健康サポートプロジェクト
合同会社健康サポートプロジェクトです。 10数年にわたって健康経営を推進する企業・団体様向けに健康セミナーや研修コンテンツ等で具体的なサポートをおこなってきました。 福利厚生や労災対策として従業員の方が生活習慣の中で無理なく継続できるエクササイズをご紹介します。
« 2021年11月 | メイン | 2022年1月 »
※リアルタイムのログではなく、数日前のログです。
〝人間一生 物見遊山…〟
これは江戸っ子の人生観を表す言葉。
生まれてきたのは、
この世をあちこち寄り道しながら見物するためであり、
せいぜいあちこち見て、
見聞を広めて友だちを増やし、
死んでいけばいい…と考えておりました。
わたしはこの言葉が好きで、自分もそうしたいと思っております。
コロナの様子を見ながら、感染予防して〝うつさない・うつらない〟の心がけをしてこの旅を進めます。
今回はしめくくりの旅となり、鴻巣宿から東京お江戸日本橋まで約66㎞の旅。
本記事は、旅のレポートの一部です。
■この日のルート:
蕨宿 JR蕨駅~板橋宿~日本橋(27㎞)→靖国神社(3.5㎞)
巣鴨地蔵通商店街からのつづきです。
日本橋まではあと6㎞です。
●東洋大学
●金龍山大円寺・焙烙地蔵・一里塚の庚申塔
石の3つの庚申塔は、本郷追分一里塚から ほうろく地蔵前に移されてきたそうです。
ほうろくとは、浅い素焼きの土鍋のこと。
八百屋お七にちなんだ地蔵尊で、
1682年におきた天和の大火は、恋仲になった寺小姓(寺に住んで住持のそば近く仕えた少年)恋しさに放火の大罪を犯した大火。
その後、火あぶりの刑を受けたお七。
放火の罪で処刑された灼熱の苦しみを、
お地蔵さまがをほうろくを頭からかぶって苦しみを受けているという。
お地蔵さんは頭にほうろくを乗せていました。
やさしいお地蔵様ですね。
山門には立派な「五三桐」のご紋。
豊臣秀吉や皇族が使ったもの…なぜここに。
●本郷追分一里塚
日本橋まで最後の一里塚です。
日本橋まであと約4㎞となりました。
●東京大学
コロナがおさまれば…東大学食でランチすることを楽しみにしていました。
今は、学校関係者以外立ち寄ることが出来なくなっています。
警備の方に撮影許可をお願いし、門から手を伸ばして写真撮影しました。
●神田明神前・天野屋
天野屋さんの記事は別で書きました。
よろしければ、こちらをお読みくださいませ。→わたしが見つけた日本製 「神田明神前 天野屋」
●神田明神
神田明神は、江戸城の表鬼門除けに鎮座する江戸総鎮守。
1600年の関ヶ原の合戦前、徳川家康は神田明神で戦勝祈祷を行いました。
家康は9月15日、神田祭の日(今は5月)に勝利し天下統一を果たしたと言われます。
神田明神のご祭神は、一之宮は大己貴命。
だいこく様とも呼ばれ、国造りをされた神様で縁結びにご利益が。
二之宮は少彦名命。一寸法師と呼ばれ医療や健康祈願、病気平癒にご利益が。
三之宮は平将門命。平将門神に祈願すると勝負ごとに勝つと言われています。
国学の発祥の地です。
京都伏見の神宮で国学者であった荷田春満が、江戸に出て初めて国学の教場を開いたのが神田神社社家の芝崎邸内でした。
次はいよいよ、日本橋です。
※リアルタイムのログではなく、数日前のログです。
〝人間一生 物見遊山…〟
これは江戸っ子の人生観を表す言葉。
生まれてきたのは、
この世をあちこち寄り道しながら見物するためであり、
せいぜいあちこち見て、
見聞を広めて友だちを増やし、
死んでいけばいい…と考えておりました。
わたしはこの言葉が好きで、自分もそうしたいと思っております。
コロナの様子を見ながら、感染予防して〝うつさない・うつらない〟の心がけをしてこの旅を進めます。
今回はしめくくりの旅となり、鴻巣宿から東京お江戸日本橋まで約66㎞の旅。
本記事は、旅のレポートの一部です。
■この日のルート:
蕨宿 JR蕨駅~板橋宿~日本橋(27㎞)→靖国神社(3.5㎞)
志村一里塚~第1次 板橋宿 からのつづきです。
いよいよ「おばあちゃんの原宿」巣鴨に入ります。
巣鴨は、赤の色使いが多く、なんか元気になるんですよね。
赤って交感神経を優位にさせると言われていて、ガツガツ動き回りたくなるのです。
そんな巣鴨が好きな私は、おばあちゃんなのかも知れません。
●巣鴨地蔵通商店街
巣鴨地蔵商店街…は、巣鴨地蔵〝笑〟店街なんだそうです。
ゲートをくぐる前に猿田彦大神(巣鴨庚申塔)へ寄りましょう…。
●猿田彦大神(巣鴨庚申塚)
歌川広重の絵、第2景 英泉、木曽街道・板橋之驛(いたばしのえき)
が描かれた場所です。
巣鴨商店街は、旧中山道であり、商業や信仰の場として栄えてきました。
日本橋から出発して最初の休憩所(立場)として、賑わっていた場です。
この庚申塚には、お猿さんが祀られていて、
明治初期に、千葉県銚子市にある猿田神社から猿田彦大神を分祀したそうです。
猿田彦大神は導きの神様です。
ここまで導いてくださって
ありがとうございました。
旅も、もうすぐ終わります。
とげぬき地蔵の縁日(毎月四の日)は多くの参拝者があり、
参拝者の方に季節ごとに趣向を凝らした食事を作ってもてなしているそうです。
早く、コロナ禍が落ち着いて、人が集まり、食事を楽しめる日が来ますように。
ゲートと商店街が続きます。
●巣鴨マルジ
巣鴨と言えば、赤パンマルジさん。
メンズ館とレディース館が並んでいます。
お年賀に配る用として、毎年立ち寄るか、もしくはネットで購入しております。
赤パンマルジの記事は、別記事で書きました。
よろしければ、こちらをご覧くださいませ。→[旅のみちすがら・私が見つけた日本製]日本製:巣鴨 マルジ
●とげぬき地蔵(高岩寺)
地蔵菩薩様は秘仏ですので残念ながら拝見させていただくことはできません。
そのお姿を元に作られた御影(おみかげ)に祈願してもご利益があるとされています。
写真は毎回〝と〟が抜けて〝けぬき〟地蔵になります。
このお地蔵さんの隣に洗い観音がありました。
水をかけ、自分の悪いところを洗うと治るという言い伝えがあります。
コロナ禍でも大行列でした。
※この写真のお地蔵様ではありません。
可愛いこけしさんたち。
案内板によると、大政奉還後、静岡で長い謹慎生活を送った後、
明治34年(1901年)12月までの4年間だったそうです。
大阪もなのですが、史跡の前に自転車が止まってたり、ゴミ出しの収集所になっていたりする風景が残念だなぁ…と思っちゃいます。
私の目から見れば、昔に思いを馳せる場所ですが、
同じ思いでいらっしゃる人ばかりとは限りません。
巣鴨商店街を抜け、日本橋まではあと6㎞。
※リアルタイムのログではなく、数日前のログです。
〝人間一生 物見遊山…〟
これは江戸っ子の人生観を表す言葉。
生まれてきたのは、
この世をあちこち寄り道しながら見物するためであり、
せいぜいあちこち見て、
見聞を広めて友だちを増やし、
死んでいけばいい…と考えておりました。
わたしはこの言葉が好きで、自分もそうしたいと思っております。
コロナの様子を見ながら、感染予防して〝うつさない・うつらない〟の心がけをしてこの旅を進めます。
今回はしめくくりの旅となり、鴻巣宿から東京お江戸日本橋まで約66㎞の旅。
本記事は、旅のレポートの一部です。
■この日のルート:
蕨宿 JR蕨駅~板橋宿~日本橋(27㎞)→靖国神社(3.5㎞)
第2次 蕨宿から清水坂までのつづきです。
清水坂が終わると、国道17号線に合流です。
すぐに、志村一里塚が見えてきます。
●志村一里塚
17号線の脇に、両塚残っているのが、東京から3里目の一里塚です。
関東に近くなるにつれ、姿が消えている一里塚が多かったので、両方の塚が残っているのは感動でした。
●斎藤商店さん
明治22年の創業で100年以上続く竹屋さんです。
竹商品を取り扱っていらっしゃるそうです。
店頭に並ぶ竹ほうきが懐かしいです。
我が家は、昔、玄関先で使うほうきを、祖父が竹で手作りしていました。
●縁切神社
おまいりしている方がいらっしゃったので、境内には入りませんでした。
ここは、縁を切りたい人がいたら、この木の皮を煎じて飲むと願いが叶うそうです。
日本中の中でも最強縁切りスポットです。
2020年の8月に日本橋から板橋を走った時、
おまいりさせていただきましたが、
木の皮までは煎じませんでした。
●中山道板橋宿上宿碑
板橋は、日本橋から一番目の宿場です。
長さが約1.7㎞で、天保十四年1843年は人口2448人と多く、
日本橋から平尾宿・仲宿・上宿に分かれていました。
石神井川に架かる板橋から環状七号線あたりまでが上宿だそうです。
●石神井川に架かる板橋
石神井川(しゃくじいかわ)に架かる板橋の名前から宿場名がついたそうです。
歩道は、板の目調になっています。
日本橋から旅を始める旅人に同行し、板橋宿まで見送る人もいて、大変栄えた宿場なのだとか。
●仲宿
仲宿に入ったようです。板橋宿は長いです。
●成田山 遍照寺
境内は江戸の頃、馬のつなぎ場だったそうです。
●板橋宿本陣 飯田新左衛門家
本陣には、参勤交代で通行した大名や幕府の公用の武士、僧や公家などが休憩しました。屋敷の当主は、代々飯田新左衛門を名乗りました。
板橋宿のアーチ…日本橋に近い平尾宿なんでしょうか…
アーチの上で、うさぎが手を振ってくれているのが可愛いです
商店街のキャラクター「ラッピー」だそうです。
アーチにとどまらず、街灯やお店の看板にまでラッピーだらけでした。
●中山道の宿場名が並べられた看板
●観明寺と庚申塔
観明寺の前にあった、ゆず「逢いたい」の歌詞。
住職さん、ゆずファンなのかな。
素敵な歌詞ですね。
うさぎが手を振ってくれるのが、癒されます。
●たぶん、この付近平尾一里塚
2020.8に来た時も、googleマップで一里塚があった場所を探したのですが、
Googleによると、亀の像があるお店前あたりという事で。
詳しい場所はわからず。
お店前の亀だけ写真におさめました。
前に来た時とは別のお店に変わっていましたので、目印にならず…です。
書籍「中山道・浪漫の旅」(信濃毎日新聞社 発行)の情報によると、八百屋さんあたりだという情報もあります。
●亀の子束子 西尾商店
こちらにも亀が。。。西尾商店で亀の子束子を買いました。
別記にしていますので、ご興味のある方は、こちらの記事へジャンプくださいませ。→[旅のみちすがら]板場宿 亀の子束子
いよいよ「おばあちゃんの原宿」巣鴨に入ります。
巣鴨は、赤の色使いが多く、なんか元気になるんですよね。
赤って交感神経を優位にさせると言われていて、ガツガツ動き回りたくなる。
そんな巣鴨が好きな私は、おばあちゃんなのかも。
次の記事では、大好きな巣鴨をレポしたいと思います。
※リアルタイムのログではなく、数日前のログです。
〝人間一生 物見遊山…〟
これは江戸っ子の人生観を表す言葉。
生まれてきたのは、
この世をあちこち寄り道しながら見物するためであり、
せいぜいあちこち見て、
見聞を広めて友だちを増やし、
死んでいけばいい…と考えておりました。
わたしはこの言葉が好きで、自分もそうしたいと思っております。
コロナの様子を見ながら、感染予防して〝うつさない・うつらない〟の心がけをしてこの旅を進めます。
今回はしめくくりの旅となり、鴻巣宿から東京お江戸日本橋まで約66㎞の旅。
本記事は、旅のレポートの一部です。
■この日のルート:
蕨宿 JR蕨駅~板橋宿~日本橋(27㎞)→靖国神社(3.5㎞)
第2次 蕨宿からのつづきです。
JR蕨宿から日本橋を目指します。
宿場の終わりです。
このゲートの先は、車線もビルも多くなり、一気に東京の空気が濃くなります。
戸田市に入りました。
もうすぐ埼玉の県境を越えます。
東京に入るには通行手形は要るのかな…(映画・飛んで埼玉より)
●下戸田ミニパーク
史跡案内の親切な道標があり、助かりました。
●マンホール
マンホールは、戸田ボートコースで行われているボート競技「レガッタ」の様子が描かれています。
戸田市はボートの聖地なんだとか。
川岸3交差点から商店街のような道に入ります…。
商店街内の目印となる魚久さんを探すも、見つからず…
たぶん、ここかな↓↓↓
魚久さんは別のお店に変わってしまったのでしょうか。
戸田一里塚があったとされる場所はわかりませんでした。
このあたり…なんて想像しながら、日本橋まであと4里です。
川岸橋で菖蒲川を渡ります。
●川岸ミニパーク
こちらにも、史跡の案内板があり、助かります。
●戸田渡船場跡
戸田橋で荒川をこえます。
英泉の中山道浮世絵、第2次 蕨宿は、戸田の渡し跡。
戸田橋から富士山が見えた時には、大感動。
この旅で、この富士山を色んな角度から眺めました。
これが最後です。
日本橋まであと16㎞です。
●志村橋
どんどん日本橋に近くなります。
●地蔵尊
●清水坂
江戸時代の中山道です。日本橋を起点として旧中山道の最初の難所と言われた急坂らしいのですが、日本橋からだと下りで、京都三条大橋からは上りです。
写真じゃわかりませんが、結構上り坂がキツかった。
●富士・大山道の道標と庚申塔
富士山や神奈川の大山へ続く道です。
工夫して写真を撮りましたが、実際は、電信柱の陰になっています。
交通の便や文明の発達によって、もう今は、歩いたり走ったりして富士山や大山に行く人はいないのでしょうね。
●志村一里塚
志村一里塚が見えてきました。
日本橋まであと3里ですよ。
※リアルタイムのログではなく、数日前のログです。
〝人間一生 物見遊山…〟
これは江戸っ子の人生観を表す言葉。
生まれてきたのは、
この世をあちこち寄り道しながら見物するためであり、
せいぜいあちこち見て、
見聞を広めて友だちを増やし、
死んでいけばいい…と考えておりました。
わたしはこの言葉が好きで、自分もそうしたいと思っております。
コロナの様子を見ながら、感染予防して〝うつさない・うつらない〟の心がけをしてこの旅を進めます。
今回はしめくくりの旅となり、鴻巣宿から東京お江戸日本橋まで約66㎞の旅。
本記事は、旅のレポートの一部です。
■この日のルート:
JR高崎線 鴻巣駅~桶川宿~上尾宿~大宮宿~浦和宿~蕨宿 JR蕨駅まで(35㎞)
第3次 浦和宿からのつづきです。
辻の一里塚から日本橋までは五里。
中山道を走る旅もクライマックスです。
そして、この日は鴻巣宿から蕨宿までで終わり、翌日は蕨宿からいよいよ日本橋です。
1歩1歩噛みしめて参りましょう。
●一六橋
見沼用水の分流「一六用水」に架かっていた橋だそうで、
南北朝時代から戦国時代に、このあたりで「一」と「六」の付く日は「市」が開かれていたことからと一六橋と言われるようになったとか。
戦国時代以前に、用水があったことが凄いなと思いますが、
すでに市という文化があった事にも驚きます。
今でも、毎月決まって蚤の市があったり、
某ショッピングモールの「はつーか♪さんじゅうにちは♬5パーセント♩オフ♪」というコマソンがある様に…
昔から、日を決めて市を開催していたかと思うと、市も日本文化だなぁ…なんて思います。
●蕨宿の宿場
いよいよ宿場です。
●中山道ふれあい広場
火見櫓風からくり時計と姫道中を描いたモザイク壁画です。
かわいらしいです
皇女・和宮様でしょうか。
●案内板
中山道の説明が書かれてあります。
●街並み
●岡田加兵衛本陣
老中水野忠邦や松平加賀守、皇女和宮様が休泊しました。
●蕨市立歴史民俗資料館
本陣の横にあります。本陣上段の間が復元されています。
●蕨町道路元標
●蕨市歴史民俗資料館分館
●マンホール
蕨宿は「わらじろう」というゆるキャラです。旅がらすなんだそうです。
まじまじ眺めました。
峠を越え、山間を粘り強く…よくここまで来たものだなぁ…。(自画自賛)
JR蕨駅に向かいます。
この日の宿泊は「さいたま新都心」です。
電車で大宮宿まで少し戻り、疲れを癒し、明日はいよいよ日本橋に向かいます。
蕨駅に向かう途中、銭湯がありました…。
いいなーこんなフォルムの銭湯。
かぐや姫の「神田川」の歌に出てきそうな銭湯だな。
去年の夏に日本橋から板橋まで走っているのですが、
宿場順通り、板橋、日本橋へと向かいます。
今夜は最後の宿泊です。
中山道の旅をかみしめましょう。
※リアルタイムのログではなく、数日前のログです。
〝人間一生 物見遊山…〟
これは江戸っ子の人生観を表す言葉。
生まれてきたのは、
この世をあちこち寄り道しながら見物するためであり、
せいぜいあちこち見て、
見聞を広めて友だちを増やし、
死んでいけばいい…と考えておりました。
わたしはこの言葉が好きで、自分もそうしたいと思っております。
コロナの様子を見ながら、感染予防して〝うつさない・うつらない〟の心がけをしてこの旅を進めます。
今回はしめくくりの旅となり、鴻巣宿から東京お江戸日本橋まで約66㎞の旅。
本記事は、旅のレポートの一部です。
■この日のルート:
JR高崎線 鴻巣駅~桶川宿~上尾宿~大宮宿~浦和宿~蕨宿 JR蕨駅まで(35㎞)
第4次 浦和宿からのつづきです。
ケヤキ並木を見ながら前進します。
●一本杉の仇討ちの碑
車どおりが激しくて、裏側から撮影いたしました。
日本で最後の仇討ち(丸亀藩浪人河西祐之助と水戸藩士宮本鹿太郎の)仇討ちが行われた一本杉だとか。
●マンホール
市の花「サクラソウ」のデザイン。
埼玉には、浦和レッズや大宮アルディージャのサッカーチームがあるので、
マンホールもサッカーボール型なんですね。
浦和レッズ!
●浦和宿二・七市場跡
●市場通りの農婦像
ちょっとギョッとしてしまいました。
カボチャとお芋を収穫していますね。
季節は秋でしょうか…
●街並み
浦和宿は、戦国時代末に市場集落としての町をもとに形成され、徳川家康の時代に街道が整備され宿場となったそうです。
小さな仲町公園にひっそりとある看板。
浦和宿本陣跡です。
ほとんど目立たず、見落としてしまいそう。
●調神社(つきじんじゃ)
鳥居のない神社として有名で、
狛犬でなくて、狛兎さんがいらっしゃいます。
調(つき)が月に通じる事から、兎が神使なんだそうです。
かわいいですね。
調(つき)にちなんでツキが訪れるとよいです。
中山道を進むと…今度は馬が!!!!
乗馬クラブさんの前にあった馬のオブジェです。
昔はお馬さんが中山道を歩いていたかと思うと、このような風景もすごく良いものです。
●辻の一里塚
弁財天の祠と一里塚のツーショット。
日本橋から数えて五里目。
中山道の旅を始めたころは、1つ1つ一里塚の数が減っていくのが嬉しかったのですが、一桁まで来てしまうと、寂しさが溢れてきます。
次の蕨宿まではあと5㎞。
今日の旅は、蕨宿で終了です。
あと少し、がんばりましょう。
※リアルタイムのログではなく、数日前のログです。
〝人間一生 物見遊山…〟
これは江戸っ子の人生観を表す言葉。
生まれてきたのは、
この世をあちこち寄り道しながら見物するためであり、
せいぜいあちこち見て、
見聞を広めて友だちを増やし、
死んでいけばいい…と考えておりました。
わたしはこの言葉が好きで、自分もそうしたいと思っております。
コロナの様子を見ながら、感染予防して〝うつさない・うつらない〟の心がけをしてこの旅を進めます。
今回はしめくくりの旅となり、鴻巣宿から東京お江戸日本橋まで約66㎞の旅。
本記事は、旅のレポートの一部です。
■この日のルート:
JR高崎線 鴻巣駅~桶川宿~上尾宿~大宮宿~浦和宿~蕨宿 JR蕨駅まで(35㎞)
第5次 上尾宿からのつづきです。
県道164号線を直進しながら約6㎞。
大宮宿を目指します。
だいぶん都会になってきて、昔の街道の名残を見るには想像力が必要です。
●大宮一番街商店街
いよいよ大宮です。
●大宮氷川神社
関東に入ってくると、あちこちに氷川神社があります。関東には280社あるそうです。
氷川神社の総本社が「大宮氷川神社」です。
2400年の歴史だそうです。
昔はこの参道が、中山道だったようです。
この日は家族連れでにぎわっていました。
●本陣・脇本陣・など
本陣や脇本陣も、高札場も、ビルに変わっています。
また史跡案内の看板も無いのでほぼ想像力で、昔を感じました。
高島屋あたりは本陣だった場所だそうです。
屋上には、北澤稲荷を祀っています。
サッカーチームの大宮アルディージャのマークには「リス」が…。
アルディージャは、スペイン語で「リス」の意味だそうです。
大宮のマスコットも「リス」です。大宮出身の画家・イラストレーター「あすかけん先生」の作品に登場するキャラクターで「こりすのトト」という名前がついているそうです。
青空に向かって両手を広げているのが「こりすのトト」です。
●すずらん通り大宮宿本陣稲荷
●安藤橋
中山道最小の目標なんだそう。小さくて見落としそうです。
●お女郎地蔵・火の玉不動
近くにあった下原刑場の刑死者の供養でたてられたとか。
夜は火の玉が飛ぶという言い伝えがある様です。
裏側に回ると鴻沼用水と高台橋の案内板が貼ってあるので、
この時は、火の玉が飛ぶ言い伝えがあるなんて思いませんでした。
●中山道ケヤキ並木
埼玉県の木はケヤキだそうで、昭和42年・埼玉国体に合わせて中山道に植えられたそうです。
街中を走っているうちに、大宮宿が終わってしまいました。
この先、どんどん都会になっていくんでしょうね。
大宮宿から先約6㎞、前進します。
※リアルタイムのログではなく、数日前のログです。
〝人間一生 物見遊山…〟
これは江戸っ子の人生観を表す言葉。
生まれてきたのは、
この世をあちこち寄り道しながら見物するためであり、
せいぜいあちこち見て、
見聞を広めて友だちを増やし、
死んでいけばいい…と考えておりました。
わたしはこの言葉が好きで、自分もそうしたいと思っております。
コロナの様子を見ながら、感染予防して〝うつさない・うつらない〟の心がけをしてこの旅を進めます。
今回はしめくくりの旅となり、鴻巣宿から東京お江戸日本橋まで約66㎞の旅。
本記事は、旅のレポートの一部です。
■この日のルート:
JR高崎線 鴻巣駅~桶川宿~上尾宿~大宮宿~浦和宿~蕨宿 JR蕨駅まで(35㎞)
第6次 桶川宿からのつづきです。
●鍾馗様
昔から、鍾馗(しょうき)様を大切にしている宿場なんだそう。
鍾馗は中国伝来の神様で、魔除け・火事除けとして民家の屋根などに見られます。
高札場の屋根に乗っているのが鍾馗様。
●庚申塔道標
半身裸の女性の髪をつかんで、ちょっと迫力があります。
足元は「見ざる・聞かざる・言わざる」でしょうか。
●上尾宿
本陣や脇本陣・一里塚は、今は別の建物に変わり、昔の遺構が残る場所が少なく、さっと前進しました。
江戸からスタートし、1泊目の宿場としてにぎわったそうです。
イオンもあり、にぎやかです。
●小学校のセンダン
明治8年に植えられた市の天然記念物だそうです。
大きな木でした。
●加茂神社の競馬(くらべうま)の彫刻
上尾宿は、史跡以上に興味を持ったのがマンホールデザイン…。
立ち止まって撮影することが多かったです。
こちらは、市民の木「アオキ」マンホール。
過去に開催されていた「あげお中山道綱引き」マンホール。
上尾市のキャラクター「アッピー」マンホール。
上尾市のキャラクター「アッピー」と上尾市友好都市・福島県本宮市のキャラクター「まゆみちゃん」
そして、結婚して誕生したのが真ん中の「あゆみちゃん」らしい。
遊び心満載のマンホール。
さいたま市マンホール。
上半分には市の木である「ケヤキ」、下右が市の花の木である「サクラ」、下左にあるのは市の花「サクラソウ」、真ん中は埼玉市の市章。
さいたま市旧大宮市のマンホール。
※リアルタイムのログではなく、数日前のログです。
〝人間一生 物見遊山…〟
これは江戸っ子の人生観を表す言葉。
生まれてきたのは、
この世をあちこち寄り道しながら見物するためであり、
せいぜいあちこち見て、
見聞を広めて友だちを増やし、
死んでいけばいい…と考えておりました。
わたしはこの言葉が好きで、自分もそうしたいと思っております。
コロナの様子を見ながら、感染予防して〝うつさない・うつらない〟の心がけをしてこの旅を進めます。
今回はしめくくりの旅となり、鴻巣宿から東京お江戸日本橋まで約66㎞の旅。
本記事は、旅のレポートの一部です。
■この日のルート:
JR高崎線 鴻巣駅~桶川宿~上尾宿~大宮宿~浦和宿~蕨宿 JR蕨駅まで(35㎞)
第7次 鴻巣宿~原馬室の一里塚からのつづきです。
北本宿を経て桶川宿へと向かいます。
旧中山道から県道164号線に合流し、桶川宿まで直進です。
ペコちゃんポコちゃんが「行ってらっしゃい!」と手を振ってくれます。
桶川宿は、紅花の産地として栄えた宿場です。
山形よりも古くから紅花の栽培がされていたそうです。
紅花で財を築いた大きな商家も残っていました。
最近、山形の紅花で染めた反物から着物を誂えたこともあり、「桶川でも紅花が咲くのだな…」と興味深かったです。
マンホールのデザインは紅花。
ゆるキャラも紅花。
オケちゃんというそうです。
史跡案内の道標はありがたいです。
桶川宿は、埼玉で唯一本陣が残る宿場で、古い建物もわりと残っています。
●市神社の跡
●桶川の一里塚
桶川一里塚は今は歩道橋になってしまいました。
この両脇は、江戸時代は杉の木だったそうです。
日本橋から十里目の一里塚です。
日本橋まではあとおおよそ約40㎞程度です。
●女郎買地蔵(大雲寺)
若い僧が、宿の飯盛女のもとに通うのをやめさせるために、大雲寺の僧侶が境内の地蔵に鎹(かすがい)を打って鎖でつないだとか。
●桶川宿
●桶川宿本陣
●瓦造りの商家:矢部家住宅
●小林屋住宅主屋
●べに花まんじゅう
食べてみたいです。
●武村旅館
江戸の頃を思わせる建物が残り、風情のある宿場でした。
見どころも多いので、沢山のウォーキングチームがそれぞれのイベントをされていました。
中山道は県道で、車がビュンビュン走りますが、昔は馬や人が行き交ったていたのでしょうね。
上尾宿を目指します。
桶川宿から上尾宿までは約4㎞です。
前に進みましょう。