■一日△食
一日に何食食べるかは、個人の自由であり、
それぞれに何を大切にし、
どんな生活をしているかにもよるので
ここで一日何食食べたらよいか…を推奨することはありません。
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個人的なことを書くと、
以前は、有酸素運動の強度の高いクラスを担当することが多く
活動量が多かったせいか?一日三食+おやつまで食べれていましたが、
今はというと、強度の高いクラス担当も少なくなり、
昔に比べて活動量も少なくなった&歳をとってきたせいか、
正直、一日三食は食べれなくなっている現状です。
私は普段、身体を動かす仕事の時は一日二食。
コロナウィルスで仕事を自粛していた時は、
普段より動かなかったので、お腹が空かずに
一日一食生活でした。
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最近、江戸時代の勉強をし始めて、
面白いことがわかってきました。
江戸時代に暮らす人は一日二食。
一日三食になったのは、それほど長い歴史を持つものではなく、
元禄あたりからなんだそうです。
江戸時代と現代では、生活様式も人の寿命も全く違うので
江戸時代にならえはできませんが、参考になることも多いです。
■江戸の1657年の大火からの復興
1657年にあった江戸・明暦の大火。
それ以降、江戸の町を復興させるため、地方から多くの肉体労働者が江戸に入りました。
一日二食体制だと厳しく肉体を酷使する仕事の人々はがもたないので、
一日三食という習慣は労働者によってつくられました。
■菜種油の普及
江戸時代は食事の回数は基本二回。朝と夕…。
照明が無いので、日没後に食事を摂るという習慣はなかった。
菜種油が普及してからは、朝と夕の間にも食事を摂るようになり、夕方と言わず、日没後も食事が出来る様になりました。
色んな説があって、お米が食べれるのは上級の武士からだという話もあり、庶民はアワやヒエだと言われますが、
ただいま学んでいる書物によると…
労働者のために一日三食になってからは、米を炊くのは一日一回。朝に炊く。
朝は温かい白米とみそ汁。
昼は午後からしっかり身体が動かせるようにおかずが付きで冷や飯とおかず一品、
夕食はご飯が固くなっているので茶漬けと漬物。
→永谷園・お茶漬けの素のパッケージは、江戸の食事にちなんでのことか…?
ちなみに、上方では米を炊くのは昼だった。
朝は粥にして食べることが多かった。
外食産業も一日三食の頃から栄え、
煎り大豆や小豆を入れた塩味の茶漬けの奈良茶飯という料理を出した店ができました。
裕福であれば、米を炊く回数は増えるし、おかずの品や種類も豊富になりました。
どんどん日本の経済力が向上したことにより、
一日二食から一日三食に変わり現代に至ります。
一日二食から三食になったきっかけの1つとして、身体を使った労働という理由がありました。
身体を動かすために食べると言う事は、
昔からの自然なことだったと感じ取りました。
電気は身近なものになりましたし、
お米を炊くのも指一本。
無洗米なんてものもある…。
自分の脚が移動手段だった江戸時代でしたが、
現代は交通手段が便利になり、身体を動かすことが減りました。
身体を動かす職種は限られていますので、
自ら身体を動かすことは、食べることに等しいくらい大切なんだと思います。
さあ、私も一日三食食べるために、もう少し身体を使わないと…いけませんな。