■【生駒山系】城址巡り。恩智城・高安城・信貴山城
最近の記事は、シロシロシロ~で城活だらけでかたじけない。
(信貴山からの眺望。ダイヤモンドトレイルの稜線と奈良の街並みがとっても綺麗)
コンビニと同じくらいの数があるという土の城。。。
そこに城があるなら探検してしまいます。息をのむような景色や脚光を浴びる様なスポットでは無いけれど…何百年も忘れられたような「寂しい」風景にいつも惹かれます。哀愁ってやつでしょうか…
城の遺構について知らなかった時は、ただ走りにくい・歩きにくいシンドイ道…周りにある城の名残にも気づかず通りすぎる…
遺構を知れば、歴史ロマン街道に早変わり。地形全部が宝に見え、今まで通り過ぎていた所で足が止まり武将たちの息を感じる…。
今回は、縄張り図持参で、恩智城~高安城~信貴山城をトレイルランしてきました。
(岩盤がむき出しになっている道。生駒山系は山が岩盤でできているのかな)
(雪が残っています)
(つららも下がっていて、日陰はまだまだ寒い)
城があったとされる山は、歩いたり走ったりするだけでもしんどいのに、
昔の人は、山をかけ登ったり、走って逃げたりして戦うんですから、すごいですね~
私も戦うわけではないですが、先達に刺激を受けまして
ここ半年は自体重での筋トレを特にシッカリしていますよ~。
そんなことで、今回は恩智城址・高安城址・信貴山城址の忘備録です。
【ルート】
恩智駅~恩智城址~高安城址~信貴山城~平群駅
●距離:12.8㎞
●累積標高UP/DOUN:913m/862m
●高低差:479m
●生駒の山城を巡る
(恩智駅から東へ400mの高台に恩智城址があります。△45mからは大阪平野が見渡せます)
恩智城は、恩智左近(恩智の豪士)が築城し、
左近は、南北朝時代に楠木正成の一族と共に活躍されたと言う説もありますが、 架空の人物とも言われていて謎。。。
城址からは大阪平野が一望でき、ここから左近が見下ろしていたのかな~と想像したらとっても羨ましかったです。
高安山城は、松永久秀の城。
(高安城縄張り図:中西裕樹先生「中世城館辞典」より)
持っている城図鑑の縄張り図があまりにも小さいので、正直それほど期待してなかったけれど、
実際に見たらびっくり!スケールデカイ。
(偶然見つけた、すんごい昔…古墳時代の武器庫)
(高安山城の西の曲輪。△487.5m)
(曲輪を囲む立派な横堀:城のまわりをグルッと1周囲む構造)
(東側の曲輪は土塁に囲まれていかにも戦いのための曲輪で、面白い構造)
虎口や土塁・横堀が発達して、曲輪は大きく分けて西と東と南西の3つ。
遺構がとっても解りやすかったです。
帰宅して城図鑑を見て理解したんですが、
東の曲輪では礎石や柱穴が確認されいて、陶磁器も発掘されてるそうで、建物があったのか???
天正5年に織田勢の攻撃を受けて、多聞城かこの城のどこかで松永氏が敗死しているらしい…。どこだ??? (自ら爆死してると言う説もあるとか。歴史は妄想の世界でしかないですね)
(食物を蓄えてたとされる倉庫跡)
(礎石が2棟ぶんありました)
(かやぶき屋根の倉庫です。塩やモミを蓄えたとか)
高安山城は、信貴山城の出城とは思えないくらい、いろいろ想像を掻き立てられる山城でした。
ここは、もう一回行きたいかも!
(縄張り図によると、南北700mに渡って120以上の曲輪があるとか。なるほど…あちこちに曲輪です。戦国時代には木沢長政、松永久秀が入城したとか)
(妖精さんイキイキしてますね。松永久秀さんの屋敷跡は、とても広い。くるくる踊れそうな曲輪。)
(屋敷の縄張り図です)
信貴山城は曲輪の多さと、松永屋敷跡の広い居住空間に驚きでした。
山城に行けば、タイムマシーンはいらないですね。
ほんの少し妄想すれば、もうその時代に時間旅行できそうな感じ。
今日も歴史上人物や、地形を生かした縄張りの数々からパワーをいただきました。
これからも自分の足で色んな土地のパワーや景色を感じに行きたいです。
そのためにも健康で…筋トレとケアをシッカリしますよ~。