdanger」と書いてあって、命がけで通過しなければいけないのか?という不安を味わうことができます。

Fb_img_1518692019043

道中、山のおやじ(オレンジ園の園長)からの応援が嬉しいですね。ところどころにあります。
トレイルランの大会で見かけるプロトレイルランナーの鏑木さんが書いたメッセージを思い出すことができます。


「遠足のみなさん!ガンバレ!あと300mです」


Dsc_1697

山が好き
山が恋人
山と生きる ~山のおやじ~


良い言葉です。
さすが山のおやじ…

おやじに会いたい!オレンジ園でみかん狩りをしてみたくなりました。

Dsc_1705

Dsc_1707


城山オレンジ園の敷地内にドラえもんが…
よくデパートの屋上に置いてある乗り物ですね。たぶん、ドラえもんと話ができるやつ。
ドラえもんが連載されていた昭和世代、1970~80年代・月刊コロコロコミック世代の人は懐かしさで涙が出ると思います。


Dsc_1698_2


かんぽの宿が見えてきました。現在の嶽山城です(笑)

あの水墨画のような金剛山や葛城山の風景を見ながら入浴できるだなんて。
いつかここのお風呂に入りたい…spa
宿泊して帰らなきゃ、完全湯冷めかな。

1518692256893

源泉ですね。この横のテニスコート横の獣道をガサガサ歩いていくと

Dsc_1704
テニスコートの裏側にひっそりと「楠公龍泉寺城址」の石碑。
ここは、柵を張り巡らせてある、中世によく見られる戦うための城があったようです。

1000人がくれという凹地で守りに着いていた楠木軍。
ある日、100人ほどを残し大半の兵を他の戦場に移したそう。
この時、旗をたくさん立てて大勢いるかのように見せかけたらしい…(この原始的な作戦、萌え萌えしますねheart04

あれれ?何だか可笑しいぞ???
天を飛ぶ鳥や林に居る鳥が驚かないのは、大勢いるように見せてるだけと敵に見破られ、
細川清氏や赤松範実たちに攻め落とされたんだって。

「太平記」の三十四巻「龍泉寺軍の事」にも詳しく書かれている嶽山城址。
今は、とってもユーモアあふれる城址になっちゃいました。

Dsc_1708

嶽山城址から願昭寺へとピストンで戻り(嶽山ピストンなら約5~6㎞)
この後は金胎寺山城(記事更新準備中)へ向かいます。
その道中には腰神神社があります。


(大阪府富田林嬉62)


楠木正成の馬が腰を悪くして、神社の横にある木に繋いで祈願したら治ったらしいのでhorse、腰痛でお困りの方は是非祈願しにGOしてくださいませ。
あ、お祈りだけではだめですよ!
筋トレとストレッチもしっかりね。


今回は、案内させていただいた方も歴史好きで大喜びされていて、
おまけに嶽山の面白い雰囲気を大変気に入られていました。良かった~dash
自分の足で色んな所に行けるっていいですね~

■【河内長野】烏帽子形城編:正義の悪党・楠木正成の七城址めぐり

楠木七城の嶽山城址、金胎寺城址、烏帽子型城址へ、知人をご案内してきました。


【本日のトレイルコース】
楠木三城めぐり
河内長野駅~汐ノ宮駅~願昭寺~嶽山城址~腰神神社~金胎寺山城址~金毘羅神社~烏帽子形城址~天野酒

●距離:17.2㎞
●累積標高UP/DOWN 1275m/1366m
●高低差:265m


Dsc_1758


楠木七城とは、
南北朝時代に楠木正成が鎌倉幕府に対抗するために築城した城砦群のことで
7箇所あります。


河内長野駅からすぐの(河内長野喜多町)烏帽子型公園も、楠木七城の1つ。


1801年の河内名所図鑑によると、山容の絵が、烏帽子の形に似ていると記されていていたので
「烏帽子」という名前は山の形から来ているのかもしれません。



その公園の中に、今でも遺構のお手本のような城址が残っていて、ほんまにスゴイ!!の一言。

山城ビギナーの方、遺構を学んでみたいという方は、まずは烏帽子形城址からスタートしてみると解りやすいかもしれません。

自然も豊富で、山を降りれば直ぐに河内長野の街なので、健康づくりのためのウォーキングやランニングのコースとしてもオススメです。

今回は、烏帽子形城址をまとめますね。


●楠木七城とは

1)千早城
2)下赤坂城
3)小根田城(上赤坂城の一部)
4)桐山城(上赤坂城の一部)
5)烏帽子形城
6)龍泉寺城(嶽山城)
7)金胎寺城


●烏帽子型城とは

1332年、楠木正成(あるいはその一族)が、上赤坂城の支城として築城したという伝承があり、
畠山氏との紛争戦が行われた場所とされます。(…だけど、定かではないそう)

楠木さんの城というより、どちらかというと他の武将や豪族の山城としての文献を見ることが個人的には多いかなーと感じます。

例えば…
1567年に三好長慶が畠山高政を攻め、烏帽子形城を三好が押さえたこと(足利季世記より)や、

畠山氏の勢力がなくなった後に、織田信長や羽柴秀吉の支配を受けていたりと…いろんな人が入城しているとされているのが有名。

近くには高野街道もあるので、交通の結節点となったでしょうし、


本丸部分からの眺めは、たった△182mとは思えないほどの素晴らしい眺望で
河内飯盛山をはじめとする生駒山系や淡路島や六甲山が見渡せちゃうから
どの歴史上の人物も、この烏帽子形山城を押さえたかったんだろうなーと思いました。


あと、先日飯盛城フェスタで城郭研究の第一人者の中井均先生がおっしゃっていたこと。


山城に住んでいたと確認できる要素「瓦・礎石」が確認できたら、
住居だったことも考えられるとのことだったんですが、


烏帽子形城の曲輪からも瓦と礎石が2棟ぶん確認されています。

瓦や礎石は、大阪城や姫路城などの近世の城ではよくみけど、
中世の山城から出てくるのは珍しく、
烏帽子形城は中世と近世の過渡期の時代を見ていた城だったのでは?と色んな想像が膨らみますね。


曲輪や土塁、堀切、切岸、横堀、土橋、虎口など
お城の遺構のお手本みたいな形が残る場所。

草や樹木もそんなに生えていないので城のカタチが良くわかります。
是非、城郭ファンにお勧めしたい場所ですよ。


●烏帽子形城をめぐる

Dsc_1748

烏帽子形城址の入り口(公園の裏)には烏帽子形城や遺構についての説明が…

Dsc_1749

大きく掘り下げられた堀底道を歩いて登ります。

Dsc_1750

堀切です。(わざと尾根を切って、敵の侵入を防ぐ構造)

Dsc_1751

高く積まれた土塁(土塁:土を盛って上から攻撃したり裏に隠れたりする。)この上から矢を放たれたら直ぐに射止められそう。

Dsc_1752

土塁です。写真では緩やかな斜面に見えますが、実際は四つん這いじゃないと登れません。

Dsc_1753

城をぐるっと囲んだ横堀。(平地にある城は水をはった堀で防御しますが、山は空の堀で防御します)

Dsc_1754

こちらも横堀。とっても長いです。

Dsc_1755

土塁と横堀。遺構を示す看板があり解りやすい。

Dsc_1756

曲輪です。(平らなところを曲輪と言います)

Dsc_1764

礎石が見つかったとされる一番標高の高い曲輪からの眺望。
河内飯盛山をはじめとする生駒山系や淡路島や六甲山が見渡せます。

Dsc_1757

瓦葺き建物の礎石は二棟見つかっていて、写真は東側の曲輪。戦うための城だけでなく、ここに人が居て文化や政治が行われてたのかな。

Dsc_1766

大きな障子堀。(堀につい立てを作って入り込んだ敵が動けないようにする構造)
今は土や葉っぱで埋まっていますが、

Dsc_1767

こんな感じで戦が繰り広げられていたのでしょうか。。。

今はとっても静かな公園だけど
確実に、その時そこに誰かがいて、必死で戦ってしがみついていたと思うと
感慨深い場所ですね。
歴史ロマンあふれる公園です。

今回は、案内させていただいた方も歴史好きで大喜びされていて、こちらまで嬉しかったです。自分の足で色んな所に行けるって宝ですね。

2018年1月31日 (水)

■【千早赤阪村】番外編・正義の悪党 楠木正成のゆかりの地巡り 郷土資料館・楠公誕生地・楠公産湯の井戸・奉建塔・下赤阪の棚田

Dsc_1238
先日、主体が楠木正成である城址・上赤坂城、猫路山城、国見山城(坊領山城)、千早城をトレイルランニングしてきました。

【トレイルコース】
楠木公生誕の地~上赤坂城址~猫路山城址~坊領山城址~青崩道~金剛山山頂(国見山城址)~千早赤坂城址~下赤坂の棚田~下赤坂城址~楠木公生誕の地

距離:25Km
累積標高 上り/下りとも 約2200m
高低差 1100m


初回は、縄張り図で予習をして行ったものの、なかなか城の遺構の位置がつかめず…気付かずに通り過ぎてしまい、
別の日にリベンジしてきました。

以下の各城址のリンク記事は、見逃した遺構などをすべてアップデートしています。

上赤坂城址
猫路山城址
国見山(坊領山城)
千早城址

城址に加え、楠木正成ゆかりの地のレポートも追加しまーす。


●千早赤阪村立郷土資料館

Dsc_1338

ちはやあかさか道の駅、千早赤阪くすのきホールの横に「千早赤阪村立郷土資料館」があります。

大河ドラマで太平記が放送されたころは年間4万人を動員したそうですが、
そんなに人が入ったとは思えないくらいの小さな2階建ての資料館です。(入館料:大人200円 子供100円)

一階は千早城や上赤坂城の立体図があり、城の構造がとっても解りやすいです。昔書かれた太平記の絵には釘付けになりました。
二階には凍豆腐を作ったとされる民具の他色んな物が展示されていて、千早赤阪村の文化を学べます。

城址巡りをする前に、郷土資料館に立ち寄って、城や楠公ゆかりの地を学んでから山に入るととっても面白いと思います。
特に、千早赤坂の文化遺産というコンパクトな冊子はオススメです。(500円)

_20180131_124738



●楠公誕生地遺跡

Dsc_1351
千早赤阪村立郷土資料館の隣に楠公誕生地遺跡があります。
平成2~3年にくすのきホールの建設に伴う発掘調査が行われましたが、その結果、二重の堀に囲まれた館跡がみつかり多くの陶器がみつかったそう。
一般的な館でないとみられることから、楠公誕生地では?と言われています。

ここの他に桐山遺跡も楠公誕生の地ではないか?という説もあるそうです。


●楠公産湯の井戸

Dsc_1353

楠公誕生地遺跡と隣接し、楠公産湯の井戸があります。

Dsc_1354

井戸の入り口に、楠木正成さん。
甲冑姿がかっこいいです。

Dsc_1357

この階段を降りていきます。

Dsc_1356

ここが、楠木正成が誕生の際に、湧き出る水で湯を沸かし使用したと言う説の井戸。


●奉建塔 スイセンの丘


ちはやあかさか道の駅、郷土資料館、楠公誕生の地、産湯の井戸から、

上赤坂城登山口までの道中に奉建塔と言って、昭和15年に楠木正成没後600年を記念して建てられた塔があります。
春には桜の名所になり、冬にはスイセンの名所になります。

Dsc_1334

奉建塔です。後醍醐天皇からもらったと言われる菊水の御紋がかっこいいです。

Dsc_1331

Dsc_1242

奉建塔から見える千早赤阪村の風景がのどかで、とっても癒されます。

Dsc_1335


●下赤坂の棚田

Img_20180125_164946_748


Dsc_1229


平地の少ない村は、斜面に階段状になった田、「棚田」をつくるそうです。
平成11年には日本の棚田百選にも選ばれたそう。
下赤坂の棚田は楠木正成がつくったとされています。

春には水を引き込んだ棚田
夏には青々とした棚田
秋には黄金色の稲穂が波打つ棚田
冬は雪化粧をした棚田(11月はライトアップされるとか…)

季節ごとに変化する美しい棚田が見られる様で…。
今回は1月の棚田ですが、
また違う顔の棚田にも会いに行きたいです


今回の楠木正成のゆかりの地を巡るトレイルランニングは、遺構や歴史的背景が面白すぎて本当に心が熱くなりました。
縄張り図の読み方や城の構造も、ここでおおよそ理解することができました。
楠公ゆかりの地に足を踏み入れさせて戴いたことに心から感謝です。


※トレイルランニングで行きましたが、ある程度山に入ると言うしっかりした装備で足を踏み入れないといけない場所もあるので、決して軽装では行かないでね。

2018年1月24日 (水)

■【金剛山】千早城編:正義の悪党・楠木正成の七城址めぐり

※2008年1月28日に記事をアップデートしました。

Fb_img_1517123995321

主体が楠木氏である楠木七城を探索してきました。

今回は千早城のレポです。

千早城と言えば…楠木詰城や金剛山城とも呼ばれ、
南北朝時代に楠木正成が反鎌倉幕府の兵を挙げ、百日にも及ぶ籠城戦「千早城の戦い(1392年)」を成功させた場所です。

鎌倉幕府の拠点だった関東兵は100万の武士がメインに対し、
楠木氏率いる関西勢は兵は1000人で、
構成もバラバラ…悪党と呼ばれる面々や、中には僧や公家もいたとか。


関東・鎌倉幕府勢は弓が兵器に対し
関西・楠木勢は石や大木、熱湯や糞尿・油まで。
藁人形に刺さった矢を回収し、それを使いまわしたり…

水が無ければ籠城できないだろうと、鎌倉幕府勢が近くの水場を見張るけれど
楠木勢は一向に現れず。。。
実は、天からの恵みである雨までため込んでいたらしい。

こんな作戦で100万の兵と戦えるのがすごいけれど
百日に渡り籠城できたと言うことは、

戦うための智慧や城付近の住民とのパイプや信頼関係が厚かったからだろうな~と思う。

籠城戦を成功させ、源頼朝以来続いた鎌倉幕府を滅亡させたと言う事で、
今世では楠木正成のエネルギーにあやかれるパワースポットになっていて
多くの人が訪れています。

ちなみに城址には正成を祀る神社や顕彰碑が立ち、国定史跡にもなっています。


去年の春にも訪れましたが、何回来ても神聖であり面白い場所です。

今回、もう一度児童書のコミック版日本の歴史「楠木正成・室町人物伝」㈱ポプラ社を読み返しましたが、
ほんまに楠木伝説は面白いな…。

Fb_img_1517123989618


●楠木七城とは

1)千早城
2)下赤坂城
3)小根田城(上赤坂城の一部)
4)桐山城(上赤坂城の一部)
5)烏帽子形城
6)龍泉寺城(嶽山城)
7)金胎寺城

●千早城とは:

楠木正成の挙兵・籠城の地。
上赤坂城を本城とすれば、千早城は詰城となります。

城は金剛山の一部で標高673.9mのところにあります。
周囲を妙見谷・風呂谷・千早谷の深い谷に囲まれ南東部一か所だけが険しい山道で金剛山に連絡しています。府道からは本丸まで階段が続いています。

太平記にも書かれていますが、千早城は激しい籠城戦にもかかわらず落城しなかった山城。急な登りや斜面から落城しなかった理由が解る様な気がします。


【本日のトレイルコース】

楠木公生誕の地~上赤坂城址~猫路山城址~坊領山城址~青崩道~金剛山山頂(国見山城址)~千早赤坂城址~下赤坂の棚田~下赤坂城址~楠木公生誕の地

距離:25Km
累積標高 上り/下りとも 約2200m
高低差 1100m


●千早城址を巡る

千早赤坂の駐在所近くの金剛山バス停から城址へ行けますし、
金剛山の山頂から下山する場合は、千早本道を下れば途中に千早城址への道標があります。

Dsc_1222

千早赤坂の金剛山バス停から登る場合
登山口の前に縄張り図があるので、確認してから行くと面白いです。

1516789171486

この日は金剛山山頂から千早城へ向かってみました。金剛山登山口からも階段地獄ですが、山頂からも階段地獄で膝にきます(笑)。

_20180128_164303

(大阪府中世城館辞典・中西祐樹著)

遺構は大規模な改変を受けて、当時のままではないけれど
おおむねの全体構造は旧態を保っているとか。

確かに本丸から四の丸まで、大きな曲輪が確認できますよ。
今回は山頂からなので、本丸→二の丸→三の丸→四の丸→登山口の順で下山してみました。

Dsc_1217

本丸のピーク部分は千早神社の裏にあたるところで
神域になっていて足を踏み入れることはできず、遠くから楠木正成を偲ぶ感じです。

自然地形になっていて、城の中核となっていたとは考えにくく、周囲の曲輪が中核と考えられるそうです。

Dsc_1219
千早神社です。
千早神社のHPには本丸に千早神社があると記載されているけど、
縄張り図を見ると本丸と二の丸の間に千早神社がある様な感じです。
千早神社は八幡大菩薩や楠木正成や正行、正成の妻を祀っているそう。


Dsc_1218

後醍醐天皇からもらったと言われる菊水の御紋がドーン!とカッコイイですね。
上部の菊が天の道を表し、下は水が万物を養うを意味するそう。

Img_20180125_164946_738


二の丸と三の丸の間の鞍部には空堀(水をはらない空の堀)があったとされますが、
今は確認ができませんでした。

三の丸へ行くと顕彰碑があり、甲冑の人形がいい味を出しています。

まるで藁人形作戦で使われたモノに甲冑を着せたかの様。
カカシさん風です。縄張り図によると三の丸から南西方向にも長い帯曲輪がある様ですが確認を忘れました。


四の丸の曲輪は大きくて、茶屋(今は閉まってますが)等があります。
礎石が残り、今でも土器の遺物が採取されるそうです。西下に大手道を両側からはさむ、武者隠し用の帯曲輪(おびくるわ:段々に連なった平坦な地)があるそうですが、確認を忘れました。


階段を降りると千早赤坂駐在所近くの金剛山バス停です。(トイレ有)

Dsc_1224


山頂まで続く階段や茶屋等に、昔の面影を感じるには少し近代的な感じもする城址ですが、
ここで100日に渡る籠城戦が繰り広げられたと思うと、
奥からグッと熱くこみあげてきて、
正成の存在や歴史ロマンを充分に感じられる城址だな~と思いました。


【千早赤阪村】番外編・正義の悪党 楠木正成のゆかりの地巡り 郷土資料館・楠公誕生地・楠公産湯の井戸・奉建塔・下赤阪の棚田の記事へ続く…




●関連記事

上赤坂城
猫路山城
国見山城(坊領山城)

■【坊領山~金剛山】国見山城址(坊領山城)編:正義の悪党・楠木正成の七城址めぐり

主体が楠木氏である楠木七城をトレイルランニングで探索してきました。

今回は国見山城(別名:坊領山城)をまとめます。

※2008年1月31日に記事をアップデートしました。


●楠木七城とは

1)千早城
2)下赤坂城
3)小根田城(上赤坂城の一部)
4)桐山城(上赤坂城の一部)
5)烏帽子形城
6)龍泉寺城(嶽山城)
7)金胎寺城

●国見山城とは:

千早城址、楠木城址、赤坂城址(下赤坂城址)を中核として
二河原辺城址、本宮城址、しょうぶ城址、枡形城址、猫路山城址、坊領山城址の山城が点在して配置される状況を「赤坂城塞群」と呼んでいます。
特に猫路山城址と、坊領山城址は城の構造が面白い山城です。

国見山城が正式名ですが、坊領山にあることから坊領山城とも言われています。
枡形城址、本宮城址からのルートと、上赤坂城址を経て猫路山城址からの2つのルートの合流点に国見山城址が存在し、ここから1つのルートになって金剛山に向かう事になるので国見山城こそが赤坂城塞群の中核ではないかと言われています。


【本日のトレイルコース】

楠木公生誕の地~上赤坂城址~猫路山城址~坊領山城址~青崩道~金剛山山頂(国見山城址)~千早赤坂城址~下赤坂の棚田~下赤坂城址~楠木公生誕の地

距離:25Km
累積標高 上り/下りとも 約2200m
高低差 1100m



●国見山城(坊領山城)址を巡る

猫路山から坊領山への道標へと進みます。

Dsc_1181

猫路山城址を過ぎると、
V字の切通し道(山や丘を切り開いて通した道路の事)が続きます。
上の方は人が乗れるくらいなので土塁(敵の侵入を防ぐための土手)なのでしょうか。

Dsc_1308

トラロープが備え付けられているくらいの急なアップダウンもあり、
既に城に入っているかの様な気分になります。

Dsc_1182


鉄塔を越え、気持ちのいいトレイルをしばらく進むと坊領千軒跡というだだっ広い場所にでます。
猫路山城跡から約2㎞の金剛山中腹(△646m)のところに坊領山城址が存在するので、本丸は坊領千軒よりまだ奥にあると思われます。


Dsc_1184

Dsc_1186


坊領千軒はとっても広いです。
今は針葉樹林が何本も生えていますが、
昔は住居や坊領千軒という寺院があったと言われます。


縄張り図によると、坊領千軒あたりから
城の曲輪(建物が建てれるような平らな場所)が増えてくるのですが、
どの曲輪が住居で、どの坊領千軒が寺院なのかは明確ではないです。

Dsc_1315

坊領千軒跡を過ぎると、いよいよ本丸の曲輪です。
看板には北の城への道標しかでていません。


しかし、2つの本丸曲輪がある様です。

1つはルートから左手(北東方面)に北の城と言われる2つのピーク(△646mと△645m)があり、
200m以上にわたって帯曲輪(ウェディングケーキの様に段々に連なった地形)が連なります。

2つめは、ルートから右手にある南の城と言われるピーク(△646m)です。

ルートをそれて南の城へ行ってみます。
冬の時期に足を踏み入れたので、まだ足元が安全でしたが、
緑の頃には完全にヤブ漕ぎでマムシなどが出そうな感じです。

Dsc_1316

南の城のピークに到着です。(△646m)

コースに戻って北の城へ向かう道は大堀切(尾根をわざと断ち切って敵の侵入を防ぐ)になっています。道標の通り、北の城へ行ってみます。

Dsc_1319


北の城は2つのピークから成り立っていますが、1つめは坊領千軒跡となっていました。
△646mなので、ひょっとしたらこの高い本丸の位置に寺院があったのでしょうか?

北の城、もう1つのピーク△645mに登ってみます。

Dsc_1189

Dsc_1190

縄張り図によると、北の城△645mの奥に、
曲輪が段々に連なった帯曲輪が2つある様です。

_20180128_131336

(写真は縄張り図です:中西裕樹著 中世城辞典より)

Dsc_1326

Dsc_1327


帯曲輪がありました!


ルートに戻ります…
北の城のピークとピークの間は狭く、敵の侵入を容易に出来ない様

尾根をわざと切った堀切が良く解りますね。

Dsc_1191

(北の城のピークとピークの間)

Dsc_1325


針葉樹林たちがざわざわ…とっても不気味です。
さぁ~!金剛山の山頂へ向かいます。
坊領山からチラホラ雪です。

1516789153932

青崩道を経て、金剛山山頂へ到着しました。
マイナス10度とか8度とか言われた日で風も強く寒かったですよ~

千早城址へと続く…

Dsc_1207

Dsc_1201

※トレイルランニングで行きましたが、ある程度山に入ると言うしっかりした装備で足を踏み入れないといけない場所もあるので、決して軽装では行かないでね。



●関連記事

上赤坂城跡
猫路山城址
千早城址

■【坊領山~金剛山】猫路山城址編:正義の悪党・楠木正成の七城址めぐり

主体が楠木氏である楠木七城をトレイルランニングで探索してきました。

今回は猫路山城址をまとめます。。。

※2008年1月28日に記事をアップデートしました。

Dscpdc_0000_burst20180124103643898



●楠木七城とは


1)千早城
2)下赤坂城
3)小根田城(上赤坂城の一部)
4)桐山城(上赤坂城の一部)
5)烏帽子形城
6)龍泉寺城(嶽山城)
7)金胎寺城

●猫路山城とは:

千早城址、楠木城址、赤坂城址(下赤坂城址)を中核として
二河原辺城址、本宮城址、しょうぶ城址、枡形城址、猫路山城址、坊領山城址の山城が点在して配置される状況を「赤坂城塞群」と呼んでいます。
特に猫路山城址と、坊領山城址は城の構造も面白い山城です。

猫路山城址は、上赤坂城の南東に位置し、城の北側に大規模な二本の堀切を配置しています。
山城における堀切の中では最も大きいもので、北側に対する防御意識を感じることができます。
それは、城の約500mのところに足谷川が流れ一丁田池村が存在し、谷筋から人が入れることに関係があると考えられています。


【本日のトレイルコース】

楠木公生誕の地~上赤坂城址~猫路山城址~坊領山城址~青崩道~金剛山山頂(国見山城址)~千早赤坂城址~下赤坂の棚田~下赤坂城址~楠木公生誕の地

距離:25Km
累積標高 上り/下りとも 約2200m
高低差 1100m


●猫路山城址を巡る

Dsc_1161

(上赤坂城址の取つきにある看板です。上赤坂城の登山口で猫路山城の位置を確認しましょう)

上赤坂城址を抜けると金剛山・猫路山城址の方向を示す道標があります…。
道標に従いながら猫路山城址へ向かいます。

Dsc_1297


猫路山城址までは、堀切(敵の進行を妨げるため、わざと尾根を切っている)が多く、小さなアップダウンがあります。

Dsc_1300

猫が通る位の細い道が続くので猫路山…と呼ばれるという一説もあるそうで、
ホンマに細くて下に滑り落ちそうなくらいでした。

Dsc_1244

(大阪府中世城館辞典・中西祐樹著)


上赤坂城址から猫路山城址に入っていくのは、
南北の隅の方から入っていきます。

猫路山のピークを含め、周りは約70mの細長い形で帯状に曲輪(平らな場所)が連なっている構造ですが、自然災害等により状態が悪く、帯状とは解りにくかったです。。。
城の手前に1つ帯曲輪があるのは解りやすいです。
(おびくるわ:曲輪が段々に連なっている構造)

Dsc_1301

Dsc_1303

小さいですが平らな猫路山城ピークに到着です。△405m

Dsc_1304
ピークを含む帯曲輪の周りには、城を囲むように横堀がぐるっとあり、
ピークへの敵の侵入を防いでいる構造になっています。

ピークを過ぎ、坊領山城址に進もうとしたところにすぐ横堀が確認できますよ。(写真は横堀)

縄張り図を見ると、ピークの周りにケバ(斜面を表す斜線)がかなりあるので、険しくて、容易にピークに到達できない所に城が存在するのが解ります。

Dsc_1305

こちらも横堀の写真です。

Dsc_1306
※トレイルランニングで行きましたが、ある程度山に入ると言うしっかりした装備で足を踏み入れないといけない場所もあるので、決して軽装では行かないでね。


坊領山城址へ続く…

*関連記事 
上赤坂城址をまとめた記事はこちら

千早城をまとめた記事はこちら

■【坊領山~金剛山】上赤坂城編:正義の悪党・楠木正成の七城址めぐり

※2008年・1月31日に記事をアップデートしました。

Dsc_1225


主体が楠木氏である四城(正確には六城)を走ってきました。

ブログにはまとめていないですが、秋に探索した三城・烏帽子形城址、嶽山城址、金胎寺城址を合わせて

これで楠木七城全制覇したことになります。

今回は上赤坂城をまとめたレポです。


●楠木正成ってどんな人?

楠木正成(1294~1336)は、鎌倉後期から南北朝時代にかけて活躍した人です。
永仁2年4月25日に千早赤阪村の水分に生まれました。

いいくに作ろう鎌倉幕府と年号を覚える時に使われているゴロ合わせも140年続くと衰え、秩序も乱れ始めていました。
そこで、政治を武士から天皇に返そうと、上赤坂城をはじめとする城塞群(じょうさいぐん:敵から防護する目的で建てられる城)をつくり鎌倉幕府軍と戦いました。


●楠木七城とは

1)千早城
2)下赤坂城
3)小根田城(上赤坂城の一部)
4)桐山城(上赤坂城の一部)
5)烏帽子形城
6)龍泉寺城(嶽山城)
7)金胎寺城


【本日のトレイルコース】

楠木公生誕の地~上赤坂城址~猫路山城址~坊領山城址~青崩道~金剛山山頂(国見山城址)~千早赤坂城址~下赤坂の棚田~下赤坂城址~楠木公生誕の地

距離:25Km
累積標高 上り/下りとも 約2200m
高低差 1100m


トレイルランニングの前日から縄張り図を準備し、城のアレコレを予習。

_20180129_165933

(写真は縄張り図です:中西裕樹著 中世城辞典より)→私のバイブル

縄張り図とは:

城全体の構図を示す平面図(間取り)のことです。
敵を防ぐために堀や土塁(敵を防ぐ土手)をどう置いて、虎口(入り口)をどこに配置するかと言ったプランが描かれた図。


昔は縄をはって間取りを計画していたとか…。
縄張り争いという言葉も、相撲が縄で囲んだ土俵だという事も、
縄張り図と繋がる意味があるのかもしれません。

城址を歩いたり走ったりするとき、縄張り図を持参すると、
ここに土塁がある!敵が上から襲って来そう~
曲輪(建物が建てれるような平らな地、建ってないこともある)にはどんな建物が建っていたのかな~と想像がふくらみ
一瞬で歴史上の時代にタイムスリップできるのが醍醐味。

山のあらゆる所に、敵が攻めてこれない様工夫が成されているので
意味あって前に進みにくいんだ…という事も再認識させられます。
知らないと、ただ単にしんどい山。
構造を知ると昔の人の知恵と造りに感動し、山の魅力と愛が一層深くなります。

最近走るコースを決める時、その土地の歴史をたどってみます。
そうすると不思議な事に、直ぐにコースが見つかるのです。
ただ単に走るだけでなく、一緒に地形や歴史も学べるので一石二鳥。
とっても楽しいです。


上赤坂城とは:

金剛山支脈の1つで西北に伸びる349.5mの峰にあります。

楠木正成の本城だった説もあり、別名楠木本城や小根田城、桐(切)山城とも言われます。
周囲に、猫路山城や千早城、国見山城、下赤坂城も点在しています。

猫路山城や国見山城を含め南北朝時代に楠木正成がとりたてた城塞群とされますが、戦国時代にも畠山氏を軸にした大規模な戦乱に見舞われた山城です。(多くの兵が命を落としている場だと思います)

上赤坂城は、北側には足谷川、東は井戸の谷、西は城の谷という深い谷に三方向囲まれていて南だけが金剛山に続いています。

上赤坂城の構造は大きく3つに分かれていて、

1つめは二の丸 東の城。周りに多くの帯曲輪(おびくるわ:段々に曲輪が連なっていること)が広がっています。
2つめはその隣にある茶碗原という曲輪。
3つ目は千畳敷と言われる本丸(北の城)で約100mの細長いピークです。

太平記によると、この山城は楠木正成が平野将監(ひらのしょうげん)を配して防衛にあたらせたけど、水を絶たれて落城したとされています。
尚、この城は戦国時代に改修されていると考えられていますが、詳細は不明…。

上赤坂城から金剛山に向かうルートは
なかなか人が入らないマイナールートで、すれ違った人はたったの1人。
その方曰く「ここはあまり人が来ないんで…びっくりした!」と呟いていました。

薄暗く、寒いし風の強い日だった事もあり、
木が揺れる音がまるでオカルト映画でゴーストが現れる時の音そっくりで怖かったです。
一方走れるトレイルも多く、保存状態が良すぎる遺構にただただ感動します…。
観察と妄想でなかなか前に進めませんでした。

よくできた城山ですよ。記事で一緒に辿りましょう…


●上赤坂城址を巡る

Dsc_1243
ここが、上赤坂城への取付きです。

Dsc_1244

上赤坂城の登山口前には、楠木城址の縄張り図があるので
登る前に縄張り図の看板で、城の構造を見ておくのがオススメ。

Dsc_1161

縄張り図のアップです。

Dsc_1163

さぁ~スタート!! 写真ではわかりにくいですが、いきなりの急登です。

Fb_img_1517317149683

そして…冬の時期なのに真っ暗な木のトンネル…
これは、緑が生い茂る季節に来たら恐ろしいくらい真っ暗なんだろうな~

Dsc_1246

一の木戸です。木戸とは、虎口にある開閉式の城の門のことです。
ここから城へ入っていくものと考えられます。

Dsc_1247

一の木戸の看板に城のアレコレが書かれています。
~1333年平野将玄監と楠木正李は多勢の鎌倉幕府相手に奮戦しましたが水路を断たれ陥落したそうです。糞尿を敵にかけた奇策は「糞谷」(くそんど)という地名になって残ってるって。行ってみたい! ~

Dsc_1166

V字に続く切通し道が続きます。城の大手口だと思われます。(切通し道:山や丘を切り開いて通した道路の事)

最初、山なので空堀(水をはらない堀)か、芥川城でも見られるV字の薬研堀かなとも思いました。
このV字の道が城まで延々と続くのに息をのみます。

Dsc_1256

V字の切通し道の左右は土塁(敵に攻撃・敵からの防御をするための土手)になっていて人が乗れたり隠れたりできる構造です。
時折、上から敵の矢が飛んできそうな感じがします。

1517217350278

私は土塁の下の城坂(じょんざか)を歩いてみました。

Dsc_1249

石仏が並んでいました。

Dsc_1167

2つ目の城門に到着。
一の木戸から約50mのところにあります。

Dsc_1251

本丸に至るまでは城坂(じょんざか)と呼ぶそうで、4つの木戸が設けられているとのこと。

Dsc_1253

一の木戸が終わったあたりで振り返ると、切通し道の左右の盛り上がりが
土塁のようになっているのが解りますね。

Dsc_1252

一の木戸の切通しが終わった辺りから、二の木戸が始まるまでの間の西側に
首切り場があるらしくて、
コンパスで西を確認してみました。
針葉樹林が沢山生えていて、斜面の下は平たくなっていました。
ここは不気味なので通り過ぎました。

Dsc_1261_2

三の木戸をすぎると、二の丸の曲輪が見えてくるそうです。
そろばん橋に向かいます。

Dsc_1263

そろばん橋です。ここは細い土橋になっています。(細い橋)
左右が連続堀切と言って、敵が簡単に進めない様に左右をわざと二重に断ち切っている構造になっています。
この地点は、堀は敵を防ぐのに一番重要なポイントだと思われます。
(堀切とは:わざと尾根を切って敵の侵入を防ぐ構造)

Dsc_1262

連続堀切は、草ボーボーで解りません。
でも、うっすら白くなっている部分が連続堀切なのかな…とも見えます。

Dsc_1264

通路が土橋(細い橋)なので、前から矢が放たれたら、たちまち順番に仕留められてしまうような感じですね。
そろばんの様に矢で弾かれてしまうからそろばん橋なのかな…という勝手な妄想でごめんなさい。(昔は、この土橋がなかったのでは?とも言われています)

ちなみにそろばん橋を渡ると大きな土塁があるので、そこからそろばん橋に向かって敵に攻撃していたと思われます。

Dsc_1171

そろばん橋と三の木戸を過ぎると木のラダーがあります。
この手前辺りからルートを外れ、ガシガシ斜面を登って、
二の丸(東の城)の一部へ入ります。

Dsc_1172

二の丸は帯状の曲輪が連なる帯曲輪構造になっていて細長い形をしています。

おそらく、登ってきたところは一番下の曲輪だと思われる場所です。
今は木が生い茂っていますが、昔はここに建物が建っていたのでしょうか。

コースに戻り、木のラダーをまっすぐ突き当ると
食い違い虎口と言って前方から守備が敵に見えないようなL字型の道になっています。

コースをそのまま進むと本丸ですが、
コースを東へそれて登っていくと…二の丸東の城です。

Dsc_1275

おお~ひらけてる!!!△340mです。
二の丸は北西方向に5つの曲輪を連続させる他、地形にならって周囲に曲輪や堀切を設置しています。

Dsc_1278

二の丸から一段下がった腰曲輪から伸びている帯曲輪も綺麗に見えました。(腰曲輪とは、大きな曲輪から一段下がったところに曲輪がある構造。沢山連なると帯曲輪になる)
奥には堀切(堀を切って敵の侵入を防ぐ構造)がある様ですが、現在は台風災害等により地形が変わって複数の堀切を見ることが出来ないそうです。


Dsc_1273
二の丸からルートに戻り、本丸(千畳敷)に向かいます。
途中、茶碗原と言われる広い地形が見れます。
ここは陣屋跡で炊事場があったところとされ、石臼や土器が出土しているそうです。

Dsc_1286

少し小高い坂を登ると394mの本丸です。
本丸は細長い形をしていて、ちょうどこの看板のあたり(本丸の真ん中の辺り)に出て来ます。。
展望のいい北の方へ向かってみます。

Dsc_1292

平らです。東・西・北の眺望がとてもいいです。天気のいい日は六甲山や淡路島まで見渡すことが出来そうで、点在する出城と簡単に連絡が取れた様です。

Dsc_1177

(下の写真は本丸ピークの下にある腰曲輪。二段重ねのケーキみたいな形の構造です)

Dsc_1290

Dsc_1178

(奥にはPLの塔も見えます!完璧な自由~!)

Dscpdc_0000_burst20180129102848417

逆側(南)にも曲輪がありました。
縄張り図によると、奥に大堀切がある様です。しかし、今は見ることが難しいようです。
(堀切とは:わざと尾根を切って敵の侵入を防ぐ構造)


そんなことでここから猫路山城に向かいます。

楠木正成は、子供のころから野山を駆け抜け、このあたりの地形をしっかり把握していたそうで、
城の作りも良く考えられていると思うので、またじっくり探索したいです。
1度でいいからタイムマシーンに乗って、その当時を体験してみたい。


※トレイルランニングで行きましたが、ある程度山に入ると言うしっかりした装備で足を踏み入れないといけない場所もあるので、決して軽装では行かないでね。



猫路山城のレポに続きます。→ 猫路山城址をまとめた記事はこちら

(参考図書:大阪府中世城館辞典 中西祐樹著)

●関連記事
千早城址
*国見山城(坊領山城)
*猫路山城