
健康サポートプロジェクト
合同会社健康サポートプロジェクトです。 10数年にわたって健康経営を推進する企業・団体様向けに健康セミナーや研修コンテンツ等で具体的なサポートをおこなってきました。 福利厚生や労災対策として従業員の方が生活習慣の中で無理なく継続できるエクササイズをご紹介します。
ウォーキングパーソナルレッスンは
雲一つない碧の空の下。
どこまでも果てしなく深い空を見上げながら
深呼吸すると、
まるで海を泳いでいるかのようだ。
金曜日に受講してくださったクライアントさんは
エクササイズウォーキングの
ウォーミングアップルーティン(準備運動)を
あれから毎朝続けていらっしゃるとのこと。
刺激を受けた私も、ウォーキング前だけでは無く
毎朝することにした。
自分ではない他者からの刺激は
どんなことも成長を促してくれる。
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午後からは読みかけていた見城徹さんの書籍を
夢中で一気に読み上げた。
語彙力が少なくて表現するのに申し訳ないが
読み終えたあとは
大きな衝撃を受けた後のように
何も手につかなかった。
とにかく「何も手につかない」状態だけでもメモしたくて
ペンを走らせていた。
書籍の最後に
「新潮45.2010.12月号 三島由紀夫のバルコニーでの最後の演説」の全文があったのだが、
特にその部分が衝撃的で…
演説の全文だけ
また三回読んだ。
三島の〝三〟にちなんでではないが、
魂が震えたというか…
読み返したくなったのだ。
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三島由紀夫は私が生まれた年に
この世を去って行った天才である。
日本国憲法の欺瞞に自分の死をぶつけた魂の演説は、
五十二年経過した今も
ひとつひとつの言葉が心に突き刺さる。
見城さんの言葉を借りれば、
「彼ほど繊細に日本語を駆使する作家はいない」…
…わたしもそう思う。
数年前に鑑賞した映画「三島由紀夫VS東大全共闘」は
娯楽・映像メディアが発展していく初期
「まだ言葉が生きていた時代」で起きたことで
三島の言葉と東大生の言葉が
ぶつかり合っている様子を見ることが出来る。
三島由紀夫の言葉は
圧倒的熱量で、とにかくすごい。
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そんなことで、
「風と共に去りぬ」を読む予定をしていたが、
映画「三島由紀夫VS東大全共闘」を再視聴した。
(関連記事:昨日のBLOG「古典小説」→★★★)
映画「三島由紀夫VS東大全共闘」は
数年前に観た時以上に
三島由紀夫の言葉ひとつひとつに意識を向けて熱中できた。
そして三島文学に陶酔すると決め、
衝動的に
・三島由紀夫全集34
・金閣寺
・美しい星
を注文していた。
わたしにとってウォーキングと旅と読書は
実に刺激的で成長させてくれるもの。
さぁ、三島由紀夫の言葉に触れよう。
公式LINE「エストロゲン子の美活ウォーキング」
9月のメルマガを送信し
資格取得の課題である問題集や論文に着手中。
論文のテーマもどんどん難易度が上がってきているように感じる。
テーマを読み取れない場合、
まったく手が進まない。
世間は、SNSの普及により読解力が落ちているという。
読解力は、情報を探し出し、理解し、評価し、熟考することである。
また何かを読むという事は「読んでどう感じるのか、どうするのか」を自分に問う事でもある。
読書習慣は無くなり
YouTubeは、倍速でいち早く結論を取得し
タネあかしありきで視聴する。
そして、絵文字やスタンプ、
流行りの言葉や略語で会話が成立してしまう。
最近は若者の間で句読点すらつけないのだそうだ。
要するに「間」を無視し
正しい日本語を使わないということだ。
それを良し悪しと評価する気はないが
もう良い大人過ぎる年齢なので真似をすることも無いだろう。
しかし、いつの頃からか?
周囲にチラホラあるこの様な状態に自分も慣れてきてしまっているのだ。
だからこそ、良い言の葉に触れて感覚を取り戻したい。
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最近読んだ古典小説「こころ」は、
文章1つ表現するのに
かなり遠回りする。
だが、読んでいるだけで時代背景であったり、景色であったり、色や、音、匂いまでもを感じ想像力を掻き立てる。
行間では、時間の経過も感じるのだ。
やはり、古典小説はいい。
読解力が落ちていると感じる今、
ゆっくり読んでみようかなと。
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たった1行の論文テーマを読み取ることができない日の気付きであった。
2日前に突然配信を決め
YouTubeライブ!!初配信しました。
ゲストは副腎疲労(ふくじんひろお)さんです。
見どころは、14分当たりから副腎さんが居眠りしています(笑)
女優ライトもマイクも無く、壁紙はボロボロで
画面が暗いですが…
今後、ゆっくり前に進みながら改善していきたいと思います。
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先日、書籍「プロセスエコノミー」を読みました。
実はこの書籍を読むのは3回目なのです。
毎回心に響く部分は違うのですが
今回は第3章の「正解主義から修正主義」という章が響きました。
2つの主義がある。
人知れず努力をして完全なものをつくりだしてから
アウトプットするアウトプットエコノミー。
(正解主義)
そして、試作品でもいいから表に出して
人からフィードバックを受け柔軟に修正していく…
つくりだしていく過程でアウトプットしていくプロセスエコノミー。
(修正主義)
私は前者である正解主義が大切だという価値観で長く生きています。
なので、勉強して練習して作りに作って磨いて洗礼されたものしか表に出さないタイプでした。
ですから、ライブ配信にもずっと躊躇し
なかなか始められずにいました。
なぜなら配信ソフトも無いし、設備も揃っていないからです。
しかし、完璧を求めていたらいつになっても始めることができません。
その古い脳のロックを外し、外に出てみようと思いました。
聴者さんの声を聴きながら
柔軟に修正していくことにチャレンジです。
そしてこれからもそう生きたいです。
その1回目。
またゆるく配信していきたいと思います。
よろしければお付き合いいただけますと嬉しいです。
今後ともよろしくお願いします。
👉アーカイブ視聴できます。
よろしければ、チャンネル登録もしていただけると
メチャ嬉しいです。
過去動画はこちら→ https://www.youtube.com/channel/UC18xfvnjxcPdrhupoaBZm6Q
読書感想文の課題図書の中に
夏目漱石の「こころ」があり、
ひらがなの「こころ」に優しさを感じ
手に取った覚えがある。
予想外でタイトルに反し小説の内容がズシッと重く
「人間は他者には語れない罪や罪悪感を抱えて生きていくものなのか…」と
読み終えた時、後味が悪くて
感想文の筆がなかなか走らなかった記憶がある。
大人になって自分の脚で各地の色んな場所を走り、
「乃木希典陸軍大将」のことを知った。
そういえば「こころ」に
乃木大将のことが出て来たなぁ…なんて
先日読み返してみることになった。
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小説「こころ」は
明治時代の末期が背景となっており
三部構成になっている。
上:先生と私
中:両親と私
下:先生の遺書
中身をザクっと書くならば、
「欲やエゴで人は裏切る。
信じていた人に裏切られるが、
自分も誰かを裏切っている…。
罪悪感と命…。」
そんなことが書かれていたように感じた。
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さて、乃木希典大将の話題に戻るが、
学生時代に「こころ」読んだときは
明治天皇の崩御の翌日に
夫婦で殉死した乃木大将のことが全く理解できなかった。
そして、乃木大将の殉死を受け、
先生も自殺してしまう意味が
それ以上に理解できなかった。
しかし、映画「二百三高地」を観たり、
明治天皇伏見桃山陵の隣に寄り添うように存在する
乃木神社へ行ったあとに「こころ」を読むと、
なぜか?少しだけ理解できたかの様に思う。
(二百三高地:当時の記事→★★★)
(明治天皇伏見桃山陵→乃木神社:当時の記事→★★★)
(北九州:西南戦争で率いた歩兵第十四連隊の石碑→★★★)
乃木大将が
西南戦争で軍旗を奪われたことを気にされていたり
日露戦争で多くの命が犠牲になったのに自分は生きている…
という罪悪感と
自分(先生)が裏切ったことで自殺してしまった友人(K)。
なのに自分は生きている…
という罪悪感を乃木大将に投影し
「罪のこころ」を終りにしたかったのではないか…という推測だ。
自分で命を絶つのは良くない事であるが、
明治の末期は何事も命がけで生きていたことがわかる。
そして、今の時代は責任をとって切腹するようなことは無いけれど
そのぶん人を裏切っても
罪の意識を感じなくなっているのかもしれないと時代の違いと義理人情の軽さを感じた。
最後に、上の章「先生と私」のなかで
先生が言っていた言葉が響く。
〝かつてはその人の膝の前にひざまづいたという記憶が
今度はその人の頭の上に足を乗せさせようとするのです…。〟
今、こういうことは頻繁にあるのかもしれない。
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