■走る旅:東海道&中山道⑳ 新加納宿~第52次 鵜沼宿~JR鵜沼駅
※リアルタイムのログではありません。数日前のログになります。
〝人間一生 物見遊山…〟
これは江戸っ子の人生観を表す言葉。
生まれてきたのは、この世をあちこち寄り道しながら見物するためであり、
せいぜいあちこち見て、
見聞を広めて友だちを増やし、
死んでいけばいい…と考えていました。
わたしはこの言葉が好きで、自分もそうしたいと思っています。
京都三条大橋から、お江戸日本橋まで東海道&中山道69次。
江戸時代の人は、江戸から京都までの135里34町余(約540km)㎞を歩いていたそうです。
出張や用事に合わせるので
宿場の順番通りにはいきませんが、西から東へ。
自分の脚で走って一本の道をつなげてみようと、旅をしています。
対して中山道は、東の山中を通過するので「中山道」
東海道とともに日本の二大幹線道で、中山道は近世以前から「東山道」と呼ばれ西国と東国を結ぶ主要道でした。
▼中山道:
江戸・日本橋~東海道・草津宿の67継立(67次)
草津宿と大津宿を含めて69次という場合もあるので、このログ上では、
69次135里24丁8間(約540km)で表記します。
コロナの様子を見ながら、感染予防して
〝うつさない・うつらない〟の心がけをし、
今回は、JR岐阜駅~第53次 加納宿~新加納宿~第52宿 鵜沼宿~JR鵜沼駅(20㎞)です。
JR岐阜駅~新加納宿の続きです。
●新加納宿:
加納宿から鵜沼宿まではおおよそ17㎞と距離が長く、
間の宿として新加納宿がもうけられました。
新加納宿から鵜沼宿までは、新興住宅地で街中を走ります。
コンビニやショッピングモールもあるルートとなります。
※グーグルマップは歩く設定で表記しています。
●町の様子
いたるところに〝蛙ちゃん〟がチョコンと座る道標があります。
無事カエル。
高札場跡。今は道標のみ。
ここが幕府からのルールや掟を掲げた場所なんですね。
左木曽路と書いた古い道標。
趣深いです。
●新加納一里塚
江戸から104里
104に3.9をかけるとおおよその距離が出てきますね。
今は新加納一里塚も道標のみです。
市川百十郎の名前の日本酒を作られています。
コロナが落ち着いていたら、林本店で〝百十郎〟を購入予定でした。
が、感染が少し広がっているので、今回は見送ってネットショッピングで買うことに。
市川百十郎さんとは、
岐阜県各務原市で明治から昭和にかけて活躍した役者さんで、
昭和6年~7年には計1200本もの桜の木を境川に植えた人物。
のち「百十郎桜」と呼ばれ、春になると毎年20万人を超える人々が訪れるという。
美しい百十郎桜の下のお花見も、今年はコロナで人が少なかったんだろうな。
来年はお花見ができますように。
●あげぱん儀十郎
中山道沿いにある〝あげぱん儀十郎〟さん。
この日は臨時休業とのこと。
営業時間も13:00からだし、
コロナ過でお弁当持参だし、
午前中に走る私にとって食べるチャンスは最初から無かったんですが、
食べてみたいです。
お友達から、写真をいただきました。
シナモン揚げパンです
キムチが中に入ったキムチ揚げパンもおいしいんだそうですよ。
●那加橋
那加橋を渡ると町から街に変わります。
繁華街を走るので、それこそキョロキョロ物見遊山です。
市民公園の森林の下を走るのが、木陰になって気持ち良かったです。
●航空自衛隊岐阜基地
ほんの少しだけ中山道を外れ、航空自衛隊岐阜基地へ。
現役で日本最古の飛行場だそうです。
飛行訓練で飛び立つ飛行機やヘリを見てワクワク。
各務原大地は江戸時代、各務原と呼ばれる原っぱでした。
鵜沼宿に向かってなだらかな登り坂になっています。
大正時代に飛行場が誕生し、
戦時中は、標的とされ空襲がひときわ激しかった地だとか。
あちこちに戦没忠魂碑があるので〝ありがとう〟と足を止めながら走った場所です。
武士道を書いた新渡戸稲造のこんな言葉が頭によぎる…。
「いにしえの 先行く人の跡見れば 踏みゆく道は 紅に染む」
古い時代に想いを馳せて、私が存在することは、
先人たちの苦労の上にあるということを意識し感謝…ですね。
●六軒一里塚跡
六軒一里塚。ここも江戸から104里だそうです。
新加納一里塚も104里なので、
距離の詐欺にあいそうです(笑)
川崎重工の前の高架をくぐると三柿野駅。
前回はここ三柿野駅で終了数予定でしたが、岐阜駅で終了してるので、
大幅に行程がくるっています(笑)
●山の前一里塚(各務一里塚)…?
山の前一里塚の場所がわからなかったので、googleに聞いたら
ここへ連れて来られました。ここで合ってるの?
〝旅人道中安全〟
お地蔵様なんやけどなぁ…と思いながら挨拶させていただきました。
ひたすらまっすぐ進む…
峠は正面に見える山かな…
●空安寺・日露戦没忠魂碑・衣装塚古墳
忠魂碑の裏で、鐘の音…
ありがたい気持ちで、忠魂碑の先達に感謝する。
空安寺の隣には、こんもりと衣装塚古墳。
円墳です。
4世紀末から5世紀前半につくられたものではないか…という説ですが、
ハッキリわからないそうです。
わからないから、いろいろ妄想が止まらないです。
衣装塚古墳の先は、高台で、
向こうに犬山城が見えます。
●西の見附跡
いよいよ西の見附跡です。
見附とは、宿場の入り口と出口に構えた防御施設のことです。
このあたりから鵜沼宿に入っていきます。
いよいよこの先中山道の峠のはじまりです。
西の見附の階段を登ると蓮池。
愛宕山とのショットが綺麗です。
カモも暑そうでしたが、楽しそうでした。
手を合わせて進みます。
●木曽川泥流推積物
向こうにあるネットごしの泥が、泥流推積物でしょうか。
75万年前から活動している御嶽山が5万年前に大崩壊し
土砂が木曽川などに流れ、鵜沼にもたどり着いたとか。
今も活動している御嶽山。
山は生きてますね。
姿形は、いつまでも同じじゃない…諸行無常を感じました。
●鵜沼宿
いよいよ宿場町。
↑西町交流館。
街並みがレトロでかっこいい。
特に安田家・梅田家・坂井家は、古い家屋そのままで
美しかったです。
鵜沼宿本陣です。
江戸時代は玄関の大きさで税金が決まっていたそうで、入り口が小さい。
●本陣1
●脇本陣1
●旅籠25
●家数68
通常は中に入れますが、この日はお休み。
次来るときは、中に入って古い家屋の仕組みを見学したいです。
http://www.city.kakamigahara.lg.jp/4033/4045/004047.html
開館時間 : 午前9時~午後5時
休館日 : 毎週月曜日(祝日の場合はその翌日)
祝日の翌日(土曜日・日曜日、祝日の場合はその翌日)、12月28日~1月4日
入場料 : 無料
所在地 : 各務原市鵜沼西町1丁目137番地
電話 : 058-379-5055
中山道を旅した松尾芭蕉の句碑がありました。
芭蕉も健脚だったんですね。
↑鵜沼宿本陣跡。住宅になっていました。
釜めし屋「花の木」
飲食店もレトロな雰囲気で素敵です。
うなぎ…食べたかったです。
この日は宿場全体がお休み…。
●旧大垣城鉄門
触ってみたら、鉄でした。
なめたら鉄分摂取できそうです。
●鵜沼 二ノ宮神社
本日の旅のお礼は二ノ宮神社。
小高い場所にあり、眺めがとても良いです。なんだか…ひょうきんな感じがしました。
国狭槌命(くにさづちのみこと)
山の神と野の神から生まれた子。
土の神と言われます。
古墳の上に神社があるって、不思議で神秘的。
色んな神様や戦没者の慰霊碑が。
瓦も素晴らしい。
昔の建築物って、大量生産しないから1点物が多く
1つ1つ丁寧ですね。今も丁寧だけど…。
●JR鵜沼駅
この日は美濃太田駅まで行く予定でしたが、
暑いし、物見遊山しながら感性を磨く旅をするために、鵜沼駅で終了。
欲張らず、せかせかせず、
少しづつ前に進みたいと思います。
空中回路で、犬山城を見ながらお弁当。
関西から地方に来たということもあり、
移さない…の方を心がけお弁当持参です。
早くコロナが少し落ち着いて、お店に入れますように。
●高温多湿の梅雨や炎天下の夏の季節は、帽子をかぶったり、こまめな水分補給をしたりして、充分な熱中症対策を心がげましょう。
●思った以上にコンビニがありません。行動食を持っておきましょう。
●トイレは駅やコンビニがほとんどです。事前に場所をチェックしておきましょう。
●自販機はあるコースと峠越えなどは自販機が無いコースもあります。余分に水分を持参しておきましょう。
●お天気が急に変化しますので、レインウェアを持参しましょう。
●救急グッズを持っておきましょう。
●ローカル線は電子カードが使えないことが多いので、電車賃を準備しておきましょう。