■【令和に想う江戸の暮らし②】風呂屋編
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風呂屋
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特に寒い日は熱々のお風呂に入ると気持ちが良すぎて〝はあああ…〟と声が漏れてしまう。
声を漏らすのは8割が50歳以上で男性に多いのだとか。→ヤバい…
今は家にお風呂があることが当たり前であるが、昔は風呂屋に通うのが当たり前だった。
江戸時代のことになるが、
武家屋敷や大きな商家には家風呂があったが、入浴するのは主人とその家族だけ。
奉公人も武士も町民も、みなこぞって風呂屋へ行ったそう。
かけそば1杯の値段が16文。
風呂屋の代金は6~10文。比較してもとても安い。
安い料金で入浴が利用でき、おしゃべりや喫茶、娯楽もできる楽しい風呂屋。
そんなステキな場には身分を超えて毎日ワイワイ人が集まったようだ。
ちなみに、上方大阪は〝風呂屋〟江戸は〝湯屋・銭湯〟と呼ぶのだとか。
造りは脱衣所と洗い場の間に仕切りは無く、しかも狭かったので人間関係は密接で、知らない者同士が寄り添って助け合って生きていた。
知らない者同士は知らない者同士がである21世紀の今からは想像できない。
ざくろ口:湯船はこの奥に。湯気を外に逃がさないように工夫されたもの。
くぐって中に入るのだが、頭を良くぶつけるんだとか。
湯船:腰のあたりまでしかお湯がはってなくて、サウナのような感じだった。
かけ湯:最後にかけ湯を風呂桶に1杯いただいたとか。
引き札:大勢が集まるので、壁には広告が貼られていた。
もう1回家風呂を無くして、風呂屋で毎日密に裸の付き合いをしたならば、そんな良き時代の感覚に触れられるだろうか。
そういえば…中山道ランの道中、南木曽の大江戸温泉へ行ったとき、脱衣所と洗い場の仕切りが無くて、もっくもくの湯気の中で脱衣するのが不思議だったが、あれは江戸時代の造りだったと後になって気付く。
あの時は少しとまどったが、懐かしくも新しくも感じ、好きだな。
大阪町三丁目。門限になると町の入り口の扉が閉まる…
門番に心づけを渡して中に入れてもらったとか。
古き良き時代の風景。~大阪くらしの今昔館 の風景~