■【坊領山~金剛山】国見山城址(坊領山城)編:正義の悪党・楠木正成の七城址めぐり
主体が楠木氏である楠木七城をトレイルランニングで探索してきました。
今回は国見山城(別名:坊領山城)をまとめます。
※2008年1月31日に記事をアップデートしました。
●楠木七城とは
1)千早城
2)下赤坂城
3)小根田城(上赤坂城の一部)
4)桐山城(上赤坂城の一部)
5)烏帽子形城
6)龍泉寺城(嶽山城)
7)金胎寺城
●国見山城とは:
千早城址、楠木城址、赤坂城址(下赤坂城址)を中核として
二河原辺城址、本宮城址、しょうぶ城址、枡形城址、猫路山城址、坊領山城址の山城が点在して配置される状況を「赤坂城塞群」と呼んでいます。
特に猫路山城址と、坊領山城址は城の構造が面白い山城です。
国見山城が正式名ですが、坊領山にあることから坊領山城とも言われています。
枡形城址、本宮城址からのルートと、上赤坂城址を経て猫路山城址からの2つのルートの合流点に国見山城址が存在し、ここから1つのルートになって金剛山に向かう事になるので国見山城こそが赤坂城塞群の中核ではないかと言われています。
【本日のトレイルコース】
楠木公生誕の地~上赤坂城址~猫路山城址~坊領山城址~青崩道~金剛山山頂(国見山城址)~千早赤坂城址~下赤坂の棚田~下赤坂城址~楠木公生誕の地
距離:25Km
累積標高 上り/下りとも 約2200m
高低差 1100m
●国見山城(坊領山城)址を巡る
猫路山から坊領山への道標へと進みます。
猫路山城址を過ぎると、
V字の切通し道(山や丘を切り開いて通した道路の事)が続きます。
上の方は人が乗れるくらいなので土塁(敵の侵入を防ぐための土手)なのでしょうか。
トラロープが備え付けられているくらいの急なアップダウンもあり、
既に城に入っているかの様な気分になります。
鉄塔を越え、気持ちのいいトレイルをしばらく進むと坊領千軒跡というだだっ広い場所にでます。
猫路山城跡から約2㎞の金剛山中腹(△646m)のところに坊領山城址が存在するので、本丸は坊領千軒よりまだ奥にあると思われます。
坊領千軒はとっても広いです。
今は針葉樹林が何本も生えていますが、
昔は住居や坊領千軒という寺院があったと言われます。
縄張り図によると、坊領千軒あたりから
城の曲輪(建物が建てれるような平らな場所)が増えてくるのですが、
どの曲輪が住居で、どの坊領千軒が寺院なのかは明確ではないです。
坊領千軒跡を過ぎると、いよいよ本丸の曲輪です。
看板には北の城への道標しかでていません。
しかし、2つの本丸曲輪がある様です。
1つはルートから左手(北東方面)に北の城と言われる2つのピーク(△646mと△645m)があり、200m以上にわたって帯曲輪(ウェディングケーキの様に段々に連なった地形)が連なります。
2つめは、ルートから右手にある南の城と言われるピーク(△646m)です。
ルートをそれて南の城へ行ってみます。
冬の時期に足を踏み入れたので、まだ足元が安全でしたが、
緑の頃には完全にヤブ漕ぎでマムシなどが出そうな感じです。
南の城のピークに到着です。(△646m)
コースに戻って北の城へ向かう道は大堀切(尾根をわざと断ち切って敵の侵入を防ぐ)になっています。道標の通り、北の城へ行ってみます。
北の城は2つのピークから成り立っていますが、1つめは坊領千軒跡となっていました。
△646mなので、ひょっとしたらこの高い本丸の位置に寺院があったのでしょうか?
北の城、もう1つのピーク△645mに登ってみます。
縄張り図によると、北の城△645mの奥に、
曲輪が段々に連なった帯曲輪が2つある様です。
(写真は縄張り図です:中西裕樹著 中世城辞典より)
帯曲輪がありました!
ルートに戻ります…
北の城のピークとピークの間は狭く、敵の侵入を容易に出来ない様
尾根をわざと切った堀切が良く解りますね。
(北の城のピークとピークの間)
針葉樹林たちがざわざわ…とっても不気味です。
さぁ~!金剛山の山頂へ向かいます。
坊領山からチラホラ雪です。
青崩道を経て、金剛山山頂へ到着しました。
マイナス10度とか8度とか言われた日で風も強く寒かったですよ~
千早城址へと続く…
※トレイルランニングで行きましたが、ある程度山に入ると言うしっかりした装備で足を踏み入れないといけない場所もあるので、決して軽装では行かないでね。
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