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[歩く旅・走る旅]史跡・城址・地図読み・サンクチュアリ Feed

2021年1月16日 (土)

■太陽からのメッセージ

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 太陽からのメッセージ
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何年もの間、必ず週に数回通っていた造幣局前の道。

手元のランウォッチに気を取られていたのか?急ぐあまり前しか見ていなかったのか?…ゆっくり走る様なって気が付いた不思議なもの。
…たぶんであるが〝日時計〟と見られる。

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日時計は、影を利用し時間を計測する装置のことである。
おそらく針がついていたんだろうと思われる盤の下には時差表がある。
季節によって太陽の位置が変わり影の動きが微妙に変化するので、この時差表を見ながら数を足したり引いたりして正確な時間を把握していたのだろう。

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時計の歴史は日時計からのスタートで、天気の悪い日や陽が落ちた時には時間がわからないことから水時計も使うようになった。
そこから、砂時計、燃焼時計、機械式時計、ふりこ式時計へと進化し、1700年代頃からは懐中時計が使われるようになったそうだ。
懐中時計は取り出して蓋を開け時刻を確認するのが不便で、携帯するのに便利な腕時計が生まれ、第一次世界大戦(1914年)のあと、一般社会にも次第に普及していった模様。


しかし…いったいどうして造幣局の前に日時計があるのか不思議である。
造幣局のことを調べてみたら、明治4年4月4日創業され、貨幣の製造のほかに、製造に必要な各種の機材、硫酸・ソーダ・石炭ガス・コークスなど、電信・電話などの設備、天秤・時計などの製作をすべて局内で行っていたそうだ。
これは私の勝手な推測であるが、明治時代に機械式時計がどの家庭にもあるとは限らないので、誰もが時を把握することができる日時計はそんな歴史の名残であろうか…。→ 誰か知っていたら教えて欲しい。


つい100年前くらいまでは、腕の時計を気にせず、太陽をもとに悠々とした時間で暮らしていたんだなぁ…と思うと自分の〝時間の使い方〟を振り返る。

人が唯一平等に与えられている〝時間〟
1秒1秒大切な時間。

目立たなく忘れ去られてしまいそうな日時計を発見したのは、コロナ禍だけにsun〝大切な時間の使い方〟を見直してみては?と言う太陽からのメッセージなのかもしれない。


[補足]━━━━━━━

sunコロナとは:
太陽大気の最外層で、皆既日食の時、太陽のまわりに真珠色の淡い王冠状の光として見えるもの。

crownコロナウィルスの名前の由来:
表面に約20nmの特徴的な突起があり、その見た目が王冠(crown)によく似ていることから、ギリシャ語で王冠を意味する「corona(コロナ)」という名前が付けられたそう。

2021年1月 7日 (木)

■走る旅:京街道〔2〕京橋商店街~野江~東海道 第57次 守口宿

リアルタイムのログではなく、数日前のログである。

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〝人間一生 物見遊山…〟

これは江戸っ子の人生観を表す言葉。

生まれてきたのは、
この世をあちこち寄り道しながら見物するためであり、
せいぜいあちこち見て、
見聞を広めて友だちを増やし、
死んでいけばいい…と考えていた。
わたしはこの言葉が好きで、自分もそうしたいと思っている。

コロナの様子を見ながら、感染予防して
〝うつさない・うつらない〟の心がけをして…

京街道の旅。


今回は、京街道と淀川舟運。

曽根崎~大江橋~淀屋橋~淀屋の碑~難波橋~天神橋~高麗橋(東海道スタート地点)~天神橋~京橋~都島~野江~千林商店街~東海道57次 守口宿~守口一里塚~周辺うろうろと…約15㎞のランニング。


本記事は、曽根崎~高麗橋~京橋の続き。
15㎞の道中の一部を記録する。


■京橋商店街~野江国道筋商店街~関目の七曲り~千林商店街~第57次 守口宿~守口一里塚…最寄り駅(約10㎞)
 

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京橋商店街 真実の口から守口までは3つの商店街の中を走る。
街道に店が並ぶのは、昔の名残なのだろうか。
にぎやかな街道なので、ゆっくり走ったり歩いたりすると楽しいであろう。


●榎並地蔵尊

野江村のお地蔵さん。
今は埋め立てられて姿カタチはないが、江戸中期には榎並川があり、榎並川にあった石標が置かれている。
「橋向こう右に行くと 今福 蒲生」と書かれている。
野江村は、大阪の空襲にも焼けずに残ったので旧家が残っている。

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●関目の七曲り

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都島通り出ると、明治天皇聖ちょく碑(ちょく:足跡の意味)がある。
その碑を過ぎると京街道の道標がある(見逃し注意)。

京街道の道標を目印に折れると、突然複雑な屈曲の道になる。
これは、敵に攻め込まれないように相手の軍政の勢いを止める工夫で、旧街道の名残である。

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千林のウナギ屋さん


●守口 西の見附

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守口宿の西の見張り番や取り締まりを行っていた場
〝京街道陸路官道第一の驛 守口〟のタイルが貼られているあたり。
ぐんと上り坂になり桝形の道になっている。

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常夜灯跡…


●守口の地名の由来

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かつては「森口」とも書いたが、後に、大坂城の守り口として守口になったという俗説もある。
浜町交差点で国道を渡ると、川はないが瓶橋(かめはし)の親柱が残っているが、瓶橋は「口を守ること瓶の如し」…発言は慎重にすべし…から来たと言われる。
どの時代も、何かを守ることは大事なことであると、守口を走りながら思った。

本陣や瓶橋など、写真を撮り忘れた様なので、次回守口からスタートするときに必ずログしようと思う。


●文禄堤

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大坂と伏見に城を築いた豊臣秀吉が、文禄5年(1596)、2つの城を最短距離で結ぶために淀川沿いに文禄堤を整備した。
守口には本町橋になっている文禄堤が残っている。
橋にペンキで落書きがされているのが残念だった。
京街道・文禄堤の史跡の意味を知れば落書きなんてできないけどな…。


●復元高札場

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立派な復元高札場だ。
幕府が出したルールや掟が書かれている。


●卯建と虫籠窓

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卯建は火事で火が燃え広がらないように…風よけに…泥棒防止に…作られたものだが、持ち家でありお金が無ければ作れなかったので、今でも一人前に出世した人を〝うだつをあげた〟…逆に一人前になれない人を〝うだつがあがらない〟という。

虫籠窓は、江戸時代は二階建てが禁止で屋根裏を物置として活用していたので明かり窓として小さい窓が付けられた。
虫籠に似ているので虫籠窓と言われる。
近畿圏に見られるという。


୨୧ 守口宿┈┈┈┈୨୧
約2.3㎞
●本陣:1
●脇本陣:0
●旅籠:27
大坂城に近いこともあり、小休みの役割の宿場で旅籠は少な目であった。
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※時間の関係で宿場の様子があまり見れなかったので、次の機会に探索したい。
江戸川乱歩の住居には立ち寄りたい。


●難宗寺の道標

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●守口一里塚

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江戸からであれば、一里塚のあたりが〝上の見附〟となり一里塚付近から守口宿が始まる。
 
旅を終えて
前の記事でも書いたが、大阪にかかる橋の総橋数は約155橋~200橋だったと言われ、うち公儀橋は12。
残りはすべて町橋で町民たちが幕府の援助を受けずに生活や商売のためにかけた橋と言われている。

大阪の商人が〝なにわの八百八橋〟と言われているのは、自分たちの生活を良くするのは自分たちがするという熱い大阪の人の生き方を表現しているからであろうか。

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大坂城から守口宿へ向かうまで、埋め立てられてしまった川や橋の名残を見つけながら、町民が頑張って作った橋なんだろうな…と思うと、今はコロナで大変だけれども、自分の生活を良くするのは自分だなと感じた。

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【ウォーキングやランニングをする上での注意】

●高温多湿の梅雨や炎天下の夏の季節は、帽子をかぶったり、こまめな水分補給をしたりして、充分な熱中症対策を心がげましょう。
●冬場は防寒対策を行いましょう。
●中山道は思った以上にコンビニがありません。行動食を持っておきましょう。
●トイレは駅やコンビニがほとんどです。事前に場所をチェックしておきましょう。
●自販機はあるコースと峠越えなどは自販機が無いコースもあります。余分に水分を持参しておきましょう。
●お天気が急に変化しますので、レインウェアを持参しましょう。
●救急グッズを持っておきましょう。
●ローカル線は電子カードが使えないことが多いので、電車賃を準備しておきましょう。

 

【走る旅・アーカイブ】

記事更新中→走る旅: https://kenko-support.lekumo.biz/junkosakata/runtabi_nakasendou.html

2021年1月 6日 (水)

■走る旅:京街道〔1〕京街道出発前~高麗橋~京橋

リアルタイムのログではなく、数日前のログである。

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〝人間一生 物見遊山…〟

これは江戸っ子の人生観を表す言葉。

生まれてきたのは、
この世をあちこち寄り道しながら見物するためであり、
せいぜいあちこち見て、
見聞を広めて友だちを増やし、
死んでいけばいい…と考えていた。
わたしはこの言葉が好きで、自分もそうしたいと思っている。

コロナの様子を見ながら、感染予防して
〝うつさない・うつらない〟の心がけをして…

京街道の旅。


実は、新型コロナウィルスがやってくる前、2020年の1月に京街道を走破していた…。

その時は、まさか、自分が中山道を行くとは思っていなかったので
特に史跡を巡ることもなくログすることもなく…

トレーニングとして約56㎞だったか57㎞だったか…。ただ走るだけ。

今回は、史跡を巡り先人たちの暮らしや思いに馳せながら、走ってみたいと思う。

ただ、首都圏はコロナウィルス感染拡大で、緊急事態宣言を出すか出さないかの大変な時期であるので、県境を跨ぐことは良く考えて責任のある行動をすることを前提に旅を進めて行こう。


まずは京街道と淀川舟運。

曽根崎~大江橋~淀屋橋~淀屋の碑~難波橋~天神橋~高麗橋(東海道スタート地点)~天神橋~京橋~都島~野江~千林商店街~東海道57次 守口宿~守口一里塚~周辺うろうろと…約15㎞のランニング。

本記事では15㎞の道中の一部を記録する。

(関連記事:京街道の誕生→★★★


■京街道の歴史
 
京街道の起源は、大坂と伏見に城を築いた豊臣秀吉が、文禄5年(1596)、2つの城を最短距離で結ぶために淀川沿いに文禄堤を整備した。この堤の道を京街道とよんだ。

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徳川家康の代になり、大名は京都で公家と接触することを禁止としたため、大名行列は髭茶屋で京都三条へ向う東海道と、京を通らず大坂へ向う道と二股に分けた。
京を通らない区間は東海道の延長として道中奉行の管轄下に置かれ、伏見宿、淀宿、枚方宿、守口宿の4つの宿場が設けられた。
東海道は53次と言われているが、この4宿を足し、東海道57次とも言われるようになった。
 
■淀川舟運

京都と大阪を結ぶ交通の大動脈は淀川の舟運だった。
京都・伏見と大阪・八軒家の間(約40㎞)を茶船(十石)上荷船(二十石)が往復。
江戸末期には1日に1500人、800tの荷物が運ばれたという。

■京街道出発前~高麗橋~京橋(約5㎞)

●曽根崎から大江橋を通って淀屋橋へ

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●淀屋の屋敷跡

淀川水運だ…。

淀屋の屋敷は、海産物市場や米市を開き、金融業や船と荷主の間に立ち集荷を行う業を営み財を得た。

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●なにわの三橋

大阪は水の都と言われているが、総橋数約155~200橋のうち公儀橋は12。
天満橋・天神橋・難波橋は公儀橋でなにわの三橋と呼ばれる。

12以外の橋はすべて町橋で町民たちが幕府の援助を受けずに生活や商売のためにかけた橋だそうだ。

大阪の商人が〝なにわの八百八橋〟と言われているのは、
自分たちの生活を良くするのは自分たちがするという熱い
大阪の人の生き方を表現しているからであろう。
※〝なにわの八百八橋〟は、本当に808ヶ所の橋があるではなく、それほどの勢いで寺や橋が立ち並んでいたことの比喩的表現です。



●淀屋橋

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●難波橋のライオン像

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●大阪証券取引所の五代友厚さん

関連記事:天外者を鑑賞してきました→★★★

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●元標跡碑と擬宝珠(ぎぼし)

江戸時代の里程計算の起点は高麗橋の東詰にあった。
ここ高麗橋が東海道、中国街道、紀州街道などへの道のり、車馬賃の起点となった。

擬宝珠は大坂夏の陣で徳川方が持ち去り、昭和40年になって吉田茂の遺族から大阪市に寄贈されたそう。(関連記事:[大阪史跡]高麗橋と擬宝珠 →★★★

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東海道57次の、江戸からのゴール地点、または江戸へ向かうスタート地点である。

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このあたりが江戸時代の商売の中心地であった。

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●天神橋

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●熊野街道の起点

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●昆布屋さんと八軒屋船着場跡

〝江戸は鰹節、大阪は昆布〟と言われ北海道の昆布は日本海より西回り、下関から大阪に入った。
戦前まで昆布屋は八軒屋に多くあったが今では永田屋昆布店と八木昆布店のみだそうだ。
(関連記事:[大阪史跡]京街道:八軒屋船着場→★★★

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●天満橋

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●京阪モール前のポスト3つ

青ポストは速達専用だそうだ。

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●秀吉時代の大坂城の石垣(三の丸北端)

街中にひょっこり石垣。
石垣と言えば大阪城公園内にしかないと思っていたが、京橋口付近にもあった。
大坂城は大きかったんだな…。

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●京橋(秀吉時代の大阪の東の玄関口)

秀吉時代にかけられた京橋。
〝京都に通じる橋〟の名である。
秀吉時代は京街道の起点でもあった。
そして野崎まいりの旅人でもにぎわったそう。

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●京橋川魚市場跡

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京橋…河川敷から撮影。

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●のだ橋

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昔、鯰江川(なまずえがわ)があったそうで、今は埋め立てられている。
鯰江川にかかる橋が〝のだ橋〟〔公儀橋〕であった。


●道標 左京みち

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京橋商店街を経て野江へ向かう…

本場イタリアで見た真実の口よりもデカい!
京橋商店街の真実の口さん、ちょっと辛口(笑)
早く、コロナが収束しますように。

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旅を終えて
よく移動ランで走っている場なので、旅と言えるのかは疑問であるが、今まで場の意味や歴史を知らずに走っていたコースも、意味を知り目的を持つと違ったコースに見えてくる。

今は穏やかな淀川も古代から大正時代まで数百回も氾濫していた。
そこを乗り越え、水運を通じ産業や経済の発展にもつなげたと思うと、今まで見ていた川や周辺の街や住む人の見え方が大きく変わった。


大阪の街道もとても面白く興味深い。つづきはまた。

【ウォーキングやランニングをする上での注意】

●高温多湿の梅雨や炎天下の夏の季節は、帽子をかぶったり、こまめな水分補給をしたりして、充分な熱中症対策を心がげましょう。
●冬場は防寒対策を行いましょう。
●中山道は思った以上にコンビニがありません。行動食を持っておきましょう。
●トイレは駅やコンビニがほとんどです。事前に場所をチェックしておきましょう。
●自販機はあるコースと峠越えなどは自販機が無いコースもあります。余分に水分を持参しておきましょう。
●お天気が急に変化しますので、レインウェアを持参しましょう。
●救急グッズを持っておきましょう。
●ローカル線は電子カードが使えないことが多いので、電車賃を準備しておきましょう。

 

【走る旅・アーカイブ】

記事更新中→走る旅: https://kenko-support.lekumo.biz/junkosakata/runtabi_nakasendou.html

■[旅の道すがら]京街道:大坂と虎

大阪と言えば〝虎〟

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おばちゃんは大きな虎の顔がドーンと描かれた服を着ているイメージ。
阪神タイガースのマスコットは虎とラッキーで〝トラッキー〟
そして、偶然なのかも知れないが、街のあちこちになぜか虎の絵があったりするのも大阪…。

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そして…個人的には、小学一年生の時一番最初に読んだ歴史小説は「ひよしまる」だったが、豊臣秀吉にまつわる逸話を知っていくにつれ、大阪=虎のイメージが強く色濃くなっていく(笑)

その理由の1つに秀吉は虎をペットにしていた説があるからだ。
大坂城の外壁にも虎が描かれ、三国無双とたたえられた8頭の金色の「伏虎(ふせとら)」が四方に睨みをきかせている。
(阪神タイガースのモチーフの虎は、各球団に睨みをきかせる意味だという説も…ホントウナノカハワカラナイ)

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[伝説より]┈┈┈┈┈┈┈┈┈

ペットにしていた虎は大変大飯ぐらいで、困った秀吉は「毎日1匹ずつ犬を町のものから差し出させて虎のエサとする」という命令を出したそう。
ある日、天満の金物屋の徳八のとこにも犬を出すように役人が来たので、泣く泣く飼い犬〝りき〟に腹いっぱいご飯を食べさせ最後の別れをしてお城へ渡すことに。
…その後エサになるはずの〝りき〟は虎の首にかみついて格闘。
結局は虎の爪に引っかかれて息絶えたけど、虎も息絶えた…という無茶苦茶な伝説がある。


秀吉が虎をペットにしていたというのには驚きだが、自分のペットのために、町人から家族同然の飼い犬を差し出させるなんてもっと衝撃だった。(→あくまでも伝説であるが)
そんなこともあり、個人的に「大阪=虎」のイメージが強い。

京街道を走りながら、街のあちこちいる虎を見つけては、
虎にひるまなかった天満のどこかに眠る勇敢な〝りき〟のことを想った。

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これはライオン

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京街道のレポートはのちのちゆっくりUPしていくとする。

●東海道&中山道を走る旅・アーカイブ 記事更新中→
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2021年1月 4日 (月)

■落とし物に注意

崇敬神社のお札は毎年送られてくるのだが、初詣で神宮大麻のみいただき、氏神様のお札をいただくのを忘れる。

三社造りの神棚なので、一社でも足りないと朝晩のお詣りで気が締まらない。
そんなことで、山を越えていただきに走る。

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コロナ禍で山へ訪れる人の数が増えたのと、感染拡大予防で必需品になったからか?
マスクの落し物が多い。


おそるおそる拾って帰るが、時期が時期なのでなるべくは拾いたくないものである。

山を含め自然も、人間も動物も植物も…万物はすべて神から生まれたもの…と伝え続けられている日本。人が作った造形物が土の上に転がっているとなんだか不自然だなと感じてしまう

落としたくて落としたのでは無いと思うが、マスクは落とさずに…
まずは自分が気をつけよう。

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2020年10月 2日 (金)

■【中山道を走る旅・番外編】塩の旅 赤穂義士の街・播州赤穂市

〝人間一生 物見遊山〟

これは江戸っ子の人生観を表す言葉。

生まれてきたのは、
この世をあちこち寄り道しながら見物するためであり、
せいぜいあちこち見て、
見聞を広めて友だちを増やし、
死んでいけばいい…と考えていました。
わたしはこの言葉が好きで、自分もそうしたいと思っています。

今回は、中山道のルートを大きくそれまして西の播州赤穂へ…


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何故?行き先が中山道でなくて播州赤穂なのかというと、
理由は3つ。


1つめは…
信濃の中山道に入ると、塩が付く宿場があるんです…

例えば、塩尻、塩名田。
長野には、もっと塩の付く地名があります。
それが、不思議で〝塩〟について興味を持っていたこと。
(調べてみると、日本海で作られた塩を、糸魚川から千国街道、松本街道を南下して運んだ塩の道がありました。塩尻は、糸魚川から「塩の道」が行きつく場所という意味からついた地名ともいわれています。→諸説あり 塩尻へ行ったら、塩について探検しに行こうと思います。)

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2つ目は、
播州赤穂は赤穂の塩で名高く、

忠臣蔵のあたりのことはあまり詳しくないのですが、
有名な、江戸城内で浅野内匠頭が吉良上野介を短刀で斬り付ける事件は、塩にちなんだ争いだった…という説もあること。→諸説あり


塩は昔から人間が生きるために不可欠で希少なもので、
権力者にとっての重要な政争の具として利用されていたこと。


3つ目は、
コロナ禍で読んだ三浦春馬さんが紹介していた〝塩の国〟に興味を持ったこと。


(塩についてのレポートはこちら→[私が見つけた日本製]:三浦春馬さんから教えていただいた 兵庫 ・塩の国


塩の世界に興味を持ち、

播州赤穂へ寄り道してみよう…ということに。

ここでは、彼方此方15㎞ほど。
赤穂市の史跡を記録します。


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姫路から西の兵庫県はあまり行ったことが無く…
JR山陽本線には初めて乗車しました。

ひなびた感じがとても趣きがあり、
黄色くてかわいい電車で姫路から終点となる播州赤穂駅へ。

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●義士あんどん

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駅から直ぐのところに義士あんどん。

9~20時の毎正時ごとに、3分間のからくり劇場を見ることができます。
あの長い忠臣蔵のストーリーを3分でわかりやすくプレゼンできるなんて…
すばらしい。

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まずは松の廊下事件。
浅野内匠頭長矩が吉良上野介に切りかかった事件。

浅野家の赤穂藩は“赤穂の塩”で有名な塩の産地。

一方、愛知県三河の吉良家は浅野家より100年近くも早く塩田をつくり、
江戸に近いこともあって江戸市場を独占していました。

そこへ赤穂の入江式塩づくりで浅野が進出しました。

技術革新に乗り遅れた吉良が新しい製塩法を教えてほしいと申し出たのですが、
浅野は秘伝ですと、申し出を断る。
で、吉良が赤穂に産業スパイ的な人を送って製塩法を盗もうとしたようで
争いが絶えなかったという説があります。

諸説あるので本当のことはわかりませんが、
切りつけたいほどムカついていたのは確かなことでしょう。(吉良さんの方から見たら、また違うかもですけどね)

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次は〝はやかご〟

1702年、江戸城内でムカついた浅野内匠頭が、吉良上野介を短刀で斬り付ける事件が発生の後、
その凶報をもって、
江戸から播州赤穂まで155里(およそ600km)をわずか4日半という今では考えられない速さでたどり着きました。駕籠(かご)を担いで走ることを〝はやかご〟と言います。

たぶん距離が短い東海道を使ったと思いますが、
個人的には、駕籠(かご)をかついで走った駕籠かきの人がすごいと…興味を持ちました。

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最後は大石内倉助や赤穂義士が討ち入りするシーン。


赤穂駅周辺は彼方此方に忠臣蔵の名残が。
義士あんどんの隣には息継ぎ井戸があって、

江戸から播州赤穂まで600㎞以上を4日で到着し、
少し息をついて城内の大石内倉助邸へ報告に戻ったいわれがある井戸。

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浅野長直が作った赤穂城へ向かいます。

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●赤穂城跡

平城のお堀の水はなんと!海水。
海に続いて船が出入りできるようになっていたとか。

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桝形虎口づくり。
敵は入り口から簡単に攻められません。

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城の上から、御殿の様子。

松の廊下刃物事件後、
大石のもとに義士が集まったという御殿の間取りが復元されています。

茶室、浴室、寝室、廊下…など、イメージしやすい。

城の周りには義士達の武家屋敷跡が残り、

討ち入りは、近所の武士が集まって行動したことなどがわかり、面白かったです。

近所同士で心1つに!
みんなを1つにまとめた大石さんはよきリーダーってとこなんでしょうかね。


だけど、忠臣蔵は詳しくないので、
帰宅後に映画を観る課題を作りました。
映画を観たらもっと赤穂城が面白いんだろうな。

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土塁の上には至る所に、鉄砲で打てる穴が。

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●大石神社

大石内蔵助や四十七義士が主祭神。

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四十七義士…夜は怖そう…。

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うちの実家と同じ家紋…(笑)鷹の羽、刀のツバ…。

これは虫食いタイプやけど、うちは虫食いじゃない大谷吉継のとこと同じ紋。能ある鷹は爪を隠すのやつ。そういう風に生きたい。

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●日本最古の塩務局庁舎:赤穂市立民族資料館

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レトロで造りがかわいいです。
入りたかった!この日はお休みでした。

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●塩味饅頭・巴屋本店

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塩味饅頭は硬めのお饅頭で、
塩味が甘みを引き出してくれてとても美味しいです。

結構移動した後だったので、冷たいほうじ茶が体に沁みわたりました。

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古き街並み…町屋の風情が素敵です。

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●花岳寺

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花岳寺(かがくじ)はわが故郷の福井県の永平寺を本山とする禅寺。

赤穂藩祖浅野長直公によって正保2年に建立された寺。
境内には、大石家や四十七義士の墓などもあり、
赤穂義士ゆかりの史跡でもあります。
天井の竹と虎の絵が大迫力でした。

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●かましま

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結構移動した後なので、お腹ペコペコ。
かましまさんでカキフライランチ。

播州赤穂で、牡蠣が食べれるとは想像していませんでした。

隣駅の坂越(さこし)は牡蠣が取れるようです。
このかましまさんでは、坂越のかましま水産の牡蠣が食べれます。

お吸い物の中にも牡蠣!
牡蠣、牡蠣づくしでした。
900円。
お値打ちです。




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忠臣蔵に詳しくないので、
帰宅して、決算!忠臣蔵を観ました。

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●決算!忠臣蔵

〝忠臣蔵〟の映画と言えば、

赤穂義士たちの討ち入りのストーリーがほとんどですが、
決算!忠臣蔵は、吉良さん家に討ち入りするのにお金がかかるよ!を面白おかしく表現したストーリー。
撮影は赤穂城なので、実際に見たシーンが登場し楽しかったです。
吉本芸人さんの関西弁もリアルです。播州赤穂なので、
関西弁とはちょっとちがうかな…


前に蕎麦と江戸の書籍を読んだときに、
二八蕎麦は、蕎麦粉8に対してつなぎ(小麦粉)2の割合から呼び名が来ている…と言う説と、
江戸時代、蕎麦の値段が一杯十六文から(2×8=16)来ている説があると知りました。


決算!忠臣蔵は、現在のうどん1杯の値段が480円ということで、
1文=30円の設定で討ち入りにかかるお金の計算をしていました。
二八蕎麦十六文説ですね。


討ち入りには武器もいるし、とってもお金がかかるんです。
団体で600㎞移動するのも大変だし。


個人だけれど、私も中山道の移動…お金かかってますよ(笑)
旅は確実に経済効果がありますよね。


劇中は塩については少ししか登場しませんでしたが、
昔から権力者に塩を送っていたことがわかりました。

私も毎日、神棚に米と酒と塩をお供えしますが、
塩は昔から大切なもの。
播州赤穂を訪ねてからというもの、
塩に一目置くようになりました(笑)


そして、歴史を知ると、
旅が
もっともっともーっと楽しくなることを、
今回の塩の旅で学んだな。

彼方此方 物見遊山。

見識を広げてつなげていきます。

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【ウォーキングやランニングをする上での注意】

●高温多湿の梅雨や炎天下の夏の季節は、帽子をかぶったり、こまめな水分補給をしたりして、充分な熱中症対策を心がげましょう。
●思った以上にコンビニがありません。行動食を持っておきましょう。
●トイレは駅やコンビニがほとんどです。事前に場所をチェックしておきましょう。
●自販機はあるコースと峠越えなどは自販機が無いコースもあります。余分に水分を持参しておきましょう。
●お天気が急に変化しますので、レインウェアを持参しましょう。
●救急グッズを持っておきましょう。
●ローカル線は電子カードが使えないことが多いので、電車賃を準備しておきましょう。

 

【走る旅・アーカイブ】

記事更新中→走る旅: https://kenko-support.lekumo.biz/junkosakata/runtabi_nakasendou.html

2020年8月17日 (月)

■磐船神社 岩窟修行

天孫降臨といえばニニギ尊ですが、
他にも天孫降臨したと言われているニギハヤヒ。


ニギハヤヒが天から乗ってきた巨岩の磐座(イワクラ)自身を御神体とした
磐船神社で岩窟修行させていただきました。

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去年、物部氏から物部氏の祖神のニギハヤヒの歴史を追い、
今年2月初旬に岩窟修行に行くも
情報不足で入れず…
本日ようやく岩窟に入れました。


生まれ変われると言う、
大きな強くて頑丈な意志(石)の狭い隙間に潜りパワーをいただき、

もののけ姫に出てきた山犬モロ達が住んでた石を思わす天の岩戸には
巨石文化や歴史ロマンを感じ、
宇宙船のような磐座は、夢を思わす…。

やっと来れたぁー。
生まれ変われたかな。
ありがたやー。

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ほんま、岩船神社の天の岩戸…会いたかった。
やっと会えた。

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人によって失われる自然と
自然を守ろうと戦う自然崇拝の神や生き物の間で
共生を願うアシタカ。

アシタカを見て、わたしも破壊と創造の間で心揺れるときがある。
生駒山で、自然崇拝の名残を見つけると、もののけ姫を思い出す。


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山を下りていただいたシナモントースト。
美味しかった。

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久しぶりにつゆ草を見つけて、叫んでしまった。
懐かしい。
そして夏の朝しか見れない、貴重な瞬間。
この青の遺伝子はどの花もまねできない。
ありがたかった。

2020年7月27日 (月)

■大神神社登拝と明日香村ラン

このBLOGを書きながら、
3ヵ月以上、走るときは1人だということに気付いた。
仕事のこともあり、まだまだワイワイする
集まりはできない状況。





自分以外の誰かと走るのは4月3日ぶり。

周波数の合うお友達とのランニングは、
見たもの感じたものも共有でき、
見たもこと感じたこと気付きをシェアでき、
成長できる。
心も身体もスッキリだ。


■コース:
大神神社参拝~三輪山登拝~明日香村・石舞台古墳~酒船石~天武天皇(大海人皇子)・持統天皇陵 檜隈大内陵~キトラ古墳


大神神社・三輪山登拝

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古代の日本人は、山・川・海・木の自然を神とし力を信じ拝んでいた。

出雲の大国主命の国づくりを助けた大物主神が鎮座されている三輪山は、
山そのものがご神体。

自然の力を信じ、1歩1歩踏みしめながら登拝させていただいた。

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●明日香村

明日香村の石舞台古墳、酒船石、キトラ古墳は宇宙人が造ったんとちゃうか?と感じる造形。

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特にキトラ古墳の壁画は
方角や干支・天文が完璧すぎて人間業じゃないな…と想像してしまう。

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●天武天皇(大海人皇子)・持統天皇陵 檜隈大内陵

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プランの無かった明日香村ラン。
私が気になること頃をピックアップさせていただき、
偶然行けた天武天皇(大海人皇子)と持統天皇陵 檜隈大内陵…。

ご夫婦が一緒という珍しい陵。

天武天皇は壬申の乱で勝利をし、のち日本書紀を作ったり、伊勢神宮を整備したり、政治制度を改革したり…。
ご夫婦そろって律令国家の形成を成し遂げ国の礎を築いた方々。

先日、壬申の乱の地を踏んでいたので、偶然とはいえ、必然のような気がした。

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天気に味方されているお友達と一緒だったんで、
鳥居をくぐる瞬間や参拝の瞬間だけ優しい禊の雨がパラついてあとは晴れ。

確か天気予報は雨に雷マークがいてたのに。
お友達の余得にあずかった1日。
とてもリフレッシュできた。
感謝。

2020年7月20日 (月)

■走る旅:東海道&中山道⑭ 今須峠~笹尾山~関ヶ原宿~桃配山

京都三条大橋から、お江戸日本橋まで。
東海道&中山道69次。


江戸時代の人は、江戸から京都までの135里34町余(約540km)㎞を歩いていたそうです。

東海道が太平洋の海岸沿いを通るので「海道」
対して中山道は、東の山中を通過するので「中山道」
東海道とともに日本の二大幹線道で、中山道は近世以前から「東山道」と呼ばれ
西国と東国を結ぶ主要道でした。

▼中山道:
江戸・日本橋~東海道・草津宿の67継立(67次)
草津宿と大津宿を含めて69次という場合もある。
このログ上では、69次135里24丁8間(約540km)で表記します。

出張や用事に合わせるので
順番通りにはいきませんが、
西から東へ。
自分の脚で走って一本の道をつなげてみよう。

今回は、JR柏原駅からスタートし、
途中、寄り道をしながら、赤坂宿を目指しておおよそ30㎞の旅。

人間一生 物見遊山…
(人が生まれてきたのは、この世をあちこち寄り道しながら見物するためという江戸の人の考え)
沢山見て、感じて、心も身体も動かそう。



柏原宿~今須宿~今須峠の記事からの続きです。

■今須峠~笹尾山~第59次 関ヶ原宿~桃配山(約10㎞)


江戸時代、急勾配で大変だったという今須峠を越えて走ると
どんどん関ヶ原に近くなり、
緑も色濃くなっていきます。
戦国武将たちが陣を置いた低山が並んでいるからでしょうか。

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●常盤地蔵

常盤御膳が牛若丸(義経)を思って置かれたお地蔵様…

常盤地蔵の解説板が立っていましたが、
読んでも時系列がよくわからなかったので

ご挨拶だけして走り去りました。

お地蔵様は、旅人を見守ってくれている応援団だと、私は思っています。

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●常盤御膳の墓

奥に進むと、ひっそりとお墓がありました。
常盤御膳はすごい美女で有名です。
今若・乙若・牛若の3人の子供を授かり幸せな生活を送っていましたが、
源氏が戦に破れると生活も一転。
牛若丸(義経)を追い、ここまで来たけれど、
土賊に襲われ亡くなくなったという説。


しかし、小野小町の墓同様、
色んな所にお墓があるそうなので、
史実の真相はわかりません。

疑ってかかるとそれまでですが、
信じることはロマンと想像力を生みますので、信じましょーっと!

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●鶯の滝

5mの滝。
水量が豊かで鶯が鳴くといわれる。
今須を上り下りするときに、旅人の心を癒してくれた場所だったそうです。

昔から、マイナスイオンや川のせせらぎ、鳥のさえずりなど、
1/fゆらぎと呼ばれる自然界の心地のいいリズムに癒されることを
人間本来が知っていたんでしょうね。

旅の疲れが吹き飛びそうです。

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●黒血川

672年の壬申の乱の戦いで大友軍・大海人軍(のちの天武天皇)
両軍の兵士の血が流れ、

黒くなったという川。
この上流の山中で両軍の衝突があったのでしょうか。

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この黒血川をたどって山へ登っていくと
西の軍・石田三成についた、大谷吉継のお墓があります。

大谷吉継はもともとは近江国に生まれ、
敦賀城主・越前国敦賀郡に2万石の領地を持っていました。

白い布で顔を覆い、ちょっとミステリアスな方。
ミステリアスなもの、隠れているもの、そういうものって知りたくなります。
司馬遼太郎原作の映画・関ヶ原でも、
ミステリアスすぎる大谷吉継のことをもっと知りたい!と思いましたもの。


故郷の福井にちなんで、大谷吉継さんのお墓まいりをしたかったですが、
黒血川でサブイボ全開だし、タイムリミットもあるので、
トンネル入り口でご挨拶して走りすぎました。

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●高札場

間の宿・山中 高札場。

高札場は、幕府が住民や旅人に対して
告知する必要がある重要事項・ルールが掲げられているところです。
少なくても宿場には1つは高札場があったようです。

どんどん建物や設備、宿場生活など…
中山道のことがわかるようになってきました。うれしい。

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●藤古川

関の藤川と呼ばれていたそうです。
壬申の乱では、川を挟んで東が大海人軍、西が大友軍が陣を置いたそうです。

大海人皇子はのちの天武天皇、大友皇子は弘文天皇。
二人とも天智天皇の息子さんです。

歴史上最大の兄弟ケンカ…。

壬申の乱をざっくり簡単に書いてみます。

【壬申の乱】

天智天皇の時代、朝鮮半島では国の統一めぐる争いが起きていました。
以前から日本と友好関係にあった百済が、唐と新羅の連合軍に滅ぼされてしまいます。

天智天皇が崩御した後、新羅が逆襲してくるかも…と思った大友皇子が、
九州大宰府や山陰にトリデをつくり、国や豪族に負担をかけてたのを
大海人皇子がみかねて戦ったという。(672年)

結果、大海人皇子が勝利し、天武天皇となりましたが、
日本書紀を作ったり、伊勢神宮を整備したり、
政治制度を改革したり…
壬申の乱は、のちの日本を作っていく契機だったのは
間違いありません。

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●不破関守址
●不破関址

壬申の乱をきっかけにつくられた関所で、
ここを境に西と東を分けて呼ぶようになりました。

いわゆる元祖・天下分け目の場所。
わたしも、いよいよ東に足を踏み込みます。

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●関ヶ原の戦い開戦地

中山道をそれ、1㎞程度走ると関ヶ原の戦いの開戦地です。

ここへ来るまでに、島津家の陣もあり、
それはそれは…関ヶ原の戦いにまつわるスポットだらけで
走りすぎるにはもったいない場所です。

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【関ヶ原の戦い】

1600年、関ヶ原の戦い。
豊臣秀吉が死んだ後の権力をめぐって石田三成が率いる西軍と、
徳川家康が率いる東軍が戦いました。
兵力は西軍85000人、東軍は88000人と大きな差はありませんでしたが、
小早川秀秋による裏切りや、
毛利家を中心とした西軍の主力部隊が戦いに参加しなかったため、
西軍は次第に不利な状況に追い込まれ、数時間程度で東軍の勝利となった戦。

戦いのあと、徳川幕府の成立によって全国統一の幕府体制になり、
この戦も今の日本を作ってきた大きな契機となりました。

1600年9月15日

午前8時:東軍の井伊・松平が、西軍の宇喜多隊に発砲し開戦。

正午:小早川が寝返り大谷隊へ攻撃開始。さらに脇坂隊も寝返る。
大谷隊壊滅、大谷吉継は自刃。

石田三成、宇喜多秀家、小西行長らは
伊吹山山中に敗走し、西軍総崩れ。

午後4時ごろ:雨が降り、戦が終わる…


↓この地で、開戦されました。



司馬遼太郎が書いた関ヶ原の様に、
小早川秀秋が本当に裏切ったのか…真実はわかりませんが、
もしも西軍が勝っていたら、
今の日本とは大きく変わっていたんでしょうね。

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山の向こうに南に走る伊勢街道、
手前に北へ延びる北国街道と…
中山道の東西と…
東西南北が交差する何かが集まるスポットなんだなぁ…と改めて感じました。



●関ヶ原古戦場

開戦場から600~700mほど走ると、古戦場があります。

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そして、200m先くらいに石田三成の陣地・笹尾山です。

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登ってみました。

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東軍の陣地がよく見渡せます。

三成も420年前、ここからこの風景を見ていたのでしょうか。



●西首塚

首塚は西と東と2つあります。
関ヶ原の戦いで亡くなった多くの方がまつられています。

手を合わせた時、木の方向からものすごい勢いで
コガネムシみたいなのがぶつかってきました。

まるで、兜や鎧をつけた兵士のようでほっこりしました。

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●関ヶ原宿脇本陣跡

本陣1、脇本陣1、旅籠33、家数269。
わりと大きな宿場です。
写真の脇本陣は、ふつうにどなたかの家で、写真を撮るのに気が引けました。
お宅の名前が入った郵便ポストを外して撮影しています。

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●桃配山・徳川家康最初陣地

国道21号線は桃配山の手前で二股に分かれます。
旧中山道を行くので、東海道本線近くの道に入るのですが、
どうしても行きたかった桃配山は21号線沿い。
ルートを外れて、登ってみました。

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壬申の乱では、大海人皇子が最終決戦で兵士に桃配山の山桃を配って士気を高めました。
関ヶ原に戦いでは、徳川家康が験担ぎで最初の陣を桃配山に置きました。

人が力を合わせて何かを成し遂げるときの
パワーが眠る場所なのかもしれません。

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家康の机か椅子。どっちがどっちかわかりませんが、
石に座っていたようです。

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桃配山からは、開戦地や決戦地となる天下分け目の地が良く見えます。
420年前、家康はここからこの景色を見ていたのでしょうか。


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関ヶ原…

国の行方を左右する画期が2度も中山道上で行われたのは何の因縁かわかりませんが、
日本のおへそ…というか、
東西南北が交差する場は天下分け目となるパワーが集まるのでしょうね。


今年2020年の干支である庚子は、
関ケ原の戦いがあった年と同じです。

2020年の現在は、コロナウィルスという見えない敵ではあるけれど、
関ヶ原の戦いの様に色々戦っているので、
壬申の乱と関ヶ原の戦いの地に来て、
先達からインスピレーションいただきたいなと思っておりました。

貴重な経験をさせていただきました。



旧中山道にもどり、松並木を駆け抜け垂井宿目指して東へと進みます。

【ウォーキングやランニングをする上での注意】

●高温多湿の梅雨や炎天下の夏の季節は、帽子をかぶったり、こまめな水分補給をしたりして、充分な熱中症対策を心がげましょう。
●思った以上にコンビニがありません。行動食を持っておきましょう。
●トイレは駅やコンビニがほとんどです。事前に場所をチェックしておきましょう。
●自販機はあるコースと峠越えなどは自販機が無いコースもあります。余分に水分を持参しておきましょう。
●お天気が急に変化しますので、レインウェアを持参しましょう。
●救急グッズを持っておきましょう。
●ローカル線は電子カードが使えないことが多いので、電車賃を準備しておきましょう。

 

■走る旅:東海道&中山道⑬ 柏原宿~今須宿~今須峠

京都三条大橋から、お江戸日本橋まで。
東海道&中山道69次。


江戸時代の人は、江戸から京都までの135里34町余(約540km)㎞を歩いていたそうです。

東海道が太平洋の海岸沿いを通るので「海道」
対して中山道は、東の山中を通過するので「中山道」
東海道とともに日本の二大幹線道で、中山道は近世以前から「東山道」と呼ばれ
西国と東国を結ぶ主要道でした。

▼中山道:
江戸・日本橋~東海道・草津宿の67継立(67次)
草津宿と大津宿を含めて69次という場合もある。
このログ上では、69次135里24丁8間(約540km)で表記します。

出張や用事に合わせるので
順番通りにはいきませんが、
西から東へ。
自分の脚で走って一本の道をつなげてみよう。

今回は、JR柏原駅からスタートし、
途中、寄り道をしながら、赤坂宿を目指しておおよそ30㎞の旅。

人間一生 物見遊山…
(人が生まれてきたのは、この世をあちこち寄り道しながら見物するためという江戸の人の考え)
沢山見て、感じて、心も身体も動かそう。



醒井宿~柏原宿からの続きです。

■柏原宿~第59次 今須宿(約5㎞)

●スタート:

スタートはJR柏原宿前の三丁目キッチンから。
前回食べたワッフルがとても美味しかったなぁ…。
朝早いのでまだOPENしておりません。


■三丁目キッチンお店情報:
〒521-0202
滋賀県米原市柏原867

■営業時間:8:00~18:00

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三丁目キッチンから、中山道を東に向かって走りますが、

毎回験担ぎで、スタート近くの神社かお地蔵様に
走る旅の安全祈願をしてから走り始めます。

●柏原・八幡神社:

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八幡神社が近いので、八幡様にご挨拶させていただきました。
八幡神社は全国に約44,000社ほどありますが、
今回のコース上にもたくさんありました。

柏原の八幡宮のご祭神は、

  • 譽田別尊…八幡神として知られ文武の神として信仰されています。
  • 玉依姫命…神道の女神で、水の神、聖母神として信仰されています。ご利益は、安産、子宝祈願、厄除け、開運。
  • 神攻皇后…第14第天皇である仲哀天皇の皇后です。

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松尾芭蕉の(桃青)句文碑が残されています。

松尾芭蕉は1689年、敦賀から奥の細道の最終地の大垣へと歩いていた途中、
雄大な伊吹山を見て一句詠んでいます。


〝戸を開けはにしに
山有いふきといふ花にもよらす雪にもよらす
只これ孤山の徳あり
其まゝよ
月もたのまし
伊吹山〟

その席で伊吹山は、花や雪や月がなくても、ただそのまま見てるだけで、
立派な眺め賞し得る山容を備えている
…という一句です。


●街並み:

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東見附跡。柏原宿の東の入り口。
見附とは城門のことで宿場用語のこと。

ここで、宿場や旅人の安全を確保するための見張りをしていたんですね。


●照手姫笠掛地蔵

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照手姫とは、仏教説話「小栗判官・照手姫」に登場する女性。

半死半生の小栗判官を車に乗せ、
ここを通ったところ、道端にお地蔵さんを見つけ、
自らの笠を被せてお祈りしたら、お告げが。
お告げで熊野へ行った…そんな物語。

私へのお告げはありませんでしたが、旅路をやさしく見守ってくれました。


これまでの中山道の道中も、
宿場に入ってくるときや出るときも、
たくさんのお地蔵さんがあるのですが、
旅人や宿場の人の安全を見守っているそうです。
ありがたいです。


私は、1人で走っていますが、
お地蔵さんが沿道で応援してくださっている人のようなので、心強いです。



●たけくらべ

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たけくらべとは、楓並木のこと。

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楓並木の中は、本当に涼しいんです。
色は実際にはないですが、ひんやりとした青い風を全身に受けているような感覚。

この楓は秋になったら真っ赤になって美しいんだろうな。
今度は赤い風を全身に受けるんだろうか。



しかし、まったくもって誰もいません。

駅は無人だし、有人駅は対面できないような対策でインターホン越しに会話だし…
新しい生活様式とは言いますが、
もうどっしりと個の世界が日常生活になっている…そんな感じがしました。

この走る旅シリーズも、
個で走っても、楽しく続けられる
新しいランニングスタイルの提案の
一環として取り組んでおります。



●寝物語の里

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走って国境越え。

近江と美濃、両国の国境は幅一尺五寸の溝なんですよ。
ここに家が連続してあり、
国と薄い壁を隔てて隣人同士が寝物語をしたそうな。

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今では考えられないですね。

話し声や騒ぎ声を聞いたら、うるさい!なんて怒鳴りこみそうですもの。
いいような、悪いような、古き良き時代です。

そういえば、江戸の書籍を読んでいたら、こう書いてありました。

江戸時代の特に長屋は壁が薄く、
プライバシーなんてない代わりに、
何かがあったら隣人がすぐに跳んで来れる。
かえって災い防止になっていたそうです。

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そしてこの国境は、歌川広重が絵にかいた場所なのかな…とも思います。

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歌川広重の絵には、江濃両国境と書いてあり、
家がぎゅうぎゅうに並んでいます。

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これが初代標柱の基礎石。
絵にかいてある標柱なのでしょうか。

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歌川広重が描いた今須の絵のアングルで写真を撮ってみました。
昔は絵の様に旅人が行き交っていたんでしょうね。

今は、国道と鉄道、
そして人を運ぶ乗り物に手段が変わってしまいましたので
中山道で人とすれ違うことはほとんどありません。

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石田三成の旗。
関ヶ原に近づいているというワクワク感と、
戦いに参戦して戦地に向かっている様なドキドキ感が高まります。


大一大万大吉…この意味は
「1人が万民のために、万民は1人のために尽くせば、天下の人々は幸福(吉)になれる」という。
ほんまそう思う。


●車返し坂

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不破の関屋が荒れ果てて、屋根から漏れる月の光が面白いと聞き、
都から公家の二条良基がやってきたけれど、
この坂道の途中で屋根を直したと聞き、引き返してしまったエピソードから
つけられた坂の名前。

不破の関屋までは、あと少しだったのに。
本当に二条良基の目的が、
月の光を面白がりに行くことだったんですね。

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さぁー!!関ヶ原の戦いに参戦した西軍の旗がちらほら。
大谷吉継は福井の敦賀城の城主ですが、
うちの福井の実家の家紋も鷹の羽の。大谷家と同じ家紋です。
なんか、お墓参りに来た感覚で、懐かしいです。



●青坂山 妙應寺(みょうおうじ)

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この奥にある青坂山に向かって寄り道。

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トンネルは2つくぐります。

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すると、ドーン!
山門に菊のご紋の扉。

かつてあった日本の宮家の一つ、
伏見宮家の方々がお参りしたそうです。

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不破郡関ケ原、青坂山 妙應寺(みょうおうじ)
岐阜県内最古の曹洞宗のお寺です。

江戸時代中ごろに居益村に大飢饉が起こり、
飢饉を乗り越えるには、今こそ人々の心を一つにす(須)べからく、
前向きに生きていくことが大切と、居益から今須に郷名を変え乗り越えたそう。

なんて素敵なんだろう。
文字や言葉には魂が宿りますね。

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妙應寺には、関ケ原の戦い後、
佐和山城攻めの途中で腰掛けたとされる石・徳川家康腰掛石があります。
家康が大切にした運鈍根の生き方。

運・鈍・根とは、
立身・成功の三条件として考える「好運に恵まれること、才走らずこつこつ努めること、および根気よい」こと。

腰掛石に座り〝嬉しい、楽しい、ありがたい、運・鈍・根〟と3回唱えると幸せになれるそう。

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家康公はここに座っていたのですね。
〝嬉しい、楽しい、ありがたい、運・鈍・根〟と3回唱えてみました。

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美しい境内。
水の流れはずっと見ていても飽きないです。

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立派な鬼瓦です。
中にお地蔵さん。

寺社仏閣の神様・仏様の中で、
お地蔵さんとお稲荷さんだけ、
「お」と「さん」が同時につきます。

それくらい、なじみ深く親しみやすい
庶民に近しい神様仏様なのでしょう。

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稲を荷う田の神様。
とても美形のお稲荷さんが2体、「阿吽」の呼吸でお揃いでした。

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さざれ石もありました。
さざれ石は、日本の国歌「君が代」の中にも出てきます。

さざれ石とは、細かい石のことです。

君が代では小さな石が集まり、やがて大きな岩になるくらい
長く永遠に反映しますようにという願いを込めている説があります。

日本の言の葉は、本当に美しいです。

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お寺を後にするとき、こんな言葉が目に留まりました。

〝なすべきことをしていけば
自然と結果はよくなる〟

共感します。
運・鈍・根の精神で、コツコツと。


■青坂山 妙應寺(みょうおうじ)の所在地:
〒503-1543 岐阜県不破郡関ケ原町大字大字今須2591‐1

※COVIT‐19の影響で、お参りはできても、拝観の扉は閉まっている可能性があります。
この日は早朝ということもあったのか閉まっていました。

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●今須一里塚

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復元だそうですが、ちゃんと木が植えられてあり小高い塚になっています。
滋賀の一里塚は気付かないくらい気配が無かったので、
ちょっと感動しました。

一里塚とは、一里毎(3.93km・約4km)にある塚のことです。
目的地までの距離の目安になるので、
一里塚を理解してからは、目印にして走っています。


●今須峠

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今は整備されていますが、江戸時代は急勾配で超えるのが大変な峠だったとか。

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さてさて、スタートしてから5㎞ほどなのに、史跡だらけ。
あと25㎞…先を進むのが楽しみです。

いよいよ日本歴史上の二大『天下分け目』の決戦地。
壬申の乱と関ヶ原の戦いの地へと足を踏み入れます。
続きはまた後日。

【ウォーキングやランニングをする上での注意】

●高温多湿の梅雨や炎天下の夏の季節は、帽子をかぶったり、こまめな水分補給をしたりして、充分な熱中症対策を心がげましょう。
●思った以上にコンビニがありません。行動食を持っておきましょう。
●トイレは駅やコンビニがほとんどです。事前に場所をチェックしておきましょう。
●自販機はあるコースと峠越えなどは自販機が無いコースもあります。余分に水分を持参しておきましょう。
●お天気が急に変化しますので、レインウェアを持参しましょう。
●救急グッズを持っておきましょう。
●ローカル線は電子カードが使えないことが多いので、電車賃を準備しておきましょう。