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健康サポートプロジェクト 坂田純子

■健康運動コンサルタントです。 [専門] ●ウォーキングやランニング、健康体操、生活習慣病予防・呼吸器系・循環器系に有用性のある有酸素運動指導など。 ●自体重やツールを使い、しなやかな身体づくりをするボディメイクを提供。 ●アロマやキネシオロジー(整体)を活用したボディケア、脚の測定や診断・アドバイスなど ●健康コラム・エクササイズ監修

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2021年12月22日 (水)

■コラム[京街道・東海道]京街道と東海道

全国統一をした豊臣秀吉は、慶長三年(1598年)8月18日に生涯を終えました(62歳)

それから二年後の慶長五年9月15日に関ヶ原の戦いが起こり、徳川家康率いる東軍が石田三成らの西軍相手に勝利しました。

家康は慶長八年2月12日に征夷大将軍に任ぜられ幕府を開きます。

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慶長二十年5月の大坂夏の陣で徳川方が勝利し大坂城は落城。
5月8日に豊臣秀頼と淀殿が自害し豊臣家は滅亡しました。

元和二年(1616年)徳川幕府は、京都・伏見と大阪を結ぶ京街道に、伏見宿、淀宿、枚方宿、守口宿の4つの宿場を置きました。

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幕府は、東海道、中山道、日光道中、奥州道中、甲州道中を主要五街道とし、幕府直轄としました。

なかでも、江戸と上方を結ぶ東海道は重要な街道とされ150前後の大名が参勤交代に利用。
京都、大阪、長崎と江戸を往来する幕臣や多くの庶民も利用しました。

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東海道は、江戸の日本橋を起点とし、京都の三条大橋を終点とし、五十三の宿場があります。
しかし、幕府は大津宿から山科の髭茶屋追分で三条へ向かうルートと京街道で大阪に向かうルートも東海道として把握しました。

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この京街道は淀川で伏見から大坂の八軒屋まで、安価で楽に三十石船で下れるので、船を利用するものが多かったそうです。

2021年12月21日 (火)

■コラム:[京街道]京街道の誕生

大坂と京都・伏見を繋ぐ京街道。
京街道はどのように誕生したのでしょうか?

京街道の誕生

天正十年(1582年)6月2日、京都の本能寺に宿泊していた織田信長を明智光秀が襲い、
織田信長は天下統一を果たすことなく死を遂げました。

当時羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)は備中高松城を水攻めしておりましたが、
主君の死の悲報を受けて、即毛利氏と講和をまとめ、急いで上方へ帰ってきました。

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同年の6月13日の山崎の合戦で、明智光秀を破って主君の仇を報じた秀吉は、
天正十一年4月21日の賤ヶ岳の合戦で信長の後継者選びのライバルであった柴田勝家を破り、
同年9月1日から天下統一の拠点として大阪城の築城を開始しました。

天正十三年7月11日、秀吉は朝廷から関白に任じられ、翌年2月京都に聚楽第(じゅらくてい・じゅらくだい)の建設を開始する。

天正十八年、秀吉は全国統一を果たすが、翌年に関白を甥の秀次に譲り、新たに伏見城の築城を始めます。

こうして、豊臣政権は大坂城と聚楽第と伏見城の3か所を拠点としました。



ところが、文禄4年(1595年)6月7日畿一帯を豪雨が襲い淀川が氾濫。
北河内一帯から大阪城の近くまで大洪水に見舞われました。
そして、京都・伏見と大阪の間が完全に寸断。
秀吉は、翌年淀川両岸に強靭な堤を築きました。
(河内国側の淀川左岸を東国大名、摂津国側の右岸を西国大名が担当)

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この堤を「文禄堤」といい、京都・伏見と大阪を結ぶ街道となりました。
これが京街道のはじまりです。

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■[大阪史跡]京街道:八軒屋船着場

京都と大阪を結ぶ交通の大動脈は淀川の舟運でした。
京都・伏見と大阪・八軒家の間(約40㎞)を船が往復し、
江戸末期には1日に1500人、800tの荷物が運ばれていました。


[永田屋昆布本店]

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〝江戸は鰹節、大阪は昆布〟と言われ、北海道の昆布は日本海よりに西回り、下関から大阪に入ってきました。
昆布屋は、戦前まで八軒屋に多くありましたが、今では永田屋昆布店と八木昆布店のみなんだそう。

永田屋昆布本店さん周辺は、江戸のころ八軒家浜船着場で三十石船が到着していました。
店の前には八軒屋船着場跡の石碑がたっています。

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悠久の歴史を伝える八軒屋
おひとり様一部にてお願いします。

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一部いただきました。
大阪の歴史について書かれていますので、とてもありがたいです。

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船は、30人程のお客を乗せ、京都の伏見を夜半に出て翌日早朝に八軒屋に到着。

上りは下りの倍の12時間ほどの船旅だったとか。
移動だけなら、走った方が早そうな…。




[フロマージュ天満橋]

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「この付近、天満八軒屋 船宿 京屋忠兵衛 跡
幕末期、新撰組の近藤勇や土方歳三、沖田総司らの常宿だった/誠」

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今はフロマージュ天満橋と言うチーズ屋さんですが、江戸の頃は「京屋」と言われる船宿でした。
たびたび新撰組の方々が宿泊していたそうです。

近藤勇や土方歳三、沖田総司は八軒屋船着場から京都と大阪をship行き来していたのですね。

2021年12月18日 (土)

■[大阪史跡]梅田の地下街にある大阪城の千貫櫓の石組み

大阪駅前第4ビルの通路にある梅田の地下街にある大阪城の千貫櫓の石組み。

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通路が、大阪築城400年の年に開通したことに因み、大阪城の石垣を築造したときの残石といわれる小豆島の石を用いてつくられたそうです。
大阪城の石垣が小豆島からも運ばれていたのがビックリですね。

しかも、こんな通路に千貫櫓の石組みだなんて、お洒落すぎます。

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2021年12月14日 (火)

■[大阪史跡]適塾:緒方洪庵 #健康歴史ウォーキング

緒方洪庵先生は、幕末における洋楽研究の第一人者として仰がれた医師・蘭学者で〝日本の近代医学の祖〟と呼ばれた人物です。

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適塾は緒方洪庵が開いた塾で、侍の子も町医者の子も農民の子も「学問をする」という目的で集まり、先生は洪庵1人でした。

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大村益次郎も福沢諭吉も、故郷ゆかりの橋本左内も…全国から、適塾へ学びに集まっています。

教育に力を注いだだけでなく、種痘を広め、天然痘の予防にも尽力しました。

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1849(嘉永2)年には現在の道修町5丁目に種痘所(大坂除痘館)を開き、
ジェンナー式牛痘種痘事業を始め、
1858(安政5)年日本にコレラが流行した時は治療にあたりながら、治療手引書『虎狼痢治準(ころりちじゅん)』を発刊し、感染予防に尽力しています。


今年の春、大阪大のチームが、洪庵先生が残した当時の薬瓶の中身を特定し、水銀と塩素が中身の主な成分と発表したそう。

瓶の蓋からわかったのは、当時「甘汞(かんこう)」と呼ばれ、下剤などとして使われたものだとか。

当時、どのような治療をし薬を作っていたのか?洪庵先生が残してくださったものは、江戸時代のタイムカプセルみたいで夢がありますね。

2021年12月13日 (月)

■[大阪史跡]高麗橋と擬宝珠 #健康歴史ウォーキング

高麗橋。
江戸時代の商売の中心地。

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東海道57次の、江戸からのゴール地点、または江戸へ向かうスタート地点です。
他、中国街道、紀州街道などへもつながっています。
私も、高麗橋からスタートし、東京日本橋まで走りました。

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高麗橋は、豊臣秀吉時代、朝鮮通信使を大阪城に迎えるために架けられ、この橋から大阪城天守閣をドーンと眺められるようにと計算されて造られた…または、朝鮮との通商の中心地であったことに由来している橋とも言われています。

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注目したいのは、擬宝珠(ぎぼし)
擬宝珠は、伝統的な建築物の装飾で、橋や神社・寺院の階段などに設けられているネギの花の形をした飾りのこと。
宝珠(ほうじゅ)と言われ、釈迦の骨が入っていたものに似せたとか、ほしい物が思いのままに出せるという玉(如意:にょい)等とも言われています。

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↑大阪歴史博物館の擬宝珠

高麗橋は、12ある公儀橋(幕府直轄管理の橋)のひとつ。
大坂の公儀橋の欄干は、頭巾型の金具が取り付けられましたが、京橋(京都と大阪をつなぐ橋)だけ、擬宝珠が取り付けられていたとか。
なぜか?高麗橋には、京橋にあったとされる宝珠の擬宝珠のレプリカがあるのです…。

本物の擬宝珠は、大阪夏の陣で徳川方に戦利品として持ち去られたあと、いろんな方の手に渡り吉田茂さんの手元へ、そして遺族によって大阪市へ寄贈されたそうです。

吉田茂さんと言えば…麻生さんのおじいちゃんですね。

■[大阪史跡]堂島薬師堂 #健康歴史ウォーキング

本日も仕事前に『2022年開運街巡りウォーキング(残席わずか)の下見です。
ランニングで行ってまいりました。

普段見慣れていて気にとめない景観も、川の歴史を知ると、大阪がどのように発展していったのかがわかります。

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↑ 志じみばし跡

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↑蜆川に沿ってカーブしている道

蜆川(曽根崎川)はもうありません。
明治14年の「北の大火」で焼失し、瓦礫を川に捨てたことで埋め立てられ、今は北新地になっています。
そして、堂島川は今でもたっぷり水が流れています。

そんな蜆川と堂島川は、江戸時代、干しあがっていて、水が流れていなかったそう。

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↑堂島川にかかる渡辺橋

蜆川と堂島川を整備したのが河村瑞賢(かわむらずいけん)
広く掘り広げて水が流れるように整備しました。
掘った浚渫土(しゅんせつど:海底や河川の底を掘削することにより発生する、土砂やへどろ)は堂島に盛ったとか。

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蜆川と堂島川には推古天皇の時代から中洲がありましたが、中州に薬師堂が建っていました。
今の堂島アバンザのあたりです。
船で渡る時にも遠くから薬師堂が見えたことにちなみ、地名が「堂島」になったそうです。

今は中洲にはオフィスビルが立ち並び、薬師堂はキラキラ光るミラーボールのように変わりました。

しかし、お堂の中には今でも薬師如来像(病気を治すということで古くから信仰があります)、弘法大師像、地蔵菩薩像がいらっしゃいます。

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↑合掌した形のモニュメント。蝋燭をお供えします。

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古地図を片手に…。
昔の景観から、川と共に町ができ、経済も学問も発展していったことが読み解け、今昔を比較するととても面白いです。

2021年12月12日 (日)

■歴史ウォーキング

歴史ウォーキングの下見を重ねています。

flair残り席あとわずか…
レッツ!寅イ・2022年開運街巡りウォーキング 開催 →★★★

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繰り返し史跡やスポットを訪問するたびに、課題や調べることが増えていきますが、とても勉強になっています。

あらためて、歴史は断片的でなく、つながってると思います。
今暮らしている私たちの社会も、新しくできた現象ではなく、昔から繋がっているのです。

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またまた宿題が沢山出来ました。

下見途中でショコラ買いました…。

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大阪城では「大坂城チャレンジラン2021」が開催されていて、出店しているお取引先様のブースに寄って帰りました。

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少しずつ、イベントも開催され、社会も動き始めていますね。

2021年12月 7日 (火)

■[大阪街巡り]くすりのまち道修町(どうしょうまち)を歩く #少彦名神社

大阪市内には「町」の字が付く町名は約150くらいあり、
半数が「まち」と読みます。

もちろん!道修町も「どうしょうまち」と読みます。

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道修町は江戸時代から薬種問屋が軒を連ね、
現在も多くの製薬会社の本支店がある「くすりのまち」として知られています。

軒を連ねる道修町通り(どしょうまちどおり)には、
医薬品に関する展示施設が複数あり、
その中に少彦名神社(すくなひこなじんじゃ)があります。

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かっこいい!ゴールデンタイガー!!shine

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小さい神社ですが、都会の中のオアシスです。

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歴史としては新しいのですが、
日本の薬の神様「少彦名命」と中国の薬の神様「神農炎帝」の両方が祀られている珍しい神社だとか。

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境内には張子の虎が彼方此方で見られます。

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虎の謂れは…
江戸時代の末期・文政のころ(1822年)、コレラが日本に入り、大阪でも多くの死者が出ました。
コレラにかかると2~3日でコロリと死んでしまうから
「三日コロリ」とか、虎と狼が一緒に襲ってきた病という意味で「虎狼痢(コロリ)」とよんでいました。

コレラの特効薬がなかったとき、道修町の薬種商の方々が、
虎の頭蓋骨などを配合して薬をつくりました。
薬の名前は「虎頭殺鬼雄黄圓(とこうさっきうおうえん)」と言います。

薬をご神前で祈願して、みんなに配ったところ、病が落ち着いたそうで…。
そんなことから、張子の虎がお守りになったようです。
(※明治時代になり、薬の配布が禁止され、今は張子の虎がお守りとして受け継がれています。)

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おみくじも薬箱…
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懐かしい薬も展示されています。happy01

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ユースキン!懐かしい…養命酒は名前の通りロングセラー。
寿命が長いな‥‥

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大福虎と言われる張子の虎のお守りが、あまりにも可愛らしいので、連れて帰りました。
健康成就や家内安全を祈願したお守りです。

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ゆるい。。。

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令和4年、2022年の干支は「寅」

寅は金運の象徴でもあります。
金運と健康運祈願にピッタリなパワースポットですね。


[住所]
〒541-0045 大阪府大阪市中央区道修町2丁目1-8

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くすりのまちには、こんなものも売られていました。

「八目鰻の肝油」

八目鰻は、ビタミンAが豊富で目に良いようですeyeshine

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水戸光圀も藩医に編集させた『救民妙薬』(家庭の医学書)に、
夜盲症の薬として紹介していたとか。

欲しい…かも。

八目鰻を調べたら、目が8つあるわけではなく目は2つなんだってさ。

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今日は、仕事として訪れましたが、
くすりのまちをゆっくり歩くのも、面白いですね。

2021年11月11日 (木)

■此界隈井原西鶴終焉之地碑〔大阪歴史スポット〕

✼┈┈┈┈┈┈┈┈┈✼  
  好色一代男
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今朝の読書の登場人物に「灰屋 紹益(はいや じょうえき)」という名前が出てきて、ものすごく興味を持ち、朝っぱらから相方と〝身体に取り込んでしまいたいくらい 好きな人の遺灰を、酒の中に入れて飲めるか?〟という議論をしておりました。

灰屋 紹益は、灰で巨額の富を築いた町商人ですが、多芸多才でそれぞれ一流の先生に学びそうとうの知識人だったようです。
そんな灰屋さんは、京六条三筋町の遊女屋林家の二代目吉野太夫の見受けをしましたが、(見受けをするまでのなかなか良い話は端折りまして…)

興味を持ったのはここからです。

太夫は結核で36歳で亡くなるのですが、灰屋さんは、火葬した太夫の遺灰や遺骨を壺に詰め、骨粉にし、毎晩酒杯の中に入れ太夫を偲びながら飲んだというのですから、奇人だな…と思う反面、灰屋という仕事に徹底しているなと感心し、太夫を身体に取り込んでしまいたいくらい愛していたんだなと感動してしまいました。

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そんな灰屋さんがモデルになったのが、井原西鶴の処女作である「好色一代男」の巻五「後は様つけて呼ぶ」の世之介なのです。

そんなことで…今日の帰宅ランは、毎週通っている井原西鶴の終焉地を通ってみました。

此界隈井原西鶴終焉之地…ということは、だいたいこのあたり…ということなんでしょうね。

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ところで、人間最後は皆灰になりますが、
〝身体に取り込んでしまいたいくらい 好きな人の遺灰を、酒の中に入れて飲めますか?〟