■走る旅:中山道〔29〕第48次 細久手宿~第47次 大湫宿
※リアルタイムのログではありません。数日前のログになります。
〝人間一生 物見遊山…〟
これは江戸っ子の人生観を表す言葉。
生まれてきたのは、
この世をあちこち寄り道しながら見物するためであり、
せいぜいあちこち見て、
見聞を広めて友だちを増やし、
死んでいけばいい…と考えていました。
わたしはこの言葉が好きで、自分もそうしたいと思っています。
京都三条大橋から、お江戸日本橋まで東海道&中山道69次。
江戸時代の人は、江戸から京都までの135里34町余(約540km)㎞を歩いていたそうです。
出張や用事に合わせるので
宿場の順番通りにはいきませんが、西から東へ。
物見遊山しながら…自分の脚で走って一本の道をつなげてみようと、旅をしています。
対して中山道は、東の山中を通過するので「中山道」
東海道とともに日本の二大幹線道で、中山道は近世以前から「東山道」と呼ばれ西国と東国を結ぶ主要道でした。
▼中山道:
江戸・日本橋~東海道・草津宿の67継立(67次)
草津宿と大津宿を含めて69次という場合もあるので、このログ上では、
69次135里24丁8間(約540km)で表記します。
コロナの様子を見ながら、感染予防して
〝うつさない・うつらない〟の心がけをして
名鉄広見線 御嵩駅~御嵩宿~細久手宿~大湫宿~中央線 武並駅まで
26㎞走ってきました。
峠が多く、アップダウンもあり、とてもハードなコースでした。
細久手宿~大湫宿までを記録します。
(1つ前の記事:御嵩宿~細久手宿 その②の記事はこちら→☆☆☆)
窪地のことを〝久手〟というそうです。
ほそくて…
おおくて…
このあたりの宿場は〝〇〇くて〟という呼び名で
不思議です。
美濃高原の窪地にある小さな宿場、細久手を後にし、
東へ…大湫宿を目指します。
●奥野田一里塚
なにげに標高も上がってきていまして、
547mの高根山のピークも近いです。
そんなあたりにモーター場があるのか?
エンジンを前回に吹かす爆音が聞こえます。
宿場から整備された県道が続いていますが、
車の通りはほとんどなく、パトカーが1台
私の怪しさに…往復していました。
しばらく走ると両側にこんもりとした一里塚が残ります。
奥野田一里塚です。
一里塚の上に登れたり、一周回れたりするようです。
西から走って左側の一里塚。
西から走って右側の一里塚。
※一里塚とは:一里(3.9m)ごとに置かれた目印の塚。
●ハナノキ自生地
ハナノキとは、カエデ科カエデ属の落葉高木。
4月に花が咲き、秋にはカエデのように色づいて紅葉するそうです。
紅葉はまだまだ先ですね。
●弁天池
カキツバタ、スイレン、ヒツジ草が自生する弁天池。
弁財天の祠(今、お祀りされているのは庚申像)もあり、
絵画・モネの池のように神秘的。
池では、研究者らしい人が昆虫を採取していました。
●天神坂
弁財天の池からは上り坂。
写真はピークにある看板です。
しばらくは緩やかな暁坂。
じっくりのぼっていきます。
●暁坂の馬頭観音
お顔が三面。
そして頭には馬。ちょっと変わった馬頭観音様。
●天神辻の地蔵尊
辻とは交差点。
私は東へと進みますが
天神の辻を北に行くと、北野という集落に行きます。
そうそう、交差点…ですが、
今回のルートは山の中なので信号が全くないなぁ。
●一つ茶屋跡
一つ屋立場付近。
茶屋があって、旅人たちが杖を立てて、
休憩しながらお茶をいただいていたんでしょうか。
●国際犬訓練所
熊鈴をつけて走っているので、
国際犬訓練所付近になると
ワンちゃんの大合唱が始まります。
犬訓練校を過ぎてしばらく走ると、
白い大きな犬が道路をふさいでいました。
もちろん首輪はつけていません。
野犬でしょうか…。
背中を向けると、襲われる確率も高いので
後ずさりして、通り過ぎるのを待ちました。
しばらく動かずに
お互いの様子をうかがう感じ。
ずっと眼を合わせたまま…。
(熊の場合、目を合わせると威嚇しているといい、
目をそらしたほうが良いとか、そらさないほうがいいとか言いますが…
うちのワンちゃんとじゃれあっている時、
目をそらすととびかかってくるので、犬は目をそらさないほうが良いのかと判断。)
野犬から死角になる場所になるまで後ずさって、犬訓練校へ駆け込む…。
中を訪ねても大音量のラジオなのか?なんなのか?…
あと、多頭の犬の鳴き声だけで誰も出てこない…(泣)
仕方ないので、野犬が立ち去っていることを祈りながら
野犬と鉢合わせた場所までジリジリ進んでみる。
・
・
・
まだいるーーーーーー!
カタカタカタ(((;゚;Д;゚;)))カタカタカタ
・
・
・
でも、よく見ると…
耳を下げていて臆病そうな感じ。
眼も哀愁がある。〝去らぬなら 去るまで待とう ホトトギス〟
立ち去るのを待ってみよう…我慢比べ。
しばらく待つと南の山奥へ逃げていきました。
まだそばにいるかもしれないので、
少し時間をつぶして居ないのを確認してから先を急ぎました。
付近には養鶏所があるし、
野犬が居てもおかしくない。
ほんまに群れでなくて良かったです。
ここまで来るまでに、イノシシ、カモシカ、蛇、ムカデなど、
色んな動物に会いましたが、
一番怖かったし緊張しました。
●琵琶峠
緊張感解けることなくふたたび緊張が続く…琵琶峠。
美濃の一番の高所、標高540mを
西側からは83mのぼり東へ53m下ります。
距離は1㎞ちょっと。
石畳が続きます。
琵琶峠は、昔の書物にも高所&難所と記されているほど。
こんなかわいい焼き物が彼方此方にありますが、
難所とは…可愛さとは裏腹ですね。
石畳が続きます。
どこまでも…。石畳。
これ…敷いた人すごいな。
…
先に八瀬沢一里塚が見えてきました。
●八瀬沢一里塚
左右にとても立派な塚が残っています。
●琵琶峠頂上の馬頭観音
住み慣れし
都路出でて
けふいくひ
いそぐもつらさ
東路の旅
皇女・和宮さまの歌。
ああ、わかる!この心情…
鼻歌をうたいながら琵琶峠を下ってきました。
峠の終りが見えるとホッとします。
馬頭観音様が、おつかれさん!と言っているような。
二枚目…母衣岩(ほろいわ)
●大洞の馬頭観音様
あと少し、お守りくださいね。
馬頭観音を過ぎると、人が住んでいる気配。
あれれ…人が寝ている。
旅人でしょうか。
人がいるとホッとしますが、これはこれで怖い。
看板を見ると、大湫の文字が〝大久手〟になっています。
この宿場も、〝くて〟(窪地)
美濃高原の窪地なんですね。
●高札場
高札場が見えてきました。
高札場とは幕府のルールや掟を掲げた場。
宿場は規則を守って利用しましょう…ですね。
街並み…しずか…すぎる…
●大湫伸明神社
天然記念物の大杉があるはずでした。
大湫宿のシンボルです。
名物の大杉は、今年の大雨で倒れてしまったようです。
●旧森川善章家住宅
旧森川善章家住宅は、宿場の問屋を務めた森川氏の住宅で、
森川一族の中でも新しい分家であったために「新森」と呼ばれ、
旅籠としても使用されたようです。
建物は明治26年の建築。
昭和50年代まで住居として使用され、一部は改修がなされているものの、明治期の民家としての面影をよく残しており、宿場の町並みを構成する重要な建物。
(瑞浪市HPより 一部抜粋)
通常は観光案内所になっていますが、ただいま絶賛工事中でした。
そんなことで、大湫宿は杉が倒れ、旅籠は工事中で、
見どころがほとんどなく、通過することに。
下の写真は、瑞浪市ホームページより。
実際はこんな感じだったようです。
新しく生まれ変わって賑わいを見せてくれたらなーと思います。
●大湫宿脇本陣
●大湫宿本陣跡
本陣1
脇本陣1
旅籠30
家数66
家の半分が旅籠だった宿場だそうです。
本陣の跡地は小学校の、これまた跡地です。
皇女和宮様の歌碑が残っています。
十三峠におまけが七つ…
と言われるくらい、いくつのも坂が連発します。
そして熊の出没注意ポイントと、
(中津川の宿場に問い合わせたら、この先今年は熊の出没多いので気を付けるようにとのこと)
中山道を先に行く先輩が、ゴルフ場の横を進むから
ゴルフボールに気を付けて…ということで、
色々注意ポイントですね。
次は恵那に向かって進みます。
がんばりどころですよ。
今回のコースでは熊には出会いませんでしたが、カモシカ、イノシシ、野犬(飼い犬かもですが…山に逃げていきました)、キジ、蛇やムカデなど。
沢山の動物に遭遇しました。
熊については、今年はブナ・コナラ・ミズナラなどの木の実が不作で、山中はもちろん、里の方まで活動範囲が広がっています。
とくに、秋と春は熊が活動する時期なので、山に入るときは十分に気を付けて準備と対策をしておきましょう。
私も、春・秋の期間は行程の計画を考え直します。
特に山を楽しむ方や、里山近くで畑仕事をする方は、
10月6日に書いたBLOG記事をよろしければ、読んでみてください→☆☆☆
●高温多湿の梅雨や炎天下の夏の季節は、帽子をかぶったり、こまめな水分補給をしたりして、充分な熱中症対策を心がげましょう。
●思った以上にコンビニがありません。行動食を持っておきましょう。
●トイレは駅やコンビニがほとんどです。事前に場所をチェックしておきましょう。
●自販機はあるコースと峠越えなどは自販機が無いコースもあります。余分に水分を持参しておきましょう。
●お天気が急に変化しますので、レインウェアを持参しましょう。
●救急グッズを持っておきましょう。
●ローカル線は電子カードが使えないことが多いので、電車賃を準備しておきましょう。