■【走る旅】元寇を辿る
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※2020年2月17日現在
新型コロナウィルス対策として、ランニング中もマスクをして走っています。
東京オリンピック代表選手を決める東京マラソンの一般参加者の出走が取り止められ、エリート選手のみの参加になりましたが、自己判断でコロナウィルス対策として、2月16日に行われた北九州マラソン大会にも参加しませんでした。
取引先の職場においても交通機関を使った移動でもマスクをしています→お客様へのエチケットとして防止対策としてのとりきめ。
2月16日。
博多へ向かいます。
元寇、蒙古襲来の史跡を辿るためです。
早朝小倉駅でソニックと言う電車を待っていると、雨も上がり晴れ間が見えました。
北九州マラソンの日ですが、感染予防対策でなくなくマラソン大会出走を辞退しました。
博多まで、特急ソニックという列車に乗り込む。
フローリングで座席のつくりがレトロで好きな感じ。
車両には私1人です。
博多駅からは地下鉄空港線に乗換え、筑前前原行の下山門駅へ。
下山門駅~生の松原元寇防塁跡~壱岐神社~まつぼっくりパン~長垂海浜公園防塁跡~今津元寇防塁跡~九大学研都市駅まで(おおよそ15~17㎞計画)
計画が実行できますように。
下山門駅を降りるとかなりの雨風。。。
天気予報では春一番が吹く日らしく、風がゴーゴー言うてます。
駅はコインロッカーもないのでザックは背負って走ること決定。
レインウェアの上下を着て、ザックにレインカバーをし走り始めました。
すぐに生の松原元寇防塁跡と言う道標があり、分かり易いです。
防風林を抜け海側へ向かい1㎞程度で到着。
海沿いを走ります。
写真じゃわからないですが、玄界灘…めちゃめちゃ荒れてます。
吹き飛ばされそうです。
海がある田舎に育ったんで、海の厳しさは多少わかります。
身体でこれは危険だなと感じました。
元寇防塁跡に到着。
元寇とは、鎌倉時代中期にモンゴル帝国や属国の高麗によって2度にわたり行われた日本侵略の呼称。
元寇は戦争に限った表現で、蒙古襲来と呼ばれています。
戦は2度ありました。1度目を文永の役、2度目は弘安の役。
元寇時、暴風雨が玄界灘に吹き荒れ、敵陣が撤退したので、それを神風だと語られるようになりましたが、この春一番(?)の雨風でも身の危険を感じるくらいの風強。力を抜くとヨロけてしまう。
元寇当時は陸では立っていられない、海の敵陣の船は遊園地のロックンロール並みだったんだろうな。
先日の歴史講演会によると、蒙古軍は、弘安の役後ベトナムへ侵攻したがベトナムにやられてしまい、日本を攻める力が無くなったと言われてるそう。
もちろん、当時の先人が2回の戦とも頑張ってくれたから今の日本がある。
しかし、ベトナムが頑張ってくれなかったら3回目の攻撃があったのかも。。。と仮説を立てると、また違うストーリーが見えてきます。
先人に感謝。
ベトナムにも感謝。
当時の先人は、ここから玄界灘を眺めたり、ここで戦い命を落としたり、
今でも、先人たちの御霊はこの場所から玄界灘を眺めているのかもしれません。
勇気をたたえ感謝の念でいっぱいです。
防風林のざわめきと、波や風の音が、
まるで先人が「ここは危ないよ!気を付けて」と言っている様。
寒さとは別に、歴史を振り返るとぞくぞくするので、先を急ぎました。
雨風が背中を押し、ものすごいスピードで走ると、防風林抜けた瞬間にピタッと風が止みました。
防風林の役割って素晴らしい…。
このまま海沿いを走るのは危険だし、とりあえずは県道を走り、長垂海水浴場防塁跡を目指し、そこまでは何とか走れました。
(雨がひどくて、スマホをだせる状態でなかったので途中から写真はありません)
最後の今津は敵兵の首切り場だったこともあり、悪天候が背中を押してひるんでしまいました。
今回は今津までは行けず終いでしたが、また天気が良い時に糸島の美しい海岸線を走りたいな。
悪天候の防塁は、少しだけ当時の兵の気持ちになれたことと、
計画をごり押しして実行するのではなく、状況を判断し客観的に修正できたのは走る旅の収穫だったと思います。